遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『暁天の星』   葉室 麟   PHP

2020-02-29 17:23:08 | レビュー
 2017年12月23日に著者は逝去した。「11月の初旬に病状が悪化し原稿を書くことができなくなるまで、何十冊もの資料を病室に持ち込み執筆を続けていました」(p265)と言う。先日未完に終わった『星と龍』についての読後印象をご紹介した。一方、本書は、月刊文庫『文蔵』(PHP刊)2017年7月号~12月号に連載された小説である。惜しくもこの小説もまた未完のままとなった。
 『星と龍』の読後印象記をご紹介した続きに、『曙光を旅する』という紀行文を中核にした書の読後印象記もご紹介している。『曙光を旅する』のご紹介の中で、
”著者は執筆活動を通じて、「日本の近代化とは何だったか」という問いに突き当たるという。そこに歴史小説作家としての問題意識があったようだ。また、「来年(付記:2018)は明治維新から150年。『日本の近代化とは何だったのか』と総括する時期に来ている。」(p205)とも記している。もし、葉室麟が健在だったなら、この『曙光を旅する』で著者が紀行文に記した人々を介して描き出される歴史小説を次々と発表し続けているのではないかと思う。”
という文を書いていた。この『暁天の星』は、まさに著者が「日本の近代化とは何だったのか」という問題意識の一端を取り扱う魁けとなる一冊だった。それが未完に終わったことになる。
 
 『暁天の星』の主人公は陸奥宗光である。陸奥宗光は1892年8月に成立した第2次伊藤博文内閣になって外相に起用され、条約改正を本格的に軌道に乗せていく。この陸奥宗光に焦点をあてながら、幕末に徳川幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約を、平等な条約に改めようと奮闘する一群の人々が存在したことを描いて行く。日本を世界に向かって欧米諸国と対等の近代国家であることを認知させていくためには条約改正が必須の課題だった。 この小説は、「明治18年(1885)夏--陸奥宗光はオーストリアのウィーンで法学者、トーレンツ・フォン・シュタインの個人教授を受けていた。陸奥は42歳の男盛り、シュタインはsudeni69歳の高齢だった。・・・・・」という書き出される。このとき伊藤博文の勧めでシュタインの授業を受けたという。陸奥がシュタインとの会話の中で、通訳を介して己の略歴を語るという場面から始まるので、読者にとっては陸奥宗光のプロフィールがまず大凡理解できて、人物像の基盤ができることになる。
 歴史の教科書で、陸奥宗光が外相として活躍したことは知ってはいたが、その名前と業績の一端くらいしか知識がなかった。この小説を読み始めて初めて陸奥宗光という人物が少しイメージできるようになった。紀州藩士伊達宗広の第六子として生まれた。名は小次郎だったとか。脱藩志士の仲間入りをし尊攘志士となった。坂本龍馬に誘われて、神戸村で勝海舟が開いた海軍塾に入ったのち、坂本龍馬の海援隊に所属した。明治になって新政府に出仕するが、明治6年(1873)に征韓論で政府が分裂し西郷が下野すると、翌年陸奥は「日本人」という論文を草し、辞任した。「今や薩長の人に非(あ)らざれば、殆ど人間に非らざる者の如し。豈(あに)嘆息すべきの事に非ずや」(p79)というフレースが陸奥のこの意見書「日本人」に由来することを知った次第。明治10年(1877)に西南戦争が起こる。この時土佐立志社の大江卓らの政府転覆計画に連座したとされ陸奥は国事犯として5年の禁獄に処せられたという。私にとっては知らなかった事柄ばかりである。
 このストーリーの第一ステージでは、陸奥宗光がどういうバックグラウンドを持つ人物かというプロセスが具体的に描かれて行く。伊達小次郎が陸奥宗光と名乗るようになったエピソードも描き込まれていて興味深い。
 
 陸奥は1年9カ月に及ぶヨーロッパ遊学を終え、明治19年(1886)2月に帰国する。伊藤に勧められて再び官途につき、外務省に入る。不平等条約の改正という戦いの場に身を投げ入れるという選択をする。
 明治16年(1883)11月28日に鹿鳴館の開会式が行われている。伊藤が井上馨とともに、鹿鳴館外交を始めていたのだ。それは外国人に日本が対等な条約を結ぶにふさわしい国だと印象づける手段だったと著者は語る。条約改正への一手段だと。外務省入りした陸奥は、鹿鳴館での交際の中に、妻の亮子とともに足を踏み入れていく。亮子はその美貌から一躍「鹿鳴館の華」と称されるようになり、陸奥を手助けする。陸奥にとっては鹿鳴館もまた形を変えた条約改正への戦いの場という認識だった。
 第二ステージはこの鹿鳴館時代である。当時の鹿鳴館で何が行われていたのかが具体的に描写されていく。閣僚の夫人たちの行動が描き出されていておもしろい。陸奥の妻亮子も夫の手助けとして花形の一人になっていく。そこに、首相官邸での仮面舞踏会での椿事が描き加えられる。表面的には醜聞に見える話には、実は裏があったという展開も嘘か真か・・・・。政治の世界の思惑が描き込まれている。
 
 明治21年(1888)6月、陸奥は特命全権公使としてアメリカ、ワシントンに赴任していく。アメリカとの間の不平等条約の改正交渉を成し遂げることが目的である。このアメリカ赴任が第三ステージとなる。この時期に、著者は陸奥がアメリカ在住の馬場辰猪に面談を求められて対話した内容にハイライトを当てて行く。それは条約改正への基盤づくりの方向性に対して、陸奥の考えに大きく影響を及ぼしていくものとして描き込まれている。馬場辰猪は実在した人である。二人の対話がすべて事実ベースなのか、そこにフィクションが加えられているか・・・定かではないが、重要な決断に結びつく部分である。War of Independence がキーワードとなっている。
 メキシコ公使のマティアス・ロメロに陸奥が引き合わされるという場面も、日本・メキシコ間の条約締結前の裏話として織り込まれていく。
 著者はこの時期の陸奥の決断として重要な思いを書き込んで行く。「国際社会で平等の地位を得ようとすれば、非常の手段もやむをえないのではないか。龍馬が抱いた夢は夢として、自分は地に足がついた生き方をしなければならないだろう。それは、血にまみれ、泥にまみれた生き方になるかもしれない。」(p152)この決断を引き出すに至るプロセスが、一つの読ませどころと言えるのかもしれない。

