遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『時限捜査』  堂場瞬一  集英社文庫

2018-12-29 11:15:17 | レビュー
 『検証捜査』から波及したシリーズとみると、第4作になる。このストーリーの中心人物は、大阪府警の島村保。明日で大阪府警梅田署署長として2年の勤務を終え、明後日からは警察学校長に就任することが決まっている。署長退任までのカウントダウンが始まった状況の中で、事件が連続して発生して行く。このストーリーは、とてつもない事件の陣頭指揮を執らざるをえない状況に曝されていく島村署長を軸に警察の対応行動が描き込まれていく。
 島村は大阪府警から検証捜査に加わったメンバーである。今回も悪縁なのかどうなのか、警視庁の神谷刑事が結果的に事件に絡んでいく局面が生まれるという関係から第4作と言える。

 ストーリーは、太陽の塔の空中あたりが燃えているのを万博記念公園駅構内から目撃した人が119番に通報するシーンから始まる。大阪のシンボルが燃えている!

 署の幹部クラスにより行われた曽根崎新地での島村署長送別会を終えて、島村は梅田署の最上階にある官舎に戻った。風呂に入ろうとしていた矢先に、妻の昌美が脱衣所に飛び込んで来て告げる。太陽の塔が燃えているというテレビ報道が流されているのだった。そこに新たなニュースが入る。大阪市中央公会堂で火災が発生しているという情報だ。
 島村署長は勿論、即座に1階の梅田署に降りて行く。そして、3カ所目。USJ入口の地球儀が燃えているという通報が午後11時前に入ったという。梅田署管内ではないが、ピンポイントを狙った事件が連続で起こっている。連続テロか? 極左の手口ではなさそう・・・・。そんなやりとりが署内で交じわされる。島村は情報収集を指示するが、その矢先に、あべのハルカスで同種事件発生の連絡が入る。そして二次レベルの警戒警報が出る。
 梅田署管内は平穏だったが、島村は管内をパトカーで一回りしてこようと思った。待機組の警察官の一人が、警備課長の指示で、パトカーの運転を担当することになる。指示を受けたのは下倉。彼は射撃の選手として大阪府警の顔であり、静岡での大会に参加する直前だった。北⇒東⇒大阪駅と管内視察をしようと署の裏手からパトカーで新御堂筋へ出ようとした矢先に、増島課長から島村のスマートフォンに連絡が入る。JR大阪駅構内で発砲事件発生の情報が12時ちょうどに110番に入ったという。まだ電車が動いている時間である。発砲が事実ならば、梅田署署長最後の1日にとてつもない事件が所轄管内で発生した事になる。島村は下倉にパトカーのキー返却と署内待機を命じて、己は大阪駅に向かう。
 
 事件はJR大阪駅構内の時空の広場で起こっていた。発砲により、広場の端にあるガラス製の壁の一部が割れていた。現場付近で島村が制服警官に状況を尋ねていると、再び一発の銃声が轟いた。島村が今話していた制服警官が左の二の腕を撃たれると言う事態が発生する。傍にいた制服警官に島村は偵察を指示する。犯人は広場のノースゲート側に近いカフェに居て、男女1名ずつの人質が取られたようであり、ライフルを持っているようだと確認した。後から銃を突きつけて、人質を座らせているのを視認する。カフェが「要塞化」されてしまう。
 大阪の有名スポットで連続的に起こった火災事件で、大阪市内は大混乱に陥り、機動隊はテロ警戒で各地に分散している。そんな最中に、JR大阪駅構内での大事件発生である。島村署長は、そのまま陣頭指揮を取り始める。大阪駅構内と近辺の混乱の回避、時空広場近辺でこれ以上一般人の巻き込まれが生ずる危険の防止、人質の無事解放、そして犯人確保。そのための体制をどのようにしていくか。「緊急事態だ!テロどころの騒ぎやない。機動隊を、全部ここへ投入させろ!」と島村は無線で署に連絡を入れ叫ぶ。
 犯人が何人いるのか、犯行の目的は何なのか。先に4カ所で発生した事件とこの駅構内での人質をとった発砲事件は関係しているのか、それとも偶然の重なりか。
 島村は署長としての最終日である。署長権限で陣頭指揮できるのも一日限り。「定年まで2年。こいつはキャリアの最後でとんでもない落とし穴になりかねん。」トップとして大きな事件現場に立つのは島村にとっては初めてである。己が指揮命令できる時間は限られている。タイムリミットがあるのだ。島村はこの事件を限られた時間内に絶対に解決すると誓って取り組み始める。まさに時限捜査である。立て籠もり犯たちに対峙して事件解決を目指しながら、一方で事件の背景の解明を含め、犯人割り出しなどを迅速に捜査していかねば事件の全容がつかめない。適切な対処もできない。
 
 大阪府警の村本刑事部長が現場に出てくる。現下の状況を把握した後、この現場の指揮は島村署長に一任するという。そして、「もちろん、今日中には解決して、明日の朝には予定通りに警察学校長として赴任してもらう」と指示する。先の4カ所の事件は全てドローンを使った新しい手口であり、連続テロと想定して捜査中である。刑事部と警備部が協力体制で進めていて、両方の面倒をみなければならないから、島村に指揮権を委ねるのだという。用意できる人員、資材は全て回すと言う。島村は全面的に陣頭指揮し、要所要所で村本に伝達し、指示を仰ぐ立場になる。島村署長の大勝負が始まって行く。

 警視庁捜査一課の神谷刑事は、テレビの臨時ニュースでまずこの「JR大阪駅で発砲事件 負傷者が出た模様」という事態を知る。神谷は島村ともその後連絡を取り合っているのだ。島村に電話するのを控えるが、事件は気がかりである。島村のキャリアにも関わって行くだろうから尚更である。
 神谷は、午前4時に電話で叩き起こされる。神谷刑事の自宅から歩いて10分位のところで、殺人事件が起こっていた。所轄の連中は現場に行っているので、先に現場に出向いてもらいたいとの同僚からの連絡だった。事件は有楽町線の赤塚駅の南側にある小さな公園で発生していた。所轄署の刑事課長は神谷の同期・光岡だった。神谷は小さな公園を歩き回り、犯罪の手掛かりを探す。残るはゴミ箱・・・・そして、真新しいガラケーが捨てられているのを発見する。鑑識員はプリペイド式携帯電話だと判断した。現場の状況から、遺体が発見されたのは午前3時。殺されたのは、おそらく午前1時とか2時と推定される。
 被害者の身元が割れたことから、この事件は意外な展開を見せ始めていく。神谷の関わった事件がどうして島村とリンクしていくのか、それがこのストーリーの構想のおもしろさでもある。

 島村は人質救出に苦慮しつつ、立て籠もり犯と対峙し、様々な対策の手を打っていく。現場近くに指揮車が設置され、現場本部となる。府警本部からは今川警備課長が現場指揮に参画してくる。島村は彼を作戦を考える軍師扱いして意見を求めていく。
 梅田署の代表番号に直接犯人からの要求連絡が入る。犯人の要求はJRに現金10億円、警察には逃走用ヘリとパイロットの用意である。要求を受け入れないならば、午前11時に人質を処刑するという。また駅の構内5か所に爆弾を仕掛けているという。午前3時半までにバリケードを撤去しないと、派手に眠気覚ましをやると通告してきたのである。現場の人質情報なども要求の話の中に出ており、悪戯電話でなく、犯人からの要求とわかる。
 要求は明確になったが、事態はさらに紛糾することになる。JRとの交渉、爆弾の捜査など・・・・。JRとの交渉は刑事部長側があ引き受けるという。

 この小説のおもしろい観点をご紹介しておこう。
*全体の構成の特異性にある。時空広場のカフェに立て籠もった犯人グループに警察側の交渉者が話し合いを試みるが全て虚しく終わる。つまり、立て籠もり犯グループは直接交渉を一切しようとしない。そのため、犯人たちに対峙する島村は今川課長と話し合いながら、現場の状況を判断し、状況対応型で己の考えを対策としてあの手この手で繰り出していく。警察側の組織的な対応行動とそれに対する犯人グループの反応という形で具体的に描写していくことが中心のストーリーが展開する。読者は主に島村署長の視点で事態を読み進めることになる。警察組織の役割・機能分担がよくわかるところが一つの副産物である。
*島村の息子啓介が重要な役割を担って登場する。啓介は大阪府警に技術系職員として入り、科学捜査研究所に所属している。そして、この一連の事件での物証についての分析を担当する側になる。緊急事態という状況の下で、総指揮をとる父親にダイレクトに電話でコンタクトをとり、タイムリーに分析結果の所見や私見を連絡する。父親の島村はその情報を己の指揮命令に取り入れて行くという進展が興味深い。
 組織的ルート・手続きを経るというコミュニケーションを飛ばすという異常行為と緊急事態のリスクマネジメントにおけるコミュニケーションを考えさせる材料でもある。
 啓介は画像を含めた物証の客観的分析と一歩事件から距離を置いている結果、全体を思考できる立ち位置にいる。そこから己の推理・仮説を父親に伝える。それがまた相乗効果を現していく。このあたり、父子の自由な対話がプラスに働いていく。興味深い要素をこのストーリーでは組み入れている。
*『共犯捜査』では、犯人の一人が東京で事件を起こし逮捕された後、福岡での犯行を自供したという関連で、神谷刑事が福岡の皆川刑事と絡んで行く形であった。このストーリーでは、殺人事件という東京で発生した事件に神谷刑事が関わって行く。読者は、神谷が島村に絡んでいくことは、神谷が登場することで推測しても、『共犯捜査』とは違い、どのように絡むのかは当初見えてこない。このあたり、ストーリーの構成が巧みである。ほぼ同時進行している東西の事件がどこで接点をあらわして絡んでいくのか、先を早く読みたいという思いになる。
*射撃選手として注目されている下倉という警察官をこのストーリーでは登場させる。
 射撃の大会を直前にした府警の顔としての下倉を大会に専念させようとする周囲の思いとプレッシャー。一方で、緊急事態の大事件の中で警察官としての本務を尽くしたいという下倉自身の思い。下倉の内心の葛藤と行動を織り込んでいくところが、ひとつの読ませどころとなる。読者にとっては、下倉をどのように使うのだろうかと、関心を寄せさせることになる。
 なぜなら、事件の進展につれ、島村は警備部の特殊急襲部隊であるSATの応援を要請し、時間がかかったがSATが現場で配置について行くからである。さてどうなるのか、である。
*ドローン、画像解析・分析技術、情報検索・照合技術、スマートフォンを媒体としたコミュニケーションと情報処理、インターネット社会のブラックな側面、警察の装備など、様々な素材が巧みに組み合わされていく点が自然であり、違和感がなく、おもしろい。
*この小説が巨大都市の中枢となる交通の要衝地点で大事件を発生させたという想定は、現実性のあるリスクのシュミレーションと受け止めることができる点が興味深い。
 「虚を衝かれる」「虚につけ込む」「虚に乗ずる」という言葉がある。このストーリーは、意図的にその「虚」を創り出す発想から事を起こしている。そんなリスクへの対応をやはり現実に想定して行く必要があるのだろう。

