遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『蝶のゆくへ』  葉室 麟   集英社

2018-10-27 10:00:29 | レビュー
 奥書を読むと、「小説すばる」の2016年8月号~2017年8月号に連載として発表されたのが初出だという。著者はこの作品を発表した2017年12月に逝去された。単行本が上梓されたのは、2018年8月である。著者最晩年の一冊といえる。

 この小説、なかなかおもしろい構成になっている。全体は7章構成であり、全体を通して登場するのは星りょうという女性。星りょうの18歳から78歳でこの世を去るまでを描く、つまり伝記風小説という側面が中軸に据えられている。だが、著者は各章において、星りょうの人生に関わり合いをもった人自身の人生のある時期・ある側面に光を当てて、その人自体を浮かび上がらせている。その人物点描を詳細に行う形で星りょうの人生の時間軸と交差させていく。星りょうの人生がこのストーリーでの緯糸とすると、星りょうとある時期、あることで、濃密な人間関係を持った複数の人の人生点描が経糸となる。この経糸と緯糸により、このストーリーが織上げられていく。

 星りょうとは? 私はこの小説で初めて知った。相馬黒光として知られる女性で、新宿中村屋を創業した人だという。仙台生まれで、明治女学校を卒業後、相馬愛蔵と結婚。相馬愛蔵の実家のある穂高に住むが、明治34年9月に愛蔵を説得して、本郷のパン屋、中村屋を居抜きで購入し、同年12月30日に開業した。それが後に新宿中村屋となる。新宿中村屋は、芸術家たちが集う拠点ともなったという。

 このストーリー、上記の通り星りょうが主人公であり、当然ながら各章に登場するが、星りょうとの関わりを深めた人が登場すると、星りょうの人生のある時期を描きながら、そこに登場した人の人生のその時点での人生点描に重心が移っていく。ある意味で、星りょうはその瞬間から黒子的な位置づけになるという印象をうける。それでは章を追いながら誰が、そこにどのように登場するかをご紹介しよう。

第1章 アンビシャスガール
 「明治28年(1895)春 - 黒アゲハ蝶が飛んでいる」という文から始まる。18歳の星りょうが、黒アゲハ蝶を見上げ、この蝶が幸運の印か、死者の霊魂の化身かと考える場面である。18歳の星りょうは、その結果ただの蝶で自分とは無縁と結論づける。そしてこの小説の巻末で、著者は晩年のりょうが黒アゲハ蝶を縁側の安楽椅子に坐っていて眺めるシーンを点描している。蝶は星りょうならびに彼女が関わりをもった人々を象徴するのだろう。
 「アンビシャスガール」は、りょうが仙台神学校の教会で行われていた日曜学校に通っていたときに、知り合った神学生がりょうのことを評した言葉だという。当時から、りょうは「常に得体のしれない大きな望みを抱いていた」女性で、「時代も女子が何事かをなすことを求めている」と思っていたと著者は記す。どういう人生を送るのか? 惹きつけられる出だしである。
 この章では、東京のフェリス和英女学校に入ったりょうが、明治女学校に転校する経緯に触れる。そこから、二代目校長巌本善治について、さらに明治女学校の教師をしていた北村透谷の自殺とりょうの先輩斎藤冬子の病死に触れられていく。
 章末に、巌本校長がりょうに北村透谷の詩「蝶のゆくへ」を教える場面が出てくる。本書のタイトルは、直接にはここに由来するのだろう。この詩が一つのモチーフとなっていく。

第2章 煉獄の恋
 明治女学校の英語の講義場面から始まる。教師の名は島崎春樹、23歳。島崎藤村である。島崎藤村の作品は読んでいたが、彼がこの学校の教師をしていたという履歴は知らなかった!
 おもしろいのは、英語の講義がまったくおもしろくないとりょうは感じていて、「島崎先生は、燃え尽きてしまったのだから、しかたがないわ」とりょうが評していることである。
 島崎藤村が、明治女学校の生徒佐藤輔子に恋をしていた顛末、並びに藤村が諏訪より子と名乗る学生から紙片を渡される。父所有の貸家に明日の夜来てほしい、そこに佐藤輔子さんが待っているという伝言を告げる。若き日の藤村の一断面が点描され、後日りょうがこのエピソードとの関わりを直接もつことになる。なかなかおもしろい展開となる。

第3章 かの花は今
 第4章の冒頭が明治29年(1896)1月、第5章の冒頭が明治29年2月5日夜、という時点から書き出されるのだが、この第3章は明治29年4月12日から始まる。単純に考えると時間軸の順序が逆の印象を受ける。この年、りょうは17歳。実は前年11月に熱烈な恋愛の末に結婚した従妹の佐々城信子に関わる話が展開していく。信子はりょうの住む寄宿舎に訪ねてきて、「国木田のところから逃げてきたの」と言った。国木田とは、あの国木田独歩である。
 明治女学校に入学し寄宿舎住まいをするりょうが、時折叔母の佐々城豊寿を訪ねたという。その叔母の娘である信子の問題にりょうが叔母から呼び出されて関わって行くことが発端となる。そこで、叔母の人生点描、国木田独歩・信子夫妻の問題を通しての国木田独歩と信子のそれぞれの人生点描、さらにそこに、有島武郎が信子をモデルにして小説『或る女』を書いたというエピソードをからめつつ、有島武郎が軽井沢の別荘で心中自殺した顛末が点描されていく。
 星りょうの人生に、現在に名を残す人々との直接で深い関わりがあったことが興味深い。りょうの視点を踏まえて、彼らの人生が点描するという発想がおもしろい。伝記風エピソード集の趣がある。ある意味で、各章読み切り短編ととらえることもできる。そして、そこに通底していくのものとして、星りょうの人生を断片的に織り込み、織上げていくストーリーだ言える。

第4章 オフェリアの歌
 明治29年1月19日付けの『中央新聞』に載った「女学生の身投げ」という記事が発端でストーリーが展開する。その記事は井戸に飛び込んだ女学生の身元を「元宮城女学校生 保科龍(廿、但し匿名)」としていたのだ。暗に星りょうを暗示させる記事。巌本校長がりょうにその記事を見せる。もちろん、りょうは嘘と即否定する。校長は、訂正記事を出させるための手として、勝(海舟)伯爵の助力を得るアイデアを出す。明治女学校には梶クララというアメリカ人で35歳の英語教師がいた。そのクララ先生は、勝海舟と勝の長崎海軍伝習所赴任時代に梶玖磨との間にできた子・梅太郎と結婚していた。そこでクララ先生を介して、りょうが勝海舟の屋敷に行く羽目になる。
 この章、匿名化された記事の真相解明と絡め、明治以降の勝海舟の生き様の断片とクララ先生の観点からみた義父勝海舟の有り様、さらにはクララの人生が点描されていく。謎解きからみで、海舟の家庭の点描があり興味深い。

