遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ふくしま原発作業員日誌』 東京新聞記者 片山夏子  朝日新聞出版

2021-02-21 13:02:04 | レビュー
 副題は「イチエフの真実、9年間の記録」。ふと振り返った。ここ5年ほどイチエフ、つまり福島第一原子力発電所関連の出版物は読んでいなかった。新聞報道の記事を読むくらいになっていた。新聞、テレビを含めたマスコミの報道はこの5年位の間に年々減少し、逆に東京五輪、オリンピック関係の報道が前面に出て増大してきている。イチエフという国家的な重大問題が霞まされている印象・・・・・を受ける。
 そんな最近の状況の中で、このルポルタージュが出版されていることを知った。「原発作業員日誌」と「9年間の記録」という語句が目に飛び込んできた。建前報道ではない原発作業員目線でのイチエフの状況を知りたかった。関西に住んでいるので、東京新聞は読んだことがない。2011年8月から2019年10月の9年間にわたり、原発作業員目線でルポルタージュ記事が連載されてきたことを全く知らなかった。本書は2020年2月に出版されていた。

 2011年3月11日午後2時46分、東北の三陸沖でマグニチュード9.0の大地震が発生。大津波が襲来。3月14日イチエフの3号機が水素爆発。その夜に2号機では核燃料が露出する「空だき」状態に。15日に4号機が爆発。津波の襲来と原子炉の爆発により、地域住民の方々が避難を余儀なくされ、それが未だに継続している。
 あと少しで、10回目の「3.11」「3.14」が来る。そして、事故後11年目に入ろうとしている。
 イチエフはどうか。廃炉問題は未だ何も解決していない。イチエフ構内や周辺の除染と片付けは原発作業員の皆さんの活動により進展してきたのは事実である。が、廃炉に必須の炉心溶融によるデブリは時間をかけて処理に取り組む課題に留まっている。汚染水問題も同様である。
 原発作業員視点の本は今までにも幾冊か読み継いできた。だが、本書を読み、原発作業員目線からみた廃炉処理計画の実態とその遂行結果が9年間という時間軸のスパンでとらえ直す機会となった。その長さにより一層社会構造的な歪みの実在がリアルに感じ取れる。政府や東電の対策対応も含めて本質的な問題は何も解決していないと言っていい。
 
 東京社会部の原発班に異動となった著者は、「福島第一原発でどんな人が働いているのか。作業員の横顔がわかるように取材してほしい」(p27)と打診されたという。「東京の記者会見で得られる情報には、限りがあった。作業工程の進捗状況はわかっても、現場で働く作業員の様子までは見えてこなかった。」(p27-28)
 著者は現場で働く作業員の実際の状況とそこに潜む問題事象、作業員がどんな意識で何の為にイチエフで働いているのかを浮き彫りにしようと考える。「どう書けば、彼らの人柄や日常の様子が読者に生き生きと伝わるだろうか」(p30)と。報道にあたり「一人ひとりの作業員が語った『日誌』という形をとろうと決まった」(p30)という。

 第1章から第9章まで、2011年8月19日の日誌日付から、編年形式で9年間の記録がここに編まれている。まず仮名の作業員が記録した日誌形式のゴチック文が載る。その後に記者である筆者が仮名の作業員とコンタクトを取りインタビューしたおりの状況を記述している。
 シンさん(47)、キーさん(66)、タケさん(42)、ケンジさん(40)、作業員(47)、カズマさん(35)、作業員(40)、ノブさん(41)、セイさん(55)、リョウさん(32)、作業員(32)、東電社員、ハルトさん(29)、ヤマさん(56)、ハッピーさん、名嘉幸照さん(72)、ヒロさん(35)、作業員(35)、ナオヤさん(44)、レンさん(50代)、トモさん(49)、ヨシオさん(50)、キミさん(58)、東電子会社作業員(50代)、下請け企業社長、チハルさん(43)、ダイキさん(56)、ガンさん(54)、ユウスケさん(40)、作業員(54)、という仮名の人々が日誌に登場する。括弧内は年齢。
 括弧内は初出の年齢である。東電と元請け間での請負契約を基盤にする重層する下請構造の中に組み込まれる原発作業員の意識と実態が彼等の家庭・家族の状況も交えて書き込まれていく。点描される作業現場の状況にはすさまじいものがある。原発作業員の目線が様々な問題を読者に気づかせてくれる。
 
 連載においては日誌部分と補足記事がどれほどのボリュームで報道されたのかは知らない。末尾には、一冊の本に仕上げるあたり大幅に加筆したと記されている。「私の手元に、9年間の取材でたまったぼろぼろになった大学ノートが179冊ある」(p459)と「あとがき」に記されている。原発作業員の体験話はたぶんまだまだあるのだろう。

 著者は重要な問題、国家的な課題を最後に投げかけている。
 「原発事故後、高線量下で命を賭して作業した作業員たちに、事故前と同じ労災しか救済の道がない。裁判での因果関係の立証にせよ、作業員たちが放射線の影響の立証責任を負う現状から、国や会社側が放射線の影響を否定できない場合は被害を認め、補償や賠償をするあり方に変えるべきではないのか。」(p450)と。

 原発作業員の目線で語られている実態の一部、一端を引用しておきたい。
 政府や東電の発表には絶対に出て来ない話や視点である。ここに記録された内容は原発作業員がホンネで感じている内容だと思う。原発作業員の複雑な思いの総体は、本書を開いて読み進めて、感じとっていただきたいと思う。
 電気と無関係に日常生活をしている人は居ないはずだ。イチエフの問題は我々一人一人に関わっている。少なくとも、イチエフの状況を認識し、考え判断する材料にすることが大事だろう。イチエフに端を発する諸問題と廃炉問題は、国政の問題・日本の将来の問題に直結しているのだから。

[2011年]
*事故発生当初は緊急事態だったために、事故前に行われていた、放射線のリスクや基礎知識を教える放射線教育の講習を受けずに、原発に入る作業員もいた。 p36
*全面マスク・・・手にはまず綿の手袋、その上にゴム手袋を二重、三重にはめる。作業靴や長靴の上には、ビニールの堀カバーを装着。この重装備での作業で、夏は毎日が熱中症との闘いとなった。 p37
*敷地内に高線量の瓦礫が散乱し、どの辺りの空間放射線量が高いかもよく把握できないなかで、作業員は働いていた。 p38
*原発の仕事の受注構造は、もとより複雑に入り組んでいる。東電が、日立や東芝、大手ゼネコンなど元請け企業に仕事を発注し、元請けの下には、1次下請け企業、・・・何次下請けまでぶら下がっているかわからない場合もあった。 p43 ⇒原発の多重下請け構造
*政府が使い始めた「冷温停止状態」・・・本来の「冷温停止」が不可能なために、「冷温停止状態」という言葉を作り出し、それを達成すれば、あたかも本来の「安定した状態」になったと思わせる空気がつくられていた。 p53
*原発問題は、日本全体で解決していかなければならないこと。原発で苦しむ地域の人たちが嫌がらせをされた話を聞くと、痛みを共有できないのかと悲しくなる。 p56
*派遣社員はね、雇われるときは明日行ってくれみたいに突然決まって、解雇されるときも急。生活の安定度はないよ。 p59
*(被ばく線量の)上限を超えた作業員は、現場を離れなければならなかった。 p61
 ⇒ つまり解雇。被ばく線量の累積は作業員にとり死活問題。
   事故直後、国は緊急作業の上限を累積250mSvに引き上げた。
   通常時1年で50mSv、5年で100mSv 
*作業員が事故後の被ばく線量で四苦八苦している一方で、政府や東電は記者会見で福島第一の状況を、「原子炉の冷却がうまくいっている」「安定してきている」などと繰り返し説明していた。 p70
*野田佳彦首相の「事故収束宣言」
 汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は、「本当かよ。事故収束のわけがない。今は毎日、大量の汚染水を生み出しながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定とは、ほど遠い。(高線量で)ろくに原子炉建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すのかもわからないのに」  p84
*「事故収束宣言」で大半の作業が「通常作業」とされ作業員の被ばく線量は通常基準に
 ⇒ 作業員の危険手当が下がり、宿泊費や食費など諸経費がカットに。 p86

[2012年]
*汚染水漏れの続出 「配管はむき出しだからね。最初から凍結してこうなることは予想できた」p94
*年度末を乗り越えると、翌年の線量枠がもらえる。作業員たちは「線量がリセットされる」と表現した。 ⇒ 作業員の被ばく事実に「リセット」はない。体内累積のみ。 p95
*「炉心溶融」を「炉心損傷」に これは事故直後の清水正孝東電社長の社内指示で
 政府や東電による言い換え:「事故」を「事象」、「汚染水」を「滞留水」 p105-106
*作業の機械化・ロボットの導入⇒「どんな作業も必ず最後は人の手が必要になる」p108
*原発の再稼働はまだ早い。イチエフの構内はずいぶん片付いたけれど、根本的なことは何も終わってはいない。・・・・(野田)首相は、大飯原発に福島を襲ったのと同じような津波や地震がおきても、大丈夫だと話した。でも震災前も原発は大丈夫だと言って、イチエフであんな事故が起きた。安全と言われても信用できる人はいないのではないか。原発を動かさないと、日本の社会は立ちゆかないというけれど、もう一度原発事故が起きたら、それこそ、日本は立ちゆかなくなる。  p135
*「事故がなぜ起きたのかもわかっていないし、事故の責任の所在もわかっていない」・・・四つの調査報告書が出そろったといっても、原発事故の原因が判明したわけではない。熔け落ちた核燃料の状態もわかっていなかった。事故の調査は、何も終わっていなかった。 p144
*ある地元の下請け企業幹部は「被ばく隠し」に陥る生々しい心情を話してくれた。p146
*「現場監督もベテラン作業員も残りの線量がほとんどなかった。だから『高線量要員』が必要だった。自分は線量を浴びさせるためだけの人員だった。せめて約束した賃金は払ってほしい」
 ⇒「高線量要員」とは、放射線量が高い場所ばかりを短期で担う作業員 p151
*隠蔽される事故「上に報告しないでくれ」 ⇒企業ごと仕事を失う恐れ  p157-158

[2013年]
*原発事故後、現場から逃げずに、高線量の危険な現場で懸命に働いてきた作業員にとって、突然宣告される「退域」や「解雇」はあまりにも冷たい仕打ちだった。 p184
*福島の人間だし、今も頑張る同僚がいるから、何とかやっていけている。 p188
*これまで視察団が免震重要棟にいるときは、出入り口に「視察対応」と表示され、作業員は暑かろうが寒かろうが中に入れなかった。報道陣が来ても同じ。作業員と接触し、何かしゃべったら困るということだろう。 p212
*いきすぎたコスト削減には、東電社員の中からも疑問が出ていた。  p220
*東京五輪招致決定に、作業員の反応は複雑だった。地元作業員は「現場は汚染水漏れで大騒ぎになっているのに、(安倍)首相は『まったく問題ない』と世界に向かって言い切った。本当にやばいことが起きても、今後は発表されなくなったりするのではないか」。他の作業員たちも、「五輪ありきで作業工程が作られるのではないか」「五輪期間中は危険な作業が先延ばしされたり、作業がとめられたりするのではないか」など不安を口にした。 p226
*「現場に『国の命令だからとにかく急げ』という指示が飛んでいる」
   ⇒作業10時間越え発覚 p233
*イチエフをよく知る人は、東京五輪招致の最終プレゼンテーションで話題になった「おもてなし」や「状況はコントロールされている」という言葉を「おもてむき(表向き)」「情報はコントロールされている」と言い換えている。 p240

[2014年]
*東電の廣瀬直巳社長の約束:作業員の日当「1万円アップ」問題
 企業からも作業員からも「割り増し分は、東電から直接作業員に払ってほしい」という声が上がっていた。・・・・下請け企業も、作業員も、本当に日当が1万円分上がるのか、半信半疑だった。 p245  ⇒ 本書でその実態がわかる。
*(イチエフではネズミが原因で冷却システム停止の大緊迫)その週末、東京に戻れば何もなかったかのように街は平和で、あまりの落差に愕然とした。 p248
*(労働環境改善アンケート)「アンケートなんて本音は書けないですよ。内容を指示してかかせている社もある」 p252
*p258~261、p272~275 死亡事故や頻発する事故の状況、発表しない東電について
 
[2015年]
 作業員のがん発症、死傷事故と現場作業中止・賃金不払い、白血病で初の労災認定、敷地内タンクパトロールの実情、作業員の家庭問題などの事例が記録されている。