 このストーリー、視点を少しずらせると「手駒」という言葉がキーワードになっている。それはインターネット社会の裏面ともつながっていく時代背景が絡んでいる。「手駒」の意味合いが大きく変貌してきている。そんな犯罪発生の安易さと怖さを引き出す言葉に変容拡大してきているなと感じる。この言葉に新たな意味づけが加わったと思う。この小説を読みそう感じた。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『共犯捜査』 集英社文庫
『解』 集英社文庫
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
『七つの証言 刑事・鳴沢了外伝』  中公文庫
『久遠 刑事・鳴沢了』 上・下 中公文庫
『疑装 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『被匿 刑事・鳴沢了』   中公文庫
『血烙 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『讐雨 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫


『共犯捜査』  堂場瞬一  集英社文庫

2018-12-24 10:55:28 | レビュー
 福岡県警捜査一課強行班の刑事、皆川慶一朗が主人公となる小説である。『検証捜査』の系譜に連なる作品がまた生まれた。『複合捜査』が2作目と言える。この『共犯捜査』がたぶん3作目になるのだろう。誘拐事件発生の現場が九州の福岡、7月13日だ。
 7歳の小学校1年生、松本莉子が誘拐され、犯人とおぼしき者から現金5000万円を用意しろという脅迫電話が入る。被害者の親は、博多派遣サービスの社長で、福岡県では一番大きい人材派遣会社を経営している。親は指定された金額を準備する。その受け渡し場所の指示が犯人側から入るのに合わせて対応し、皆川は助手席に5歳年長の先輩・馬場刑事を乗せた車で待機する。そして、犯人が現金の入ったボストンバッグを取得した時点で、犯人の乗るアルファードを追跡する。この追跡場面からストーリーが始まる。
 追跡に気づいたのか、アルファードは中央埠頭に向かう途中で一気にスピードを上げていく。その結果、アルファードはスピードを落とすことなく、埠頭の先端から博多湾へと飛び込んでしまった。運転していた男は死亡。現金の入ったボストンバッグは車中から発見されなかった。死亡者の身元は捜査で間もなく判明する。
 だが、ここで問題が提起される。皆川が運転する追跡の仕方に無理があり、犯人を追い詰めて焦らせた可能性がなかったかという疑念である。監察が状況究明に動き出す。皆川は古屋監察官から事情聴取を受ける立場になる。一方、佐竹捜査一課長からは謹慎しろと指示される。それは佐竹からの罰だと言う。
 そんな矢先に、市営の海づり公園の防波堤近くで、被害者松本莉子が遺体で発見される。この時点で誘拐殺人事件に発展した。馬場刑事から携帯電話に遺体発見の連絡が皆川に入る。皆川は思わず事件現場に出向いていくが、現場で宮下刑事に呼び止められ、「お前の謹慎は、被害者対策なのだ」と言われる羽目になる。
 この頃、皆川には女児が誕生したばかりの時期で、妻は実家に戻っていた。女児を得たばかりの皆川は、7歳の松本莉子が殺されたことによる両親の思いをわが子に重ねて大きなプレッシャーを感じ始める。
 南福岡署に捜査本部が立つ。死亡したアルファードの運転手は小澤と判明するが、小澤が松本莉子を殺害している余裕がないというところから、事件は共犯者を捜査するという形に進展して行く。謹慎を指示された皆川は、捜査本部とは切り離されて、「自分だけのけ者」という意識にかられる。ふだん自分は熱血刑事ではないと思っている皆川は、自分以上に「熱」のない同期の三山刑事に連絡をとり、同期のよしみで独自の捜査情報を得ようとする。そして、自分の今の立場で何ができるかと考えながら動き出す。しばらくして、皆川は謹慎処分を解除され捜査に復帰する。皆川の行動に徐々に熱が入っていく。皆川の事件に対する姿勢・心理がステップアップしていくプロセスの描写が一つの読ませどころになる。

 このストーリーのおもしろいところは、東京で強盗未遂で逮捕された長池直樹、30歳が取り調べの途中で突然福岡での誘拐事件について自供するという思わぬ展開である。神谷刑事が皆川に連絡を入れる。名古屋での検証捜査を共にした繋がりで、皆川と神谷がリンクするという面白い展開が生まれる。所轄から警視庁の捜査1課に情報が入り、神谷刑事がそれを受けたというのである。捜査共助課経由で、警視庁から正式な情報が福岡県警に入ってくる。皆川は自ら東京で長池が本当に共犯者なのかの取調べをしたいと志願する。その結果、この誘拐事件に関わり己の失点を感じている花澤絵里と一緒に、東京に赴く。
 この東京での取調べで共犯の可能性が明らかになり、長池を福岡に護送して捜査を継続する形に進展して行く。皆川と神谷の関係、並びに神谷のサポートが興味深い。
 東京での取調べに引きつづき、福岡でも皆川が取調べを継続する。長池の応答態度の中に誰かをかばっているような感触を皆川は感じ始める。
 このストーリーでは、この長池の取調べのピロセスがもう一つの読ませどころだろう。どこまで速やかに事実を引き出せるのか・・・・。

 その渦中で、もう一つの誘拐事件が起こっているとのタレコミ電話が警察の代表電話にかかってきた。大嶋智史の息子が誘拐されたという情報である。誘拐そのものの真偽も不明のまま、皆川は急遽まずその状況を調べるように指示される。捜査を始めていくと、奇妙な状況が出てくる。大嶋智史は息子が誘拐されたということを否定する。皆川はそこに何か隠されていると感じ始める。この2件目の情報は、連続誘拐事件となるのか、全く関わりがないことなのか・・・・。当事者の周辺情報を調べていくと、意外な人間関係が浮かび上がっていく。
 この大嶋の息子が誘拐されたというタレコミの事実究明、その捜査プロセスがもう一つの山場といえる。共犯者の捜査が広がる中で、共犯者の人間関係は予想外の繋がりに進展して行く。

 さらにもう一人の遺体が発見される。被害者は共犯者の一人と判明する。2つの誘拐事件に翻弄されながら皆川はその謎解きを推進していく。
 クライマックスでは、追跡される過程で、共犯者が銃を使う事態にまで進展する。皆川は、命をはる熱血刑事に変貌していくことになる。 
 また、このストーリーでは、皆川の同期である三山刑事がおもしろい役回りを果たしている。人それぞれに長所・役割があるという事例になっている。

 このストーリーの構成で、もう一つ興味深い点は、犯人の独白と思われる呟きが太ゴチック体で要所要所に挿入されていくことである。
 それは、67ページの
  「闇。水。
   用無しになった人間は捨てるしかない。
   子どもは軽いものだ。--魂がなくなった分、軽くなるのだろうか。」
から始まり、470ページの
  「ゲームオーバー。
   この先の人生はささやかな余禄だ。」
で終わる。読者はこれが誰の独白なのか・・・・・、それに興味津々とならざるを得ない。

 さらに、この共犯捜査の真の原因を創り出した人間がいたのだ。誘拐犯の供述で明らかになる。その意外性がこのストーリーの要である。だがそれは、捜査方法についての皆川の反省に繋がって行く。

 最後のワンシーンは、『検証捜査』で登場した永井参事官が登場する。福岡県警刑事部総合参事官として8月1日付で赴任してきていた。警察とは関係のない場所で、赴任前に発生した今回の事件の詳細を直接皆川から聴きたいという。話が終わると、二人は握手して別れる。
 これって、アメリカ映画にあるパターンでは! 皆川刑事が永井とともに活躍する新たなストーリーが続くのではないか? そんな期待を持たせるエンディングだ。
 大いに期待しようではないか。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の読後印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『解』 集英社文庫
『複合捜査』 集英社文庫
『検証捜査』 集英社文庫
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『帰郷 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『孤狼 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『熱欲 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『破弾 刑事・鳴沢了』  中公文庫
『雪虫 刑事・鳴沢了』  中公文庫


『「阿修羅像」の真実』 長部日出雄  文春新書

2018-12-21 20:11:45 | レビュー
 先般、『阿修羅像のひみつ』(興福寺監修 田川・今津他共著 朝日新聞出版)という本を読んだ。X線CTスキャンという技術を駆使して、阿修羅像を解析しその造立に関わる未知の部分、いままでわからなかったひみつに挑んだ本だった。この読後印象記は既に書いている。その影響があって、このタイトルを見つけたとき、すぐ読んでみる気になった。どんな真実にアプローチするのだろうという興味と期待である。奥書を見ると、2009年12月の出版だった。東京で「国宝 阿修羅展」が開催された年の出版である。それ以前に、興福寺で阿修羅像を拝見していたので、当時この東京での開催報道を読んでいたが、この頃の阿修羅像関連出版物を気にも留めなかったのだろう。そんな気がする。

 タイトルから勝手に期待を膨らませていたのは、阿修羅像が仏教世界に取り入れられたのはなぜか。阿修羅像の導入経緯において造像の表現変容プロセスに触れられているのか。興福寺の阿修羅像があの姿に造立されたのはなぜか。・・・・などの事実、真実というイメージだった。
 本書を読み始め、私の勝手なイメージは半ば崩れた。著者は最後の最後まで、阿修羅像のことに全くと言って良いほど、触れていない。
 そして、最後の第6章の「苦悩する光明皇后」及び「阿修羅のモデル」という小見出しの中で、興福寺の阿修羅像は、「阿修羅のモデルは、いったい誰であったのか。・・・・光明皇后以外の人ではあり得ない。」(p211)、「天才彫刻家万福が、精魂籠めて作り上げた光明皇后の肖像と観て、おそらく間違いあるまい」(p214)という結論を著者は仮説として導きだした。これが著者にとってのこの阿修羅像の真実である。
 つまり、この結論を確信するに至るプロセスを解き明かす点に、著者はこの一冊を書いたと言える。が、なぜそう考えるのかのプロセスは一見遠回りな論点の提示と説明を重ねて光明皇后像を描き出していくという展開になっている。
 私の読後印象として、阿修羅像=光明皇后肖像という仮説は興味深いのだが、勝手な当初の期待からすると、なるほどという感想である。一方、それよりもまず、光明皇后並びに聖武天皇という人物について理解を深める一助になったことの方が興味深い。光明皇后という歴史上の人物を知るための伝記風テキストと考えると、読み応えがある。そして、その中にエピソード風に幾人もの人物が点描されていく。それらの人物を知ることも興味深かった。

 本書の章構成を紹介しておこう。そこに少し印象・コメントを記してみる。
第一章 美貌の皇后
 美貌の皇后とは勿論、光明皇后をさす。光明皇后を引き出すために、『大和古寺風物詩』を代表作の一つとする亀井勝一郎のエピソードから話が始まる。かつてこの書を読んでいたので、亀井勝一郎の人生の一側面を本書で知ったこと自体が私には興味深い。

第二章 安宿(あすか)に生まれた藤原家の娘
 臣下から出た史上最初の皇后・光明皇后の出生と立后までの背景が簡略に語られる。光明皇后という通称の由来がどこにあるかについて触れている。いままで考えたことがなかったので、おもしろい。『金光明最勝王経』に由来するという。なるほどである。