第5章 われにたためる翼あり
 明治29年2月に、明治女学校の一部を貸していたパン屋からの出火で、校舎や寄宿舎が火事となる事件から始まる。その火事見舞として、若松賤子先生に会いたいと一人の女性が学校の門前に訪れる。学生が当番として門前で火事見舞客に応対していたのだが、訪れた女性にりょうがたまたま対応することになった。その時、背後からその女性にお嵐様と話しかけた女の声がした。りょうも知っている三宅花圃だった。花圃はお嵐の火事見舞を妨げる。お嵐と呼ばれた女は樋口一葉である。三宅花圃は一葉をライバルとして敵視していた。なぜ一葉がお嵐と呼ばれたかの理由が花圃の語りとして記されていておもしろい。
 この章は、巌本校長の妻となった若松賤子の点描を介して、三宅花圃と樋口一葉の関係を語る。また、花圃に一葉に対する思いを語らせる。賤子が巌本と結婚する際に、巌本に贈った英詩の訳詩をりょうが若松賤子先生の言付として樋口一葉に届ける役目を担う。そこから、一葉の人生について点描が深まっていく。
 余談だが、三宅花圃と樋口一葉がここに登場したことで、私には先に読んでいた朝井まかて著『恋歌 れんか』という小説とのリンクができてきて、興味深かった。『恋歌』は中島歌子の人生と萩の舍を描き、そこに三宅花圃と樋口一葉が登場しているからである。
第6章 恋に朽ちなむ
 明治女学校の火災と再建までの間に、りょうが神田駿河台のニコライ堂に足を運んだことが縁で、ニコライ女子神学校の教師・山田郁子と知り合うことになる。また、その頃にりょうは旧知の島貫牧師から、信州穂高の相馬愛蔵との縁談を紹介される。
 この章では、主に山田郁子つまり、閨秀作家・瀬沼夏葉として後に知られる人の波乱に満ちた人生の点描である。この章の見出しは瀬沼夏葉の生き様を表象している。一方、この見出しは、りょうが鎌倉の星野天知の別荘を訪ねたときに、天知がりょうに教えた女性歌人・相模の詠んだ和歌に由来している。
 一方で、「わたしは、恋愛に振り回されて、自らの生きる道を歩む足を泥濘にとられたりはしない」(p250)という考えを持つりょうが相馬愛蔵との結婚する経緯、りょうが新宿中村屋のサロンの女王・相馬黒光と知られるようになるまでの経緯、が簡潔に描き込まれていく。邦子(夏葉)とりょうの人生のコントラストが一つの読ませどころでもあるだろう。どう生きるかと言う意味で。

第7章 愛のごとく
 りょうが新宿中村屋のサロンの女王として知られるようになった頃、そこに出入りする若き美術家の一人に、荻原碌山がいた。りょうが相馬愛蔵の許に嫁して、穂高に住んでいたころ、相馬家によく遊びに来ていた萩原守衛である。守衛は渡米し美術学校に入り、さらにフランスに渡る。帰国後、画家の道を断念し彫刻家の道を歩み始める。
 「守衛さ」と話しかけるりょうと萩原碌山の人間関係が点描されてていく。碌山の人生の点描とからめて、ロダンとカミーユ・クローデルの人生が点描されていくところが興味深い。
 併せて、りょうのサロンに出入りした幾人かの点描とりょうの娘・俊子の人生が点描される。
 著者はこのストーリーの最後に、相馬愛蔵とりょうの没年に触れている。

 りょうと関わりのあった人々の人生を点描しながら、りょう即ち相馬黒光の人生を描きあげた小説である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に出てくる人々に関連するネット情報を検索してみた。一覧にしておきたい。
相馬黒光  :ウィキペディア
相馬黒光  :「コトバンク」
相馬愛蔵  :ウィキペディア
相馬愛蔵  :「コトバンク」
養蚕家からパン屋へ 相馬愛蔵 アンビシャス・ガール 相馬黒光 
新宿中村屋 Webサイト
  創業者ゆかりの人々
巌本善治 :ウィキペディア
巌本善治の女子教育思想  木下秘呂美氏 「教育学研究」第52巻第2号 1985/06 
思想家紹介 北村透谷 :「京都大学大学院文学研究科・文学部」
島崎藤村について  :「藤村記念館」
国木田独歩  :ウィキペディア
有島武郎について 有島記念館 :「北海道ニセコ町」
勝海舟の青い目の孫たち  :「江戸・東京ときどきロンドン」
勝海舟の子孫は現在どこでどうしているの?家系図で簡単解説!:歴史専門サイト「レキシル」
若松賤子の略歴 偉人伝 :「会津への夢街道」
若松賤子  :ウィキペディア
三宅花圃  :ウィキペディア
藪の鶯  三宅花圃  :「青空文庫」
一葉記念館  ホームページ
瀬沼夏葉 その生涯と業績  中村喜和氏 一橋大学機関リポジトリ
瀬沼夏葉  :ウィキペディア
星野天知  :ウィキペディア
荻原碌山  :ウィキペディア
荻原守衛(碌山) :「新宿中村屋」
女 石膏原型 重要文化財 荻原守衛 :「e國寶」
ラース・ビハーリー・ボース :ウィキペディア
ラス・ビハリ・ポーズ  :「新宿中村屋」
中村彝 :「新宿中村屋」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『青嵐の坂』  角川書店
『随筆集 柚子は九年で』  文春文庫
『天翔ける』  角川書店
『雨と詩人と落花と』 徳間書店
『古都再見』   新潮社
『河のほとりで』  文春文庫
『玄鳥さりて』  新潮社
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26

『ことばと遊び、言葉を学ぶ』 柳瀬尚紀  河出書房新社

2018-10-23 16:25:55 | レビュー
 J・ジョイス作の『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』というとてつもない作品が翻訳されていることは知っていたが、その翻訳者が柳瀬尚紀氏であることを、知らなかった。この本のタイトルに付けられた副題「日本語・英語・中学校特別授業」という副題に関心をいだき、読んでみた。本書は、今年(2018)の4月に初版が発行されている。だが、著者は2016年7月に逝去されている。そのこともまた知らなかった。合掌。

 さて、これは、<<ロアルド・ダール コレクション>>(評論社)の柳瀬翻訳が取り持つ縁となって、実現した2箇所での授業から始まった著者の授業という形の講演をもとにしてまとめられたものである。
 「まえがき」には、島根県美郷町邑智(おうち)小学校6年1組の16名-これが6年生全員-を対象とした最初の授業体験だと記す。このときの授業をもとに、『日本語ほど面白いものはない』(新潮社)が刊行されているそうだ。本書には、「第4章 出雲ふたたび」で、この時の6年生が中学生になっていた時点で「邑智中学校特別授業」として講演する機会が生まれたという。その内容が収録されている。
 もう1箇所が「第1章 近江の子らよ」として収録されている。滋賀県長浜市西中学校で1年生から3年生の全校生を対象とした講演の記録である。それに、久留米大学附設中学校特別授業として行われた講演が「第3章 筑紫のひかり」と題して収録されている。これら3校での授業を踏まえた上で、架空の補講という形で、「第5章 まされる宝」が加えられている。
 5章だての構成であるのに第2章を飛ばした。これはナンセンス詩が取りもったことで、西中学校のPTA課外授業を京都競馬場で行ったときのことに触れている章である。授業としては番外。課外授業としての京都競馬場へのツアーが実現した際の過程で往復したリメリック・メールのことが題材になっている。「リメリックとは、イギリスのナンセンス詩人エドワード・リアの愛用した詩形」(p69)だそうである。著者は、日本語リメリックのやりとりをしたプロセスを紹介している。「メールには必ずリメリック(AABBAと韻を踏む5行滑稽詩)が入っていて、こちらはそれを添削しながら返信するというやり取り」が行われたという。そのプロセスを含めると、なかなか楽しい課外授業だっただろうなと想像する。この第2章を読み、久留米大附設中学校特別授業が、長浜市内での図書ボランティア活動の仲間の繋がりとリメリック・メールが縁となって実現したことがわかる。<<ロアルド・ダール コレクション>>(評論社)の柳瀬翻訳が波紋を広げて、どんどん繋がっていったという奇縁がベースになっていることがわかっておもしろい。