[2016年]
 「凍土遮水壁」建設の実態、事故多発状況、原発作業員の防護服装着での作業の大変さ、作業員の家族事例など。極めつけは、福島第一の廃炉や損害賠償、除染にかかる費用に対して、政府の東電への支援額が天井しらずに転換する。それは結局、「電気料金などの国民負担で回収する方針」(p347)を意味する。国費投入=国民の税金負担。

[2017年]
*3号機で「初めて捉えたデブリの姿」(格納容器内の水中ロボット調査) p355-356
 デブリ取り出し作業の検証が進む一方、予算なくモックアップ作業中止も p379
*事故から6年経ち、避難指示が次々解除される。国は避難を終わらせ、「原発事故」を終わらせようとしていた。  p357~359
 ⇒「自主避難者」の住宅無償提供打ち切り、一方、3/17に損害賠償集団訴訟の初判決
*避難指示区域の除染作業に外国人労働者が働くように。さらにイチエフでも。p363
*5/9 福島第一の敷地内にヘリポートが設置され運用開始 作業員の命を救うには、敷地にドクターヘリが離着陸できる設備が整ったことは、大きな意味を持っていた p346
*「トヨタ式」コストダウンの手法を導入。だが、リストラしない「トヨタ式」に対し福島第一ではコスト削減と同時に人員削減も起きていた ⇒下請け企業への影響 p372

[2018年]
 敷地の放射線量低下によりゾーン区分と作業保護具の装着分けの導入。それは原発作業員の日当の低下や保護具装着の煩雑さなどを生む。約2万人を対象とした疫学調査が難航する。「イチエフ病ってあるんだよね」(p392)などの実態を描く。

[2019年]
*2号機格納容器内の底から「5ヵ所で数センチの小石状の堆積物や棒状の構造物を動かせることを確認し、一部を最大5センチまで持ち上げることに成功した。」 p412
*防護服に顔全体を覆う全面マスクをつけ、場所によってはその上に重さ15キロのタングステンベストを着る。・・・道具を抱え作業する。・・・特に上向きのときはきつい。それなのにトビさんたちは5、6キロの道具を持ち上げ、何時間も作業をする。 p416
*五輪招致で「汚染水の状況はコントロールされている」と首相が世界に宣言し、イチエフはますます事故現場ではなく、普通の工事現場だとアピールされるようになった。 p419
*東電は数年前から、作業員一人当たりの被ばく線量を減らそうと、年間20mSv以下に抑えるよう指導している。核燃料の取り出しに向け、今は高線量下の仕事が多いのに、これでは全然働けない。  p422
*危険手当は下がる一方だし、日当だって1万円ちょっと。日本人の俺らだってピンハネはひどいし給料も安いのに、外国人労働者にはもっとひどい気がする。 p421
*2019年3月「日本経済研究センター」による福島第一原発事故処理費用試算 35~81兆円
 東電 最優先となる福島第一の廃炉費用が十分に確保されるのか、具体的な資産や道筋は示されなかった。 p426
*4月ごろ、安倍晋三首相が来て、背広で敷地を見学していたけれど、観光バスの通る道路は除染されて普通のエリアになっている。でも道路両脇が汚染の高い場所もあり、道路の端の放射線量はけっこう高い。アピールなんだろうけど、そんな区分けで危険手当を下げられたりするのはやりきれない。 p432
*大雨より強風、そしてやはり地震が怖い。 p437
*これまで作業員が急かされてきたように「工程ありき」で現場を動かせば、また大きな事故が起きかねない。 p442

 引用・要点抽出が長くなったが、その意味するところ、詳細は本書をお読みいただきたい。今、あらためてイチエフを意識する必要があるのではないだろうか。一国民としては「普通の工事」が続いているかのように意識を風化させないことから始まる。

 ご一読ありがとうございます。

今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『フクシマの荒廃』 アルノー・ヴォレラン  緑風出版
『福島第一原発収束作業日記』 ハッピー  河出書房新社
『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』 小出裕章 毎日新聞社
『原子力安全問題ゼミ 小出裕章最後の講演』 川野眞治・小出裕章・今中哲二 岩波書店
=原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新4版 : 51冊)=

『ブラタモリ 13  京都(清水寺・祇園) 黒部ダム 立山』 角川書店

2021-02-19 13:19:56 | レビュー
 本シリーズの第13弾に、私が生まれ育った京都と幾度か登山している立山が一緒になっている。京都と黒部ダムについてはテレビ番組の放映を見ていたので、本書を読むことが復習になるとともに、番組のシーンを思いだし連想しながら読んだ。番組を見てから読むのも楽しいものだ。細部について見落としあるいは聞き過ごしが結構あることにも気づくことになった。京都は2017年4月、黒部ダムと立山は同年10月に放送された内容のエッセンスがまとめられている。NHK「ブラタモリ」制作班の監修による出版(2018.9)である。

 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書は近江友里恵さんのトーク
である。

 本書から私が学んだ要点を覚書としてまとめてみたい。それが本書を開いてみようという誘いになれば幸いである。

<京都>
テーマ1 人はなぜ清水を目指す?
 「清水」は「しみず」ではなく「きよみず」と読む。コロナ禍以前には、「年間約600万人が訪れる世界遺産」(p4)なので、「清水寺」を「きよみずでら」と読むことは浸透していると思うが・・・・最初に記しておこう。
*平らな地層に100万年前、東(清水寺周辺)西(嵐山周辺)から力が加わり、中央部が落ち込み京都盆地ができた。だから嵐山も清水も同じチャートの地層。
 清水寺は断層崖の上にあり、本堂裏の断層は「東山西縁断層と呼ばれる。
 東側は硬い堆積岩、西側は粘土や砂礫の大阪層群。音羽川の流れが柔らかな地層を浸食し、崖や谷を形成した。
*崖の地形が観音様の住む補陀落を連想させ、人々がここを整地とみなすように。
 創建当初は、崖上ぎりぎりに本堂が建てられていた。平安時代末期の本堂建て替えの時に、崖からせり出した「懸造(カケヅクリ)」の工法により舞台が作られた。
 目的は多くの参拝者を収容できる場所が必要となったため。「清水の舞台」の出現。
 人々は本尊(秘仏)千手観音菩薩への祈願をめざした。御前立千手観音像を拝観可能。
*清水寺の語源は清い水が出ることから。その証拠が「音羽の滝」で3本の樋から水が落下
 この3本の滝は行場になっている。観音様の功徳水、金色水と称されている。
*清水寺の参道である清水坂は谷の尾根の上に造られた尾根道だった。
*三年坂(産寧坂)の下を轟川が流れていたが、今はほとんど暗渠化している。
*鴨川に架かる松原橋はかつての五条橋。秀吉が都市改造で南に五条橋を移した。
 義経と弁慶が出会ったという話にある五条の橋はこの松原橋の場所である。
 松原橋から清水寺への道がかつての清水坂。この道があの世とこの世の境だった。
 通り(現松原通)の北側に六道珍皇寺。南側には幽霊子育飴の店、さらに南は鳥辺野
*中世の人々は、坂道に”境”を感じていた。六道珍皇寺南前の辻が「六道の辻」

テーマ2 日本一の花街・祇園はどうできた?
*八坂神社の西楼門は京都盆地と東山の境の断層崖に建つ。石段のところが京都盆地の縁
*八坂神社は元は「祇園社」。明治の神仏分離で神社名を改称。「祇園」が地名に残る。
*八坂神社の南楼門側に「二軒茶屋・中村楼」という老舗の現料亭がある。
 江戸時代初期には2軒の腰掛茶屋が向かい合って建っていた。参拝者への茶屋のもてなし。
 祇園社と共存した出店のある娯楽の場が花街発展の原点。聖と俗の並存。
*かつての鴨川は西は現河原町通、東は縄手通までがすべて河原だった。
 江戸幕府による寬文10年(1670)の「寬文新堤」築造により両側が市街地化し発展する
 江戸時代祇園の花街は四条通り北側だった。お茶屋は700軒、舞妓・芸妓は3000人以上

 花街では分業化・効率化のシステムが形成されていく。(お茶屋・置屋・仕出し屋等)
*明治政府により建仁寺の敷地の北半分近くが没収される。
花街が四条通の南側に移転。公式の花街となる。
 南側に移った人たちは、新たに設立した芸舞妓の教育機関(八坂女紅場学園)に土地の所有権を一括して移した。その結果乱開発が回避され、古色を残す風情が維持できている。
*富永町通を北に歩けばかつての急激な開発の痕跡が道路西側のギザギザ道として残る
*四条通は市電を運行するために北側に拡幅された。明治45年(192)に開通。
 西楼門はそれに合わせ大正2年11月、東に6m、北に3mほど奥に移転。石碑が残る
*円山公園は、明治19年(1886)に作られた京都初の公園。
 明治45年に庭師・小川治兵衛と建築家・武田五一が再整備した。

<黒部ダム> 黒部ダムはなぜ秘境につくられた?
*黒部川は北アルプスの鷲羽山を源とし標高差3000m、約85kmを流れ日本海に注ぐ。
*黒部渓谷は日本一深いV字峡谷。峡谷の両岸が花崗岩で均等に削られていく地層個所
 谷の幅が狭くなる境い目に黒部ダムが立地。ダム付近は地質の境い目でもある。
 ダム付近の一方が珪長岩の地質で、対岸はまた別の地質。下流は各種の岩が交じる。
*富山市側から見た立山連峰と後立山連峰の間に黒部峡谷がある。
 2つの山脈は東西2つのプレートの力が加わり急激な隆起と浸食によりできた地形
 大陸プレートの下に海洋プレートがもぐり込みつくった大量のマグマが隆起に関係する
*黒部ダム 別称「黒四」(黒部川第四発電所のダム)
  アーチ式ドーム越流型、高さは国内1位の186m、堤頂長492m、総貯水量約2億立方m
  工期(1956.7着工、1963.6竣工)、総工費513億円、労働人口はのべ約1000万人
  主要資材はセメント641,000t(ダム用372,000t)、鋼材23,000t
  ダムはアーチ式と重力式のダム形式を合体した「く」字型。谷への負担軽減のため
  ダム両端部は両岸にくっついていず重力式ダム形式。その重みで水圧を受けとめる
*黒部ダム完成後、黒部川水系の発電所はそれまでの5ヵ所から10ヵ所に増えた。
*黒部湖の貯水は水力発電用。発電所は黒部ダムから約10km下流、地下200mにある。
 有効落差約545m。落差を大きくする目的が秘境をダム建設地にした一つの理由。
 黒部峡谷流域の平均年間降水量は約4000mm。ダム貯水量が1年間に4,5回交替する程の水量
*長野県大町市側からのダム建設工事用トンネルを今はトロリーバスが扇沢駅から走行
 トンネルを難工事にしたのは1691m堀進んで遭遇した破砕帯(約80m)の存在が原因
*地下の黒部湖駅から黒部平駅までは急傾斜のケーブルカー。ロープウエイで大観峰駅へ
 立山ロープウエイは日本一長いワンスパンロープウエイ(中間に支柱なし)。約1.7km
 大観峰駅は標高2136m。展望台は54+5段の階段の先に。黒部平駅は標高1828m。
*黒部ダムでは6/26~10/15の期間限定で観光放水を実施。ダムの地盤を守る霧状の放水

*「くろよん建設」では171名が殉職。ダムの東側に殉職者慰霊塔が設置されている。

<立山> 「北アルプス・立山はなぜ神秘的?」
*立山は富士山、白山とともに三霊山の一つ。立山信仰は飛鳥時代まで遡れるとか。
 雄山山頂には雄山神社峰本社が祀られている。室堂とは信仰登山の修験者らの山小屋
*室堂平は4万年前の噴火で大量の溶岩が埋め尽くした痕跡。
*室堂平のミクリガ池は1万年より前の水蒸気爆発で誕生。貧栄養湖で魚類の生息はなし
 「みくりが池温泉」は日本で標高一(2410m)の温泉。単純酸性泉。日帰り入浴可。
*立山の景観の根本要因は「飛騨山脈の隆起」。立山は約400万年前から隆起を開始した
 「立山火山」別名「弥陀ヶ原火山」。火口を南から北へ移動させ活動してきた複合火山
*立山周辺は日本で唯一氷河が現存する場所である。大量の雪が積もることがその理由
 氷河は万年雪の圧縮でできる。カールは氷河が山肌を削ったU字の深い谷(半円状・馬蹄形)
 室堂平は火山性の安山岩地層だが、そこにかつてあった氷河が花崗岩を運び込んだ。
*弥陀ヶ原の形態は雪田草原に分類される湿田。ラムサール条約に登録される。
 標高2000m付近。東西約9km、南北約3km。室堂平の3倍以上の広さ。日本最高所の湿地
 約10万年前の巨大噴火の火砕流で埋め尽くされた溶結凝灰岩の地層に泥炭が堆積した
*弥陀ヶ原の溶結凝灰岩層を雪解け水と滝が削り急峻なV字谷ができた。滝は後退する。 
 称名滝は7万年前は約7kmほど下流、現在の立山駅付近にあった。
 現在の称名滝の周りの崖は450mの高さ。滝は350mの落差で日本一の大瀑布。4段の滝
 滝は上から70m、58m、96mと最後は絶壁126m。滝壺は直径約60m、深さ6m。
*豊水期には称名滝の右隣に落差500mのハンノキ滝が出現するという
*大川寺駅近くの立山橋は雪解け水の流れる常願寺川がつくった扇状地の扇頂に位置する