第三章 光明皇后の夢
 『金光明最勝王経』と当時の日本との関わりを論じ、この経の要点を部分説明するとともに光明皇后との関わりを論じていく。また、聖武天皇による大仏建立の発願と華厳経に触れていく。「天平12年(740)2月、難波宮に行幸されたさい、河内の知識寺に詣で、当時日本最大の石仏であった毘盧遮那仏を仰がれたのがきっかけであった」(p98)という。 このきっかけのことを初めて知った。『続日本紀』に難波宮行幸の事実記載はあるが、そこには知識寺云々のことは言及がない。調べてみると、天平勝宝元年12月27日条の後半に「去る辰年(天平12年)河内国大県郡の智識寺においでになり、盧舎那仏を拝み奉って」という記述があった。(『続日本紀(中)全現代語訳』宇治谷孟・講談社現代新書、p92)

第四章 天竺から奈良までの長い旅
 一転して、三蔵法師玄奘の事績に話が及ぶ。本書のタイトルを抜きにして、この玄奘の伝記風語りは仏教伝来のプロセスを知る上でも、興味深い。
 玄奘-道昭-行基という形で、仏教思想が繋がって行くプロセスが生まれたという論点が、眼目となっていく。大仏建立に行基が最終的に関わって行くのだから、時の経過と話が遠大となる。
 そして、ここで、玄奘、道昭、行基という3人の人物像を少し深く知ることとなる。この3人の連なりを知ったことも、私には本書の副産物である。

第五章 大仏開眼
 聖武天皇が発願された盧舎那仏建立について、行基の関わりを軸としてそのプロセスが描かれて行く。大仏開眼に行基がどのような役割を果たしたかが具体的に理解できる。行基の評価が時代と共に極端に変化していく様が興味深い。また、聖武天皇の崩御の後、七七忌に光明皇后が太上天皇(=聖武)遺愛品を東大寺に献納されたことが記されている。現在の正倉院御物である。「日常の生活に選り抜きの舶来高級ブランド品を愛用されていた御様子が髣髴としてくる」と著者が記しているのがおもしろい。言われてみれば、そうだな・・・と思う。それ故に、時を超えた優品を展示する正倉院展を毎年見に出かけているのかもしれない。

第六章 光明皇后の面影
 著者は和辻哲郎著『古寺巡礼』と亀井勝一郎著『美貌の皇后』を引用し、その記述と論点を足がかりにして、己の考え方を展開していき、最後の結論を導き出す。
 この章で著者が説明する要点をご紹介しておこう。
*光明皇后は亡き母・橘夫人のために興福寺に西金堂を建立した。
 その西金堂の為に造立された諸仏の中に、阿修羅像が含まれている。
*いままで仏像の作家が文答(問答)師とされてきたが、仏師・将軍万福に該当する。
これらの論点を踏まえて、上記の結論が導き出されている。詳細は本書をお読み願いたい。

余談だが、思い出したので関連として書き加えておきたい。梓澤要という作家が『阿修羅』という小説をフィクションとして書いている。「仏師田辺嶋は、もう何日も思い悩んでいた」という書き出しから始まる。彼の師匠が仏師将軍万福という設定になっていて、阿修羅を彫るという仕事を与えられているのだ。このストーリーでは田辺嶋は脇役的な存在である。だが、フィクションとして阿修羅像のモデルが設定されている。光明皇后ではない点だけ付記しておく。この小説については、後日印象記をまとめてみたいと思っている。
 阿修羅像は、興福寺宝物館での展示をかなり昔に初めて拝見した。そして、2017年の秋、後期として「阿修羅 天平乾漆群像展」が興福寺仮金堂で開催された時、阿修羅像が仮金堂内で諸像の中に配置されて祀られていたのを拝見した。群像の中の阿修羅像が魅力的だった。あの正面の相貌にはやはり惹きつけられてしまう。
モデルは誰か? 確信することと、物理的あるいは文献的根拠で確証することとはやはり一線が画されることだろう。確証はできていない故に、ロマンに満ちた謎にとどまらざるを得ない。本書で一つの仮説が提起されたことは興味深い。一層想像の翼を羽ばたかせるロマンが広がることになったのだから。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋で、いくつか調べてみた。一覧にしておきたい。
阿修羅像  文化財 :「興福寺」 
阿修羅像を特別公開 奈良・興福寺   :YouTube
【アーカイブ】興福寺中金堂再建記念・興福寺シンポジウム「阿修羅像 天平の心と技を未来へ」   :YouTube
国宝・阿修羅像の「三面六臂」の意味するものとは【ニッポンの国宝ファイル1】:「サライ」
阿修羅像について   :「阿修羅の魅力」
智識寺  :「柏原市」
光明皇后  :「コトバンク」
「集一切福徳三昧経(じゅういっさいふくとくざんまいきょう)」:「国立国会図書館」
    光明皇后御願経。
光明皇后 悲田院、施薬院を作り慈善事業を始める 高嶋久氏 :「APTF」
50-40 聖武天皇と光明皇后 -実は反藤原の聖武天皇と胸キュンの光明皇后-
   :「seko-yaブログ」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

読後印象記とは無関係ですが、もう一つの拙ブログにおいて、興福寺仮金堂で「「阿修羅 天平乾漆群像展」が開催された時のことを少し書いています。そこに仮金堂内での阿修羅像を含む群像の配置図を入手リーフレットから引用してご紹介しています。
ご覧いただけると、うれしいです。
観照  展覧会の秋-京都と奈良ー、そして秋の紅葉

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
『阿修羅像のひみつ』 興福寺監修 田川・今津他共著 朝日新聞出版


『欧亞純白 ユーラシアホワイト』 大沢在昌  集英社文庫

2018-12-17 11:30:24 | レビュー
 ストーリーの主要舞台は日本であるが、その展開の広がりはグローバルになる。海外で関わりが最も深いのはタイトルにあるように、ユーラシア大陸である。ストーリーは3章立て、その見出しは「第1章 1997年」、「第2章 1998年」、「第3章 1999年」。この小説が単行本として出版されたのは2009年12月、文庫本化は2013年3月である。
 「ホワイト」は何を意味するか? ヘロインだ。このストーリーが展開する期間は1997年から1999年。なぜ、1997年なのか。それは、香港の中国への返還が目前に来ている時期である。ヘロインビジネスはグローバルに大きな取引が行われドラッグが政治体制とは関わりなく至る所に流通している。ユーラシアには、タイ・ミャンマー・ラオスの国境地帯に「黄金の三角地帯」と呼ばれる世界最大のケシ生産地域が存在する。カシの果汁から作られた阿片を精製すると純白のヘロインができる。そのヘロインは麻薬組織により中国に搬入され、香港を経由しアメリカ本土に持ち込まれる。それが莫大な金を生み出していく。チャイナホワイトと称されるルートである。一方、アフガニスタン・パキスタンから中央アジア5国(***スタンと称される諸国)にかけてのケシ生産地は「黄金の三日月地帯」と呼ばれる。ここでの阿片やヘロインは、モスクワを経由し、バルト三国に流れ込み、西ヨーロッパ地域に密かに持ち込まれて闇市場が形成されている。ロシアホワイトである。
 このストーリー、日本を舞台にしながら、その背景はアメリカのシチリア系組織、チャイナホワイト、ロシアホワイトが絡み合いながら関わってくるという壮大な構想で展開される。

 最初のシーンはグアム島から始まる。グアム警察のマリオ刑事らは、台湾産のドラッグを扱うリコ兄弟が自分たちの経営する店で運び屋と取引する現場を押さえようとしていた。リコ兄弟の扱うドラッグの一部がアンダーソン基地を経由し本土に流れ込んでいるという情報を基地の犯罪捜査局から通報されたのだ。マリオが店に踏み込もうとした直前、店の内部で巨大な爆発が起こる。轟音は500m離れた地点に立っていた者の体すら持ち上げるほどの威力があった。同僚ジョージを含み5名の警察官が即死。マリオはかろうじて難を逃れた。この爆発で、台湾とグァムを結ぶドラッグの密輸ルートが失われた。
 舞台はロシアに一転する。アメリカのDEA(連邦司法省麻薬取締局)に所属する取締官・ロシア系アメリカ人のベリコフは、かつてメキシコで潜入捜査官として働いた経験もある。そのベリコフは、シチリア系組織の顧問弁護士であり、パラッツォの名を継承した男をマークしていた。その弁護士は組織の幹部の娘と結婚し、婿入りしたのである。本名はユージン・キリノフでロシア系アメリカ人。パラッツォを追跡するベリコフがモスクワの組織犯罪対策班・クリチェンコ警部と、モスクワの郊外にあり、マフィアの所有する「農場」を張り込み、捜査を行うシーンである。別件捜査の形で、マフィアの一員、ヴィクトゥルを捕らえたのだ。ベリコフはヴィクトゥルから、パラッツォの接触意図を尋問して聞き出す。パラッツォはロシア・マフィアに接触し、大量のヘロインを買い付け、アメリカ国内に運び込むことを考えていた。だがこの話は不首尾となる。女と一緒だったパラッツォは別の目的地に行こうとしていたというヒントだけヴィクトルから得る結果となる。ベリコフの追跡がつづく。
 香港の中国返還を目前にして、チャイナホワイトの流通がなぜか激減する異常事態が起こっていたのだ。パラッツォの行動はそれに関連していた。
 ストーリーの冒頭から、話はグアム島、モスクワと海外の場面が連続する。このストーリー、ドラッグやヘロインが関係するようだがどのように展開していくのか・・・・・まず、好奇心が沸き起こる出だしである。

 そして、舞台は日本に。厚生省の関東信越地区麻薬取締官事務所に属する取締官・三崎が登場する。三崎は捜査官に転向して8年の経験をしている。そのあいだに、覚せい剤とコカインにからむ、大きな4つの事件を解決した。相棒は辻村取締官。彼らの上司は1967年度採用の、叩きあげの麻薬取締官で大出と言い、50半ばに近い主任情報官である。辻村が得た、村井組が1億の現金を準備し2キロの物を取引すると言う情報により行っていた張り込みがガセであり、現場撤収するという場面から始まって行く。一方、意気消沈の折に、日本に駐在するDEA捜査官・コリンズから奇妙な情報が入ってきていたのだ。グァム島での爆発事件のことである。台湾人の運び屋アルバート・チンがその爆発で吹き飛ばされたという情報だった。ガセネタで終わった張り込み中止が、この爆発事件と関わりがあるのかどうか・・・・、状況不明な中でストーリーが複雑に絡み合っていく。