 この講演をベースとし、その時の口調をできるだけ変えないで修正や加筆を加えたという。本書の本文は「言葉を学ぶ」というタイトルにあるとおり、日本語と英語の言葉をあたかも言葉が言葉を誘発し、連鎖していくような形で、縦横に言葉の海を進んで行くという趣の講演である。言葉の面白さに引きよせられていく内容となっている。言葉の連鎖が、そうなっていくのか、先が読めない面白さがある。西中の場合は、まず「長浜」という言葉から始めて行く。『日本国語大辞典』に記された「長浜」の説明文を取り上げて、そこから始めていく。そして、再来年に長浜が市制70年となることを題材に、ワザと「市になって再来年でナナジュウネン」という話し方をし、「七」をシチとナナと読み分けることへの注意と意識を喚起する。「時代とともに日本語の音が変わってくるのは仕方ないのですが、ただ、間違いがぐんぐん広まってしまうのはどうかなとは思います」と、所見を述べて、言葉への感性を意識させてもいる。西中の生徒達に、長浜に関わるところから講演を始めるのは、一挙に距離感を縮めたことだろう。
 これは、附設中の場合は、著者はやはり、久留米に関連した「Kurume」という英単語から始めている。これはOED(Oxford English Dictionary」に収録されている花の名に使われたKurume の語の紹介である。著者はこの中学の生徒達の学力も踏まえて、長文の英文から始めていく。それもOEDが編纂された目的やその編集方針などまで言及しながら、言葉がどのように扱われてきたかにも触れているのである。著者は生徒達と同じ年頃のころに、dictionary という英単語を「字引く書なり」と覚えたという、エピソードなどを交え、そして、この学校の名前にある「附設」はどこに由来する言葉か、なぜ「付属中学校」としなかったのかと注意を喚起して、その由来を探っていく。多分その時の生徒達は、「附設」という言葉をあたりまえのこととして意識していなかったのではないかと想像すると、おもしろい。著者の疑問の投げかけに、ハッと言葉そのものを意識化したのではないかと思う。
 著者は言葉の成り立ちと言葉の変化について例を挙げながら解説を進めて行き、そこで日本語と英語の言葉がしりとりゲームのように繋がったり、ある日本語が英語ではどう言うのか、などとの関連で波紋を広げていく。この話の中で興味深いのは、辞書をどのように活用できるか、著者自身の経験談を交えながら、具体的事例で話を展開していく。この辞書の利用の仕方には、学べるところが多い。著者は、辞書の「語源」に親しむことを勧めている。
 著者の仕事場には様々な辞書・辞典類が集められていると想像してしまう。というのは様々な辞書名と具体的な言葉の事例が講演の中で飛び出してくるからである。

 もう一つ、著者はこれら諸授業の中で、言葉の遊びにもいろいろと具体例を交えながら言及していく。この側面もまた言葉に関心を抱かせる働きかけになって行く。上記した「リメリック」というのもその一つである。「アナグラム」「回文」「折り句」などにも触れている。
 柳瀬尚紀(やなせなおき)のアナグラムは、「大魚(おきな)や、為(な)せ」という。
 著者がこれまでにたった一つ作った回文は「飼いならした豚知らないか」だという。
 そして、英語の有名な回文 "Madam, I'm Adam." を、
 「はい、アダムだ。マダムだ、愛は。」と回文翻訳したことが唯一の自慢だという。
自分を題材にして、実例を示してくれるのも、楽しい所である。

 言葉の好きな人には、実に楽しみながら、おもしろくて引き込まれていく講演記録である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
柳瀬尚紀  著者プロフィール :「新潮社」
柳瀬尚紀  :ウィキペディア
柳瀬尚紀  :「コトバンク」
「ひょい穴」からジーニアス英和大辞典に入ってみれば  柳瀬尚紀
ジェイムス・ジョイス :ウィキペディア
James Joyce author (1882-1941)  :「BIOGRAPHY」
天才翻訳家が遺した、『ユリシーズ航海記』(柳瀬尚紀)刊行記念 いしいしんじによるエッセイ公開 :「Web河出」
柳瀬尚紀のおすすめランキング  :「読書メーター」
柳瀬尚紀 絵本ランキング :「EhonNavi」
回文とは :「JapanKnoeledge」
回文   :ウィキペディア
アナグラム :「コトバンク」
日本折り句協会  ホームページ
折り句 前編  日本のことば遊び:「JapanKnowledge」
   折り句 後編 
折り句  :「コトバンク」

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『夏井いつきの世界-わかりやすい俳句の授業』  夏井いつき  PHP

2018-10-19 11:05:20 | レビュー
 「世界一わかりやすい」という修飾語がまずおもしろい。いまや、俳句は「HAIKU」としてワールドワイドに広がっている。しかし、日本語を使い五・七・五の定型で「俳句」を作るという行為は、やはり日本を中心にして、日本語が堪能で俳句をたしなむ一部の外国人といえようから、日本一わかりやすいことが世界一わかりやすいとほぼ同じことだろう。私にはそんな気がする。目を惹きつけるキャッチフレーズとしておもしろい。
 本書は、「授業」と銘打っているとおり、先生対塾生、一対一の対話形式の授業スタイルで俳句入門の基礎ノウハウが伝授されていく。内容は噛み砕かれているのと同時に、学ぶべき要点が図式化されてまとめられていくので、わかりやすい。勿論、授業として説明されていく内容が、知的な理解としてわかる、わかりやすいということと、それが即座に実行できるということは別物である。わかった事が身について実践でき、授業の流れに沿って、速やかにステップアップしていけるか? それは読者個々人の修練ということに行き着く。

 ここでは、この本の特徴を印象としてご紹介してみたい。
 本書の「おわりに」で、著者は俳句を教えるための構想として、俳句の「前夜本・入門本・中級本・上級本」という四段階構想を持っているという。本書はその第二段階「入門本」に分類され、「基本をしっかりと独学するための一冊」として位置づけ、「ここから俳句づくりがスタートします。」というレベルである。俳句の定型パターンは五・七・五ということくらいは知っている、クリアしているところから始まっている。
 だから、1時間目の授業は、俳句づくりの「三種の神器」から始まる。それは「ペンとメモ用紙と俳号」である。本書では、塾生はPHPの編集部員で俳句は素人という人物が、夏井いつき先生に、冷や汗をかきながら学んでいくというスタイルである。塾生は俳号を秘英知と決めた。PHPのもじりという真面目さがおもしろい。「歳時記」を最初に水戸黄門の印籠のように、引っ張り出さないところが肩の凝らない授業である。

 2時間目は、俳句の基本を押さえる。といっても、一番基本となる「音の数え方」と俳句の表記の仕方である。表記の仕方というと難しそうに聞こえるが、「縦一行で間隔をあけずに」というのが基本ということ。そして、俳句には、「一物仕立て」と「取り合わせ」の2種類があるという説明。俳句づくりでこの違いはどこかが、わかりやすく説明されている。なるほどと思った。初心者は、勿論「取り合わせ」の俳句から練習すべしということである。

 3時間目は、入門者は「尻から俳句」づくりをやってみなさいという説明となる。ここでは、下五の設定⇒中五で下五を描写するフレーズづくり⇒上五で季語の選択、という風にまず型を覚えるための入りやすい導きの説明が授業内容となっていく。そして、季語の五文字に対して、残り十二音を「俳句のタネ」と説明している。この十二音にオリジナリティを如何に盛り込めるか、その工夫が大事だという。その工夫ができるようになるためにも、基本の型を身体に覚え込ませるくらいにまずは練習せよという。この「尻から俳句」の作り方を図式化して、ポイントが箇条書きでまとめられている。授業内容の本文がまとめのぺーじとして組み込まれている。他の俳句入門書を既に読んでいる人なら、まず各授業のまとめ部分を参照してから、本書を通読するかどうか、決めるのもよいかもしれない。あるいは、復習のつもりで通読してみるのも、学び直せ、理解が深まるかもしれない。

 4時間目は、「十二音日記」をつくり、十二音で日記を書き「俳句のタネ」集めの奨励となる。下五と中五の十二音が3時間目だったが、十二音は、上五+中五でも十二音。つまり、十二音日記がステップアップしていく。基本の一歩前進が加わり、両面からの十二音について、わかりやすい解説となっていく。
 そして、「季語は季節感をあらわすだけでなく、作者の心情も表現してくれる」という便利さに塾生の意識を向けさせる。季語自体が意味を内包する豊かさと広がりに注意をむけなさいということだろう。季語を選択する上で、十二音の「俳句のタネ」の心情を分析的にとらえ直すことの重要性を説いていると理解した。「心情チャート」というツールを提示しているのも、入門者にはイメージしやすいところである。
 