 私が本書から学んだ知識の要点はこんなところだが、本書はこれらの内容がブラリと探索しながら説き明かされていくプロセス自体にある。ビジュアルなイラストや地図、模型。そして景観写真や実験風景写真などとのコンビネーションで進展する会話と謎解きの進展。わかりやすい語り口とその流れを楽しめるところがよい。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
音羽山清水寺 ホームページ
「清水の舞台から…」 無茶な飛び降り、実は願掛け :「日本経済新聞」
八坂神社 ホームページ
建仁寺  ホームページ
祇園甲部歌舞会 ホームページ 
  祇園町とは 
祇園東部歌舞会 ホームページ 
黒部ダム  :ウィキペディア
世紀の大工事 ~くろよん建設ヒストリー~  :「関西電力」
黒部の太陽  :「熊谷組」
黒部ダム[富山県]  :「日本100ダム」(日本ダム協会)
  黒部ダム建設の記録  ⇒ この一覧に掲載の中で一番詳細!
黒部ダム・殉職者慰霊碑  :「ニッポン旅カガジン」
立山黒部アルペンルート  ホームページ
  立山室堂平ライブカメラ 
立山  :ウィキペディア
立山の魅力 立山信仰と登山史  :「歩こう。立山」
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 ―加賀藩支配によって特色が生まれた江戸時代の立山信仰― 福江充(富山県[立山博物館]) :「富山県博物館協会」
立山信仰  :「Web版 新纂浄土宗大辞典」
立山曼荼羅 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」
立山曼荼羅 絵解き講座 絵解き(その1)  YouTube
立山曼荼羅 絵解き講座 絵解き(その2)  YouTube
立山の山岳信仰。絵図にみる信仰の世界とその変遷をたどる  :「遊歩紀行」
称名滝-LIVEカメラ(CCTV)  :「国土交通省北陸地方整備局 立山砂防事務所」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 角川書店
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店

『大江戸釣客伝』上・下  夢枕 獏   講談社文庫

2021-02-17 13:40:09 | レビュー
 江戸時代、五代将軍徳川綱吉の治政において、魚釣りに魅せられた人々、つまり著名な釣客たちの生き様を描いた作品である。
 文庫本を購入して長らく書棚に眠っていたのだが、先般『大江戸火龍改』を読んだ時、その中に「首なし幽霊」という短編があった。これが直接のトリガーとなり、積ん読本になっていたこの小説を読む動機づけとなった。『大江戸火龍改』とはジャンルを異にする小説である。こちらは登場する釣客たちの生き方を伝記風に描いている。釣客の幾人かに焦点をあててその半生の要所要所を描き込み、他の釣客たちは点描風に主要な釣客との交流模様の中で彼等の生き様の一端が織り込まれていく。私には魚釣りの趣味はない。しかし、この釣客伝を読み始め、冒頭から関心を抱く人々が登場したので、このストーリーに引きこまれて行った。もう一つこのストーリーがどう進展するのかに興味を抱いたのは、将軍綱吉の時代を背景にしていることと、吉良上野介及び赤穂浪士の討ち入り話が吉良側の視点寄りでエピソードとして組み込まれていく展開にあった。

 この作品の構成がおもしろい。「序の巻 幻談」から始まり、「巻の1 沙魚(ハゼ)」から「巻の23 忘竿堂」、最後に「結の巻」という構成である。この「巻の1」から「巻の23」は各巻がいわば短編小説風でありその巻だけでほぼ一つの区切りがついている。つまり、ある巻だけを読んでもそれなりに一つのエピソードとして読める。その上で、各巻は主な登場人物の半生の生き様を釣りとの関わりで描く一環として有機的に繋がっていく。伝記風ストーリーの時間軸の流れになり、将軍綱吉の治政のうねり及びその影響がその他の釣客にも及ぶ様が独立的な巻として挿入され、全体が描き込まれていく。結果的に綱吉の思いとその時代の異様さをも描いている。

 本作品の冒頭に「『何羨録(カセンロク)』に見える江戸の釣場図」という地図と、『何羨録』の著者津軽采女が「序」に記した文が引用されている。「巻の一 沙魚」でこの津軽采女が登場する。読み始めてわかったのだが、この津軽采女がこのストーリーでの主な釣客の一人となっていく。津軽采女は2年前、17歳の折に父の死により津軽家を継ぐ。旗本で石高4000石だが小普請組という閑職に就いている。19歳の采女は家臣の兼松伴太夫の案内で沙魚釣りに誘われた。鉄砲州での初釣りである。采女はこれで、釣りにはまってしまう。その結果が『何羨録』という釣りの指南書を世に残すことになる。このストーリーには、采女が釣書を書き残したいという願望を抱く元となる一書『釣秘伝百箇條』にまつわる因縁話という側面もあって興味深い。

 さて、私自身がこの小説を読み始めて惹きつけられたのは別のところにあった。
 それは「序の巻 幻談」。ここに宝井其角と多賀朝湖が登場する。船頭仁兵衛の船に乗り、貞享2年(1685)3月に佃島の南の沖合で春鱠残魚(ハルギス)釣りをする場面からこのストーリーが始まる。宝井其角は俳人松尾芭蕉の門人。一方、多賀朝湖は絵師。このとき其角25歳、朝湖34歳だという。朝湖は其角を俳諧の師とし、其角は朝湖を絵の師とする関係だったそうだ。
 多賀朝湖という名前は最初ピンと来なかったのだが、英一蝶のことだとわかり、俄然興味が増していった。英一蝶について、島流しの刑を受けた後江戸に戻ってから英一蝶と改名した絵師ということは知っていて関心がある絵師の一人だった。だが、多賀朝湖という名前だったという記憶がなかったのだ。
 このストーリーでは其角と朝湖が采女と共に主な登場人物になっている。当初は其角に引かれ、まずこのストーリーに興味を抱いた。其角と朝湖が釣りを趣味にしていたことをこの小説で知った。私にとっては知識としての副産物である。

 この序がこのストーリーにとって、後々大きな梃子となっていく。朝湖が屍体を吊り上げるのだ。老人の屍体は右手に竿を握り笑っていた。竿の先には大物が釣れていたのである。その竿は二間半の上物で、野布袋竹(ノボテイダケ)の丸だが軽い。竿尻に近い場所に狂という文字が読み取れるというもの。この老人と竿がこのストーリーの黒子的意味を持ち、大きな役割を果たす伏線となっていく。
 この序の巻「幻談」の背景については著者が「あとがき」に触れている。

 このストーリーが貞享2年から始まるという時代設定は巧みであり、その構成にも多面的な視点が取り入れられている。綱吉は1680年に第五代将軍となる。そして、貞享2年(1685)に「生類憐みの令」を出した。それから1709年までの長期間にわたり様々な形でその内容をエスカレートさせ発令しつづけたという。尚、貞享4年(1687)に「生類憐みの令」が出たのが最初とみる説もある。著者は貞享2年説をとり「知られているだけで135回にも及ぶものとなったのである」(p169)と記している。
 いずれにしても綱吉が生類憐みの令を出したという知識はあったが発令し続けていたとは迂闊にも知らなかった。遅ればせながら認識を新たにした。
 このストーリーは幕府の発令がエスカレートしていく渦中で釣客たちがどのように反応しかつ対応したかが描き込まれていく。リアル感にあふれていておもしろい。

 ストーリーの展開を簡単にご紹介しておこう。
序の巻 幻談 其角と朝湖が佃島沖の春鱠残魚釣りで屍体を引き上げる
巻の1 沙魚 津軽采女が初釣りではまり、帰路大川での「釣勝負」を見物する
      ⇒紀伊国屋文左衛門主催で著名釣客7人が勝負し阿久沢弥太夫が登場する
巻の2 技師 津軽采女が鉄砲州で”つ抜け”をし、ここで阿久沢と出会い会話する
巻の3 安宅丸 安宅丸の祟り及び釣り中の其角・朝湖が流されてきた采女を救助する
巻の4 鯛  采女の鯛釣りと結婚を描く。一方「生類憐みの令」が出て3年を描写する
巻の5 水怪 其角と朝湖が清光庵の池に出る怪の謎解きをする
巻の6 釣心 其角・朝湖・紀伊国屋・ふみの屋の釣り場面。采女の近況・心境を描く
巻の7 密猟者 元禄2年4月、ご禁制の鮒の密漁で9人が死罪となる
巻の8 側小姓 津軽采女は綱吉の側小姓に抜擢され、綱吉の陰の側面を垣間見る
巻の9 無竿 綱吉が将軍となった経緯と光圀の諌言行動。采女が綱吉から刀傷を負う
巻の10 釣り船禁止令 采女が側小姓を辞す経緯に触れる。釣り禁止令が反発を生む
巻の11 釣秘伝百箇條 朝湖が『釣秘伝百箇條』を入手し、釣客仲間が会合をもつ
巻の12 夢は枯れ野を 芭蕉の死の前に、投竿翁捜しが成果を生む。なまこの新造とわかる
巻の13 この道や行く人なしに 元禄7年10月、其角は芭蕉の死に立ち会う
巻の14 其角純情 其角、朝湖、采女。三者三様の心境を語る
巻の15 島流し 一旦はお城坊主となる朝湖だが、後に島流しになる経緯を描く
巻の16 初鰹 三宅島に島流しになった朝湖を描く。朝湖を思う釣客たちが茶会を開く
巻の17 松の廊下 松の廊下事件を吉良視点で描く。吉良上野介は采女の義父にあたる
巻の18 討ち入り前夜 三宅島の朝湖の思いを描く。そして、其角の思いも。
巻の19 討ち入り 赤穂浪士の討ち入りを其角と采女の立場を介して描く
      ⇒其角が吉良邸に隣接する俳諧仲間土屋主税の屋敷に滞在中に討ち入り発生
巻の20 元禄大地震 采女の夢、大地震の状況、投竿翁の娘の語る事実を描き出す
巻の21 霜の鶴 狂える猿 其角の死を描き、其角の死を知った朝湖の決意を描く
     ⇒著者は「声かれて猿の歯白し峯の月」を其角の辞世としておきたいと記す
巻の22 弥太夫入牢 阿久沢は釣りを因に入牢。綱吉が死に急転換。朝湖が江戸に戻る
巻の23 忘竿堂 采女は再び竿を握る。阿久沢、朝湖と再会。釣りの指南書執筆をめざす
⇒忘竿堂とは、采女が己の屋敷に遊び(釣)のためだけに設けた離れ
結の巻 采女の半生を編年風に記す。後に『何羨録』と英一蝶筆「雨宿り図屏風」を語る
 
 この小説のできあがる経緯が「あとがき」に記されている。おもしろい一文である。
 この小説は釣りを趣味としない者でも、釣りの醍醐味をイメージできて興味深くかつ楽しめる。釣り好きは尚更であろう。釣りの奥深さを著者は楽しみながら、蘊蓄話的に記述している個所も多々あるのではないかと想像した。
 