 第4ステージがこの後に続く。明治26年(1893)以降にイギリスとの条約改正交渉に踏み込む。後に陸奥外交と称される交渉の始まりである。この交渉は日本にとって日清戦争と表裏一体の関係を持つものとなっていく。明治26年12月に、青木周蔵駐英公使がイギリスのロンドンに着任し、本格的な交渉が始まる。一方、明治27年(1894)春、朝鮮南部の全羅道で東学党の乱が起こり、朝鮮政府は清国に援軍を要請したことを契機に、日本は6月朝鮮への出兵を決定。7月25日朝鮮豊島沖での日清の砲撃戦が始まる。日清戦争の経緯が描かれていく。7月17日の明け方に、イギリスとの条約改正の調印が終わったという電信が陸奥に届く。この戦争ではイギリスが講和斡旋に動く。そして、明治28年3月下旬から、下関での講和会議が始まる。この講和交渉に陸奥が臨む。交渉と言う場での陸奥の新たな戦いが始まりとなる。この小説はここで未完となった。

 陸奥の生涯は事実情報を入手することはできるが、著者はこの後陸奥宗光をどのように描こうとしたのか。想像するしかない。
 著者は未完の最後のところに、印象深い文章を記している。引用する。
”「わしらはこれから国民の大きな欲望を抱えて奔ることになるぞ」と嘯いた。
 陸奥は伊藤の言葉を聞いて眉をひそめた。あるいは、この国の政治家は常に何かに迎合しようとするかもしれない。”という思いを抱く。そして、
「自分は暁に輝く明けの明星として、国家の行く末を照らさねばならない」(p200)
 暁天の星という本書のタイトルはこの思いと照応している。

 連載の第6回で擱筆された未完の小説ではある。だが、己の生き様を条約改正を始め外交という場での戦いに方向づけた陸奥宗光の生涯における最初の一区切りまでは描きだされたとみることができる。近代化に取り組んだ明治時代前半の姿がここに描き込まれている。もし書き続け、この小説を完結させていたとするなら、どこまでどのように著者は描いたのだろうか・・・・。

 本書には『暁天の星』の後に、特別収録として「乙女がゆく」と題した短編小説、並びに文芸評論家・細谷正充氏による解説「葉室麟が陸奥宗光を通して伝えたかったこと」、最後に著者の娘・葉室涼子さんの「刊行に寄せて」の一文が併載されている。

 「乙女がゆく」は慶応2年1月に京都の薩摩藩家老屋敷にて、西郷と桂に龍馬も立ち合い、薩長同盟が結ばれる最後のプロセスを描く。桂小五郎が京都の薩摩藩邸に入った後、西郷吉之助との交渉の詰めが停滞する中に、坂本龍馬の姉・乙女が龍馬に頼まれて薩摩藩邸に赴くというおもしろい構想の短編である。フィクションだからこそ描ける場面ということだろうか・・・・・。いくつかの裏話も盛り込み短編に仕立てた著者の視点が興味深い。

 細谷氏の解説は、葉室麟の13年間の創作期間における作品群を振り返り、葉室麟の作品の広がりを簡潔に概括している。その中の一部として本書つまり陸奥宗光を通して葉室麟が伝えようとした点について書き加える形になっている。

最後に、印象深い文をいくつか引用しておきたい。
*世間に対する日本人の戦いはまず受け入れるところから始めるしかない、日本の良いところを世界に示すのはその後ではあるまいか。  p84
*参謀本部の作戦の中核となるモルトケの戦略はクラウゼヴィッツやナポレオンに学び、戦争指導をひとりの天才によるのではなく、徹底した組織の戦いにすることだった。p164
*お前さんはひとつの道しかないと思い込み過ぎるようだ。龍馬なら目指すいただきはひとつでも登る道はいくつもあるぜよ、と言うだろうぜ。p180
*国家というものは、国民を不幸にするものであってはならない。最大多数の最大幸福を目指すのだ。それが国家だ。p191
*それにしても、戦争とは人の影と光の部分を浮かび上がらせるものだ、と陸奥は思った。 p198

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関係する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
陸奥宗光  :ウィキペディア
陸奥宗光  :「コトバンク」
陸奥亮子  :ウィキペディア
陸奥宗光関係文書  :「リサーチ・ナビ」
伊藤博文  :ウィキペディア
征韓論   :ウィキペディア
西郷隆盛が唱えた「征韓論」真の目的は何だったか :「iRONNA」
鹿鳴館  :ウィキペディア
[4年で終了] 明治維新の象徴となるはずだった鹿鳴館の末路」:「歴史マガジン」
馬場辰猪 :ウィキペディア
馬場辰猪 :「近代日本の肖像」
[福沢諭吉をめぐる人々] 馬場辰猪  :「三田評論」
青木周蔵  :ウィキペディア
日清戦争(1894~1895年)
日清戦争  :ウィキペディア

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徒然に読んできた作品の印象記をリストにまとめています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)
                    2020.2.17 現在 67冊 + 5

『スクエア 横浜みなとみらい署暴対係』  今野 敏  徳間書店

2020-02-26 21:43:00 | レビュー
 <横浜みなとみらい署暴対係>シリーズとしては第5作となる。奥書を見ると、本書は週刊「アサヒ芸能」の2018年1月4・11日号~9月20日号に連載発表された後、2019年2月に単行本として出版された。
 今回は、最初からちょっと変わった始まりになっている。暴力団からは「ハマの用心棒」と呼ばれ恐れられているみなとみらい署の暴対係係長・諸橋警部と諸橋の相棒であり係長補佐の城島が、県警本部警務部監察官の笹本警視と常に一緒に行動するという羽目になるストーリーである。諸橋の捜査方針を認めず目の敵にしているキャリアの笹本がなんとかの糞の如く二人の捜査活動に同行する。
 なぜ、そんなことになったのか。笹本が諸橋の所にやって来て、県警本部長が会いたいと言っているから一緒に来いと言う。この10月に本部長になった佐藤警視監は諸橋にマルB(暴力団)を何とかしたい。長くて2年の任期の内に結果を出したいと言う。ついては、諸橋のやり方を支持するから、やるからには徹底してやってくれと激励する。そういう行きがかりになったのは、佐藤本部長にマル暴で頼りになるのは誰かと尋ねられた笹本が諸橋と城島の名前を答えたからなのだ。その結果、諸橋と城島は、山手署に設置された捜査本部の殺人事件に本部長特命として加わることになる。被害者はマルBと関わりがあるようなのだ。そこで、諸橋と城島に白羽の矢が立てられたという訳である。