 5時間目は、作った句の善し悪しをどう判断するか。著者はチェックポイントを3つあげている。 「1.季語の「本意」をつかむ 2.意味の重複を確認する 3.五感を複数入れる」このチェックのしかたの説明のわかいやすさが、この授業の胆だと思う。
 そのうえで、初心者は、なるべく五・七・五の定型で作句し、「一句一季語」を意識するようにと述べ、「切れ字」をうまく使うことを身につけるように指導している。

 6時間目は、5時間目のアドバイスへのさらに具体的な説明に踏み込む。つまり、「切れ字」って、どのようにうまく仕えるのかの説明である。「切れ字」のすごさ、効果に意識を向けさせることになる。「切れ字」の基本は「や・かな・けり」の3つという。その違いをきっちりと理解しなさいという授業でもある。

 7時間目は、授業の切り口が変わる。ここまでは、「取り合わせ」タイプの俳句づくりで積み上げられてきた。ここでは、「一物仕立て」タイプに転じて行く。こちらのタイプの俳句づくりのためには、季語の「観察」が如何に重要であり、基礎になるかが詳しく説明されていく。五感+第六感まで駆使した観察の勧めである。季語を体感せよということのようだ。

 8時間目は、「一物仕立て」のタイプをさらに分析的に分類して掘り下げていく。先生曰く、純粋な一物仕立ての俳句は、全俳句のなかでわずか3~4%に過ぎないと。そうでない「一物仕立て」が16~17%あり、一方で「取り合わせ」タイプが80%であると。一物仕立てと取り合わせのグレーゾーンに落ちるあいまいな句もあるという。
 まあ、結論は、初心者は将来の作句タイプとして、地道に基本の「取り合わせ」タイプでの作句づくりを重ねなさいということだと理解する。

 最後の授業に辿り着く。それは、日々の俳句作り、俳句仲間づくりのおすすめである。俳句上達のためには、まず入門レベルの人は「俳句の型を増やす」ことを心がけよという。そして、俳句仲間づくりと通して「作った句を、どんどん外に発表する」機会を増やすことを勧めている。「そもそも俳句は、自分を表現する文学なんだから、人に読んでもらってはじめて完成するともいえるからね」というのが、夏井先生が塾生・秘英知さんに説明したスタンスである。そして、最後のアドバイスは、「できるだけ毎日俳句をつくる」という助言となる。
 夏井先生曰く、「『素直に学ぶ』。これが、初心者にとっての学びの近道なのだ」と。
 この入門書、会話体の授業形式の本文が楽しみながら読み進められるところが、利点である。肩が凝らずに読める。塾生秘英知さんの一喜一憂、冷や汗・脂汗、喜びが織り込まれているところが、おもしろい。夏井先生の語り口調が相乗効果を出している側面もある。楽しい入門書としてポイントの理解は一歩前進できた。そんな気がする。
 ふと思ったのだが、この授業内容、逆に考えると、俳句鑑賞のポイントを述べていることにもなっている。重要な俳句の分析と鑑賞のための視点がいろいろ含まれていると読む事もできる。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの思いつきで世界の俳句について、少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
Haiku From Wikipedia, the free encyclopedia
HAIKU IN ENGLISH From Wikipedia, the free encyclopedia
The British Haiku Society homepage
 English Haiku: A Composite View
Haiku in the Netherlands and Flanders
Haiku Poems by Richard Wright  Terebess Asia Online(TAO)

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その点、ご寛恕ください。)


著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『絶滅寸前季語辞典』 絶滅寸前季語保存委員会 夏井いつき・編  東京堂出版
『子規365日』 朝日新書
『超辛口先生の赤ペン俳句教室』 朝日出版社


『ホロコーストの現場を行く ベウジェツ・ヘウムノ』 大内田わこ 東銀座出版社

2018-10-15 16:19:33 | レビュー
 知らなくても支障のないことがある。
 知っておかねばならないことがある。
 知らないことで、機会を得て知ることがある。知ることから第一歩が始まる。
 
 知らされないことがある。だから知らないままになることがある。
 知らされていないことに、気づく機会がある。無知から歩み出すことができる。
 知らせないという立場をとるのは概ね時の権力者。その立場に加担する人もいる。
 知らせないのは、知られたくないことがあるから。知られると困るから。
 そのことについて、無知でいてほしいから。だから知らせない。

 知らせようとする人がある。知らせる必要性、重要性を感じるから。
 何を知らせるか。それが問題である。
 無知からの脱却が知への始まりである。
 知る機会を得て、認識し、考えを深めることになる。

 「ホロコースト」というコトバをご存知だろうか?
 「アウシュヴィッツ」というコトバをご存知だろうか?
 ホロコーストとアウシュヴィツというコトバを私が自覚的に認識したのは多分大学生のころだったと思う。その前に、『アンネの日記』を知ってはいたけれど。
 原題は「強制収容所における一心理学者の体験」と訳されるフランクルの著作が翻訳で出版されたのが『夜と霧』である。この本で、私はアウシュヴィツ収容所の事実を知った。そして、今春ふと手にとったのが、『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著・集英社)だった。この本も、ベースは他の収容所からアウシュヴィッツに送り込まれ、図書係をした少女と周辺の人々に関わる実話である。

 『ホロコーストの現場を行く』というタイトルに触発されて読んだ。
 あらためて、「ホロコースト」を辞典で引くと、「大破壊。大虐殺。とくに、ナチス-ドイツによるユダヤ人大虐殺」(『日本語大辞典』講談社)と説明されている。ホロコーストが行われた場所の代表例がアウシュヴィッツである。
 だが、その前に密かにホロコーストが実行された「現場」が存在したのだ。本書を読みそれを知らされた。ジャーナリストの著者は、その現場を期間をおいて複数回訪れ現地で見聞し体験したことと史料・資料・出版物などを織り込みながら、本書をまとめている。 フランクルの著書には、ドイツ国内にナチスが設けたユダヤ人強制収容所の名前は記載されている。そこに本書の「現場」はない。ドイツ国内の強制収容所から、人々はポーランド国内に設けられた「アウシュヴィツ」に移送されたのである。
 本書の「現場」は、「アウシュヴィツ強制収容所」建設以前のホロコースト前史にあたる。ポーランドの辺境地にあったというだけでなく、ナチスはその存在を秘匿し、目的を達成した後は、その存在の痕跡を無くそうとした「現場」なのだ。その場所が、副題として記された地名「ベウジェツ」と「ヘウムノ」である。そこはその「現場」に送り込まれたユダヤ人を「収容」するのが目的ではなくて、即座に「絶滅」することを目的とした「現場」だったという。

 ヒトラーの意を受けたユダヤ人虐殺計画は、SS(ナチス親衛隊)大将・ラインハルト・ハイドリッヒの名前をとり、「ラインハルト作戦」と名付けられた。そして、ポーランドのルブリンに本部を置く司令部(総督府)が、ラインハルト作戦の指揮をとったという。ルブリンには、アウシュヴィッツと同様のマイダネク強制収容所が設けられた。そして、ルブリン総督府とウクライナとの国境沿いを流れるブク川沿いに、3つの死の拠点がつくられたのだ。「ベウジェツ絶滅収容所」・「ソビブル絶滅収容所」・「トレブリンカ絶滅収容所」である。ナチスは、それに先駆けユダヤ人をガス殺する実験場を「ベウムノ」に置いたという。本書の著者は、これらの内、「ベウジェツとヘウムノの現場」を取材したのである。
 2005年の夏、著者は上記「マイダネク強制収容所跡・現場博物館」を訪ねたことが始まりと記す。当時の学芸員が案内を買って出てくれたことが契機となったそうだ。
 「ポーランドにはナチスがただユダヤ人を殺す、それだけのために建て、計画が終わったら事実を消すために、全てを取り壊した絶滅収容所があります。
  彼らは、そこで200万人のユダヤ人を殺しました。このひどい歴史がいまだに広く知られていないのです。ぜひ、案内したい。一緒に来てください。」(p7)
 本書は、ここから始まった見聞記録である。
 知られなかった事実。知らされなかった事実。ナチスが事実を消そうとしたが、残された痕跡がどのような事実を語っているか。わずかに生き残った人がどのような証言を残しているか。著者が現地インタビューで何を聴いたか。それらの事実を本書は「知らそう」としている。その絶滅計画が遂行された事実を、われわれはまず「知る」ことから一歩を踏み出すこと。ナチスの狂気の事実を厳粛に受けとめて、そこから学ぶことが重要ではないか。