 本書は2011年7月に刊行され、2013年5月に文庫本化されている。
 奥書によれば、2011年に第39回泉鏡花文学賞、第5回船橋聖一文学賞、2012年に第46回吉川英治文学賞を受賞している。ナルホドとうなづける。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。検索範囲での結果を一覧にまとめておきたい。
宝井其角  :ウィキペディア
宝井其角  :「コトバンク」
宝井其角の俳句 30選 -洒落風-  :「ジャパノート」
今泉準一 其角と芭蕉と  :「松岡正剛の千夜千冊」
英一蝶   :ウィキペディア
英一蝶のこと  :「京都国立博物館」
牢屋暮らしに島流しも経験、江戸時代の絵師で芸人さん「英一蝶」の波乱万丈すぎる人生 :「Japaaan」
英一蝶墓  :「東京都教育委員会」
雨宿り図屏風  :「文化遺産オンライン」
浮世絵 英一蝶 トップページ
英一蝶、幻の大作「涅槃図」、月次風俗図屏風、ボストン美術館の至宝展(神戸市立博物館)、その他代表作、とは(2018.1.10) :「歴史散歩とサイエンスの話題(続)」
津軽采女正  :「コトバンク」
何羨録  :ウィキペディア
何羨録  :「水産研究・教育機構 図書資料デジタルアーカイブ」
  ページ毎に全文表示をして閲覧できます。
生類憐れみの令は蚊もNG?発布の理由や真相を解説!悪法は誤解? :「歴史伝」

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著者の作品で以下のものについて読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。
『大江戸火龍改』  講談社
『聖玻璃の山 「般若心経」を旅する』   小学館文庫


「螺旋」プロジェクト作品 読後印象記一覧       2021.2.15

2021-02-15 10:20:20 | レビュー
 「海族」と「山族」との間における原始から未来にわたる「対立」の歴史の物語。
  8作家による「対立」をめぐる競演。

 全作品を読み終わりました。順序を前後しつつ、読後印象記をご紹介してきました。
 改めて、原始から未来への順に並べたリストをご案内いたします。
 お読みいただけるとうれしいです。

『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社
『シーソーモンスター』  伊坂幸太郎  中央公論新社
『死にがいを求めて生きているの』  朝井リョウ  中央公論新社
『スピンモンスター』  伊坂幸太郎   中央公論新社
『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社


『シーソーモンスター』  伊坂幸太郎  中央公論新社

2021-02-14 12:50:57 | レビュー
 文芸誌『小説BOC』創刊にあたり「螺旋プロジェクト」という8人の作家による競作企画が仕掛けられた。日本を舞台に古代から未来までにわたり、8人の作家がある時代(時期)を担当し、「海族」と「山族」が対立するという状況をそれぞれが独自の物語として紡ぎ出すというおもしろい企画である。日頃読書対象にしている作家が8人の中に含まれていた作品を読んだことから、この「螺旋プロジェクト」を知り、時代の順序を前後しつつこの海族・山族の対立ストーリーを読み継いできた。
 そして、本書がその読み継ぐ最後の小説になる。歴史軸としては前後しているので、この「螺旋プロジェクト」の歴史軸での最後になる「未来」に相当する部分ではない。本書のタイトルは「シーソーモンスター」であるがここには2つの物語が収録されている。
 一つが「シーソーモンスター」で、このプロジェクトでの時代設定は昭和後期である。もう一つは「スピンモンスター」で、こちらの時代設定は「近未来」となっている。上記の通り、この2つのストーリーも当然ながら「海族」と「山族」の対立を扱うが、それぞれは全く独立した物語である。
 一方で、この2つのストーリーは、昭和後期を舞台とする「シーソーモンスター」のエンディングで、カタツムリをヒーローとする絵本の創作の始まりが語られ、「平成」の先の「近未来」において、無敵のカタツムリ「マイマイ」が活躍する『アイムマイマイ』という絵本がストーリーの背景に登場してくるという点で緩やかなつながりが組み込まれていておもしろい。一作家が2つの時代を担当したことからの試みなのかもしれない。とはいえ、この2つのストーリーは、独立した物語りとして読める。

 本書末尾には、見開き2ページで8人の作家が競作企画により紡ぎ出したそれぞれの物語に関連する「『螺旋』年表」が付いている。日本の歴史における史実とこのプロジェクトの下での物語の展開における事実とが年表としてまとめられている。これをみると、「シーソーモンスター」は「平成」時代の物語とは、1992年に「絵本『アイムマイマイ』『帝国のルール』流行」という一行で緩やかなリンキング・ポイントがある。他方、「スピンモンスター」は、2071年に「壁が建設される」ということで、「未来」の物語とのリンキング・ポイントが描き込まれている。

 それでは、収録された2つの物語を簡単に読書への誘いとしてご紹介してみよう。

「シーソーモンスター」
 「日米貿易摩擦が新聞を賑わせていますが、その一方で、我が家の嫁姑摩擦は巷間の噂になることもなく。」という冒頭文から始まる。「日米貿易摩擦」の一語で、1965年以後日米間の貿易収支が逆転してアメリカの対日貿易が恒常的に赤字となり、1972年の日米繊維交渉から始まり、鉄鋼・カラーテレビ、1980年代には農産物、さらに自動車に発展した貿易摩擦の時代をまずストーリーの背景に押さえている。つまり、このストーリーが昭和後期の物語であることを示している。おもしろいことに、このストーリーにはこれ以外年号などは一切出て来ない。
 この冒頭は製薬会社の営業社員である北山直人が四期上の綿貫さんに誘われて行った居酒屋で嫁姑問題の愚痴を語る場面なのだ。ありふれた嫁姑の諍い話。何、コレ!どんな話につながるの?といぶかしく思いながら、ちょっと我慢して読み進めると、後はこの嫁姑の対立の先を読みたくなるストーリーに転換して行く。それは意外な秘密が隠されていることによる。

 営業社員直人が担当病院における不正事実を発見することで彼自身が窮地に追い込まれる状況へとストーリーが徐々に進展していく。直人は歴史ある大きなO病院のO先生に気に入られる。O病院は息子夫婦に実権が譲られていた。O病院との取引関係を綿貫さんが築いてきたのだが、そのO病院との取引関係を直人が任せられたのである。良い得意先を譲られたと喜んでいた直人は、若院長を接待する過程で若院長の言動を理解していき、O病院の内情を推測できるようになる。病院経営で不正が行われていることに気づいていく。それが直人を窮地に追い込んで行くことになる。この直人を窮地から救い出すために嫁と姑が互いに協力するというストーリーに展開していく。
 嫁・宮子と義母・セツの協力関係ができるまでの紆余曲折がコミカルなタッチで描かれて行く。そのプロセスに、保険の営業社員・石黒市夫が関わってくる。セツの留守に家を訪ねてきた石黒は、セツに保険の話を聞いてもらっていたと宮子に言う。初対面の宮子と話をしたのを切っ掛けに石黒は宮子に「あなた、目、蒼いんですね」と語りかける。
 石黒は海族と山族の対立の話、この二族間では相性が合わないことを宮子に語る。二人の相性が悪いのは、宮子が海族、セツは耳が大きい山族だからと言う。石黒はいわば一種の媒介人の役割を果たす。その後要所要所で宮子の前に現れるてくる。

 ならば、セツの息子・直人と宮子はなぜ結ばれたのか?もちろん、ストーリーの最初に二人のなれ初めがエピソード風に盛り込まれている。そして、直人と宮子の間でなぜ相性問題が起こらなかったかの理由が明らかになっていく。
 一方、宮子とセツには意外な共通点があることがわかることに。そして、直人救出という事態へと場面を急転換させていく。フィクションとして奇想天外の要素を含みおもしろい。それにしても宮子はタフだ。
 最後に絵本がどういう風に絡んでいるかをお楽しみに。 


「スピンモンスター」
 冒頭で主人公水戸直正が絶対に思い出したくない場面についてこう語る。「高速道路の自動走行自体は僕が生まれる前から行われていたが、五百キロ以上の距離が完全自動で走行できるようになり、自動走行の決定版と銘打たれた白の新型ミューズを購入したこともあって、父がやたら乗り気だったのだ」。この長い一文で、これが近未来という時点の物語だとわかる。こちらのストーリーもまた日付などが出て来ない。
 ただ一箇所、次の文が出てくる。「重要な情報ほどデジタルからアナログへ、内緒のやり取りは電子メールではなく手書きの手紙へ、と世の流れが変わったのは、2032年の大停電がきっかけと言われている。」(p203)つまり、このストーリーは2032年よりも未来時点の物語なのだ。さらに、「デジタルもアナログも万能ではない。一長一短あり、使い分けていくべきだ、という風潮はここ十年で浸透した」(p205)という社会状況が時代背景となる。
 水戸直正は手書きのメッセージを人力で運ぶ仕事、運搬人を仕事としている。この水戸が運搬の仕事で新札幌駅に行くために新東北新幹線に乗車していたのだが、奇妙な事件に巻き込まれていくというストーリーが始まって行く。
 新幹線内のトイレから出て、自分の座席に戻ろうとしたとき、水戸にとっては天敵とも言える檜山景虎が同じ列車の後方車両に乗っているのに気づいた。小学校の夏休み、青森へ冒頭の白の新型ミューズで家族旅行に行き、同型の黒のミューズとの間で交通事故が発生する。家族で生き残ったのは直正だけ。相手の黒のミューズも同様に生き残ったのは同学年の檜山景虎だけだった。そして、偶然にも二人は総合学校時代に同じ学校に通うことになった。だが総合学校時代には互いに極力避け合い通すことに苦労する関係だった。全く相性が良くない相手なのだ。
 水戸が座席に戻ると、通路側に乗客が居た。先ほどまで空席だったのだ。その乗客から水戸は突然に宛先も差出人も書かれていない封筒を「あとでこれを読んでください」と渡される。その封筒はまだ一般発売されていないもの、セキュリティレベルが高く、センサーに把握されないタイプのものだった。その乗客は、水戸が運搬人だと知っていた。水戸の「どこに」にという問いかけに対し、「昨日の日本に」と答え、水戸がさらに問う余裕を与えず前の車両方向へ消えたのだ。その直後、警察組織の捜査員が水戸の前に「パスカ、見せてもらえますか」と声をかけてきた。捜査員の後に檜山が続いていた。さらにその直後、緊急停止のアナウンスが流れる。

 手渡された封筒には、水戸へのメッセージともう一つの封筒が入っていた。あの乗客の旧友、中尊寺敦に手紙を届けてほしいという依頼なのだ。二人の間ではかつてγモコのメンバーがまたなくなった時、仙台杜市の青葉山、青葉城の政宗像の前で会おうという約束がされていたと言う。水戸はそれだけの情報で、その手紙を相手に渡さねばならなくなる。半信半疑で青葉山に向かった水戸は中尊寺と出逢えたのだが、その手紙のメッセージはたった二行の文。その謎解きに関わり水戸は中尊寺と行動を共にする羽目になっていく。
 情報化社会の極度の発展が監視社会を構築していた。中尊寺はジャマーを自作していて、彼の存在と行動は防犯カメラやセンサーに記録が残らないという。水戸は託された手紙を運搬し中尊寺に渡すという行為が原因となり、なぜか檜山を含む捜査員から追跡される対象の一人になっていく。
 中尊寺が水戸から手紙を受け取った時点で、中尊寺はニュース記事を検索した。そして、人工知能「ウェレカセリ」開発責任者寺島テラオが新東北新幹線の高架から落ちて死亡したという記事を見つける。あの乗客が人工知能の第一人者と言うべき研究者だったのだ。

 事故死したとされる寺島が中尊寺に送った手紙は「君の言う通りだった オッペルと象」という縦書きの二行の文だけ。寺島が中尊寺に託した願いが何なのか。ここから中尊寺の謎解きのための行動が監視網をかいくぐりながら始まって行く。水戸はそれに同行せざるをえなくなる。それは檜山らから追われる立場になることでもあった。
 中尊寺の謎解き行動のプロセスは、結果的に絵本『アイムマイマイ』の作家を登場させる。絵本作家せつみやこと会うことができた水戸は、せつみやこから海族と山族の話を聞くことになる。水戸の目が蒼いのは海族であり、檜山の耳が大きいのは彼が山族であることを示すと。絵本作家の家を訪ねたことで、謎解きを完遂するために中尊寺と水戸は東京へと導かれて行くことになる。その過程で絵本作家の息子・北山由衣人が中尊寺・水戸とコンタクトを取ってくる。北山は中尊寺と水戸に部分的に協力する関係となる。
 寺島の願いは、中尊寺の最後の決断と行動に委ねられていくことになる。檜山の存在を常に意識しながら巻き込まれていく水戸はどうなるのか。
 寺島が中尊寺に託した願いは何か。檜山と対立する水戸はどうなっていくのか。それがこのストーリーである。