 佐藤本部長は諸橋に言う。「知ってる。真面目な性格らしいからね、笹本は・・・・」「警察官だからって、カチカチになるこたあないと、俺は思うよ。臨機応変、柔軟な対応。これからはそういうのが、大切なんじゃないか」と。本書のタイトル「スクエア(SQUARE)」には、真面目なとか、カチカチという意味合いがある。たぶん、諸橋のやり方とは対極になる言葉がタイトルになったのではないかと思う。それは笹本をさしているとも言える。また、捜査本部の従来通りの捜査活動に対する揶揄的意味合いも含まれているかもしれない。諸橋と城島の名前を出した笹本は「ただ、やり過ぎて問題になることもあるし、正式な手続きを無視する傾向もある、と申し添えるのを忘れなかった」と言う。だが「いいよ。やってくれ」と本部長は答え、笹本には「援助しろ」と指示したと言う。その結果、常に笹本が二人と一緒に行動することになる。結果的にこれは笹本にとり、暴対係の関わるナマの現場を実体験する機会になるのだ。

 昨日11月11日月曜日、中区山手町の廃屋となっている現場で小学生が遊んでいて遺体を発見し、その知らせが警察に通報された。被害者は中国生まれで最終的な記録では年齢87歳の劉将儀だという。中華街で一財産を築き、山手に土地を取得して屋敷を建てた。そこが遺体発見現場の土地である。4年前に中華街の店はそっくり人手にわたり、劉将儀は3年ほど前から消息を絶っていたという。山里管理官がこの説明を諸橋たちにしている矢先に、遺体発見現場を検証中に別の白骨死体が発見されたと報告が入る。
 諸橋たち3人は現場に直行する。白骨死体は最低でも埋められて3年は経っていると鑑識係員が推定していた。
 本部長特命として捜査本部に加わった諸橋と城島はマル暴の立場から独自捜査を開始する。二人は捜査本部の本部捜査一課と連絡を密にすることで単独行動を認められる。
 横浜中華街の高級店で遅めの昼食をとり、フロアマネジャーの陳文栄に聞き込みをして、劉将儀から店を買ったのが馬健吉だと教えられる。また、発見された遺体の写真を確認してもらうと、劉将儀ではないと言う。馬健吉にも聞き込みに向かうが、彼も又別人だと答える。新たに発見された白骨死体が劉将儀だと仮定すると、この遺体として発見された被害者は何者なのか。一方、遺体はちゃんと登録された運転免許証を持っていたことから、身元が確認されたのだという。城島は、被害者が3年前に劉将儀になりすましたとすれば、何らかの詐欺、土地家屋の売却がそこに絡む可能性を推測する。さらに暴力団が絡んでいる可能性も・・・・・。この殺人事件は複雑な様相を帯び始める。

 そこで、当然のことのように、諸橋と城島は情報収集として、常盤町の神風会神野の自宅兼事務所に足を向ける。勿論、笹本は抵抗感を抱きながら同行する。笹本には神野というヤクザを知る、つまり諸橋流に言えば、ヤクザと暴力団の違いを知り始める契機になる。
 
 このストーリーは、土地の売買に関わる詐欺事件の様相が見えて来たことから展開しはじめ、諸橋と城島は暴力団との関係の究明に踏み込んで行く。詐欺事件の人間関係と構造が複雑化し、事件が連環している実態が見え始める。その渦中にみなとみらい署管内の暴力団が絡んでいた。諸橋と城島は違法すれすれのやり方を笹本の面前で繰り返しながら、その複雑な人間関係と構造の糸口を見つけだし、一つ一つ解明していく。要所要所で神野が語る暗示的な情報が有益に役立っていく。
 捜査のプロセスで、関西から横浜に進出してきた関西系暴力団の三次団体「羽田野組」組長泉田誠一が関係しているということが見え始めてくる。泉田は組のフロント企業「ハタノ・エージェンシー」社長代行でもある。
 暴力団が絡む土地売買の詐欺事件の謎解き・解明がテーマとなった小説である。土地売買取引が結果的に詐欺行為であったとしても、それに関与した弁護士や行政書士が事務処理代行業務として、踏み越えなければ詐欺罪を問われることはないという一線があるという。そのギリギリの境界はどこかも諸橋・城島の聞き込み捜査のプロセスで描かれていく。この点も興味深い。

 警察組織という視点に立てば、殺人事件ということで県警本部捜査一課を主体とする捜査本部が立ったのだが、そこに詐欺事件の側面が関係するということで、県警本部捜査二課も本部に加わることになる。さらに、本部長特命で諸橋・城島がいる。捜査の主導権という観点での確執という側面が加わってくる。キャリア対ノンキャリア、警察官としての経験年数、捜査領域の問題、階級意識など様々な要素が心理的にも絡み合っていく様相が描き込まれていて面白い。

 最後に面白いのは、佐藤本部長が神風会神野の自宅兼事務所を直接自ら訪れるという行動に出た場面が描かれている。それに対する笹本の行動と態度がおもしろい。そして、本部長が諸橋に語る感想がさらにおもしろみを加える。お楽しみに。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『機捜235』  光文社
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18

『芙蓉の干城 (ふようのたて)』  松井今朝子 集英社

2020-02-24 19:00:18 | レビュー
 この小説は「小説すばる」の2017年7月号~2018年6月号に連載され、それに大幅な加筆・修正を加えて、2018年12月に単行本として出版されている。久しぶりに著者の作品を読んだ。
 本を手に取る切っ掛けになったのは「干城」というめずらしい語句に引かれたからである。本書では「干城」に「たて」とルビをふっている。手許の広辞苑をはじめ数冊の国語辞典を引くと、「かんじょう」という見出しでこの語句が載っている。中国の『詩経』の周南に出てくる語句だと言う。干(=盾・楯、たて)と城の意であることから、国家を守護する武士、戦士、軍人を意味するという説明がある。用例として「国家の干城」が挙げられている。

 この言葉は、この小説の中心人物となる桜木治郎が妻の従妹に当たる大室澪子(みおこ)と交わす会話でまず出てくる。
 治郎「軍人は国家の干城といわれるくらいだからねえ」
 澪子「国家のカンジョウってどういう意味なの?」
澪子の素朴な質問に治郎は上記の意味合いを説明する。なぜ、この会話になったか。それは、江戸歌舞伎を演じる木挽座という大劇場で、澪子が陸軍の二等主計である磯田遼一と観客席で芝居をともに見るという場でお見合いをする羽目になったからだ。桜木夫妻はそのお見合いの場に連なる立場なのだ。
 お見合いの始まる前の木挽座での情景描写からストーリーが始まる。
「芙蓉の」という語句が冠されることで、干城の示す意味合いが大きく変容していく。そのプロセスをお楽しみいただきたい。