 このストーリー、三崎麻薬取締官の捜査活動を主にしながら、一方でパラッツォを追跡するベリコフの捜査ストーリーが併行して進展する。
 台湾の運び屋が爆死したという情報をヒントにして、三崎は台湾の組織に何かが起こっているのではと勘を働かせる。そして、新宿でその兆しが見つかるのではと推測する。新宿には、台湾の他に、上海、福建出身の連中が出身地を背景にしながら割拠している実態があるからである。大出の指示を受け、三崎と辻村は新宿に潜り捜査活動をすることになる。少しずつ情報を得る一方で、龍(ロン)という男に辻村が拳銃で撃たれ死に、三崎自身もその仲間から背中を切られる事態に立ち至る。だが、その場に懸かってきた龍の携帯電話のメッセージが三崎のピンチを救うことになる。徐という人物が三崎を救った。そこには、かつての事件で三崎が徐の息子を助けたことがあったからだ。三崎は徐の助けを得ながら、辻村を死なせることになった状況の解明を推進することになる。事態の経緯から、麻薬取締官という肩書きを伏せ、徐以外にはバックアップのない状況下での潜入行動となっていく。徐に連れられてある場所で日本最大の広域暴力団、坂本組の藤堂に会うことになった結果から、三崎の独自行動が始まって行く。
 一方、パラッツォを追跡する捜査活動は、ベリコフを日本に導くことになる。ベリコフは日本で潜入捜査活動を始める。そして、かつてベリコフが潜入捜査をしていた事件で裏切られたタイニーと新宿で追跡中の事件を介して再び対立する立場で再会する事になる。ベリコフの潜入捜査行動は結果的に日本に駐在する同僚が射殺される事態を引き起こす。が一方で手掛かりを得ていくことになる。同僚が射殺された場所で、ベリコフは三崎に助けられることになる。そして、その後三崎とベリコフが連携する関係ができていく。
 ベリコフと三崎には、ホワイトタイガーという名前が共通するキーワードとなる。
 ホワイトタイガーの率いる麻薬密売組織が、チャイナホワイトのルートに代わるルートづくりとして、日本最大の広域暴力団に取引を持ちかけていたのだった。
 ベリコフは新宿で潜入捜査をしているとき、ホワイトタイガーの情報を求めている中国人趙に後をつけられる形で出会うことになる。そして、趙の正体がわかると、三崎・ベリコフ・趙は共闘して、ホワイトタイガーの世界的な麻薬犯罪組織の中核を撲滅するために挑んでいくことになる。

 このストーリーの興味深い点がいくつかある。
1. 麻薬組織をグローバルな視点でとらえ、その状況を概観している。そのスケールの中で、日本の広域暴力団の有り様を組み込んで行くというスケールの広がりである。実態とフィクションの融合の中ではあるが、世界的な麻薬密売組織の仕組みが大凡イメージできるところがまず興味深い。
2. 麻薬捜査官三崎と徐という人物との関係が息子を助けられたという恩義から始まり、二人の信頼関係がホワイトタイガーの究明を介して深まっていくプロセスが読ませどころとなっている。
3. 麻薬捜査官三崎の捜査活動の位置づけが変化していく。そのプロセスにおける三崎の意識の変化と心理が興味深く、押さえどころとなっていく。一方、日本における麻薬捜査官がどのような組織でどのような活動をしているものなのかの一端が理解できて関心が湧く。警察組織との違いがわかりおもしろい。
4. DEA捜査官ベリコフのプロ意識と、アメリカの縦割り組織の状況の一側面が描き込まれているところが別の関心事にもなる。
5. 外観上、華やかさの頂点の一つといえる新宿という区域を、裏社会という視点で捉えた実態が本当のところどうなのか。このストーリーで描かれた様な国内外勢力の鬩ぎ合いが日常の実態にあるのだろうか。外観からは見えない側面がフィクションとして描き出されるところに興味を惹かれる。実態はもっとドロドロしているのだろうか・・・・・と。

 麻薬をテーマに据えたグローバルなスケールでのフィクションとしては、エンターテインメント性がふんだんに盛り込まれていて、楽しめる。著者の作品群の中では、地理的広がりという点で、異色作と言えるのではないだろうか。経済活動のグローバル化の一方で、犯罪のグローバル化の進展を視野に入れたリアルなストーリーの創作がおもしろい。麻薬の存在が撲滅できない理由も著者は視座に入れて描き込んでいるところに、必要悪化しているのではないかというリアルな怖さをも感じる。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの波紋の広がりで、ネット検索してみた事項を一覧にしておきたい。
麻薬及び向精神薬取締法 :「厚生労働省」
麻薬取締法 :「コトバンク」
麻薬取締官 :「厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部」
  募集の概要について 
  不正流通する薬物  
薬物に関するデータ  :「警視庁」
麻薬・薬物犯罪    :「外務省」
伝説の麻薬Gメン、かく語りき  :「VICE」
伝説の「麻薬Gメン」が明かす「薬物捜査」の最前線 :「デイリー新潮」
アメリカ麻薬取締局がおとり捜査で調子に乗りすぎ大ピンチ  :「GIZMODO」
黄金の三角地帯  :ウィキペディア
麻薬生産地「黄金の三角地帯」写真特集  :「JIJI.COM」
黄金の三日月地帯  :ウィキペディア
あへん密輸は基幹産業並み|アフガニスタンあへん調査 :「弁護士小森榮の薬物問題ノート」
麻薬・覚せい剤乱用防止センター ホームページ

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徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『鮫言』  集英社
『爆身』  徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『思考の「型」を身につけよう』  飯田泰之  朝日新書

2018-12-13 10:22:35 | レビュー
 このタイトルに「人生の最適解を導くヒント」という副題がついている。この両方の文言に惹かれてこの新書を読んでみた。著者がエコノミストであることくらいは知っていたが、著者の本を読むのは初めて。少し興味をもち読み始めた。結論を言えば、著者は経済学の思考法と手法から学べば、誰でもその応用ができるという提唱である。そしてその基本的な思考の技術と型を、経済学での事例と身近な具体例を説明材料に使いながら、その基本の型をいくつか解説するという展開になっている。
「あとがき」によれば、著者は既刊の『経済学思考の技術』(ダイヤモンド社)と『ダメな議論』(ちくま新書)の中間項を埋めるという位置づけで書いたと記す。本書ではストレートに経済学による「思考の技術」を書いたという。「自由な発想」「ゼロからの発想」という魅力的で格好のよいフレーズに惑わされずに、まず誰でもが確実に実行できる思考の基本技術と思考の型を学ぶことから始ることを提唱している。経済学的思考のベースにはそのヒントがあると説く。

 本書は5章構成になっている。章毎に読後印象を含めてご紹介しよう。
第1章 「考えること」の基本型
 至極当然と言える思考のステップを再確認の意味で著者流に説明している。「難解な課題は分割から始めよう」という見出しから始まる。その結論は当然ながらおなじみのもので、目新しさはない。著者は次のまとめを記す。
 ①問題を絞りこむ
 ②仮説発見のためにデータを観察する
 ③問題を処理可能なレベルまで分割・単純化する
 ④作業仮説を立てる
 ⑤データを用いて仮説を検証する
 ⑥総合的な結論を導く
つまり、「物事は多方向から観察し、総合的に判断する」ためには、この思考ステップをきっちりと踏んでいくことだと説明しているのである。

第2章 頭を整理整頓する技術
 著者はまず、「分割する思考」のための基本的な技法を説明する。実用的で定番の考え方を押さえよと言い、3つを例示する。
  1) MECEな分割 MECEはMutually Exclusive and Collective Exchageの略称
    相互排除的かつ網羅的な分割のしかたをしなさいということ。
    分割されたものの総和が全体になるので、思考にもれが発生しない。
  2) 部分均衡モデルと一般均衡モデル
    部分均衡分析では、分析対象と「その他」の関係は切れている。
    一般均衡分析は、分析対象と「その他」はお互いがお互いに影響し合う。
    両者の利点・欠点を押さえた使い分けが大事という。
  3) オープンシステムとクローズドシステム  課題がどちらのタイプかを押さえる
 そして、データを読み解くために知っておくべきこととして、a)演繹法あるいは帰納法によるデータの読み方、b)因果関係と相関関係という異なるデータの読み方を説明する。さらに、不確かな情報に騙されないためにはトレンドに注意せよという。トレンドを除く方法も事例説明する。そして、「思考のために必須の活動であるデータ観察は、相関を重ねることで因果関係に迫る営みです」(p101)と述べている。
 例示の3事項はめずらしいものではない。どこかで読み学んでいる。うまく整理して説明している。これらの事項を再認識するのには良い。

第3章 他者の行動はなぜ読めないのか
 私たちが直面する問題の多くが人間と人間の問題であるので、経済学的思考での型と技術を学ぶ上で、経済学が前提とする合理的経済人というモデルに対する一般的な誤解、つまり合理性という言葉に対するを解くことから著者はスタートする。
 経済学における合理性は、「主観的な幸せを最大化すること」を意味していて、人は主観的な価値観に基づいて合理的な行動をしている。誰もが主観的価値観で行動しているのだから、他人の主観価値を認めることが出発点である。
 人はそれぞれ主観的な「目的」を持ち、直面する条件という「制約」の範囲で、いかに目的に近づくかという「最適化」の行動をとる。つまり、現実で観察されるすべての行動は何らかの意味で合理的なのだという認識が必要になる。そのためには、「まず、自分は何ができるのか、自分は何に満足するのかを充分に理解すること」が、問題解決力を養うと言う。他人を知るには、まず己を知れとよく言われるが、ここでも通底することが述べられている。
 著者は論を進めて、思考の「型」を扱っていく。この章では次の型が論じられる。例えの事例がわかりやすいと言える。
  1) 局所最適と太局最適
  2) 機会費用、時間費用(割引)と埋没費用
     意思決定後には、埋没費用は「あたかも存在しないかのような」つもりで
     行動することが合理的となる。

第4章 ベストな解は、試行錯誤の先にある
人は主観価値に基づき最適化の行動をとるという合理性を発揮する過程での思考の基本的な技をここで紹介する。まず、経済学で考える希少性(=仮に無料だったとき、需要が世界全体の存在量を上回ること)と合理性を組み合わせて考えれば、「対価なしで得られるものはない」(=ノーフリーランチ定理)故に、「必ず儲かる方法、楽して儲かる方法はない」という事実を押さえておくことと説く。そして基本的な思考の技を紹介する。
  1) 効率努力と関係努力
  2) 比較優位
  3) 双曲割引
  4) ポートフォリオ(資産の組み合わせ)によるリスクコントロール
  5) 限界効用
 技を説明した上で、最適化行動をするには「時間」という制約が存在するので、「局所最適化かもしれないが、ひとまずは一番近い頂上を目指す」という方針が結果として優れている場合があることを歯止めとして述べている。つまり、必ずお得という方法はない。
第5章 社会全体を幸福にする思考の「型」
 著者は冒頭で「経済学における思考の型の特徴は、個人の価値観・嗜好を基礎に、それが制約付の最適化問題であるという点に注目して議論を組み立てるところにあります」とその枠組みを明確にしている。そして、経済学の思考方法の中に、さまざまなビジネスへのヒントを得られると示唆する。そして、次の点に目を向けさせている。
  1) 取引・交換はパレート改善(=誰も損することなく、誰かが得をする)であり、
   改善の余地があれば、最適状況がめざされる。そしてパレート最適となる。
  2) 人間は嫉妬する生き物であるが、顔が見えない市場取引では、嫉妬心に煩わされ
   ずに損得勘定ができるという利点がある。
  3) 取引には二面性がある。マクロでみるとワルラスの法則が働いている。
  4) ポーターのファイブ・フォース分析(利潤をすり減らす5つの力)
   ⇒業界内の競走/新規参入の脅威/代替品の脅威
    売り手(仕入れ先)の交渉力/買い手(販売先)の交渉力
  5) マクロとミクロのフィードバック
 著者は合理的期待形成の理論という経済学の立場から、思考の型と技の紹介を本書で行っている。そのことが末尾に触れられている。そして、人が主観的な意味で合理的であると想定することの意義として4点を挙げる。
 *自分以外の人の価値観を認めること
 *すべての自発的な取引がお互いの厚生を向上させることに気づくこと
 *価値観のすれ違いにこそ交換のチャンスがあることに気づくこと
 *そして自分だけが賢いという思い込みから抜け出すこと
また、駄目押しとして、ビジネスにおいては努力は時に「報われ」ない現実を前提として受け入れる上での行動と思考について語っている。なぜなら「『努力が必ず報われる社会』は制約の外にある不可能な目標なのです」(p219)という認識による。
 