 本書の目次をご紹介しておこう。
 プロローグ ポーランドの村で
 第1章 ここで何があったのか
 第2章 最終解決とラインハルト作戦
 第3章 博物館・展示室案内
 第4章 絶滅拠点ヘウムノ
 エピローグ (ここでは現地でこの歴史的事実と向き合う若者たちに触れている)

 エピローグの最後に記されている箇所を部分引用して、ご紹介する。
 著者が「知らそう」としていることを「知る」必要性を感じていただけると思うから。
 「多くの日本人にとって、ヨーロッパにおけるユダヤ人の虐殺は、自分とあまり関係ないこと、と感じることなのかもしれない。・・・・だが、いまだに世界ではさまざまな紛争がある。戦火の中、故郷や家を追われた大量の人びとが難民となり、国を逃れ、行き場を失い、命まで脅かされている。
  私たちの住む日本には、こうした死の恐怖と隣り合わせの生活はない。しかし、いじめによる子どもの自殺や障害を持つ人びとへの差別、心ないヘイトスピーチの増加など、心痛む出来事は相次いでいる。」

 「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。自分たちと異質な者を差別し、じゃまなものは取り除いていくというホロコーストの芽は、今も存在するのだということを私たちは忘れてはならない。
 偏見と憎しみの行き着く先から目を背けるな、過去に目をつぶってはいけないと、ベウジェツは私たちに呼びかけている。」

 「ユダヤ人大虐殺は、ナチスのユダヤ人へのレッテル貼りから始まった。」
 この「レッテル貼り」という思考パターンは、日本の社会にも事象・形を変えて内在しているのではないか。ホロコーストという狂気の事実から、同種の過ち-思考と行動-を繰り返さないために学ぶことは数多いと思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書から関連事項をいくつかネット検索して調べてみた。一覧にしておきたい。
ホロコースト  :ウィキペディア
ホロコースト  :「コトバンク」
ホロコーストエンサイクロペディア :「UNITED STATES HOLOCAUST MEMORIAL MUSEUM」
  ホロコーストについて
  ゲットー
  占領下のポーランドのゲットー、1939~1941年
  ベウジェーツ(簡約記事)
  絶滅収容所で
  アウシュビッツ アニメーションマップ  これは英語による説明
  アウシュビッツ
【悲惨な戦争の現実】アウシュヴィッツ強制収容所の写真【グロなし】:「NAVERまとめ」
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所  :ウィキペディア
強制収容所(ナチス) :ウィキペディア
負の遺産・ポーランドの強制収容所「アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」を訪ねて
  :「LINEトラベル.jp」
アウシュビッツ 画像 :「gettyimages」
アンネの日記  :「コトバンク」
「アンネの日記」、封印された「下ネタ」ジョーク明らかに 2018.5.16:「BBC NEWS JAPAN」
アンネ・フランクの名言(1) :「癒しツァー」
夜と霧(文学) :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『アウシュヴィッツの図書係』 アントニオ・G・イトゥルベ  集英社



『100万回生きたねこ』  佐野洋子  作・絵  講談社

2018-10-11 10:40:09 | レビュー
 友人のブログでこの絵本のことを知った。この絵本を早速読んでみた。
この絵本、なんと1977年10月に第1刷が出版され、刷を重ねるロングセラー本だという。知らなかった。
 この絵本、子どもから大人まで楽しめる絵本である。年齢に応じて、楽しめるとともにコトバとこのメッセージに含まれた意味を考えるとき、様々な材料に溢れている。さらに味わえるという要素がいかようにも加えられそうである。
 長年生きてきたせいか、様々な考えを囓ってもいる。この絵本を「子どもの心」、「子どもの感性や見方」から読むことはできそうにない。読んでいると雑念が渦巻いてしまう。逆に、様々に色づけされた頭を使ってみる立場から、子どもの心とはかけ離れた次元になるが、少し印象論をまとめてみたい。

 「100万回生きたねこ」というタイトルから、一匹のねこの物語ということが想像できる。ジャータカというコトバを連想した。
  絵本本文の最初のメッセージは、

  100万年も しなない ねこが いました。
  100万回も しんで、100万回も 生きたのです。
  りっぱな とらねこでした。
  100万人の 人が、 そのねこを かわいがり、100万人の
 人が、そのねこが しんだとき なきました。
  ねこは、1回も なきませんでした。

から始まる。見開きページの左にメッセージ。右に「りっぱなとらねこ」が作者自身により描かれている。
 つまり、作者のメッセージと絵での描写は完全にシンクロナイズしていると思う。メッセージを絵にする際、作者の図柄としてのイメージがそのままそこに表現されているとみてよいだろう。絵本の文に対し、第三者の絵を描く人がいて、その人の頭脳のフィルターを通して文を解釈して生み出された絵ではない。
 本のカバー、内表紙、そしてこの右のページにそれぞれ「とらねこ」が描かれている。これを見比べてもおもしろい。表情と姿態が変化していて、ここの右ページに描かれたとらねこが一番おとなしそう・・・・・。このメッセージから「とらねこ」の一代記というストーリーと明確にわかる。

 作者は第1行目に、「100万年もしなない」と書く。
 「100万年も生きた」ではない。こう記せば、100万年という時間量を1匹のねこが継続して生きたことになる。たぶん、素直に読めば・・・。一歩譲って、トータルで100万年という解釈もあるかもしれない。
 「100万年もしねなかった」とは記していない。「しなない」という事実を記すだけである。「しねなかった」と記せば、「しにたいけれどしねずに生きた(生き返って生きた)」というねこの意思が入ってくる。
 「100万回も しんで」、「100万回も 生きた」というフレーズは、「しなない」という事態が繰り返され、その累計数という事実を記すだけである。

 100万年、100万回、100万人のそれぞれの関係はどうなるのか?
 ねこを飼って、かわいがり愛玩した「人」の方は「ないた」のに、ねこは「1回もなきませんでした」というにはなぜ?

 「しんで」、「いきた」というコトバから、たぶん多くの日本の大人は「輪廻転生」という仏教語を連想してしまうだろう。私はまず連想した。
 『新・佛教辞典 増補』(誠信書房)を引くと、「輪廻」はサンスクリット語の「サンサーラ」という語の訳であり、「流転」とも訳すという。「インド古来の考え方で、人間が生死を繰りかえすことをいう(転生)。」という意味である。その考えが仏教にも取り入れられた。「仏教では、三界(欲界・色界・無色界)・六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に生死を繰りかえすことをいう。」と考えられてきた。かつては、六道を廻ることが、文字通り人間が畜生にも、餓鬼にもなるという転生が信じられていた。尚、この辞典には、「六道は現代的に考えれば、怒り、貪欲、愚痴、争い、喜悦などの意識の段階を出入りすることを指し、そうした出入りを繰りかえすのが人間ということになる」という解釈も加えてある。

 このとらねこは、輪廻(転生)したが、とらねことしていきたと記されているので、仏教でいう畜生道を外れていないことになる。仏教の輪廻観でとらえたら、どう解釈できるか、という面白さが加わる。このストーリーからは逸脱するかもしれない。
 絵本では、ねこがねことして生き死にを繰り返すということにとどまる。だが、この輪廻(転生)という視点を加えること自体が、古来からの人間のものの見方、考え方をここに反映していると言えるのではないか。絵本やアニメの世界に、「争い」という観点があたりまえの如くにストーリーに組み込まれているのと、同様に。