 まず面白いのは登場人物の設定である。
 桜木治郎は、江戸歌舞伎最後の大作者、三代目桜木治助の孫であり、早稲田大学に勤める教員である。祖父が木挽座・狂言作者の総帥であったことから、木挽座は治郎の幼い頃の遊び場ともなっていた。
 大室澪子は治郎の妻の従妹であり、桜木宅の居候である。築地小劇場の劇団研究生となり、比較的穏健派に属するが社会主義の洗礼を受けていて、女優となることを志している。治郎を介して知り合った元歌舞伎役者の恋人が既にいる。親には内緒であるために、娘が婚期を逸するのを危惧して澪子の両親が強引に見合いの場を設けたのだ。
 ところが、これがストーリーの発端となっていく。
 芝居が始まる前に、治郎は六代目荻野沢之丞の楽屋に挨拶に出向き、その直前に小宮山先生と役者の荻野沢蔵が挨拶をした人物を目にする。沢蔵に言われて楽屋へ行っての挨拶を控える。大間で、劇場に来るのが遅かった磯田はこの小宮山を偶然見かけて挨拶をする。磯田は、小宮山から「いやはや、お互いとんだ七段目というところだねえ」と返事されるが意味がわからない。澪子はその姿を大間で目に止めていた。
 この小宮山先生が、翌日、三十間堀の三原橋近くの川っ縁で、男女の死骸となっていたのである。男は滅多刺しにされ、女は紐か何かで絞殺されていた。その女は木挽座の芝居に連れとなっていた花柳界の女だった。
 
 この小説の構想には3つのテーマがあるように受けとめた。
 中心となるのは、桜木治郎による謎解きというテーマである。小宮山と呼ばれる人物が殺された原因の究明と犯人の逮捕という捜査に協力するための謎解きである。この事件を担当するのは築地署の笹岡警部とその部下の薗部理(ただす)。木挽座帰りに被害に遭ったと読んだ笹岡警部は、木挽座に聞き込みに行き、そこで千穐楽に沢之丞の楽屋に挨拶に来ていた桜木治郎と出会う。以前に木挽座で発生した事件で治郎が協力して事件を解決していた。そんな事から、治郎は木挽座を起点としたこの小宮山殺害事件に巻き込まれていく羽目になる。謎解きに携わる行動の比重は笹岡から治郎にシフトする。なぜなら、芝居見物の途中で、澪子が小宮山たちの姿を観客席から眺めて、不審な状態を目撃していたことを治郎が聞いていたからである。治郎はこの事件に木挽座との関係もあり関心を寄せることになった。
 もう一つの謎解きが加わっていく。それは、千穐楽の楽屋挨拶に治郎が出向いたときに聞いたことに関係する。沢之丞の養子となった四代目荻野宇源次は二十代で夭折していたのだが、その右源次の一人息子で、沢之丞の孫が、五代目右源次をこの秋に襲名するというのだ。そこで治郎は四代目右源次の評伝をまとめて、五代目襲名へのはなむけとしたいと思う。だが、四代目の芸風に惚れ込んでいた治郎だが、夭折した事情を皆目知らなかった。そこで、評伝を書くにあたり、四代目の年若き晩年の事情を究明しようと、関係者に聞き込みを進め謎解きをする行動が並行する。そして、二つの謎解きに接点が見出されていく。この謎解きのプロセスがおもしろい。

 2つめのテーマは、昭和初期の江戸歌舞伎と劇場の雰囲気(/状況)を描き出すということにある。歌舞伎役者の内実や芸風、楽屋と舞台での姿、歌舞伎芝居の演目、設定された木挽座という劇場を内側から眺めた舞台裏環境の描写、演劇を支える関係者の姿と役割・人間関係など、歌舞伎演劇の全体を当時の時代的有り様として描くという意図があると思う。それが謎解きと絡めて織り込まれていく。治郎の謎解きのプロセスで、劇場関係者が次々と登場してくる。それが、劇場の舞台裏という様々な環境・場所の描写と結びついていく。歌舞伎および劇場全体の構造イメージをバーチャルに形成していく契機にもなる。歌舞伎という伝統芸能の世界を身近に感じる材料を与えてくれている点がいい。

 3つめのテーマは、昭和初期の日本の時代情勢、社会状況の雰囲気を描き出すということだと思う。これは小宮山先生と呼ばれた人物の背景、軍人磯田、社会主義派女優という立ち位置の澪子という対極的な人物設定を介して織り込まれて行く。
 このストーリーは、1932(昭和7)年5月、「五・一五事件」が発生し、総理大臣犬養毅が暗殺された翌年の4月23日から始まって行く。
 小宮山先生とは小宮山正憲のことだとすぐ判明する。欧州大戦(第一次世界大戦)が終わった翌年、大正8年に発足した有名な右翼団体・征西会の幹部である。小宮山自身は関西に拠点を置く人物で、征西会の資金運営面での幹部として描かれている。フィクションという形ではあるが、当時の資金作りの仕組み・裏話にも触れているのが興味深い。また思想的には東冀一が征西会の中枢に位置づけられている。一方、笹岡警部の発言として、当時の暗殺という「一連の事件には神武会の大川周明がからんでた。征西会の東冀一も大川の同類だから、・・・・・」などという部下との会話も織り込まれて行く。五・一五事件が起こった直後の時代状況を直接の背景にしながら、欧州大戦終了後からの国際情勢、国内情勢の推移も描き込まれていく。日本の近代化の一面を、国家主義の形成の雰囲気を漂わせつつ描き込んでいる。
 余談だが、神武会、大川周明は実在した。一方、小宮山正憲や東冀一はこの小説でのフィクションである。だが、著者は東冀一の設定に、北一輝という実在人物を投影させているのでは・・・・とモデルを考えたくなった。

 治郎は2つの謎解きをやり遂げる。2つの謎には接点があった。接点が発見されるプロセスが読ませどころになっている。そして小宮山の殺害には意外な真犯人がいた。真犯人が逮捕された後に、さらに意外な結末を著者は設定していた。それをエピローグで語る。おもしろい。
 
 謎解きのプロセスを第2、第3のテーマと絡めながら描き出して行くところが興味深い。昭和初期の時代情勢、社会状況を考える際のイメージと刺激を与えてくれる作品にもなっている。
 
 ご一読ありがとうございます。

この作品に出てくる時代背景・社会情勢の史実レベルの事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
【近現代(明治時代~)】 五・一五事件と二・二六事件の違い :「中学社会」 
五・一五事件 :「コトバンク」
五・一五事件~なぜ、海軍青年将校たちはテロリズムに走ったのか :「WEB歴史街道」
血盟団事件  :ウィキペディア
『血盟団事件』 - 交わるはずのなかった二つの格差 :「HONZ」
血盟団事件判決文  :「WIKISOURCE」
第一次世界大戦  :ウィキペディア
国際連盟  :「世界史の窓」 
国際連盟  :「コトバンク」
世界恐慌  :ウィキペディア
昭和恐慌  :「コトバンク」
満州国   :ウィキペディア
満州事変  :ウィキペディア
挙国一致内閣 :「コトバンク」
築地小劇場 :ウィキペディア
江戸三座  :ウィキペディア
歌舞伎座の歴史  :「松竹」
歌舞伎座の路地裏 ~木挽町~ :「歌舞伎座写真ギャラリー」
荻野沢之丞  :「コトバンク」
大川周明   :ウィキペディア
神武会    :「コトバンク」
北一輝    :ウィキペディア