 著者は、本書を経済学の観点から利用できる「思考法のツールボックス」と末尾で述べている。使える道具を集めて読者に提供したというところだろう。第1章でまとめられた思考のステップにおいて、これらのツールをどのように組み合わせて使うかは、読者の問題である。様々なツールがあることを先ず知り、ツールになれて、ツールをうまく組み合わせて使いこなすと役立つよという提示である。一方で、ツールを使う努力をしても、報われないこともあるので、それを忘れないでねとも語っているように思う。なにせ自分以外の人もいて、問題に対して「時間」の制約という要因もあるのだから。

 ご一読ありがとうございます。

本書からの関心事項をネット検索してみた。調べた範囲で今後の思考のヒントとして一覧にしておきたい。
「MECE(ミーシー)」とは何か、5つのフレームワークの基本を学ぶ:「ビジネス+IT」
MECE :「BiZHiNT」
部分均衡理論  :「コトバンク」
レオン・ワルラス「一般均衡理論」:「コバヤシユウスケの教養帳」
[行動経済]双曲割引~何故か待てない~ :「NAVERまとめ」
割引率で測る、人のせっかち度 :「PRESIDENT Online」
パレート改善 :「交渉学と合意形成」
パレート改善 :「コトバンク」
パレート最適 FQAのコーナー  :「梶井厚志のホームページ」
ファイブフォース分析とは!~マクドナルドを例に解説~ :「BRANDINGLAB」
ファイブフォース分析とは|5フォース分析の例と戦略に活かす全手順|5F分析テンプレート有  :「Mission Driven Brand」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


『破蕾』 冲方 丁  講談社

2018-12-09 09:48:49 | レビュー
 江戸時代の著名な浮世絵師たちは、美人画や風景画その他のジャンルでそれぞれが一世を風靡する一方で、春画を今に残している。評判になった歴史時代小説を手掛けてきた冲方も、この浮世絵師たちの例にならったのだろうか、エロティシズムを漂わせる官能小説のジャンルにも創作を広げたようである。著者の作品を幾冊か読み継いできたが、官能小説のジャンルでの作品を読むのはこれが最初である。他にこのジャンルを手掛けているのかどうかも知らない。

 本書は3つの作品が収録されている。「咲乱れ引廻しの花道」(69ページもの)、「香華灯明、地獄の道連れ」(87ページもの)、「別式女、追腹始末」(26ページもの)である。奥書によれば前2作品は「小説現代」の2017年11月号、2018年3月号にそれぞれ発表されたもの、最後のものは書き下ろしである。

 そのタイトルから推測できると思うが、時代小説として創作されている。多分これらの作品をほぼ忠実に映像作品化することは映倫という枠組みを前提とすれば無理だろう。文字で描かれた世界に読者が想像力で思い描くのは、個々人の自由である。
 それでは、個々の作品について読後印象をご紹介する。

[咲乱れ引廻しの花道]
 主人公はお咲。南町奉行に一応与力として属し、八丁堀に屋敷を拝領する御家人たる岡田家に嫁いでいる。日常は商家の娘たちに礼儀作法や三味線などを教える内職をして家計を助けている。そのお咲が小伝馬町にある牢屋敷に、叔父と夫に代わって、役人たちに弁当の差し入れに行く。それがお咲の人生を狂わせる。
 この夏に江戸で一つの事件が起こっていた。とある裕福な商家の男が、”御家人株”を買い武家となった。晴れて幕臣となったのち、美しいと評判の、身分ある女を妻に娶るのだが、数年後その妻に殺されかけられる。その女はとらえられる。死罪は免れないのだが、その女の出生の秘密の故に、江戸市中の引きまわしには何とかして、身代わりを立てて処置せよと上層部からの指示が出ている。身代わり探しをお咲の夫の叔父が命じられる。そんな身代わりに応じる者が出る筈もない。結局、知らされることなくお咲が身代わりとしての人身御供となる。
 このストーリーは、江戸市中の引廻しの身代わりになるお咲の状況を描きあげていく。身代わりなのだが、罪人と同様に後ろ手に縛りあげられた後、僧形の医師・冗賢に身体をくまなく検分され記録に残す手続きをされ、引廻しの途中で気を失わないための処置だと特製の薬剤やりんの玉を措置される羽目になる。そして、ものものしい行列で江戸市中を引き回される。その引廻しの道中模様並びにお咲の身体と心理の変容が克明に描出されていく。引廻しの途中で、お咲が「お情けを・・・・・、どうか・・・・お願いします。お情けをいただけませんか・・・・」と発するが、その意味が引廻しに同行する検視役に誤解されることになる。罪人本人ならば引廻しの後、刑場にそのまま向かうところだが、身代わりのお咲は牢屋敷の蔵に一旦引き戻される。そして・・・・という展開になる。
 処刑の一環として江戸市中引廻しという行為は江戸時代に処罰として存在した。しかし、著者がこの引廻しで描き上げたプロセスは多分フィクションではないかと想像する。引廻しという一種の極限状況に、エロティシズムの限りを盛り込んだというところだろうか。事実は小説より奇なりともいうから、果たして実状はどうだったのか、この作品を離れて、知りたい気がする。

[香華灯明、地獄の道連れ]
 こちらは上記の連作と言える。おもしろい点は、お咲が身代わりという人身御供になった原因に遡るストーリーという構想になっている。五月晴れの日、南町奉行のお白洲での取り調べから始まる。そして牢屋敷の敷地にある刑場で斬首されることで終わる。その間に、なぜ25歳の「婉然とした、細く嫋やかといってもいい、美貌の女」お芳こと芳乃が夫の殺害を企てるに至ったかの経緯が芳乃の口から語られるという展開が挟み込まれる。
 この白洲での取り調べの状況がそもそも異常なやり方で進む。そこでお咲の夫の叔父にあたる岡田鉄心が巻き込まれていく結果、お咲に悲劇が及ぶ経緯が判明する。
 岡田鉄心は奉行から独断で、事前にこの女から夫を殺そうと企てた理由を聞き出し、書面にするように命じられる。幕閣の秘事に関わる可能性があることから、岡田は人払いをして、単独でその女に牢の内外で向かい合い尋問する心づもりだった。だが、牢内に入る羽目になる。女は所持品として持ち込んだ3つのさいころをもてあそんでいて、一、一、一のぞろ目が出たのだ。女は岡田に言う。「ぞろ目の一は、わたしをお聞きになる出目です」、「わたしの話を聞きたいのであれば、まず、わたしをお聞きになって下さいませ」と。香道では、香りを嗅ぐことを聞くという。
 芳乃は幼い頃から、すごろくに描かれているものが世界そのものという形で育った。母自体が、奥奉公の出世すごろくを絵に描いたようなあがりの人生を過ごしたのである。奥女中から始め、様々な役職をこなし、さる大名のとの間で芳乃を妊るというあがりを拾ったのである。芳乃は己の「あがり」の人生を常に考える思考法をとるようになる。あがりの人生を手に入れるために、母のように奥奉公をする決意をする。そのあがりが何かは徐々に変化していく。あがりを手に入れるために、奥奉公の一環で付き従った寺参りにおいての秘め事を体験させられる。そこで、あがりへの一歩として、寺参りにかこつけた中で行われる色欲がらみの実態で己が主導権をとるように画策していく。なまめかし香遊びの隠微な実態が描き込まれていく。もちろんそれは香遊びという名を借りた邪道の淫欲世界である。芳乃は、己の才覚で、僧、奥奉公先の役職、勘定方、家老などを次々と籠絡していく。芳乃の考える「あがり」は世間の倫理観からでは途轍もない目標だった。その目標に一歩踏み込む。芳乃にとっては、武家となった商家の男に嫁いだのは、目標のあがりを得る手段だったのだ。そして、芳乃は人生すごろくで、別のあがりに導かれる。
 このお咲きの引廻し身代わり編に対する発生原因告白編もまた、「聞く」という行為をキーワードとして、アンチ倫理の世界を著者の想像力と妄想で構想するという試みであろう。フィクションの世界で創作されたこの行為。江戸時代に密かに類似のモデルがあったとしても不思議ではないかもしれない。人間の欲望の限りなさを前提とするならば・・・・・。いずれにしても、その顛末のプロセスはおもしろい。

[別式女、追腹始末]
 こちらも連作となる。芳乃が奥奉公で仕えたのがある大名の側妾・お初の方だった。そのお初は女剣術指南役という肩書で景を仕えさせていた。お初は芳乃をこの景が性戯に長けていることを見抜き、籠絡の手段として利用する。芳乃を馴致させるためにお初は景を利用する。だがそれはミイラ取りがミイラになる結果となる。
 この景が女剣術指南役となるに至ったかの背景話である。そこに景が性戯に長ける始まりがあった。景の父は高名な剣術家であり、二人の弟子がいる。その弟子たちと景の間の物語から話が始まって行く。その景が追腹を切るという結末となる。誰のために? それは本書をお読み願いたい。短編の中にいわばイレギュラーなセクシュアル・シーンの山場を作っていて、最後は殉ずる一念の行動場面を描く。
 「別式女(べつしきめ)」という用語を本書で初めて知った。「刀腰婦(とうようふ)、あるいは帯剣女とも呼ばれる。袴姿で佩刀する、侍の姿をした女のことだ。お歯黒もせず、髪もも結わず総髪にし、男装を平常の出で立ちとして江戸の町を闊歩する。特に奥向きの武芸指南を生業とする者のこと」をいうと著者は説明を記している。

 先を知りたくなり一気読みさせられる。艶っぽくてある意味異常な次元を描きあげた作品集である。山科理恵作の挿画が入っている。描かれた女の表情が良い。

 ご一読ありがとうございます。

この読後印象記を書き始めた以降に著者の作品を読み、書き込んだのは次の作品です。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。
『光圀伝』 角川書店
『はなとゆめ』  冲方丁  角川書店

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社

『カットバック 警視庁FCⅡ』  今野 敏   毎日新聞出版社

2018-12-07 11:42:14 | レビュー
 久々に警視庁FC室の第2作が出た。この小説を読み終えて、タイトルの「カットバック」の由来を推測させる箇所がなかったように思う。そこで辞書を引いてみた。「[映画やテレビで]関連の有る2つの場面を交互に対照させながら展開を図る作画法」(新明解国語辞典・三省堂)と説明されている。
 この意味合いを少し広げて受け止めると、今回のストーリー構成は2つの場面を対照させながら展開させるという手法が幾重にも織り込まれているように感じる。