 この絵本では、まずとらねこが「しんで、いきた」その100万回の繰り返しの中のいくつかを語っていく。だれのところで生きたかの事例である。
 とらねこにとっては、王さま⇒船のり⇒サーカスの手品つかい⇒泥棒⇒ひとりぼっちのおばあさん⇒小さな女の子という形で、変転と飼い主が変わっていく。
 そのそれぞれのとらねこの生きた場面では、書き方が一定のパターンを繰り返している。この点も、「繰り返し」ということが、無意識のうちにリズムを生み出していく。絵本を読む、あるいは絵本を読み聞かせられた子どもたちには、一つのお話からとまどいなく、余分なことを考えずに、その枠組みに乗っかって絵、様々なシチュエーションでの想像を拡げて行きやすく工夫されているように感じる。
 そのパターンを抽出してみよう。

  あるとき、ねこは○○のねこでした。ねこは、○○なんかきらいでした。
  ○○は、****にねこを、つれていきました。
  あるひ、ねこは、・・・・・・して、しんでしまいました。
  ○○は、~~~のねこをだいて、なきました。
  ○○は、・・・・・にねこをうめました。

という話の進め方で、スタイルがパターン化されている。
 いずれでも、とらねこは飼い主を「きらい」だったとだけ記す。そこに理由は記されていない。飼い主は、ねこの死をかならず悲しんで泣いたことが繰り返されている。かわいがったねこを埋葬するというセレモニーがエンディングとなっている。
 飼い主がねこをどこに連れて行ったかを記すだけである。そこでとらねこがどのようにしていたか、どんな思いをいだいたかなどは、右のページの絵を見ながら、絵本の読者が自由に想像力をひろげていける世界である。飼い主がどのように、どんな気持ちで歎き悲しんだかの想像も同様である。どのようにねこを埋めたのかという状況の想像も読者に委ねられている。howの要素は読者の想像に任される。whyの要素はストーリー全体を通じて読者が考えるか、直観的に感じ取ることに委ねられていると言える。

 それぞれの場面では、○○の部分は飼い主ひとりしか登場させていない。その家族や周りの人は現れてこない。この文脈で考えると、とらねこが100万回、それぞれ1人の飼い主との関係で生きそして死に、100万人の飼い主が泣いたということになる。
 となれば、あるときのとらねこがどれくらいの期間を生きたかもまた、読者の想像力に任されている。それは数日かもしれない、数年かも知れない、数十年かもしれない。結果的に通算して「100万年もしなない」という時間の長さが結論としてまず表現されたようである。

 その先で、場面がターニング・ポイントを迎える。次のように、作者はとらねこの境遇を切り替える。

  あるとき、ねこは だれの ねこでもありませんでした。
  のらねこだったのです。

いままで飼い主がいたというとらねこがのらねこになったのです。しかし、「ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。 ねこは 自分が だいすきでした。」に場面が激変する。つまり、とらねこの境遇は、飼い猫から野良猫に。一方、とらねこの感情の在り様もまた激変する。「飼い主キライ!」から「自分ダイスキ!」へと。
 そこには、とらねこの主体性と自我の観点に光が投げかけられているのではないか。愛玩動物という位置づけで、他律的に受け身的に生きた繰り返しとの決別であり、自分で自分のことを考えるという存在への自覚の芽生えでもあるのだろう。
 絵本を読む子どもたち、読み聞かせられる子どもたちには、こんなことは関係のない話だろう。飼い主との関係が切れた、自由になったとらねこの自由さの側面に子たちの心が向かうかもしれない。このあたりに、一つ子どもから大人まで、そのメッセージを味わえるという奥行きを持っていると言える。
 こんな理屈っぽいことを抜きに、ただ楽しめばいいのかもしれないが。

 この後、絵本はおもしろい展開をする。ステップだけ触れておこう。
 第1段階 多くの雌猫がとらねこのお嫁さんになりたくてアプローチ
      とらねこの対応が語られる
 第2段階 とらねこに見向きもしない白い美しい雌猫の登場。
      とらねこがどういう行動をとるか。子どもも大人も楽しめる。
 第3段階 「ねこは、白いねこの そばに、いつまでも いました。」
      子猫が生まれ、子猫が巣立って行く。とらねこと白いねこは年をとる。
 第4段階 白いねこが死に、とらねこが死ぬ。
このステップの最後は、次の一文である。
     「ねこは、もう、けっして 生きかえりませんでした」

 この後半での私がキーセンテンスになっていると感じるのは、次の文がいくどか繰り返されていくことである。

   白いねこは、
   「そう」
   と、いったきりでした。   というのが3回と、

   白いねこは、
   「ええ」
   と、いったきりでした。   というのが2回である。

「ええ」と「そう」。短いコトバの中の、意味の広がりと奥行きは読者の感性、解釈に委ねられている。

 このストーリー、「100万年もしなない」とらねこが、「もう、けっして生きかえらない」状態に至る物語である。生き返らないという状態が、ハッピーエンドとなるお話である。

 輪廻の世界を脱して涅槃に至る物語。白いねこは、さしずめ観音菩薩の化身であろうかという読み方をしたくなる。こんな解釈、子どもたちは考えないよね、ゼッタイ・・・・。

 絵本のカバーに2つの書評文が掲載されている。その一つのなかに、読者がこの絵本を開いてみて、「おもしろいと思ってみればよいと思う」「それぞれに受けとめられるふしぎなストーリーでもある」と評されている。

 あなたなら、この絵本、どのように読みますか? 開いてみてほしい。

 ご一読ありがとうございます。

作者について、ネット検索してみた。情報を一覧にしておきたい。
佐野洋子  :ウィキペディア
佐野洋子 著者プロフィール :「新潮社」
佐野洋子のおすすめランキング :「Booklog ブクログ」
『100万回生きたねこ』故佐野洋子さんの「生きる力が沸く名言5」 :「女性自身」
愛と生きる喜びを伝える最高にカッコいい女性作家 佐野洋子 :「Femininse」
【佐野洋子という生き方】佐野洋子さんが遺した言葉たち :「NAVERまとめ」

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『神君家康の密書』  加藤 廣   新潮社

2018-10-07 10:13:15 | レビュー
 奥書を見ると2011年8月に本書の単行本が出版されている。私は『秘録 島原の乱』という著者の遺作を読んで、この本の出版を知った次第である。『秘録 島原の乱』が本書の続編であるという説明を読み、興味を抱いた。

 本書を開けてみて、これが中編規模の小説3作を併せて単行本化されたことを知った。「蛍大名の変身」(88p)、「冥途の茶席」(87p)、「神君家康の密書」(112p)という3作が収録されている。括弧内はその作品のページ数でみたボリュームである。
 この3作はテーマが全く異なるので、どれからでも読める。『秘録 島原の乱』との関係で言えば、「神君家康の密書」だけを読んで、その関連を理解するだけでもよし、なのだが、やはり最初から順番に読んでみた。その印象記を個別にまとめてみたい。

「蛍大名の変身」
 近江国髙島の大溝城の城主であり、後に大津城の城主となって、関ヶ原の合戦の折りに結果として名を残した大名・京極高次を主人公として「運」に恵まれた男という視点から著者は描いて行く。高次には龍子という妹が居た。若狭武田家の武田元明を前夫とし、天性の美貌から秀吉の側室となった女性である。「西の丸」のちに「松の丸」と称された。名門で美女好みの秀吉にとり、「琴瑟相和する」仲といわれるほどの側室だったが、秀吉の子を妊ることができなかった故に、茶々に先を越されることになる。
 この作品では、姉の七光りで、運良く高次は大名の階段を登って行けた描かれる。つまり、「子に恵まれない傷心の側室龍子を慰めるための秀吉の温情」による高次への加増という捉え方である。高次は「蛍大名」と揶揄されるようになったという。それは「女の尻の光で偉くなったという意」である。「蛍大名」は史料に登場するのか?著者の造語?
 この作品のおもしろい点がいくつかある。
 *高次と茶々の関係を軸に据えてストーリーを構想していること。高次は茶々を自分の「運命の伴侶」と信じた時期があったとする。
  高次は茶々の妹・初を娶り、高次・初の仲の良さを取り扱った立場と異なる設定がおもしろい。高次・初の関係にはネガティブ感でさらりと描かれる。
 *茶々が秀吉の子を成したことを「夫重ね」という疑惑で語る内輪話の追跡が一つの目玉に扱われる。様々な噂話がおもしろい。
 *大津城での高次の有り様が偶然性を加えた「変身」として「運」を掴んだものとして描かれて行く。
この作品、高次の運の強さをストーリーに描く反面、高次を虚仮にしているとも読めておもしろい。京極高次に関心を抱かせる作品であるのは、間違いない。