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『奴の小万と呼ばれた女』   講談社
『家、家にあらず』
『そろそろ旅に』

『仏教ではこう考えます』 釈 徹宗  祥伝社黄金文庫

2020-02-20 21:02:29 | レビュー
 タイトルに惹かれて手に取ってみた。この文庫本には「あとがき」が3つ付いている。内表紙の裏のメッセージとこれらの「あとがき」並びに本文、ネット検索で出版を確認してみた結果を総合すると、次の経緯を辿って、この二度目の文庫本化に至ったようである。

 もともとは、京都新聞に2006年1月~2008年3月の期間に「紙上問答」という形で新聞読者が仏教についてふと思う疑問や知りたいことの質問を受けて、著者が回答をするという企画が実行された。月2回の掲載ということで、結果的に質問数は53問収録されている。その問答内容が本書の第一部となっている。その後に「第二部 日々の問答編」が続く。こちらは大阪の北端の如来寺の住職、浄土真宗の僧侶として<月忌参り>を行う日常生活の中で、檀家さんから出た質問に対して、著者が答えた説明の内容がまとめられている。つまり、どちらもQ&Aの形でまとめられたものである。尚、著者は仏教研究者として大学教授の肩書もある教育者でもある。

 新聞掲載が終了後、新書として『仏教ではこう考える』(学研新書、2008/11/01)が出版され、それが同名のタイトルで『仏教ではこう考える』 (学研M文庫 2013/07/09)として文庫本化したようだ。そして、2016年3月に本書の文庫本の出版となり、その際に加筆修正が加えられたという。著者の考えのまとめとしては、本書が一番新しいということになろう。マニアックな人ならば、前書と再文庫本化された内容の対比をしてみると、著者が考えをより深められた経緯をプラスアルファとして得られるかもしれない。

 さて、こんな経緯を辿っている本書はどういう内容なのか。本書には「人生の悩みにお坊さんがゆるり回答」という副題が表紙に記載されている。読後印象は、まさにゆるりと回答した内容である。こうである、こうでなければならない、という決めつけた回答はない。また、浄土真宗という日本の仏教の一宗派の立場での回答でもない。そこは仏教研究者の視点が大きく関わっていると感じる。仏教という宗教のいわば包括的な立場から、様々な原典も引用しつつ、投げかけられた質問に対して、真摯な説明が回答として記されている。大乗仏教と上座部仏教両方のものの見方を縦横に引用紹介して、広がりのある回答となっている。時には他の世界宗教の考え方との対比も行いつつ、仏教での考え方との相違も明らかにしている。更には哲学、心理学、社会学など学問領域での所見の引用紹介にも及ぶ。そのスタンスは、質問者自身に、仏教という立場から自分で考える材料を提供するという立場で回答がなされていると受けとめた。ある意味では、中道の立場で著者の考えを提示したという内容である。
 本書を通読した印象として仏教の奥行の広がりと不可思議さを再認識したと言える。ああそういう見方もあるのか・・・ということを各所で感じた。
 Q&Aの形式なので、どこからでも読み始めることができる。時折、どれかの質問に立ち戻って、著者の説明を読み直し再考してみて、理解を深めたいと思う。

 じゃ、どんな質問が投げかけられているのか? 素朴な質問、奇問、突っ込み質問などさまざまあっておもしろい。ちょっと、特徴的なおもしろい質問を本書から抽出して列挙してみる。本書に興味が湧くのではないかと思うが、如何?
[第一部 新聞読者から寄せられた紙上回答編]より
Q1 お坊さんは坊主頭でなくていいんですか?
Q3 悪いことをした人は死んだら地獄へ行くと言うのは本当ですか?
Q5 子どもに宗教心を教えるにはどうしたらいいでしょうか?
Q6 戒名料はなぜ必要なのですか?
Q9 神と仏はどう違うのですか?
Q14 上手な死に方って何ですか?
Q15 キリスト教では自殺は罪ですが、仏教ではどう考えますか?
Q21 生まれ変わっても、また出逢うことができますか?
Q27 欲望と煩悩は違うのでしょうか?
Q28 仏教は女性に差別的ではないですか?
Q29 ヘビや植物や山川にある仏性とはなにですか?
Q33 厄年というのは根拠があるのですか?
Q35 なまめかしい微笑や体つきをした仏像もありますがなぜですか?
Q38 地蔵菩薩様にお願いしたらガンが治りましたが、そのような不思議体験はありますか?
Q42 厳しいところとおおまかなところのどちらが本当の仏教ですか?
Q44 七福神にはどうして神様、仏様、インドの神様もいるのですか?
Q45 仏壇の中にはどなたがいらっしゃるのでしょうか?
Q50 一人っ子です。結婚したらうちの仏壇はどうすればよいのですか?
Q52 仏教では異性との抱擁、身体の接触はどうなのでしょう?
Q53 仏教はニヒリズム(虚無主義)ではないのですか?

[第二部 日々の問答編]より
その1 嫁に来たのにうちの宗旨にならなくてもいいんですか(怒)!
その4 お葬式って、やらなあかんのですか?
その7 お坊さんも殴られたら殴り返しますか?
 
こんな具合の質問が・・・・。なかなか興味深い、身近な質問でしょう?
質問者は明記されている範囲では9歳の子どもから63歳男性まで、男女の広がりを持っている。
さて、僧侶であり、学者である著者がどのように説明し答えているのか、本書を開いて一緒にお考えください。あるいは、ご自分で回答を考えてみてから、本書を開けるのもおもしろいかもしれません。私はストレートに本書を開けて読み始めた。ウ~ン、ナルホド!である。

ご一読ありがとうございます。

次の著書も読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『ブツダの伝道者たち』 釈 徹宗  角川選書
『不干斎ハビアン 神と仏を棄てた宗教者』 釈 徹宗  新潮選書 

また、内田樹氏と著者の共著本もあります。
『聖地巡礼 ライジング 熊野紀行』 内田樹×釈徹宗  東京書籍
『聖地巡礼 リターンズ』 内田樹×釈撤宗  東京書籍
『聖地巡礼 ビギニング』 内田 樹×釈 徹宗  東京書籍
『現代霊性論』 内田 樹・釈 徹宗  講談社