 ストーリーは、警視庁の地域総務課所属の楠木肇(くすきはじめ)が同課の先輩から「特命だぞ」と連絡を受け取る場面から始まる。この先輩は楠木が兼務するFC室の仕事には役得があるだろうとうらやましく思っている。だが、当の楠木は余分な仕事に巻き込まれるのを嫌がっている。FC室の仕事などやる気はないのだ。命令だから仕方なくその特命に従うというスタンスである。それ故、常に置かれた状況を醒めた目で、少しシニカルに眺めて、己の中でぶつくさと言い続けていく。やる気のない警察官が少しずつ事件の核心に巻き込まれていく、そして、事件解決に繋がる意見を発言する結果になる。この流れは第1作を継承していると言える。この楠木のキャラクターがこのシリーズの面白さでもある。FC室の室長は長門達男、45歳の警視で、彼だけが専任である。他は全員兼務で特命を受ける立場。他のメンバーは第1作と同じだが、紹介しておこう。
 山岡諒一 組織犯罪対策部組織犯罪対策四課 巡査部長 35歳
 島原静香 交通部都市交通対策課 デスクワーク主体。以前は所轄でミニパト乗務。
 服部靖彦 交通機動隊 白バイライダー
FC室とは、フィルムコミッション室の略で、映画やドラマの撮影の際に、ロケ現場でさまざまな便宜を図ることを担当する専門部署である。アメリカあたりの真似を警視庁が取り入れたのだが、野外撮影が公共の場所を使う関係上、交通面や警備面などでのトラブル未然防止などが意図されているのである。

 さて、今回のFC室の任務は、映画のロケが円滑に進むサポートである。
 映画は『危険なバディー』の二十周年記念映画であり、その野外ロケである。テレビドラマシリーズの映画化。刑事もののドラマシリーズである。FC室兼務の服部はこのドラマを見て、警察官になろうと思ったという。このシリーズはフィクションながら、現職の警察官のファンも多いというところが、今回のストーリーに影響を及ぼしていて、おもしろいところにもなる。このストーリーにいささかのコミカルさを加味する設定になっている。主演は伊達弘樹と柴崎省一が共演し、主演女優は桐原美里である。監督はガンアクションの好きな辻友則貴。ロケ場所は大田区昭和島。
 FC室のメンバーが集合した後、長門室長はロケ場所を所轄する大森署にまずは挨拶に表敬訪問する。大森署と言えば、すぐに「隠蔽捜査」シリーズで活躍する大森署の竜崎署長を連想する。竜崎は『棲月 隠蔽捜査7』での事件解決を最後に大森署から神奈川県警本部に異動したところである。さて、どういう繋がりになるのかと思いきや、このストーリーでは、美人でキャリアの藍本署長が初登場してきた。貝沼副署長はそのままであるが、さすがに竜崎の在任中の方針とは異なり、署長室のドアは普通に閉じられた形になった。キャリアの美人署長を迎え入れた大森署は、その対応に戸惑いをみせているタイミングにある。この設定がまた興味深い。FC室の第2作として、竜崎シリーズとダブらない形で巧妙にシンクロナイズしている。「隠蔽捜査」シリーズで大森署竜崎署長の署内模様をよく知る読者は、藍本署長と大森署内の現在の関わりの描写を読み、頭の中では署長を対比するカットバック、違いを想像をする含みが生まれていく。
 貝沼副署長に促されて署長室に入ったFC室メンバーは、制服姿で大きな両袖の机の向こうに立つ藍本署長を目にし、「お・・・」(山岡)、「おお・・・」(服部)と小さく声を洩らした。楠木も一瞬、ぽかんと見つめたのが最初の出会いである。このあと機会がある度に、楠木は藍本署長の言動を観察し、自分なりの評価を加えていく。それがおもしろい。

 このストーリー、主だった映画関係者が大森署に挨拶に出向いた日に、既に大田区昭和島のロケ現場で事件が発生していたのだ。その日の午後、昭和島のロケ現場で午後から死体を見つけるシーンを撮る予定が組まれていた。だが、その死体役をする高平治という脇役俳優がロケの予定現場で死体になっていたのだ。発見した若いスタッフが監督に駆け寄って知らせたのである。死体の発見と映画のシナリオの予定の想定が混乱しながらその場が展開する。FC室の5人がまず遺体発見現場に出かけることになる。
 大森署に捜査本部が設置され、殺人事件としての捜査が始まる。FC室は初動捜査に関与したことになる。昭和島でのロケは予定を変更しながらも進行させることが決定される。その一方で、ロケ現場を含めた殺人事件の捜査が同時並行に進展していく。行きがかりから、長門室長と楠木は捜査本部に協力し、捜査に参画することになり、他の3人がFC室本来の業務を現場で継続することになる。
 そこで、楠木は長門室長の指示を受けて、捜査に協力していくことになるが、それは傍観者的視点から、捜査プロセスと捜査本部の状況を観察しつつ、楠木のつぶやき、歎きが彼の思い、考えとともに展開されていくことになる。このストーリーでは、捜査活動が一風変わった進展となっていく。FC室の業務経験を通じてロケ現場の状況に比較的なれた長門室長と楠本が、結果的に協力という立場にありながら主導的な位置づけでの行動を捜査員の中でとっていくことになるからである。

 大柄な男の高平治は、死体役で発見されるまさにそのロケ予定現場で遺体となっていた。上腹部の中央、ちょうど鳩尾のあたりにナイフの柄らしきものが突き立った状態であり、関係者のその後の証言から、極道みたいな服装とネックレスは、ロケに使う予定のものが着用されていた。殺害の凶器となったナイフは撮影の折に使う小道具のナイフに似通ったものだった。被害者となった高平は脇役としては知られていて、なかなか有用な役者であるが、女癖が悪く、金銭的な問題もあったようであることが徐々に明らかになってくる。捜査が進むにつれて、徐々にこのロケ現場の状況がクリアになっていく。
 昭和島のロケ現場というオープンな環境にありながら、関係者以外はできるだけシャットアウトするロケ現場故に、ある種の密室殺人的要素を帯びた事件の捜査となる。それ故に、捜査本部が設置されたというものの得意な動きが見える捜査活動になる。
 捜査本部に組み込まれた捜査員としては、大森署所属で、あのクセのある戸高刑事が警視庁の矢口刑事とペアになり前面に出てくる。面白いのは、戸高が相棒の矢口を適当にあしらいながら己の捜査を進めていく有り様の描写である。そして、戸高はなぜか楠木の考えを意見として語らせようとする。ある意味で戸高は、ぶつくさと不平心を内心に抱きつつ協力している楠木を事件について、人ごとのようにでなく捜査員として真剣に考え推理させる触媒的な役回りとなっている。戸高刑事の捜査ぶりが表に出て来ておもしろい。他の作品を読み、戸高刑事を知る人には、多分おもしろみが増す筈である。

 捜査本部の管理者側は、錚錚たる映画俳優などが関係する事件故に、普段とは勝手が違い舞い上がった状態にある。そんな状況での管理者側の捜査推理・指示と、長門室長・楠木の行動、戸高の捜査がカットバック風に進行する。傍観者風視点で事件捜査に関わりながら、とは言うものの事件の状況の絞り込み、核心に迫る推理を進める楠木の立ち位置の面白さを楽しめる。楠木が捜査状況の語り部的役割を果たしていく。捜査本部の設置はお飾り的になっているという異色なスタイルが興味深いところである。
 このストーリー展開の核心は、午後に死体役で発見される撮影予定のシーンとそっくり同一状況での殺人事件が同日の午前に発生したということとの間にある謎をカットバック風の推理で犯人の絞り込みを行っていくというところにある。ロケ現場という特殊状況とその進行から考え、犯人は映画監督を筆頭にしたこの撮影ロケに関係する一群の人々の中に居るとしか想定できないのだ。楠木の今一歩の推論を踏まえて、長門室長がフォローし事件を解明するという展開がおもしろい。さらに、楠木のぼやきが殺人事件の捜査のプロセスでのおもしろみになっている。

 この事件の解明は、映画の野外でのロケ、撮影がどのような組織・役割分担により、どのように撮影プロセスが進行していくのかという舞台裏の状況の中に重大なヒントが潜んでいる。聞き込み捜査過程で入手できた情報からの推論による殺人犯の絞り込みはその詰めにかかっていく。一方、読者にとり、この舞台裏の仕組みが完成した映画製作の背後にあるということを具体的に知ることができるという副産物にもなる。それは俳優による脚本の読み込みと演技力ということを考える材料でもある。
 また、別のフィクション上の副産物がある。竜崎が人事異動の対象となったことで大森署に藍本署長が赴任してきた転換期の状況が点描されていることである。その藍本署長を楠木が傍観者的に批評しているところもおもしろい。著者の作品群の中で、これから後に、際だって美人の藍本署長と戸高刑事が事件捜査で活躍するという作品が生み出されるのかどうか・・・・・。ちょっと、期待を抱かせる新署長登場である。
 
 さて、このストーリーではけっこう登場して来る戸高刑事のキャラクターがちょっと好きである。不真面目そうで、実は刑事魂のある一匹狼的な存在。警察官として出世するタイプではないし、本人もその気はないであろう。隠蔽捜査シリーズでは、竜崎署長がけっこう戸高を信頼している。このストーリーで戸高が語る一端を最後にご紹介しておこう。戸高語録と言えようか。捜査活動に絡んでいる発言である。
*いちおう訊いておかないといけないだろう。型どおりってのも必要なんだよ。 p137
*人の心の中まではわからないよ。 p137
*所轄では、同時にいろいろなことに目配りしなければ、つとまらないんだよ。 p138
*学校の成績ってのは、先生の言うとおりにしていれば上がるんだ。だけど、警察の捜査はそうはいかない。自分で考えて、自分で動かなきゃだめなんだよ。 p147
*だから、捜査はきれい事じゃ済まないんだって言ってるんだよ。あんただってそれくらいのこと、わかってるはずだ。 p154
*捜査本部ってのは、人海戦術だ。捜査員は何も考えず、ただ命令されたことをやっていればいいんだ。つまんねぇんだよ。 p165
*俺たちの現場ってのはね、もともと人の生き死にに関わっているんですよ。警察は、毎日、人の死を扱っています。俺たち刑事には、そういう自覚があります。だから、命を削って捜査をするんです。 p194
*一般人がいる前で、そういう話をするなよ。 p289
*捜査幹部の判断なんて、知ったこっちゃないですね。 p290
幹部達が舞い上がっているようなんで、頭を冷やしてやろうと思ってな。 p291
*うちの署は、署長で苦労するんです。いや、署長に恵まれていると言うべきか・・・・。p394
著者は、戸高にけっこういい発言をさせている。

 事件が落着し、ロケが続行されている最後のシーンで、藍本署長が長門室長に言う。
 「ねえ、私もFC室に入れないかしら」と。長門室長の応対を聞きながら楠木が思ったのは、”どこまで本気なのかわからない。この人は天然なので、きっと本気なのだろう”
 FC室の第3作が続くだろうか。ちょっと構想を作りづらい設定かもしれない気もする。FC室との関係でどこまで広げられるかが勝負どころか。意外なストーリー展開ものを期待したい。
 一方、この藍本署長と戸高刑事が絡む、大森署所轄の事件ストーリーも期待したい気になってきた。美人署長の登場は今までにないパターンでもあるから。

 ご一読ありがとうございます。


フィルム・コミッションという言葉が、実態としてどのように使われているのか、関心を持ち、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
フィルム・コミッション :ウィキペディア
Film commission   From Wikipedia, the free encyclopedia
ジャパン・フィルムコミッション  ホームページ

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『棲月 隠蔽捜査7』  新潮社
『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 幻冬舎
『変幻』  講談社
『アンカー』  集英社
『継続捜査ゼミ』  講談社
『サーベル警視庁』  角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』  新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新5版 (62冊)