「冥途の茶席」
 この作品には、「井戸茶碗『柴田』由来記」という副題が付いている。
 究極の主人公は、現在東京にある根津美術館が所蔵する青井戸茶碗「柴田」という名物物がたどった履歴をフィクションにまとめたものである。見かけの主人公は戦国時代の著名人がこの茶碗に関わって行くスタンスと姿、この茶碗の所有者が紆余曲折を経て、転々としていくプロセスがフィクションを交えて描き出される。
 1.茶碗の所蔵者はどう変転したのか? その変転の仕方がひとつの読ませどころ。
  結論を記す。これは史実としての数奇な変遷だろう。
  博多商人(茶人)島井宗室⇒織田信長⇒柴田勝家⇒茶々⇒徳川方陪臣・青山家
   ⇒青山家家臣・朝比奈家⇒大坂の数寄者・平瀬家(千種屋)⇒藤田傳三郎
   ⇒鉄道王・根津嘉一郎⇒根津美術館
 2.茶碗はどう評価され、どう扱われたか? 
  千利休  高麗茶碗としての井戸茶碗の将来性を見抜いていた。
  島井宗室 利休の評価を踏まえて、信長にアプローチする贈答品(道具)とみた
  織田信長 天目茶碗に執心中の信長は、高麗茶碗を軽視した
       島井宗室との間での茶碗とその製作についての論議が一つの読ませどころ
  柴田勝家 信長からこの茶碗を与えられたことと亭主としての茶の湯許可に感激
       茶碗の評価は論外。信長からの下賜の一点で家宝に。
       秀吉との合戦に敗れ、この茶碗で妻の市との茶席を過ごす。
       「冥途の茶席」というタイトルの由来はここにある。
  茶々   単なる茶碗。秀吉には不愉快な代物に過ぎない。
       秀吉の単なる思いつき、厄介ものばらいで手放されたと著者は語る。
 3.高麗茶碗がその後に評価されていった理由は何か?
  著者はその原因が、軽くて保温力の高い高麗茶碗が戦国武将たちのニーズにマッチしていった点を上げる。濃茶の品質向上で味が一段とよくなる一方、保温性の高さが、茶席において、高麗茶碗での「廻し飲み」を可能にしたことにあるとする。それがなぜ、受け入れられたのか? お考えの上、この作品で著者の見解を確認してみてほしい。
 この井戸茶碗の背景に、様々な戦国時代の合戦と権力移転が累積しているという人間模様を鮮やかに描き出すのが著者の狙いだったのだろう。

「神君家康の密書」
 この作品は、豊臣家家臣で尾張・清洲城主、禄高24万石の福島正則が家康の命に従い、上杉景勝討伐軍の先頭を切って宇都宮を北上中の時点からストーリーを始める。そして、広島城主に移封された後、江戸幕府よりこの城の明け渡しと改易の処分を受けるまでを描く。
 福島正則の生き様において、正則がめざしたのはただ一つの約束事だった。「今後、たとえ如何なることが徳川さまと豊臣方との間で起きようとも、秀頼公の、お命だけは、なんとしても守る」という家康からの約束である。それを証文にさせることだった。そのためには、家康の命に唯々諾々と従う振りをする行動を正則は厭わない。そんな視点から著者は正則を描き出していく。
 上杉景勝討伐軍の中止から関ヶ原合戦へのなだれ込みの経緯が、家康タヌキと正則キツネの巧妙な駆け引きを背景としつつ描かれる。その上で関ヶ原合戦当日の勝敗の経緯が一つの山場として描き出されていく。そして大坂の冬の陣、夏の陣が簡略にふれられる。

 遂に家康は口約束以上のことはしなかった。だが、正則は城代家老・福島丹波守との密議で、家康との口約束を起請文に偽作して密書として残すという対策を講じたというストーリー構成である。
 この作品、「夏の陣」まで簡略に触れているなら、大坂城の山里曲輪で淀君・秀頼親子が自刃して果てたと伝わっているので、密書の意味が無いじゃないか・・・・ということになる。
 そこにフィクションとしての落とし所(秀頼生存説)が加えられてエンディングとなる。ここでは、福島正則から福島丹波守にバトンが渡される形で終わる。これが続編への伏線になっていたのだった。
 この小説、福島正則の生き様を描きながら、城代家老・福島丹波守の生き様をも欠くことのできないものとして描き添えていく。重要な脇役である。
 
 強いて言えば、「蛍大名の変身」、「冥途の茶席」、「神君家康の密書」との間には、茶々の「夫重ね」という視点が底流でつながる共通項となっている。この点は、永久に解けない問題である。様々な史料から合理的解釈はできるようだ。歴史の闇に潜む真実は何か。そこに小説家の作品づくりへの浪漫とモチベーションがあるのだろう。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
京極高次  :「コトバンク」
京極高次の「蛍大名」という生き方 彼は嫁と妹のおかげで出世した?:「BUSHOO!JAPAN」
京極竜子  :ウィキペディア
京極龍子 :「滋賀・びわ湖 観光情報」
京極家墓所 :「滋賀文化のススメ」
デジタルミュージアムC57京極家墓所 :「京丹後市」
大溝城  :「コトバンク」
島井宗室  :ウィキペディア
島井宗室  :「コトバンク」
高麗茶碗 :「茶道入門」
[徹底解説]井戸茶碗とは  :「茶道具事典」
根津美術館  ホームページ
  青井戸茶碗 銘 柴田 
福島正則  :ウィキペディア
福島正則  :「コトバンク」
福島正則にまつわる5つの逸話!  :「ホンシェルジュ」
福島正則の子孫 改易された後はどう江戸時代を過ごした!? :「ひすとりぴあ」

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このブログを書き始めた後に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『秘録 島原の乱』 新潮社
『謎手本忠臣蔵』  新潮社
『利休の闇』  文藝春秋
『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 文藝春秋


『高山右近』 加賀乙彦 講談社文庫

2018-10-04 10:31:32 | レビュー
 奥書を見ると、「群像」の1999年9月号に発表された後、同月に単行本化され、2003年1月に文庫本が出版されている。ネットで調べてみると、1999年に著者は文学者としての業績により第55回日本藝術院賞を授与されている。勿論、それまでに『フランドルの冬』での芸術選奨文部大臣新人賞を皮切りに、個別作品で様々な賞を授与されてきた。私は名前は知っていたが著者の作品をこれまでなぜかきっかけがなくて読んだことはない。本書を読了後に、調べてみて遅ればせながら知った次第だ。
 京都にあるキリシタン史跡を探訪したことから、キリシタン殉教、隠れキリシタンに関心を抱き始めた。その伏線は遠藤周作の『沈黙』が出版された当時にこの小説を読み、近年その映画化された作品を見ていたこともある。いずれにしても、これらの背景から、高山右近というキリシタン大名に関心を持ち始めたときに、この文庫本に出会った。著者の名前が記憶にあったので、すんなりと読む気になったといえる。