『決戦! 新選組』 葉室麟・門井慶喜・小松エメル・土橋章宏・天野純希・木下昌輝  講談社

2020-02-17 21:26:16 | レビュー
戦国時代を題材にした「決戦!」シリーズとは別次元の「決戦!」シリーズが発刊されている。『決戦!三國志』『決戦!忠臣蔵』に続き、三冊目がこれである。2017年5月に単行本が出ている。幕末動乱期を新選組の立場からとらえるというのは時代を多面的にとらえる上で必然的な視点の一つだろう。
 尊王攘夷派に組みした当初の主体は脱藩し渦中に身を投じたのは下級武士を含めて武士という階級に属する一群の人々だった。一方で、新選組は零落した元武士も居るが、町人身分から這い上がろうとして、幕府側に加わった有象無象の人々が寄り集った集団といえる。「壬生浪」と呼ばれ恐れられ、嘲られた「浪士組/新選組」が幕末に徒花として力をふるった。腰が引いた幕府側の多くの武士の実態に対して、相対的に目立つ存在にもなったと言える。それ故、新選組の有り様は作家たちに様々な創作意欲をかき立てるのだろう。

 まず本書の特徴に触れておこう。葉室麟を筆頭にして計6人の作家が新選組という組織集団の異なる局面を切り取って題材にしている。6作家の短編競作集である。それぞれに異なる人物を主人公として中軸に据え、新選組の有り様を描いて行く。6作家が題材とした人物とその行動状況を重ね合わせ、短編6作を通して眺めると、新選組の中核となった人物達の江戸から京への上洛段階から始まり北海道の五稜郭での新選組の壊滅まで、新選組の行動の大凡の有り様が通覧できる形になっている。短編間で事象が重なる部分の描写は、結果的に当該人物を多面的に捉えるための糧になっている。

 それでは、収録された短編作品の順に、読後印象を含めてご紹介してみたい。

[鬼火]   葉室 麟
 中軸となる主人公は沖田総司。総司が京都、壬生の郷士、八木源之丞の屋敷で、七、八歳頃に遭遇した事件の夢を見てはっと目覚める場面から始まる。その夢は、今流にいえば、沖田を悩ませるPTDSとなっていて、彼の性格・情動を決定づけたものとして描かれている。興味深い視点である。
 総司の生い立ちと剣客に成長する背景が簡潔に描かれ、その上で総司が浪士組に加わり上洛し、京都に残留する経緯がわかる。京都に残留した浪士組の主導権争いの渦中で、総司が初めての<人斬り>を土方歳三に指示される。その対象は根岸派の殿内義雄。この時総司は斬れなかった。斬ったのは芹沢鴨。これが契機となり、総司と芹沢鴨との関係が深まる。壬生浪士組の基礎を作った芹沢鴨の行動と有り様から八木邸内で暗殺されるまでを総司を介して読者は知ることになる。総司が芹沢鴨を殺すことで終わる。
 沖田総司は芹沢鴨を殺すことを通して己の感情を取り戻したという設定が興味深い。ここに至るプロセスが読ませどころといえる。

[戦いを避ける]   門井慶喜
 元治元年(1864)6月5日、亥の刻(午後十時)すぎ、新選組局長・近藤勇他が、旅籠・池田屋を御用改めと称し、急襲する場面を描く。ストーリーの中軸は近藤勇。このとき、沖田総司、永倉新八、藤堂平助など9名の隊士が居た。
 近藤が池田屋で対峙したのが熊本藩士松田重助である。著者はこの時の近藤の思いを(斬りたくないが、逃したくない)と描く。その理由は、己の養子にした周平に手柄をたてさせたいという思いがあったからだ。近藤勇が周平を養子にした経緯をサブストーリーにしながら、池田屋事件が描かれる。
 興味深いのは、道場剣法での強さと人斬りの修羅場を対比させていることと、近藤勇が養子に手柄をたてさせたい人情にとらわれるところにある。近藤の心理描写が読ませどころである。

[足りぬ月]   小松エメル
 ストーリーの中軸は藤堂平助。平助が生い立ちについて昔話を語る場面から始まる。彼はその生い立ちから、立身出世をめざし、賢い男を己の頭に立てて、頭を盛り立てながら己の立身を目指そうとする。平助の考える筋書きが狂うプロセスを新選組内部の人間関係や考え方の複雑性の中で描いている。
 平助は近藤勇の試衛館の食客となった一人である。その頃、試衛館には、永倉新八、沖田宗次郞(=総司)、原田左之助、土方歳三などが居たという。さらに斎藤一が時折現れるとも。清河八郎の発案にのり、試衛館一同は浪士組に参加し上洛することとなる。
 平助が最初に己の頭と決めた男が山南敬助。山南が怪我をし後に切腹する羽目になると、平助は江戸に居る伊東甲子太郎を上洛するよう説得し、己の頭と定める。伊東が新選組を離れ御陵衛士隊を創設し後に近藤勇に粛清される経緯及び平助との関わりが描かれて行く。平助もまた御陵衛士隊の一人として新選組隊士との戦いの中で死ぬ。己のシナリオを遂げられなかった男の生き様が哀切である。

[決死剣]   土橋章宏
 ストーリーの中軸は永倉新八。鳥羽伏見の戦いの初日、新選組は伏見奉行所に陣取っている。「永倉君。ここは君が死んでくれ」と土方に言われる場面が冒頭に描かれる。
 話は転じて、徳川慶喜が大政奉還をし、京から大坂城に移る様を描く。戦おうとしない慶喜公をみて「何ゆえに戦うのか」と新八は近藤に問う。新選組のために戦い、己の剣を磨くことだけに専念する新八を著者は描く。隊士原田左之助との関わり、鳥羽伏見の戦いの実情、労咳で戦場に出られない沖田の剣を戦場に連れて行ってやると言い沖田と立ち合う新八の行動などが点描されていく。
 そして、ストーリーは再び鳥羽伏見の戦いに戻る。沖田との立ち合いを含めて、新八の戦う場面描写が読ませどころとなる。
 永倉新八が生き残った経緯に触れ、「大正の時代になって、ようやく仲間たちのもとへ還った」という文で著者は締めくくる。
 それで思い出した。未読なのだが永倉新八著『新撰組顛末記』(新人物文庫)を購入していたことを。