『英文快読 アメリカ歳時記』 ニーナ・ウェグナー 訳=高橋早苗 IBCパブリシング

2018-12-05 09:36:09 | レビュー
 全訳・ルビ付きの英文快読シリーズの1冊である。英語でのタイトルは「American Important Holidays and Events」。ズバリそのもののタイトルである。アメリカの祝祭日と祝日にはなっていないけれど重要な年中行事について、この本では説明している。 アメリカに元々住んでいた人々、世界の各地からアメリカに移住してきた人々などにより多民族から構成されるアメリカ国民がどのような祝祭日と重要な年中行事を日常生活に組み込んでいるのか? アメリカから伝えられる報道は日々溢れるほどあっても、意外とその根幹にある事項の全体を学ぶ機会はない。名称を知っているものもほんの一部ではないだろうか。たとえば、ヴァレンタイン・デー、エイプリル・フール、復活祭(イースター)、母の日、独立記念日、ハロウィーン、クリスマス、そんなところが比較的知られているところではないか。そして、ではこれらの祝祭日や行事の起源、由来は? と尋ねられたら、名称を知っていても答えられないものがけっこうあるのではないだろうか。

 「はじめに」を読み、認識を新たにしたことがある。それはアメリカには他の多くの国と異なり、もちろん日本と異なり「国民の祝日」がないという。それは、各州が独自の祝祭日を制定する権利を合衆国憲法が保証していることによる。一方で、アメリカには法律で認められた連邦祝日があり、アメリカのほとんどの州は連邦祝日を休日とし、全国的に祝っているという。
 末尾に本書のねらいを次のように記している。
「アメリカの最も重要な祝祭日と年中行事の一端について読者の理解を助け、活力に満ちたこの国の人びと、歴史、風習のい多少なりとも光を当てることである」と。勿論、これは、INTRODUCTIONの末尾英文を対訳として訳出された文の引用である。

The aim of this book is to be help the reader understand some of the most important holidays and annual events in America, and perhaps to shed a little light on the people, history, and customs of a dynamic nation.

 こちらが元の英文。この英文がほぼ読めるなら、本書は多分快読できるだろう。この「はじめに」は左右のページでの対訳形式だが、本文は英文そのもの要所要所に、というかかなり丁寧に単語や熟語に訳語のルビが小さな文字で振られていて、通常、見開きページの右下側に、全訳がまとめて記されている。たぶん、知らない単語、熟語はルビの訳語を読むだけで読み進めることが可能だと思う。このルビの助けで、辞書をその都度引くことなしに、英文快読ができるという次第。

 「はじめに」の次に「アメリカ・出身民族別分布図」が見開きページで載せてある。2000年に実施の国勢調査の結果をもとに、どの地域に最も多い出身民族が生活しているかを示した分布図である。アメリカ発展の歴史のプロセスがそこに現れている。

 アメリカ歳時記なので、目次はアメリカの祝祭日と重要な年中行事が時系列に並んでいる。この目次を読むだけで、アメリカという多民族国家の1年間の一端を知る情報になる。祝祭日の祝日に制定されているものには☆印を補足した。本来が英文快読のための本なので、英文を並記する。

大晦日と元日 12/31~1/1  1/1(☆)     New Year's Eve and New Year's Day
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー 1/第3月曜日(☆) Martin Luther king, Jr. Day
グラウンドホッグ・デー 2/2 Groundhog Day
ヴァレンタイン・デー 2/14 Vakentine's Day
ワシントンの誕生日/大統領の日 2/第3月曜日(☆)Washington's Birthday / President Day
マルディグラとカーニバル (移動祝祭日) Mardi Gras and Caenival
聖パトリックの祝日 3/17 Saint Patrick's Day
エイプリル・フール 4/1 April Fools' Day
復活祭(過ぎ越しの満月のあとの日曜日) Easter
シンコ・デ・マヨ 5/5 Cinco de Mayo
母の日 5/第2日曜日 (☆)    Mother's Day
戦没将兵追悼記念日/メモリアル・デー 5/最終月曜日(☆) Memorial Day
父の日 6/第3日曜日 (☆)            Father's Day
独立記念日  7/4 (☆)              Independence Day
労働者の日/レイバー・デー 9/第1月曜日(☆) Labor Day
コロンブス・デー 10/第2月曜日(☆) Columbus Day
ハロウィーン 10/31 Halloween
復員軍人の日/ヴェテランズ・デー 11/11(☆) Veterans Day
感謝祭/サンクスギビング・デー 11/第4木曜日 (☆) Thanksgiving Day
ハヌカー祭 (移動祝祭日) Hanukkah
クリスマス 12/25 (☆) Christmas
クワンザ (12/26~1/1) Kwanzaa

 ここには多民族の祝祭やアメリカの歴史に由来するものが様々に採りあげられている。
キング牧師を称える日はあまりにも有名である。「私には夢がある」というメッセージが印象深い。グラウンドホグ・デーはドイツ系移民に由来する慣習。ヴァレンタイン・デー、マルディグラ、復活祭、クリスマスはキリスト教世界に、聖パトリックはアイルランドの文化とキリスト教の布教に起源を持つ。戦没将兵追悼記念日はアメリカ国内の南北戦争に由来するが、今では「南北戦争だけでなく、アメリカが行ったすべての戦争での死者を称える日」になっているという。この記念日、連邦祝日に制定されたのは1968年で、1971年に初めて全国的に祝われる日となったそうだ。由来を考えると、記念日の受け止め方は歴史の陰影を帯びてきたのだろう。この祝日に対象的なのがヴェテランズ・デイであるが、こちらは第一次世界大戦に起源をもつ。こちらもまた、「レイモンド・ウィークスという第二次世界大戦の復員軍人が、第一次世界大戦の復員軍人だけでなく、すべての復員軍人を休戦記念日に称えるアイデアを打ち出したことから、1954年に正式に「復員軍人の日」が誕生したという。シンコ・デ・マヨはメキシコ系アメリカ人の記念日に由来する。それは1862年5月5日にメキシコ軍がメキシコのブエブラ州でフランスの占領軍を撃破した戦闘に対しての記念祭として始まったという。ハロウィーンは古くからのケルト族の祭の日とローマ・カトリック教会の「諸聖人の日」の祝いが長い年月の経過の中で一つになって生まれたという。ハヌカ祭はユダヤ教の行事に由来し、クワンザはアフリカ系アメリカ人にとり、スワヒリ人の文化に根ざした祝祭に起源をもつという。この様な多様な文化的背景の基本的なことがわかりやすい表現の英文を通して学べる。
 つまり、アメリカの歳時記を学びながら、アメリカ国民の多様な文化背景を理解する入門テキストにもなる。
 
 日本では今、ハロウィーンがお祭り的なニュアンスで定着しつつあるようだ。日本におけるクリスマス(ーキリスト教信仰者以外の人々のー)もそうだが、やはり一度はそのルーツや歴史・文化の背景をきっちりととらえておくことが必要ではないかと、この書を読んで感じている。

 「母の日」について、一つの事例として本書の説明の要点をご紹介しておこう。
 母の日を敬う日を設けることは、世界中の多くの国に共通する慣習となっている。本書では、アメリカでの母の日がどのように祝われているかを説明したあと、その成り立ちを説明している。
*1908年にウェストヴァージニア州出身のアンナ・ジャーヴィスが母の日というアイデアを公に奨励した。そして、教会で地域の人々と最初の母の日を祝った。
*母親の死後に、アンナは母親たちの貢献に感謝する休日の制定を政府に請願するようになった。
*最初の母の日を祝った2年後にウェストヴァージニア州では母の日が祝日になった。
*1914年にウッドロー・ウィルソン大統領が、5月の第2月曜日を母の日として公式に全国的な祝日に制定した。
*アンナ・ジャーヴィスの夢は実現した。しかし、わすか10年のうちに、母の日はすっかりと商業化されてしまった。その状況にアンナは深く失望したという。
*アンナ・ジャーヴィスは、母の日を「ホールマーク・デイ」と呼ぶようになったという。そこには、アンナの批判精神が込められているのだろう。グリーティングカードのメーカー名を皮肉って使っているのだから。
 著者は、Mothe's Day の説明の最後に、次の一行で締めくくっている。
 In the U.S., Mothe's day is one of the giggest days out of the year for the sale of greeting cards, flowers, and long-distance phone calls.

 結果的に、母の日と父の日は日曜日が祝日に制定されているので、休日日数が増えるわけではなさそうである。

 祝日がビジネスの対象となるのは、いずこの国でも同じである。祝日の歴史的背景とその主旨・意図を理解したうえで、様々なビジネスが提供する手段を利用すること、ビジネス側のセールス・キャンペーンに表層的に乗せられることとの違いは大きいと感じる。

 アメリカの歳時記についての基本的な解説書であるが、英文を通してアメリカの歴史・文化的伝統と慣習、国民性などが見えて来るところがおもしろい。本書を読み、関連事項をネットで検索してさらに踏み込んでみるトリガーとなっている。

 ご一読ありがとうございます。


本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
米国の祝日 2018年  :「Holidays-calender.net」
「私には夢がある」(1963年) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
   米国の歴史と民主主義の基本文書     :「AMERICAN CENTER」
キング牧師「I Have a Dream」演説全文&和訳 :「なんてとうもとこしやねん」
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯と遺産 :「アメリカン ビュー」
グラウンドホッグデー  :ウィキペディア
マルディグラ  :ウィキペディア
【海外発!Breaking News】そこまでする「聖パトリック祝日」 米シカゴでは川まで緑色に!  :「Techinsight テックインサイト」
聖パトリックについて調べてみた【アイルランドの守護聖人】:「草の実堂」
パトリキウス  :ウィキペディア
戦没将兵追悼記念日(メモリアル・デー) 5月最終月曜日 :「AMERICAN CENTER」
労働祭  9月第1月曜日      :「AMERICAN CENTER」
コロンブス・デー 10月第2月曜日  :「AMERICAN CENTER」
退役軍人の日 11月11日       :「AMERICAN CENTER」
ユダヤ教のお祭「ハヌカ」って何?  :「日本イスラエル親善協会」
クワンザ ~アフリカン-アメリカンであることを祝う~ :「ニューヨーク・ブラックカルチャー・トリヴィア」
ニューヨークカウントダウン ボールドロップ2016  :YouTube
NYで恒例「ボールドロップ」設置、年越しカウントダウンに向け :「REUTERS」
年中行事  :「Cross Currents」

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こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『英文快読 政権交代から見えてくる日本の歴史』 著=西海コエン IBCパブリッシング
『英文快読 意外と知らない世の中の「なぜ?」』 ニナ・ウェグナー IBCパブリシッング

『悪の正体』 佐藤 優  朝日新書

2018-12-01 10:23:50 | レビュー
 著者は「まえがき」で、悪の本質を実地で教えてくれた人物は、エリツィン・ロシア大統領の最側近だったゲンナジー・ブルブリス元ロシア国務長官だと言う。ブルブリスとの関わり方は、本書をお読み頂くとして、著者が彼から学んだことは、「どのような状況であっても自分が犯した悪を、善であると強弁してはならないということだ」と言う。そして、「悪の現実を、等身大で見つめ、その責任を自覚することが重要なのだ」と「まえがき」の末尾に記す。
 そして、第1章「悪は人間によって行われる」の最初に、「『悪』という切り口から、人間に不安や混乱、ときには不幸をもたらす『悪の正体』を見極め、そこに囚われないためにはどうしたらいいか」(p21)ということについて、著者自身が経験から導き出したヒントを本書で語っている。本書は7章構成になっていて、各章の末尾に、著者は各章で語った各章毎のまとめを法則として要約している。