 1587年に秀吉が突如バテレン追放令を出した折、秀吉が政策を実行するうえで、キリシタン大名だった高山右近は影響力があり判りやすいターゲットとみなされたのではないかという気がする。秀吉は明石6万石の大名だった高山右近に棄教を迫った。ところが右近は「現世においてはいかなる立場に置かれようと、キリシタンをやめはしない。霊魂の救済のためには、たとえ乞食となり、司祭たちのように追放に処せられようとも、なんら悔いはない」(カトリック高槻教会の「高山右近について」より)という立場を堅持した。多分、秀吉は右近が己の威光に服しあっさりと棄教すると思っていたのかもしれない。だがその思惑が外れると、明石の領土を剥奪し、追放してしまう。また、逆にこの秀吉による右近に対する制裁の苛烈さは、他の諸大名その他への見せしめという形で目玉に仕立て上げることになった。右近の意志がどちらに転んでも、秀吉にとり、高山右近は己の威光、権力を知らしめる良いターゲットであり、アピールの目玉だったのだろう。
 淡路島・小豆島などへの流浪を経て、1588年、右近は加賀藩前田利家の招きを受けて、金沢に移り住む。利家から2万5000石の禄を与えられていたと著者は記す。前田利家自身はキリシタンではなかったが、信仰そのものにはかなり寛容だったようである。右近を含め「伴天連屋敷」と総称され、キリシタン信仰者の家臣たちが集まった地域が金沢に一時期できていたという。
 江戸幕府の治世に入ると、二代将軍秀忠の時代、家康の意図・命令から1612年まず直轄領を手始めにキリシタン禁止令が発布される。それが翌年には全国に及んでいく。

 前置きが長くなってしまった。だが、こういう背景を踏まえて、この伝記風時代小説の時期が絞り込まれる形で設定されている。つまり、右近は己が近いうちにこの金沢を追われる日が到来することを予期して準備を始めるという時点からストーリーが始まる。

 この小説の興味深いところは、その構成にある。大きくは2つの流れが織り交ぜられていく。
 一つは冒頭「1 さい果ての島国より」から始まる通信文スタイルでの記述の断続的な進展である。それは1613年12月20日金曜日付の手紙から始まる。金沢在住の宣教師ファン・バウティスタ・クレメンテが故国に居る最愛の妹宛に、日本におけるキリスト教布教状況ととそれに対する信長大王、秀吉大王がどのように対応してきたかなど、変転する厳しい情勢を含めて、書き綴るという形のいわば報告書の代理版というスタイルで時系列的な叙述が行われて行く。それは布教と迫害との記録である。宣教師の目に映じた状況把握と己の考え、思いが綴られていく。
 この流れを追っていくと、宣教師視点での教会側の考えが見えてくる。そして、それは右近の動勢を断続的に語り伝えていく。右近を別視点から捕らえ、状況理解に広がりを加えて行く。
 「1 さい果ての島国より」、「2 降誕祭」、「10 長崎の聖体行列」、「14 迫害」、「17 遺書」という風にストーリーに織り込まれていく。このストーリーは、宣教師の通信文で始まり、宣教師の通信文で終わるという異色の構成になっている。正直なところ、冒頭を読み始めた時は、少し勝手が違う・・・そんな感じから、引き込まれていった。

 もう一つが高山右近の立場、視点からのストーリー展開である。慶長19年(1614)に右近は金沢を追われることになる。このストーリーは右近が金沢を退去する前年あたりから始まって行く。それは、「立つ鳥。跡を濁さず」の如く、キリシタンとして生きてきた右近が縁あってこの加賀に居住し、布教を進める活動に加わってきたことへの区切りを如何につけるかから始まっている。加賀の信者達に余計な弾圧等が及ばないように手配りすることなど、右近が何を考え、残されていく信者の人々のために何を配慮し準備したかが具体的に描かれて行く。そして、グレゴリオ暦1614年元旦(慶長18年11月21日)に、右近は茶人南坊として恒例の初釜を開き、金沢の主だった信者たちと最後の茶会を催したという。
 金沢では、慶長19年(2014)に、パードレ・クレメンテとイルマン・エルナンデスたちが追放令を受けて、まずは京都へ護送されていく事態から始まる。その後、高山右近追放令が出る。右近一家は2月15日に雪の北陸路を徒歩でまずは京都をめざして退去していく。高山右近、妻のジュスタ、娘のルチア、十太郎を始め5人の孫たち、それに岡本惣兵衛と生駒弥次郎、侍女二人という一団だったと著者は描く。娘のルチアは前田藩筆頭家老の横山長知のたっての希望で、長知の嫡男康玄に10年ほど前に嫁いでいた。だが、廃キリシタンの風潮の中で、離別という形をとり、右近・ジュスタの許に戻って来たのだ。
 最終的に高山右近はマニラへ追放となる。そして、マニラ到着後、1615年2月3日に熱病により63歳の生涯を閉じる。
 このストーリーは、2013年~2015年という高山右近の最晩年、キリシタン追放令を受けた右近とその家族を中心に、追放の旅路に焦点を当てる。その行路とプロセスが克明に描写されていく。
 この追放される旅のプロセスを通して、著者は高山右近像を浮かび上がらせるという構想(観点)を組みあげて行く。その第1の観点は、キリシタン信仰者としての右近の信仰・信念やキリシタン信者への思いを描くということにある。そこには右近と宣教師たちとの関係も勿論描き込まれていく。右近が宣教師たちからどのように見られていたかも浮彫にされていく。第2の観点は、この時期南坊と号した茶人としての右近を描くという側面がある。第3の観点は、かつて武人として生きた右近像をあきらかにしていく。武士の立場を織り込むことで、キリシタン右近がより鮮明に浮かび上がるという側面である。この側面は、追放令を受けて、右近一家と合流する内藤一家の一人、内藤好次が「高山右近伝」をまとめたいという目標を持って、右近から過去の話を聞き出すという形で、旅路の折々に自然な流れとして織り込まれていく。このあたり、巧みな構想になっている。
 高山右近という人物を多面的に浮彫にし、眺め、一人格に総合していくことになる。このような多面的視点のアプローチが、護送されながらの追放の旅路というプロセスを単調なものにさせない工夫になっている。
 また、高山右近とクレメンテを介して、この旅のプロセスとの関わりにおいて、当時の日本に育まれたキリシタン文化の諸行事の一端や、キリシタン禁止令の発令された渦中でのキリシタンではない人々の反応なども織り込まれていて、当時の風俗・宗教環境がイメージできるという側面もある。
 高山右近をキーワードとして、当時の日本とキリスト教及び西洋との関係を理解する上でも役立つ伝記風小説である。

 フィクションを交えてという形ではあるが、キリシタン大名高山右近という人物の個性・人格と生き様に惹きつけられていく。一方で、高山右近へのさらなる関心、及び当時のキリシタンの信仰と生き様・隠れキリシタンへの関心を誘発されていく小説である。

 ご一読、ありがとうございます。

本書に関連する事項及びそこからの関心事項の広がりでネット検索したことを一覧にしておいたい。
加賀乙彦オフィシャルブログ
高山右近  :ウィキペディア
高山右近について  :「カトリック高槻教会」
高山右近研究室・久保田へようこそ

高山右近を訪ねて :「たかつきナビ」(高槻市観光協会)
【高槻市】クローズアップNOW「没後400年 高山右近をひも解く」 :YouTube
高山右近生誕の地 高山のキリシタン遺物  :YouTube
高山右近からのメッセージー列福祈願マニラ公式巡礼の旅  :YouTube
かってのマニラ日本人町を訪ねる ― 高山右近と内藤如安の足跡を求めて:「4travel.jp」
高山右近を訪ねてーマニラ、パコ地区の高山右近像! :「異邦人の目-旅人日記」
DVD キリシタン大名 ダイジェスト版  :YouTube
2014HCFF2-17 江戸キリシタン史   :YouTube
HCFF2017 2-13 京都キリシタン史 一条戻り橋 日本26聖人殉教のスタート地点:YouTube
2015HCFF2-5 北陸浦上キリシタン史  :YouTube
日本CGNTV 8周年 特集ドキュメンタリー `キリシタン` :YouTube

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