[死にそこないの剣]   天野純希
 ストーリーの中軸は斎藤一(山口二郎)である。山口と名乗る斎藤が、会津にて前会津藩主松平肥後守容保に呼ばれて対面する場面から始まる。鳥羽伏見の戦いに敗れ、新選組は会津藩預りなる。そこで会津のために戦うという状況を描く。
 鳥羽伏見の戦い前から怪我をしていた近藤勇や病人の沖田総司は戦線離脱。副長の土方歳三が実質の長として新兵集めをすると共に隊を取り仕切っている。会津では、白河城南方の白坂口で斎藤が隊長として指揮をとることになる。会津藩の元家老が総督として稚拙な指揮をする。その下での負け戦の状況が描かれて行く。
 土方は会津藩を見限り、榎本率いる旧幕府艦隊と連携し、蝦夷地に渡り函館を押さえ、蝦夷地全土を徳川領とする構想に転じて行く。斎藤は新選組を抜け、会津に残って戦う道を選択する。久米部正親、志村武蔵ら14名が斎藤の士道に感銘しともに戦うという。
 このストーリーのおもしろさは、その後の顛末の意外性にある。

[慈母のごとく]   木下昌輝
 ストーリーの中軸は土方歳三である。土方歳三の姿は上記の各短編に点描的に登場する。それぞれの著者がそれぞれの視点から土方を描いている。土方はそれだけ近藤勇の片腕として新選組の中枢に存在したことになる。
 その土方を主体にしたストーリーは、鳥羽伏見の戦いにおいて、伏見奉行所で土方が隊士の島田魁と会話する場面から始まる。「鬼がいねえから、幕府は弱いんだ」というのが土方の見方である。この時点で、近藤勇は陣中にいない。御陵衛士の残党に狙撃され、怪我をして治療中なのだ。そのため、これ以降土方が新選組の指揮をとる立場になる。
 伏見奉行所に陣取っての戦いで、土方は鬼の副長だった。鳥羽伏見の戦いで敗れた後、新選組は一旦江戸に戻り、各地を転戦し負け戦をしながら、最後は函館の五稜郭に籠もることになる。それらの戦いが描かれて行く。薩長軍(官軍)と幕府軍・新選組の装備面での対比や戦いぶりなどが対比的に描き込まれていて、興味深い。根底には土方が新選組をどのように指揮するか、とりまとめるかがテーマになっている。 
 江戸に戻る幕府の軍艦上で、近藤は土方に言う。「だがな、厳しさだけでは隊はまとまらねえ」と。「戦に必要なのは、鬼だ。じゃないとまた負けちまう」と土方は思わず言う。
 近藤の代わりに新選組を取り仕切る土方から、鬼の土方の姿が消えていく。土方が鬼に戻るのは、函館山の味方を救うための最後の戦いにおいてである。
 
 新選組の存在は、万華鏡のようである。少し視点をずらせて眺めると景色が変わる。6篇の中に見え隠れする近藤勇像自体が、見方によってどんどん変化するからおもしろい。同じ事が、土方歳三、山南敬助、伊東甲子太郎などなどにも言えそうである。新選組パート2があってもおかしくない。

 ご一読ありがとうございます。

本書の関連事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
清河八郎  :ウィキペディア
清河八郎とは? :「回天の魁士 清河八郎」
壬生浪士組 :ウィキペディア
壬生の狼 新選組ダイジェスト :「NAVERまとめ」
八木家 ホームページ
壬生寺 ホームページ  
 壬生寺と新選組について 
[暗殺された新選組初代局長:芹沢鴨]その最後とされた逸話 :「歴人マガジン」
近藤勇  :ウィキペディア
近藤勇  :「歴史人」
幕末維新ミュージアム 霊山歴史館 ホームページ
歳三の生家 土方歳三資料館 ホームページ
戒光寺御陵衛士墓所 :「丈六 戒光寺」
誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士 ホームページ
斎藤一  :ウィキペディア
永倉新八 :「歴史人」

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決戦シリーズを読み継いできました。以下もご一読いただけるとうれしいです。
『決戦! 三國志』 木下・天野・吉川・東郷・田中  講談社
『決戦! 忠臣蔵』 葉室・朝井・夢枕・長浦・梶・諸田・山本  講談社

『決戦! 桶狭間』 冲方・砂原・矢野・富樫・宮本・木下・花村  講談社
『決戦! 川中島』 冲方・佐藤・吉川・矢野・乾・木下・宮本 講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
『決戦! 関ヶ原』 伊東・吉川・天野・上田・矢野・冲方・葉室  講談社

徒然に読んできた葉室麟の作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。            
葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)
                 2020.2.11 現在 66冊 + 4

『機捜235』  今野 敏  光文社

2020-02-15 22:39:34 | レビュー
 「機捜235」というタイトルは本書中の第1作の題名そのものであり、本書は短編の連作をまとめたものである。最初の5篇が2011年~2016年の「宝石 ザ ミステリー」に、その後の4篇が2017年~2019年の「小説宝石」に、それぞれ順次発表された。それらが単行本として2019年3月に出版された。