 本書の特徴はいくつかある。
*著者はプロテスタントのキリスト教徒として聖書を常に持ち歩き、事あるごとに参照してきたという。大学でキリスト教神学を学び研究した視点を基盤として、悪の正体を見極めるという立場で論じている。つまり、「聖書の言葉を参照しながら、悪をリアルなものと感じ取る感覚をつかみましょう」(p33)と方向づける。
*結局のところ、人間と人間の関係の中、つまり「関係性における悪」が考究すべき課題とする。その視点で、著者の経験や過去並びに現代社会の事例を話材しながら、悪の現実について等身大で迫ろうとする。本書で採りあげられた話材の領域の広がりが興味深い。
*著者は本書で2冊の本を底本にしてその中に記された悪の問題を扱う上で重要な箇所を抽出し、一般読者にわかりやすい解説を加え、祖述しながら、持論を展開する。これらの本から抽出された箇所の文と聖書をワンセットにして、著者の経験を踏まえ現在的な意味を解説しつつ「悪の構造」をつかまえようとする試みである。
 1冊は『悪の系譜』(大瀧啓裕訳、青土社)。著者はカリフォルニア大学サンタバーバラア校のの歴史学教授であり、哲学博士のジェフリー・バートン・ラッセルという。ラッセルは、悪魔論を論じる書として、『悪魔』・『サタン』・『ルシファー』・『メフィストフエレス』の「悪魔四部作」を出版し、その簡約版として著したのが『悪の系譜』だと言う。ラッセルの著書は歴史的な裏付けがきちんとなされていると本書の著者は述べている。
 もう1冊は『人間への途上にある福音-キリスト信仰論』(平野清美訳、佐藤優監訳、新教出版社)である。著者はチェコの神学者ヨゼフ・フロマートカで、1958年、スターリン主義の影響が強かったチェコスロバキアで刊行された神学書だという。
 しっかりした基盤を踏まえて、著者の論を展開していくという論法である。

 著者の経験を踏まえた具体的事例や社会現象における関係性への著者の論及は、これらの基盤とする3冊の説くところについて、読者にその納得度を高める役割を果たしている。そこで、著者が導き出したエッセンスをいくつか引用あるいは要約的にご紹介しておこう。その導き出し方が本書の読ませどころといえる。
*「神学には、神が悪を創ったか否かという問題は存在しません。神が悪を創ることはありえず、神にはこの世の悪に対する責任が一切ないのです。こう結論が決まっているので、その過程でうまく理屈をつけていくのです。・・・・つまり、悪は善の欠如に過ぎない」(p43-44)この論理の展開が啓蒙主義に行き着く。
*ラッセルは「①悪は現実的で具体的である。②悪は人間によって行われる」(p56)という2点を定義している。悪は人間と人間の関係から生まれるのであり、「悪が人格かしたものが悪魔である」(p47)とラッセルは定義する。つまり「人間こそが悪魔」(p115)ということに帰着する。
*我々はいま、『悪に対する感度』が鈍くなった時代に生きているということへの自覚が必要である。悪に対して鈍感になることは、他者の苦痛に対しても鈍感になることなのだ。その結果、「集合的無意識から生じる超個人的な悪」が厳然と現れている。著者はその一例を指摘している。
*ここ数年世間を騒がせてきている「政治とカネ」「政治と悪」は、50年以上前に石川達三が書いた小説『金環蝕』(新潮文庫)に、「権力とカネ」の本質的な構造としてとらえられている。腐敗の構造、悪の構造は時代を経ても変わらない。
*著者は、フロマートカの文章から悪の本質とそれから逃れるヒントが隠されていると考える箇所を引用している。 p98
 1)「悪と罪がとくにはびこるのは、人間が他者を踏みにじるところ、他者の尊厳を傷つけるところ、自分の利己的な目的のために他者を利用するところである。」
 2)「人間同士の関係は個々人の自己中心性によって深く崩壊しているので、神の言葉は私たちのために、神だけでなく隣人をも絶えず新たに発見させてやらなければならない。」
 著者はこの2つの悪の本質を具体的な事例を使いながら祖述し論を展開していく。
*キリスト教が信じているのは、究極的には神権だけであり、判断の基準は神である。人間が倫理的な価値判断を自分勝手に決めようとしたとき悪が生まれるのだ。
*著者は、フロマートカの挙げた「悪の本質」から論を展開した上で、新たに自ら「悪の三カ条」を加えている。つぎの3つである。各項の1行目だけ引用する。p129-129
 1) 悪と呼ばれるものには、人間の責任がつきまとう。
 2) 悪は人間の規模を超える。個人的な活動の限界も、個人的な責任の限界も超える。 
3) 悪をありのままの姿で見る。悪を悪と呼び、虚偽を虚偽と呼び、邪悪を邪悪と呼ぶ。
 著者は第2項を特に悪の構造を考える上で重要だと言う。我々は誰もが悪と無縁ではいられない世界に生きている。それを認識した上で、どう行動するべきかを論じていると言える。
*資本主義システムは、労働力の商品化の中に「搾取」の構造が内在化されている。その合法的合理的なシステムに構造的に悪が組み込まれている。故に、聖書を拠り所とするキリスト教では、基本的には資本主義的な発展に対して常に異議を申し立てる傾向がある。

 第4章「不条理さに何を見るか」では旧約聖書のヨブ記の内容が読み解かれていく。そして第5章「言葉だけで心理を操る」では、映画「人のセックスを笑うな」の中に描かれる「悪の構造」をとりあげ、ヨブ記におけるサタンの登場と対比しつつ論じていく。第6章「直観と洞察力を働かせる」では、テロの脅威に溢れる現代社会と旧約聖書の創世記に登場するバベルの塔やノアの箱船の話を重ねて読み解いている。
 これらの章では、キリスト教徒ではない読者にとり、聖書の読み方、読み解き方の一端にふれるという副産物があって、おもしろくかつ興味深い。
第7章「角度を変えて世界を見る」では、ドストエフスキーの描く悪と現在の「イスラム国」のテロ行為、内戦を関係づけて悪を論じていく。さらに、18世紀のライプニッツの発想から動物行動学者のコンラート・ローレンツやリチャード・ドーキンスの考え方に世界を理解する考え方を広げている。そして、悪の問題を考える上で、思想的潮流への目配りが大切だと論じている。

 上記した各章のまとめとしての法則なるものを列挙しておく。
 この法則が具体的に各章でどのように説かれているか、この印象記と以下の法則に興味を抱かれれば、本書を開きお読みいただければよい。

法則1 悪に無自覚であってはならない
 悪に無自覚な人は、自分でもきふかないうちに人から恨みを買っていたり、
 憎しみの対象になっていたりすることがある。
 悪に鈍感であれば、「他者の苦痛」や人の気持ちが理解できなくなる。
 人間と人間の関係の中から悪は生まれる。

法則2 欲望は自力でコントロールせよ
 欲望とカネはスパイラルの関係にある。欲望は際限なく膨らみ、虚勢を張ったり、
 貢いだり、カネはいくらあっても取りなくなる。
 資本主義は、過剰な欲望を燃料に生き延びるシステムだ。
 欲望を自力で調節しないと、悪に食われてしまう。

法則3 不当に人を利用してはならない
 他人をうとましく思い排除しようとするとき、嘘に嘘を重ねたとき、
 利己的に人間関係を利用したとき、夫婦、家族、友人との義務を守らなかったとき、
 それらはすべて罪を犯し、悪をなしたことになる。
 しかも悪は、個人的な責任の限界を超える。

法則4 正しいことをしても酷い目に遭うことがある
 何不自由なく幸せに暮らしてきた善人が、
 悪魔のささやきによって地獄の苦しみを味わう。
 旧約聖書に描かれる「ヨブ記」は、正しい人がひどい目に遭う試練の物語だ。
 因果関係による善悪が打ち砕かれ、理屈ではどうにもならないことがある。

法則5 反応しすぎてはならない
 命令も要請もせず自在に人を動かす。権力における自らの優位性は手放さない。
 そんな人物には気をつけた方がいい。これこそ典型的な悪の技法にほかならない。
 「悪は言葉から生まれる」。すなわち、口から出てくるものが人を汚すのである。

法則6 目に見えるものだけが真実ではない
 人生の基準は必ずしも自分の中だけにあるのではない。
 不合理と思えることであっても、はっきり目に見えるものではなくても、
 信用に値するものは存在する。直観の力を信じる場面は必ずある。

法則7 専門家と称する人物の行動を見続けよ
 自然科学の物の見方の中にも、その時代に流行った思想が反映されるものだ。
 悪について日々思考をめぐらせていると専門家や言論人の発言と行動の裏にある
 「真のねらい」が見えてくる。正義を語る人には気をつけた方がいい。

 最後に、本書には「一から分かる『新約聖書』の読み方と忙しい人のためのワンポイントレッスン」という付録が末尾にある。その小見出しをご紹介して終わりとしよう。
 ・役立つ聖書の読み方
 ・要約がうまくなる「抜き書き」の効用
 ・本の知識を定着させる「三度読み」と音読
 ・断片読みを手掛かりに功利的に生きる
 そして、著者は「いかによく生きるか」が究極的な目標だと述べている。そのためにも、「悪の正体」を等身大でつかみ、悪から逃れる努力が不可欠だと論じている。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、ネット検索してみた結果を一覧にしておきたい。
ゲンナジー・ブルブリス :ウィキペディア
ジェフリー・バートン・ラッセル :ウィキペディア
Jeffrey Burton Russell  From Wikipedia, the free encyclopedia
Jeffrey Burton Russell on the Geography of Heaven and Hell  :YouTube
Exposing myths about Christianity - Jeffrey Barton Russell - theDove.us :YouTube
佐藤優氏がJ・L・フロマートカを解説 新教出版70周年講演会 :「SHRISTIAN TODAY」
ヨゼフ・フロマートカと佐藤優 :「THEOLOGIA ET PHILOSOPHIA」
ゴットフリート・ライプニッツ :ウィキペディア
モナド (哲学)  :ウィキペディア
コンラート・ローレンツ  :ウィキペディア
コンラート・ローレンツの名言  :「パーソナルトレーナー浜本哲治」
リチャード・ドーキンス  :ウィキペディア
リチャード・ドーキンスの名言   :「パーソナルトレーナー浜本哲治」
戦闘的無神論 リチャード・ドーキンス  :YouTube
【神と闘う男】進化論の雄、リチャード・ドーキンスまとめ【悪魔に仕える牧師
  :「NAVERまとめ」
日本の論理、そして思想を斬る 出口汪×佐藤優 :「DEGUCHI HIROSHI.com」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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ブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『小説・北方領土交渉 元外務省主任分析官・佐田勇の告白』  徳間書店
『私の「情報分析術」超入門 仕事に効く世界の捉え方』  徳間書店
『読書の技法』 東洋経済新報社
『新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇』  中央公論新社
『新・帝国主義の時代 左巻 情勢分析編』  中央公論新社