 このストーリーは、人間が記憶を合理化する側面があるということと、人工知能「ウェレカセリ」の存在と情報化社会の近未来が内蔵する問題点を浮き彫りにすることという2つのテーマを海族と山族の対立というテーマの中に織り込んだものである。謎解きプロセスの行動が興味深い。近未来社会の状況想定がおもしろい。
 最後にこのストーリーのテーマに関係する文をいくつか抽出しご紹介しておこう。
*海側が勝つ歴史もあれば、山側が勝つ世界もある。どっちも両方あるんだよ。
 未来も過去もひとつではなく、全部一緒に存在しているんだよ。   p390-391
*もしかするとあれも、僕は都合の良いように、記憶を加工していたのではないか。
 自分が覚えていることを信じていれば大丈夫。  p392-393
*争いが起きないことには何も進まない、ってことを。  p395
*生き物は、遺伝子が生きながらえるための乗り物に過ぎないとは、昔から言われているだろ。それと同じように、僕は、対立を繰り返すための乗り物だったんだ。  p416
*自分の行動は、ウェレセカリの敷いたレールの上じゃねえかって。
 人工知能ってのは、人には理解できない一手を打ってくる。
 ただ、人の感情までは完璧にコントロールできねえんだよ。   p423
*境界線ができれば、対立が起こる。対立しはじめれば、後はどんなことでも対立する原因になる。絵本作家が言っていたように、対立するために対立していく。  p424
*対立する者同士でも、相手のことを知ろうとすることはできる。いや、相手のことを知ろうとすることは大事なことだ。対立していると、相手のことは歪んでしか見えなくなるらしいからな。  p427

 ご一読ありがとうございます。
「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ウナノハテノガタ』  大森兄弟  中央公論新社
『月人壮士 つきひとおとこ』  澤田瞳子  中央公論新社
『もののふの国』  天野純希  中央公論新社
『蒼色の大地』  薬丸 岳   中央公論新社
『コイコワレ』  乾ルカ    中央公論新社
『死にがいを求めて生きているの』  朝井リョウ  中央公論新社
『天使も怪物も眠る夜』  吉田篤弘  中央公論新社




『昆虫戯画 びっくり雑学事典』 丸山宗利 文・じゅえき太郎 漫画  大泉書店

2021-02-09 10:21:02 | レビュー
 表紙の「戯画」という言葉に目が止まり、即座に「鳥獣戯画」を連想した。勿論、手に取りペラペラと内容を覗いてみる。
 ほぼ全ページにカラーで昆虫の漫画が描き込まれている。その昆虫の姿態がおもしろく、昆虫の顔が人間の顔風にアレンジされた漫画である。昆虫が人間っぽく立ったり寝そべったりしているのが多い。まさに「鳥獣戯画」にリンクする「戯画」としての描き方であり、本文の説明とコラボする形でおもしろい描写になっている。全体の印象としては、やわらかタッチの戯画である。昆虫たちにしゃべらせているのもおもしろい。
 「人間とはいろいろちがうぜ!」「人間ってやわだね・・・・」 p22,23
 「フタ係~~! あけてー!」「はいよー! ちょいまちー!!」 p31
 「ここはオレにまかせて先に行け・・・」「まさかあいつ・・・! 自爆する気か!?」p36
 「なにかを得るためには なにかを失うのだよ・・・・」 p40
 「僕はもうだめだ・・・・・」「こいつウソだな・・・・」 p49
 「人間さん すみませーん おなかへりましたー」 p50
 「アワワワワ だれか!浮き輪かして下さーい!!」 p56
 「あそびにいこーぜ!」「オレ今卵の面倒みてるからパス!!」 p68
 「話しあおう!ハリは使いたくないんだ!!」「?」 p78
 「まあそんなおいしいもんではないかな・・・・」 p90
 「よし、下はぬげた あとは上だ フフフ・・・・」 p94-95
 「様々な糸を使いこなす これが一流の技!!」 p114-115
 「この家ともおわかれか・・・・・」 p122
 「た~まや~!」「あの・・・・見せもんじゃないんだけど・・・・」 p154
 「あの・・・・ よかったら・・・・ これ・・・・」 p160
こんな会話が戯画に添えられている。昆虫たちがしゃべっているのだ。勿論この会話は丸山の取り上げた昆虫の生態や行動などの特徴の説明に関連している。ここに抜き出した会話をしている昆虫を順番に列挙しておこう。昆虫の世界に無知な私には初めて見る名前が沢山あった。ほとんどと言ってもよいかもしれない。
 一番最初の会話は「昆虫ってどんな生き物?」という総論部分なので、複数の昆虫と人が描かれているのでスキップ! 会話の2行目からは個別の昆虫になる。つまり、
ヒラズオオアリ、バクダンオオアリ、カタゾウムシ、ヒメカマキリ、カイコ、アメンボ、コオイムシ、ミツバチ、アマガエル、オカダンゴムシ、クモ、アシダカグモ、ウラギンシジミ、ヤマトシリアゲ、である。

 表紙に「えっ!とおどろき、クスッと笑える」とキャッチフレーズが記されている。そのとおり、昆虫に関しての「びっくり雑学」を戯画とわかりやすい文で説明している。漢字にはすべてルビが振られているので、ひらがなが読めれば年齢を問わずに戯画を楽しみながら、おもしろく昆虫についてのびっくりネタ話を学ぶことができる。

 著者によると、全動物種の7割以上を昆虫が占め、確認されているだけでも約100万種。日本だけで約3万種が確認されているという。「実際に存在する種数は300万~500万種とも推定されています」(p18)とのこと。熱帯雨林地域をはじめ世界各地の自然環境の破壊により生きる場所をなくした昆虫の「絶滅」が進む一方で、毎年3000種ほどの新種が地球のどこかで発見されているそうだ。(p167)
 
 本書の構成をご紹介しておこう。おどろきとクスッとした笑いに結びつく章立てになっている。各行末尾の括弧内の数字は、該当章に取り上げられた昆虫の数をカウントして付記した。一昆虫を複数の項目で説明しているのもある。それは1とカウントしている。
 序 章 昆虫ってなに?
 第1章 人気虫・強い虫のトホホな一面  (24)
 第2章 そこらの虫のおどろきの一面   (18)
 第3章 嫌われ虫の意外な一面      (19)
 第4章 身近にいるのに知られざる虫   (23)

最後に、「おどろき」「びっくり」への誘いとして、昆虫紹介の見出し文をサンプリングしてご紹介しておこう。この本、あなたにとって楽しみながら昆虫ワールドに深入りするきっかけになる本かもしれない。

「トホホ」
*クロヤマアリは、奴隷にされたのに、やけに聞き分けが良い
*幼虫のときにたくさん食べないと、ちびカブトムシになる
*チョウは、見かけによらずオシッコが好き
*アリジゴクは、後にしか進まない
*朝のトカゲは、日向ぼっこしないと動けない

「おどろき」
*ゲンゴロウは空気ボンベをもっている
*カワトンボのオスは、産卵に付きそう妻想い?!
*カタツムリは、コンクリートも食べている
*カエルは、食事のときに目をつむる
*世の中には、まっ青なミミズも存在する

「意外」
*エサキモンキツノカメムシの背中には愛の印がある
*ナメクジはカタツムリの進化した姿?!
*子グモは、雲より高く飛ぶことができる
*サソリのオスは、交尾の前に紳士的にダンスする
*ムカデは、飲まず食わずで子育てする

「知られざる」
*タイワンシロアリは、農業する
*シロスジヒゲナガハナバチは、植物に咬みついて眠る
*シロオビアワフキの幼虫は、おしっこの泡にかくれる
*ゴマダラチョウの幼虫は、顔がウサギみたい
*光るミミズが存在する。その名もホタルミミズ

 どうです? ちょっと面白そう・・・・・でしょう。おもしろいですよ。
 48ページの戯画は、本書の裏表紙に使われている。「じつは、カマキリはゴキブリに近い仲間」なんだとか。カマキリとゴキブリが立って肩を組み、「あはははははは」「あはははははは」と笑っている戯画なんです。ゴキブリとカマキリが「かなり近い親戚」なんだってことを初めて知った次第。著者はここでのカマキリの説明の最後に次の一文を記している。
「見た目だけで人を判断してはいけないように、物事の本質はもっと深いところにあるものです」と。

 昆虫ワールドへ、気軽に近づき楽しめる本である。昆虫戯画の顔が実にイイ!

 ご一読ありがとうございます。
 
本書を読み、インターネットで昆虫ワールドにどの程度アクセスできるものか、少し検索してみた。「えっ!とおどろき、クスッと笑える」こととは距離があるかもしれないが、昆虫情報に触れるのには有益なサイトと思ったものを調べた範囲で一覧にしておきたい
ものすごい図鑑  NHK for School
進化する昆虫図鑑  岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)
昆虫エクスプローラ  ホームページ
なかまからさがす-昆虫  トップページ :「YAHOO!きっず」
スマホ撮影するだけで名前を自動判定「いきもの図鑑」が話題…国内約6万6000種の“コンプ”は可能?  :「FNNプライムオンライン」

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『古事記及び日本書紀の研究 建国の事情と万世一系の思想』 津田左右吉 毎日ワンズ 新書版 

2021-02-08 10:56:14 | レビュー
 津田左右吉という名前は日本史の授業等を介して知識としては知っていた。『古事記及び日本書紀の研究』が2018年に新書版で発行されていることを、最近の新聞広告で知った。この書はいずれ読んでみたいと思っていたので、広告を目にしたことが本書を開くきっかけになった。

 手許に時折参照する少し古い出版の学習参考書が幾冊かある。『新選 日本史図表』には、文化の欄に、”1940 津田左右吉「神代史の研究」発禁”の一行が載る(p191)。『詳説 日本史研究』には、「大衆文化の芽ばえ」の項に、”歴史学の分野では津田左右吉(1873~1961)が日本古代史の実証的研究を通じて、「記紀」の記述が史実ではなく皇室の支配の由来を示すための創作であることを説き、”(p419)と記述され、「戦時体制下の文化と国民生活」の項で、”早稲田大学教授津田左右吉の日本古代史の実証的研究(『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』)が、皇室の尊厳を傷つけるものとして著書が発禁となったりした事件(1940年)”と記述されている(p445)。また、一時期有名になった教科書本の家永三郎著『検定不合格 日本史』は、「人文科学の発達」という項で、「白鳥憲吉の東洋史学研究、津田左右吉の日本古典の批判的研究、柳田国男の日本民俗研究などは、この方面における最高の業績の一部である」(p242)と記述する。その上で、「思想界・文化界の右傾」の項で、”自由主義思想を排斥する声が高まり、美濃部達吉の憲法学説は天皇機関説であると言うので迫害され、津田左右吉の「神代史の研究」などの著書が不敬であるという理由で起訴された」(p267)と記述している。

 本書の冒頭に、南原繁元東大総長による「津田左右吉博士のこと」と題する一文が寄稿されている。この中に、上記諸本の説明から一歩踏み込み具体的な経緯が記されている。私はここまでの内容を初めて知った。
*昭和13年に津田博士には、著書『支那思想と日本』について、軍部や右翼の攻撃を受けるという事態が起きていた。
*昭和15年に『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の4冊が発禁となった。
*昭和16年11月~昭和17年1月 皇室の尊厳を冒涜するという罪名の下での公判、20回あまりの尋問が行われた。
*昭和17年5月 『古事記及日本書紀の研究』のみが有罪判決となる。禁個三カ月(執行猶予)。
*検事控訴がなされたが裁判所が受理する以前に時効となり、事件そのものが免訴となった。
この経緯の続きに、次の説明がある。
「博士の研究は、そもそも出版法などに触れるものではない。その研究方法は古典の本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場である。そして、研究の関心は日本の国民思想史にあった。」(p3)

 『古事記及日本書紀の研究』を通読し、冒頭に引用した「日本古代史の実証的研究」「日本古典の批判的研究」、また「本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場」という諸氏の説明がまさにその通りであると実感した。古典の実証的分析による合理的批判が綿密に行われているに過ぎない。「記紀」という古典に含まれる説話(物語)と歴史的事実を厳密に峻別し、歴史的事実の変遷をとらえる必要があるということが論じられている。至極、オーソドックスな研究者の立場であると思う。さらに、説話と判断し仕分けた内容そのものについては、なぜそれが取り上がられて記述されているのか、そこに込められた思想があるという側面の事実こそ研究する意義があるとしている。

 「総論」において著者は研究の立場を明確にしている。「記紀の批判は、第一に、記紀の本文そのものの研究によってせられねばならぬ。第二には、別の方面から得た確実な知識によってせられなければならぬ」(p49)という。第二の方法は、シナや朝鮮半島の文献に載る確実な歴史上の事実と認められる知識や明白な考古学上の知識などを関連付けて記紀の内容について実証的分析的批判を行うのである。本書はこれを詳細に論理的批判的に実践している。
 物語と史実を結びつけ融合させることは、世界各国の歴史でも同様に行われて来ている。そのことを踏まえ、本書を通読すると、軍部と右翼が主導権を握り動かした時代の方こそイデオロギーが先行し、それを基準に物事を当てはめて、一致しないものは排除するという行動を取ったのではないかという事実がよく見えてくる。研究内容が自分たちの考えに合わないから否定、排除するという行動である。
 本文を読む進めて行くにつれ著者の研究姿勢が良く分かってくる。「皇室の尊厳を傷つけるもの」「皇室の尊厳を冒涜する」という発想がなぜ結びついて行ったのか。そこにはイデオロギーとしての価値観が最初に前提としてあり、学問研究の立場から記紀を批判分析すること自体を排除しようとする思想が優先されたのだろうと理解するしかない。現時点で本書を読むことは、時代の歪みとその愚行に曝される事例となったという歴史的事実を改めて認識する一歩となるように思う。

 さらに、津田博士の記紀に対する論究プロセスを読む事によって、実証的研究、文献の分析的批判とはどういうものかというその有り様が体感できる。「はじめから一種の成心(*先入観)をもってそれに臨み、ある特殊の独断的臆見をもってそれを取り扱うようなことは、注意して避けなければならぬ」(p51)と論じている。そしてつづけて「記者の思想はそのことばその文字によって写されているのであるから、それをそのままに読まなければ、記事や物語の真の意義を知ることはできぬ」と断言されている。

 『古事記』の本文を主軸にしながら、記紀から関連する個所を博覧強記により引き出して対比し、ある記述個所についてそれが歴史的事実なのか、説話(物語)と捉えるべき事なのかを分析し批判していく。そこにさらに歴史的事実と認識できる文献の知識や考古学の知識など別の方面からの光りが当てられて、実証的に分析されていく。この考察プロセスにまさに圧倒されてしまう。記紀の内容を熟知している訳ではないので、著者の考察・論究の流れを追いつつ通読し学ぶというレベルにとどまった。しかし、その通読プロセスそのものが良い経験になった。津田博士の研究姿勢に学べた事柄、学ぶべきものが多々あるように感じている。

 記紀記載の内容を実証的に批判分析した結果、「総論」のまとめ部分で、「記紀の記載が、概していうと、ほぼ仲哀天皇と応神天皇との間あたりにおいて一界線を有することを示すものである」(p135)と論じている。その関連として、「応神天皇の朝に文字が伝えられ」という点と、「年代のほぼ推知し得られるのは応神天皇以後である、ということである」とし、「応神天皇の朝が四世紀の後半にあるということは、シナ及び百済の史跡の上から考察すると、何人も承認している如く、動かすべからざる事実であろう」(p135)と記している。仲哀天皇以前は、説話的な記述が主体になっているということであろう。

 津田博士は、是は是、非は非として明確に論じていく。その一例として本居宣長の思想についての記述をご紹介する。宣長は「当時世間を風靡していた儒者のシナ崇拝に対する反抗心から、一種の自国尊崇心を展開してきた上に一切のことは天皇の御心から出るべきものであると考える特殊な思想を抱いていたので、『古事記』をその眼でみたのであった。だから彼は彼自身の信念を古人と古代とに反映させて、そこに一つの幻影をつくり、それを錯り認めて歴史的事実だと思ったのである」(p127)と批判している。そして、国学者のつくり出した幻影に惑わされないように警告を発する。
 一方で、「宣長が『古事記』を尊重したのは卓見であり、その『古事記伝』が大いなる業績であり不朽の名著であることももちろんである」(p128)と肯定する。宣長の『古事記』に対する宣長の上記の思想は「僻説であって、そういう考え方では上表の解釈すら出来ないのである」(p128)と宣長の考え方を否定している。「宣長のように見なくとも『古事記』の価値は充分にあり、また宣長のこの考えは誤っていても、それがために『古事記伝』の価値が損せられるわけでは決してない。」(p128)と続ける。
 さらに、「『古事記』にも『日本書紀』にもそれぞれ特色があって、それぞれ異なった意味においてわれわれに役立つのである」(p128)と論じている。

 この新書版の『古事記及日本書紀の研究』は、「編集部において割愛したところがあります」ということである。どれだけのボリュームが割愛されたのか、現時点では知らない。ネットで調べると、同書そのものが単行本としても出版されているようだ。
 本書を初めて読む分には、本文中に括弧書きし*を付記して編集部による註釈が加えられている個所があり、本文で使われる語句の理解がわかりやすくなっている。「難解な表現を一部現代風に改め、ルビも施しました」という個所もある。それ故だろうか、読みやすさが加わっていて、現代の一般読者向けに配慮がなされていると思う。

 『古事記及日本書紀の研究』の構成は、次のとおりである。
   総論
   第一章 新羅に関する物語
   第二章 クマソ征討の物語
   第三章 東国及びエミシに関する物語
   第四章 皇子分封の物語
   第五章 崇神天皇、垂仁天皇二朝の物語
   第六章 神武天皇東遷の物語
   結論

 本書は、南原元東大総長の一文の次に、「建国の事情と万世一系の思想」(頁数で37ページ)という論文がまず収録されている。これは終戦後、岩波書店が昭和21年4月に発行した月刊誌『世界』第四号に掲載されたものという。
 この論文は、「一 上代における国家統一の情勢」「二 万世一系の皇室という観念の生じたまた発達した歴史的事情」の二部構成で論じられている。興味深い論文である。
 私が理解した範囲でその要点のいくつかをご紹介しておこう。
*日本の国家は「日本民族」と称し得られる一つの民族によって形づくられた。(冒頭の一文)
*ヤマト朝廷は諸小国の君主を相手にし、これらの君主を服属させる形で国家統一がなされた。直接に民衆を対象にして、武力で民衆を征討した国家統一ではない。
*日本という島国内では異民族との戦争がなかった。それが君主の地位を不安にすることはなかった。
*極めて希な例外を除き、天皇は政治上の責任のない地位、つまり「悪をなさざる」地位に居られた。皇室の精神的権威が維持しつづけられる状態が保たれた。日本国家の統治というしごとを皇室自ら行わないが、政治的統治者としての権威を保つという形がとられてきた。それが精神的権威を強化することにもなった。
*長い歴史の上において、政治の上で皇室と民衆が対立することは一度もなかった。
 故に国民の内部にあって、国民の意志を体現せられるという統治の関係性になる。
*現代、国家の政治は国民自らの責任によるという民主主義の政治思想が基盤にある。
 皇室は自ずから国民の内にあり、国民的結合の中心であり国民的精神の生きた象徴であるところに、皇室の存在意義がある。
 
 天皇が国家の政治のしごとに直接かかわらず精神的権威の地位にとどまり、それが維持されたが故に、民衆との直接的対立が生まれることもなく、万世一系という思想が続いてきたと論じられていると受けとめた。

 こちらの論文はインターネットでも閲読できることを後で調べていて知った。
 記紀という古典を読む上で、『古事記及日本書紀の研究』は記紀の形成とその構造を知るためにも一読の価値があると思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

 
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
津田左右吉  :「コトバンク」
建国の事情と万世一系の思想 津田左右吉  :「青空文庫」
歴史とは何か  津田左右吉  :「青空文庫」
津田左右吉の学問と姿勢-没後五十年津田左右吉展に際して- :「WASEDA ONLINE」
津田左右吉博士顕彰会と津田博士記念館 :「美濃加茂市民ミュージアム」
津田左右吉博士記念館 :「NAVITIME」
古事記  :ウィキペディア
稗田阿礼 :ウィキペディア
太安万侶 :ウィキペディア
日本書紀 :ウィキペディア
本居宣長  :ウィキペディア
本居宣長について  :「本居宣長記念館」
南原繁  :「コトバンク」
南原繁 (1889~1974) 近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」

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『清明 隠蔽捜査8』  今野 敏   新潮社

2021-02-07 15:43:53 | レビュー
 今野敏さんの作品群の中で、この隠蔽捜査シリーズが私は特に好きなものの一つである。キャリア警察官の竜崎伸也は警察官として原理原則に従うのが当然であるという信条のもとに行動する。著者は彼の行動とその姿勢を描き出す。このプロセスが私を惹きつける。
 「隠蔽捜査8」となっているが、『初陣』と『自覚』がそれぞれ3.5、5.5として刊行されているので実質的にはシリーズ第10弾である。奥書を見ると、「小説新潮」(2018年9月号~2019年8月号)に連載発表され、2020年1月に単行本化されている。

 この「隠蔽捜査8」で、竜崎はそれまでの警視庁大森警察署署長から神奈川県警察本部刑事部長に異動となる。竜崎にとってはいわばしごく当然のやりかたで神奈川県警察本部に向かい、警察本部長に着任の報告をするという行動をとる。その場面からストーリーが始まって行く。まずこの行動自体がそれまでの慣行からすれば異常な行動になっている。その一騒動を描写するところから始まるのだからおもしろい。この小さなハプニングの経過がまず読者を惹きつける。実にストーリーテラーとして手慣れたものだ。
 辞令を受け着任してきたという竜崎に対し、総務部の係員は怪訝な思いを抱き、総務課長は戸惑う。竜崎は早速彼等を慌てさせてしまう。神奈川県警の佐藤警察本部長を含めて「偉い人はそれらしく振る舞う」「格式ってのがあって」という発想がまず最初にあり、それが彼等の行動を律している。のっけから、竜崎は佐藤本部長に言う。「公務員の仕事においては、意味のないことだと思います。偉い人の顔色をうかがうよりも他に、やるべきことがたくさんあると思います」と。もう、ここでのやり取りから楽しく感じ始める。

 「清明」というタイトルにまず触れておこう。横浜中華街にある老舗「梅香楼」で竜崎は、滝口という警察官OBの仲介により、その店のオーナーであり中華街の要人の一人である呉博文と食事を共にしながら面談する。竜崎はその部屋のテーブルガラスの下の木材に文字が刻まれていることに気づく。呉はそれが杜朴の詩であり、七言絶句の漢詩だと語る。その最初の一行は「清明時節雨紛紛」である。p207にその四行の七言絶句が出てくる。
 このストーリーのタイトルはこの「清明」に由来する。そして、この言葉が神奈川県警の刑事部長として最初に臨んだ殺人事件の捜査本部において、竜崎の行動姿勢を表すことを象徴しているといえる。殺人事件の被疑者に対する竜崎の警察官としての姿勢がその言葉に重なるのである。竜崎の姿勢が「私がやった」という自白を引き出す動因になる。伊丹警視庁刑事部長の質問に対し、被疑者が言う。竜崎のことを「そちらの人は信用できると」。原理原則で行動し、警察官としての己の信条を貫こうとする竜崎の姿勢に被疑者は「清明」を感じ取ったのではないか。私はそんな読後印象を持った。

 このストーリーに触れておこう。竜崎の着任時点でマル暴と不動産絡みの殺人事件の捜査本部が立っていた。しかし、この事件、自供は時間の問題のところまで来ていた。竜崎の着任から山手署に立つこの事件の捜査本部に竜崎が顔を出すまでの経緯は、まあ神奈川県警の内部組織とそのメンバーを読者に知らしめ、速やかに馴染ませていくプロセスにもなっている。いわば、大森署と警視庁という警察組織でのストーリーに馴染んできた読者を神奈川県警とその組織にソフトランディングさせるステップと言える。

 警視庁の伊丹俊太郎刑事部長から竜崎に携帯電話で連絡が入ることから、このストーリーが実質的に始まって行く。沢谷戸自然公園で遺体が発見されたという。死体遺棄事件が発生したのだ。この自然公園は東京都町田市にある。しかしその一帯は、神奈川県の川崎市と横浜市との間で境界線が複雑に入り組んでいる地域だった。そこで、伊丹は神奈川県警に手伝ってもらい合同捜査本部を立てて事件を捜査したいというのだ。
 ここで伊丹が竜崎に「こちらが主導。それでいいんだな?」という問いかける。竜崎は発見現場は都内だからそれでいいと即答する。だが、伊丹は竜崎に本部長の確認をとれと言う。そんなやり取りから始まる。警視庁と神奈川県警の日常関係が新たに竜崎の背景に被さってくるという暗示でもある・・・・。読者にとってはおもしろくなりそうという予感が生まれるだろう。

 事件に関わる要点を少し箇条書きでご紹介しておこう。
*東京都の町田署に警視庁と神奈川県警の合同捜査本部が立つ。
*伊丹と竜崎が合同捜査本部のトップとして本部に詰める。二人の立場が異なることに。
*警視庁主導の事案という竜崎の発想に正面から異議を言う阿久津参事官が登場する。
 警視庁と神奈川県警との力関係、常にパワーバランスを考える必要があると主張する。
 刑事部組織内の阿久津参事官が竜崎にとり、どういう存在になっていくのか・・・・。
*警視庁は、田端課長、岩井管理官が担当し、捜査に20人から30人が加わることに。
*県警からは、板橋捜査一課長を筆頭に10名ほどが合同捜査本部に加わることになる。
 板橋課長はかつて竜崎と合同捜査の経験があり、竜崎に好意を寄せている警察官である。
*被害者は男性。年齢は30代後半から40代。やせて日に焼けている。
 死因は頸椎の損傷。検視官の見立ては他殺。頸部を急速に捻られた結果だと言う、
 
 この捜査過程にはいくつかの要因が絡んでいく。阿久津参事官の発言を契機に、神奈川県警に着任したばかりの竜崎が、警視庁と神奈川県警との関係を意識せざるをえなくなること。その渦中で如何に竜崎流を行動に移していくかが、読者にとっては竜崎の思いに関心を抱くことになる。
 被害者の下着の特徴から、被害者が外国人の可能性が浮上してくる。神奈川県では外国人同士の事件も日常的に発生する。中国人が関わるなら事件捜査過程で華僑の壁という障害もあるという。勿論、東京都でも外国人絡みの事件は増加傾向にある。
 解剖の結果、被害者の死因が確定する一方、耳寄りな参考情報が報告される。被害者はセレン欠乏症の疑いがあるという。中国の黒竜江省や江蘇省でよく見られる症状だという。日本人ではほとんど報告例がないという。被害者は中国人という可能性が大となる。
 神奈川県側での捜査を拡大する必要性が高まっていく。

 このストーリーに、サブストーリーが織り交ぜられていく。それは竜崎の妻・冴子に絡んでいる。東京から横浜の官舎に転居。そこは他の県警幹部も住むマンションになるが、まわりは坂道だらけで、近所にスーパーもないという立地。冴子はペーパードライバーだったので、自動車教習所で運転の練習をすることから始めて、生活環境に対応するという。だが、その教習所に通い始めて、教習所内で軽度な事故を起こした。着任間なしの竜崎に、警察絡みの事故処理問題が発生したのだ。冴子は南署で事情を聴取されているという。竜崎は南署に行く羽目になる。原理原則で考える竜崎には、その事故処理になぜ時間がかかるのかわからない。読者にとっては、脇道でのおもしろさが加わることになる。
 教習所側が物損に対する補償を要求しているという。その教習所の所長が警察官OBの滝口だった。竜崎は滝口との間で一悶着のやり取りをする。だが、竜崎は後にその滝口の力を捜査に活用するという方策に出た。竜崎らしさの発揮が功を奏してしていく。
 このサブストーリーの展開は、メインストーリーとの絡みでなかなかおもしろい役割を果たすことになっていく。竜崎の人を見る目が活きていくのだから。そして、板橋課長に次いで、竜崎は警察官OBの滝口を結果的に竜崎のシンパにすることに・・・・・。

 元弁護士の経歴を持ち、今は横浜で手配師をしているという山東が、情報提供者として竜崎の前に現れてくる。山東の情報は事件の捜査とその解決に大きく寄与していく。竜崎との会話で「あなたのような方が警察幹部にいらっしゃるのが、奇跡のような気がします」と著者は山東に語らせている。

 被疑者をどのように扱うか。それが今回のストーリーの重要な落とし所になっている。それは日本国内における殺人事件をどのように扱うかの根本問題に関わることでもある。ここがこのストーリーの最後の読ませどころとなる。

 隠蔽捜査シリーズは、ここからまた一つ新たなステージに転換した。神奈川県警を舞台に刑事部長となった竜崎がどういう状況に今後投げ込まれていくか・・・・・楽しみが増えたといえる。隠蔽捜査9を心待ちしたい。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『オフマイク』  集英社
『黙示 Apocalypse』 双葉社
『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18

『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 監修:NHK「ブラタモリ」制作班 角川書店

2021-02-04 10:51:23 | レビュー
 本シリーズの第3弾に、近畿の奈良が入っているのでこれを続きに読む事にした。本書には2015年5月30日から7月18日までの放送番組のエッセンスがまとめられている。
 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書だと桑子真帆さんのトーク
である。

 函館では夜景と五稜郭を連想し、仙台では伊達正宗、「杜の都」という言葉とさとう宗幸の「青葉城恋歌」を私は連想した。だが川越からは連想が浮かばなかった。この本に取り上げられた地域の放送番組を視聴していない。それ故私はこの3地域については未訪の地として、活字と写真を通じて、楽しみながら学ぶことになった。川越は特にゼロ・ベースでの新情報であり、この地に興味が湧いてきた。関西からは手軽に行けないのが残念!

 順番に本書の各地域について学んだ事項を覚書として要約し、若干の読後印象も付記する形でご紹介しよう。本書並びにオリジナルの番組の関心への誘いになれば幸いである。

<函館> 
テーマ1 「レールはどう函館を目指す?」
 青森駅から函館を目指すと言う形で、本州と北海道がどのように繋がってきたかが明らかにされていて興味深い。青函トンネルから初めて青函連絡船に溯っていく展開になっている。トンネルも船も知らなかったことばかり・・・・おもしろい。
*青函トンネルは勿論海底トンネル。トンネルの入口から出口までの延長は約53.9km。
 1964年に着工し約22年に及ぶ難工事を経て1985(昭和60)年に貫通。開業は1988年。
 世界一長く、深い場所を通る。津軽海峡の海底まで140m、さらに100m下にトンネルの最低点がある。青函トンネル内のレールには継ぎ目がない。レールが溶接でつながれ実質1本になっているという。
*2016(平成28)年3月、北海道新幹線が開業。青函トンネルは最初から新幹線開通を想定した大きさで工事が行われたという。
*トンネル入口で警笛を響かせる(始まりの咆哮)。これはトンネル内の作業員へ知らせるため。その後は52.6kmの静寂と、最低点からの叫び(列車が最低点から上がるときのモーター音) ⇒この3つの声が鉄道ファンの楽しみという。
*北海道新幹線のレールへの積雪はエアジェットで雪を吹き飛ばす。新幹線で初の試み。
*新幹線開業後、木古内駅-五稜郭駅間は第三セクターの道南いさりび鉄道が運営。
*かつては、函館駅の先に旧函館桟橋までレールが繋がっていた。連絡船との接続。
*国鉄青函連絡船は1908(明治41)年3月から1988(昭和63)年3月まで80年間運航。
 青森-函館間を3時間50分で35万往復したという。
*連絡船は今は記念館となっている。函館市連絡船記念館摩周丸。船底は4線のレールが敷かれた車両甲板。一編成の貨物列車を4分割してそのまま積み込む方式。

テーマ2「函館の夜景はなぜ美しい?」
*函館は海岸段丘の地形で、坂道は海食崖。函館山はかつて要塞建設の際に山頂や尾根が削られた。その結果、海や山が一望できる景観となった。負の遺産から正の遺産に。
*函館は明治から昭和初期に太火が頻発。特に昭和9年の大火は大参事に。
 函館の坂道は道幅広く、直線的なものに改善。豪商相馬哲平が多額の寄付で貢献した。
坂道の直線化が夜景を美しく見せる。
*火山噴火が函館山を作り、山と陸地を砂州がつなぎ陸繋島となる。
 砂州がくびれを形成。夜景を美しくみせる一因に。
*函館山が溶岩の隆起というのは、南東側の立待岬でみられる柱状節理でわかる。

<川越> 「なぜ川越は小江戸と呼ばれる?」
*埼玉県川越市は東京からおよそ30km北東方向にある。
*商都川越と江戸は約300年間、新河岸川の舟運による物資運搬で密接に繋がっていた。
*かつての新河岸川は「九十九曲がり」と称され、人為的な蛇行で水嵩を増す工夫をした。
*「川越五河岸」が栄えた。下新河岸の旭橋付近に船問屋が軒を連ねた。
 下船問屋「伊勢安」が1軒だけ現存する。
 また、地元の人により「ひらた舟」が再現されている。
*寛永15(1638)年の大火で喜多院が焼失し、将軍家光の別殿が移築され、客殿となった。
 当時の住職は天海大僧正。喜多院は川越を代表する名刹。仙波東照宮がある。
*明治26(1893)年の川越大火でまちの3分の1を焼失した。
類焼を免れたうちの1軒が寛政4(1792)年に建てられた土蔵造りの店舗兼住居(大沢家住宅・重文)だった。
 東京から江戸職人(大工や左官など)を呼び、明治期の東京・京橋の町並みを写し、蔵造りの町並みが形成された。「江戸黒」と呼ばれる町並み。 ⇒「小江戸」と呼ばれる由来
*川崎の大火の後、「時の鐘」も再建された。元は川越城主・酒井忠勝の創建。
 鐘つき堂の高さは16m。現在は通常1日4回自動で鐘撞きが行われているとのこと。

<奈良> 
テーマ1「奈良発展の秘密は”段差”にあり!?」
*奈良の地名の由来には、人が踏みならした、平らな土地だったという説もある。
*平城宮跡はまっ平ら。しかし、平城京に付け加えられた「外京」は高所にある。
 そこには東大寺・興福寺があり、現在の奈良の町の中心地である。
 ここは奈良盆地東縁断層帯上の高台になる。
*「外京」は近鉄奈良駅を境に東側が高い台地になる。
 興福寺境内地の崖の西側に東向商店街(登大路から三条通りまでの南北の区間)がある。興福寺に敬意を表し、戦国時代までは商店が東向きに建てられていたという。この名の由来は知らなかった。
*平城京遷都の中心人物は藤原不比等。藤原氏の氏寺である興福寺を高台に建てた。
 その理由は寺の権威を表すためといわれる。かつては北円堂から平城京を一望できた。
*現「ならまち」は、元興寺の衰退によりその境内地に興福寺関係者や商人が集まり、商業地となった地域。元興寺の一部がその町の中に残った。⇒直線でない通りができた理由。
 現在の「奈良町物語館」の建物内には、かつての元興寺金堂の礎石が床下に残る。
*春日大社の第一殿~第四殿は横並びになっているが、土台には微妙な段差がある。
 「御蓋山が神体山だから人の手を加えてはいけないという思想」で傾斜地のまま整地せずに本殿が建てられた。
*興福寺とならまちを結ぶ動線の交点は、率川(いきがわ)に架かっていた橋、絵屋橋跡地付近。つまり谷底のような地形。かつては高台の聖地に対し、谷底の俗社会という関係・位置づけだった。
 明治期に元林院町には花街があり、隣接する南市町は周縁的遊興地だった。

テーマ2 「観光地・奈良はどう守られた?」
*「奈良のシカ」は春日大社の神(武甕槌命)の使い。現在約1200頭が居て、国の天然記念物に指定されている。
*創建当時の大仏殿は現大仏殿(高さ約48m、間口約57m)の約1.5倍の規模だった。
*戦国時代から江戸中期までの約140年間大仏殿はなく、大仏は野ざらし状態だった。
 大仏殿の再建は寄付を募って賄われた。大仏殿再建を支援したのは徳川綱吉。
 大仏には奈良・鎌倉・戦国・江戸各時代の修復の痕跡が残る。首から上は江戸時代の修復による。細部をみれば各時代のツギハギだらけ。
*奈良県生駒市にある長福寺の修復作業の見学を文化財保護事業の一事例に
  ⇒時代の材料が混在。残すことが修復の基本。プラス新技術導入事例を兼ねる。
   文化財建造物の修理周期は、解体修理で200~300年、屋根の葺き替えは100年。
   補強する判断は文化財の価値を損なわないかとのせめぎ合いだという。

<仙台>
テーマ1「伊達政宗は『地形マニア』!?」
*仙台は3つの河岸段丘(下町段丘・中町段丘・上町段丘)の上にできた城下町だった。 城下町は北西が高く、南東に向かってゆるやかに傾斜している。
*平野部は過去何度となく洪水や津波等の災害に襲われた平野だと知っていたようだ。
*伊達政宗は広瀬川の上流から4つの谷を越える「四ツ谷用水」(総延長40km以上)を造り、城下を潤した。谷を越えるのに松の板材製箱樋<幅5尺(1.5m)×高さ5尺>を使用した。上町段丘と中町段丘の「へり部分」に用水を通した。
*四ツ谷用水(本流)は梅田川と合流する一番低いエリアでは排水の役割も担っていた。
*大崎八幡宮の太鼓橋の下をかつては四ツ谷用水が流れていた。今は暗渠で痕跡のみ。
*仙台では町人のまちは「町」、武士のまちは「丁」と使い分けした。用水はその境を流れた。四ツ谷用水は城下の地下に水をためることにもなり、井戸の恩恵をもたらした。
*現在仙台市博物館のある三の丸の裏手から本丸に上がる道が築城初期の登場路と推定。
*仙台城の三方は自然の要害で、北側のみに石垣が造られた(本丸北壁石垣)。

テーマ2「杜の都・仙台の秘密とは?」
*杜の都・仙台のシンボルは定禅寺通となっている。だがそのケヤキの植樹は戦後のこと。
*杜の都と称えられたのは江戸時代からである。現在裁判所がある片平丁あたりの武家屋敷の屋敷林がルーツ。政宗があくまでも実質本位の植樹政策で、食材として実のなる樹木、燃料や建材となる杉や松を植えさせた結果である。
*仙台城の城下町は整然とした碁盤の目状の区割りだが、JR仙台駅東側には角度が少しずれた町割りがある。それは政宗が第2の城「若林城」を造り、いわば副都心が形成された結果である。だが、己の死後、廃城にするよう厳命した。藩の行く末を案じ、一国一城令への気配りをしたと言える。若林城跡は現在宮城刑務所になっている。
*政宗が若林城を築城した真意は不詳のまま。仙台城の本丸は山城で住むのには不便。
 二代忠宗はやや低地の山麓部に二の丸を造り、ここで政務をとったという。
 その跡地が東北大学のキャンパスになっている。
*仙台には五大祭りがあることを本書で初めて知った。
  「仙台・青葉まつり」「仙台七夕まつり」
「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」
「みちのくYOSAKOIまつり」「SENDAI光のページェント」。

 いつか、未訪地に、ぶらっと旅をしてみたいな・・・・と思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書の関連で、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
青函トンネル  :「JRTT 鉄道・運輸機構」
青函トンネルの構造  :「JR北海道 北海道旅客鉄道株式会社」
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 青森市港湾文化交流施設 ホームページ
函館市青函連絡船記念館 摩周丸 ホームページ
夜景  :「函館市公式観光情報」
旧相馬家住宅 ホームページ
相馬哲平 :「函館市文化・スポーツ振興財団」
川越散策に行こう! ホームページ(甘味処 川越 あかりや)
「川越」に関するまとめ記事  :「RETRIP」
川越大師 喜多院 ホームページ
華厳宗大本山 東大寺 ホームページ
法相宗大本山 興福寺 ホームページ
真言律宗 元興寺 ホームページ
ならまち 情報サイト
仙台城跡―伊達政宗が築いた仙台城―  :「仙台市」
「仙台城(青葉城)」伊達政宗が築いた最後の砦!仙台のお城巡り⑥:「GOGO MIYAGI」
四ツ谷用水再発見事業  :「仙台市」
「四ツ谷用水」と河岸段丘を巡る仙台地形散歩=散策コース地図付き=:「むらごんの思い込みWeblog」
四ツ谷用水をめぐるアレコレ。 :「仙台市環境Webサイトたまきさん」
若林城とは  :「仙台市」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店



『まんが訳 酒呑童子絵巻』 大塚英志監修/山本忠宏編  ちくま新書

2021-02-02 17:55:24 | レビュー
 『酒呑童子絵巻』の部分図を写真や書籍で見たことがある。だが、絵巻全体を見たことがない。新書の表紙にまずこの名称を読み関心を引きつけられた。さらにその右肩を見ると「まんが訳」となっている。第一印象は、「何これ?」である。
 勿論、すぐに本を開いてペラペラと眺めて見た。各ページはまんがのコマ割り形式になっていて、四角あるいは楕円形の吹き出しがところどころにある。コマに描かれた絵自体は古そう・・・・。ああ、そうか。絵巻に描かれた絵を素材にして、「まんが」の形式に変換して、いわば絵巻形式を漫画形式にいわば翻訳するという試みなのか・・・・。これはおもしろそう、というわけで読んでみた。

 読後の感想は第一印象の「おもしろそう」を裏切らなかった。コマ割り形式のストーリーまんがに親しんでいる世代には、抵抗感なくかつての「絵巻物」として描かれた内容全体を手軽に知り楽しめること間違いなしである。古典の絵巻物世界にソフトランディングするのに役立つことだろう。

 今や絵巻物の実物は博物館や美術館での展示において、その絵巻の一部を鑑賞できるのがせいぜいで、絵巻全体を見るというのは特別展や特別企画以外ではなかなか機会がない。仮に絵巻全体が見られる場合でも、絵巻が横長に広げられた状態で見ることになる。絵に添えられた詞書は大概行書体・草書体のようで、残念ながら(少なくとも私には・・・・)判読できない。要所に解説文が添付され展示されている場合があるが、全体の理解には及ばない。まあ絵の表す意味をスポット的に一歩踏み込んで理解するのには役立つが。もう一点、絵巻は本来、絵巻物を左手で開けてつつ、右手で巻き取りながら、右から左に、詞書を読み直近に描かれた絵を眺めつつ時系列的に読み進めていくものだそうだ。博物館や美術館での展示品ではそんな楽しみ方は勿論できない。
 一方で、絵巻物のデジタル画像化が進み、各所で画像として鑑賞することが手軽にできるようになってきたという喜ばしい側面もある。画像はみられても解説面でのサポートは少ないように思う。
 そういう点でも、まんがのコマ割り形式の中にある吹き出しに、物語の内容が簡潔な説明文や会話文に翻案されて挿入されている。内容の理解という点では通常のまんがの吹き出しとほぼ同様である。
 この「まんが訳」では、絵巻の詞書をまず久留島元さんが語りの性質を損なわないように現代語訳されたという。さらに漫画のコマ割りの中に、「第三者による語りの形式」を使いながら、絵との対応関係を考慮し、文字量の削減や簡略化が加えられたそうだ。だが、この吹き出しの言葉と絵とを総合していけば、絵巻のストーリーが十分に理解できる。つまり、絵巻をまんがの形で楽しめて、かつ、古典として現存する絵巻の絵そのものの世界に即座にリンクして行くところに大きな特徴がある。絵巻の絵そのものを鑑賞できることにもなる。

 本書のタイトルは『酒呑童子絵巻』だが、本書には国際日本文化研究センター所蔵の絵巻3巻のまんが訳が収録されている。つまり、絵巻は『酒天童子繪巻』『道成寺縁起』『土蜘蛛草子』である。
 私は大江山の酒呑童子という形で「酒呑童子」の名称に親しんできたが、本書で、酒天童子、酒顚童子とも書かれるということを知った。その語源はわからないという。酒呑童子が伊吹山にも棲んでいたという設定の物語もあり、こちらは伊吹山系酒呑童子と呼ばれるとか。本書の『酒天童子繪巻』は、伊吹山系酒呑童子であり、伊吹山千丈ヶ岳に棲む鬼退治物語である。本書末尾に久留島元著「絵巻文化の成立と発展」という一文が収録されていて、読者には絵巻文化についての導入編として役に立つ。
 『道成寺縁起』は、上・中巻が「鐘巻由来」で、下巻が「髪長姫物語」というセットになっている。「鐘由来」では、約束を破った安珍を怒り狂う清姫が蛇の姿と成って追う。安珍が逃げ込んだ道成寺の鐘を蛇が取り巻き、炎を吐き焼き殺す。蛇と化した二人は、法華経法事の功徳で成仏するというストーリー。「髪長姫物語」は、道成寺の創建に関わる由来物語である。私はこちらの話を本書で初めて知った。道成寺は文武天皇の勅願寺である。
 国際日本文化研究センター所蔵の絵巻のタイトル『土蜘蛛草子』の蜘蛛という語句は漢字変換できない文字で記されている。ここに記した蜘蛛ではない。本書を開いてご確認いただきたい。絵巻本来のタイトル文字も私は初めて見る漢字だった。上記の『酒天童子繪巻』は、藤原保昌、源頼光と四天王(渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・平手武)が活躍する話であるが、この『土蜘蛛草子』では、源頼光と渡辺綱が大きな蜘蛛の怪物を退治する。

 もう一点、重要なことに触れておこう。このまんが訳を読み始めてすぐに気づくことである。絵巻の絵自体が使われているというのは最初に触れた。その絵がコマ割りという形で様々に分割されてまんがとして流れを生み出して行く。絵巻の一つの絵のほぼ全体が載っているコマと、その絵の一部分図が巧妙に配置され、一人物をクローズアップする効果を出したり、しぐさや動きの表現に転じたりする。同じ絵が幾度か繰り返し使われている。同じ絵と思いつつ、自然とまんがの流れに沿って眺め、読み進めていけるところがおもしろい。
 この点、本来の漫画、類似でいえば劇画漫画のコマ割りによる描写とは大きく異なる。劇画漫画にはたぶん全く同じ描写のコマというのはあまりないだろう。絵巻の絵は場面が限定的で数が少ない。その限られた絵でまんが形式の動きを示す流れに変換するのだから当然と言えば当然の結果である。そこをごく自然な感じに見せるように転換する。「つまり、『同じ絵を使用しながら複数の行為を示さなければならない』という制限があるということだ」(p203)と記されている。読者はそこに工夫を見るおもしろさが加わってくる。ああ、絵のこの個所がこんな風に・・・・なるほど、と。
 本書末尾の2つめの文、編者の山本忠宏著「物語もつくらず絵も描かないまんが制作」に絵巻をまんが訳にシステム変換するしかけの種明かしが説明されている。実に興味深い。「その形式が属する時間や空間の認識/表現と形式を支えるシステムが異なる」(p202)のを承知の上で、まんが訳が行われた。その成果が本書である。
 まず、素直にこのまんが訳を読んでみる。そしてこの一文で種明かしを読む。その上で、再度まんが訳のコマ形式の構造・構成を意識して眺めてみると楽しみが増えることだろう。それがまた、博物館や美術館で展示された絵巻の絵の見方、細部にもこだわって鑑賞するという見方に一歩踏み込むトリガーとなるのではないか。絵巻というシステムの楽しみ方を深めることにもなる気がした。

 本書末尾の最後、3つめの文は監修者の大塚英志著「まんが・アニメの起源はなぜ、絵巻物ではないのか」である。まんが起源論に一石を投じている一文だ。著者の持論が展開されていて興味深い。著者はまんがやアニメーションの起源が中世の絵巻物にあるという説を俗説として否定している。
 まんがの起源と理論的背景に興味を持つ人には一読の価値があると思う。
 この一文の締め括りの文を最後にご紹介しておこう。
 「最後に、本書のような試みは誰にもできるわけではないことは記しておきたい。これは、まんがの表現法を正しく身につけることによって初めて可能なのである」(p222)。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
絵巻物データベース トップページ :「国際日本文化研究センター」
  一覧から絵巻を閲覧することができます。

酒呑童子  :ウィキペディア
酒典童子絵巻(しゅてんどうじえまき) :「京都国立博物館」
酒伝童子絵巻  :「サントリー博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)
酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり  :「根津美術館」
鬼を追いかけて[福知山]編  :「森の京都」
大江山 曲目解説  :「銕仙会 ~能と狂言~」
謡蹟めぐり 大江山 :「謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド」
道成寺 ホームページ
   「安珍と清姫の物語」「かみなが姫の物語」のページがあります。
京鹿子娘道成寺  歌舞伎演目案内  :「Kabuki」
【娘道成寺】「道成寺」聖なる伝説、俗なる伝説をめぐって  :「木ノ下歌舞伎」
紙本著色土蜘蛛草紙   :「文化遺産オンライン」
土蜘蛛草紙絵巻 :「東京国立博物館 画像検索」
土蜘蛛草紙 目次  :「書肆・翻訳 七里のブーツ」
土蜘蛛  能演目事典 :「the能.com」

まんが訳 酒呑童子繪巻  :「Comic Walker]

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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