 最初の短編のタイトルに関係するが、主人公の一人高丸は警視庁本部の刑事部第二機動捜査隊に所属し、第三方面の担当として、渋谷署内に設置された分駐所に詰めている。徳田班長のグループに属する隊員の一人である。
 機動捜査隊は略して機捜隊あるいは機捜と呼ばれる。機捜隊は日産スカイライン250GTを機捜車として担当エリアを巡回する。無線と照会用端末とマグネット式の赤色回転灯を積んでいて、概観は普通の車と変わらない覆面パトカーで、機捜車は3ナンバーのままとなっている。高丸の乗る車のコールサインが機捜235なのだ。
 梅原という相棒と巡回勤務中に手柄を挙げたのだが、梅原が入院する怪我をした。その結果、高丸は臨時の相棒と組むことになる。この短編連作は高丸が臨時の扱いとして配属されたパートナーと組み、様々な事件に対処していくシリーズとなっている。
 臨時のパートナーとして配属されてきたのは、白髪頭で57歳、あと3年で定年だという縞長巡査部長だった。高丸は34歳。機捜隊員としては高丸が先輩だが、警察官としては縞長が大先輩となる。警察官としての職階は二人とも巡査部長なのだ。年齢差がかなりある中で、相互に敬語で話をするという関係から始まって行く。機捜隊員は若い警察官で構成され、高丸は定年間際の縞長が配属されたことに驚く一方で、日勤・夜勤というシフトがあり体力勝負の側面もある機捜で務まるのかといぶかりもする。また、高丸には機捜隊員として実績を積み、いずれ一人前の捜査員・刑事になりたいという思いがある。縞長に足を引っ張られるかもしれないという危惧感も抱く。つまり、やりづらいなという思いがスタートラインにある。縞長は本部の捜査共助課に所属していたと自己紹介した。高丸はその組織を良く知らなかったし興味もなかった。そんなところから、このストーリーが始まって行く。
 機捜の仕事は担当地域を普通の車の外観で巡回する密行である。不審車両や不審車を見つけると職責をかけるなどの行動をとるがパトロールが基本である。そして事件発生の連絡が入ると現場に直行し、初動捜査を担当し、刑事が到着すると引き継ぎをして通常勤務に戻る。刑事からは機捜は気楽だなと嫌味を言われる。時には早朝の家宅捜査や被疑者逮捕のための張り込みに駆り出されることもある。
 この短編連作集は、機捜235の高丸・縞長コンビの人間関係づくりとその仕事ぶりを描いて行く。それは高丸が縞長に対して仲間言葉で行動できる間柄を築いていくプロセスであり、縞長の警察官としての特異な能力を認識し仕事の実績を積み上げていくプロセスでもある。高丸が警察官として一歩成長するプロセスでもある。
 一編一編が短編なので、独立した完結型の内容となっていて、短時間で読み切ることができる。その一方で、高丸・縞長コンビの機捜235の就業行動と活躍を描いていくということで、日常業務の連なりとして、ストーリーは緩やかなつながりの中で進行していく。
 各篇の読後印象をご紹介していこう。
[機捜235]
 高丸と縞長が簡単な自己紹介をして、両者の人間関係の築き方に戸惑いながら機捜235としての業務に就く。まずはパトロールの中での人間関係作りが中心に描かれて行く。このプロセス描写がおもしろい。
 あと4時間ほどで夜勤の上りとなるころ、通信指令センターからコンビニ強盗事件発生の無線が入る。現場に直行し初動の聞き込みに従事する。所轄の熊井刑事に引き継ぎをするが、嫌味を言われることに。明け番の日の二日後、朝から機捜車で巡回中に、縞長が職質をかけたいと言い出す。わけがわからない高丸は縞長の言いなりで行動するが、指名手配中の荒木田猛を緊急逮捕することになる。そして、見あたり捜査班に属していたという縞長の特異な能力を知らされることになる。コンビニ強盗事件の方も、縞長の聞き出した目撃証言で被疑者の身柄拘束ができたという。
 高丸が縞長の持つ力量に気づき始めるそのプロセス描写が第1作の読ませどころである。末尾の高丸の感想が、読者を本書に惹きつける動因にもなる。

[暁光]
 同年齢でツーカーの仲だった梅原が職場復帰するが、梅原は配属されてきた新人と組むことになる。高丸はしばらく縞長とのコンビで行動する指示を受ける。高丸はがっかりした。徳田班長は高丸に言う。未解決事件の検挙率を上げることが重要テーマとなっていて、機捜のさらに有効な運用がでいないかという話が出ている。機捜の機動力と縞長の見あたり捜査能力を組み合わせるという試みなのだと。高丸は了解するしかない。だが、結果的に、このテストケースは、高丸にとってプラスになっていく。読者はそのプロセスを楽しめるという次第。
 巡回中に早速、縞長は機捜車の後のタクシーの乗客に職質をかけてみようと言い出す。見覚えのあるような気がすると。これを契機に、縞長が自分の警察官人生の一端を高丸に語る。そんな矢先に、帰投指示の無線が入る。翌日の夜明けとともに、強行犯係のガサ入れに協力して取り組む指示が出た。
 このガサ入れで、縞長の眼力が本領発揮される。強行犯係の石田係長が機捜を見直したよと語る。高丸の感想に縞長は恥ずかしそうに言う。「柔道は三段ですし、合気道は五段なんですと」 縞長のキャラクターと能力に一層興味を抱かせる短編である。

[眼力]
 夜勤の巡回中に無線が入る。渋谷署管内での若い女性の遺体発見である。機捜235は現場に直行する。高丸は現場封鎖、聞き込みに即座にかかろうとする。立ち尽くし遺体をじっと見つめている縞長は言う。「何か、手口に特徴はないかと思いましてね。」「こうした事件は、連続性を疑わないと・・・・」と。高丸は役割分担優先を主張する。縞長はその前に常に総合的に捜査すべきという心構えを重視した。だが、高丸の言に従い動き始める。そのとき、野次馬の中に知っている顔をみたような気がしたと高丸に答える。
 聞き込みの初動捜査をして刑事に引き継ぎを終えるが、縞長は遺体現場の特徴を聞くまで留まる行動に出た。そして、夜勤明けには、昨日の事件の状況を縞長は聞きに刑事課に行くという。縞長はちょっと自分の意見を根回しする。事件捜査の展開がおもしろくなる。
 まさに縞長の眼力がポイントを押さえるというストーリー展開がおもしろい。

[不眠]
 高丸が今まで経験したことのない不眠に悩まされるというストーリー。そして、不眠状態で巡回パトロール中に、一瞬意識が飛び、はっと気づくと赤信号が見え、前の車に追突した。二人が車を下りたとき、信号が変わり、何と後部バンパーが大きく凹んだ黒のハッチバックは発進して走り去ったのだ。高丸は追うという判断をした。怪我の功名ストーリーが始まる。そして、縞長は高丸の不眠の原因を指摘する。
 機捜車が一般車に追突する。さて、どうなる! とおもったら、意外な方向に展開させる筋立てがおもしろい。また、不眠障害の原因、なるほどこういう原因もあるだろうな・・・と納得する。

[指揮]
 第一当番で機捜235は朝から密行していた。そろそろ3時、分駐所に向かおうとした時に、旧山手通りに面した結婚式場で人質立てこもり事件が発生。犯人の男は武器を所持しているという無線が入る。現場に着くと梅原の機捜231が先着していた。
 本部から特殊犯捜査第一係(SIT)が到着し、行動を開始する。そこに公安機動捜査隊が出向いてくる。この結婚式場のある場所が特殊だからと。立てこもり事件の主導権をどちらが取るかで揉め出す。おさだまりのことか・・・。高丸は人ごととして周囲の巡回に出ようという。縞長は様子を見ておいた方が良いという。そして、縞長が意外な行動に出た。縞長の長い警察官人生の一端が活かされることになる。
 興味深い構想の短編に仕上がっている。警察官人生での実績と人間関係を基礎にした縞長の奇策とも言える。ストーリーの落とし所が巧みである。
 
[潜伏]
 渋谷署の刑事課強行犯係が夜明けと同時にウチコミ(家宅捜索)をかけるための応援として、今夜から明日の夜明けにかけての監視態勢に入るという指示である。渋谷署刑事課の応援要請で、本部捜査一課の名代として徳田班の6名全員が駆り出され一晩張り込みをすることになる。被害から特定された被疑者は指名手配中の金井実という。縞長は勿論、この男を知っていた。
 縞長は、路上班としての張り込みを自ら言い出す。その結果、ゴミ集積所に隠れて張り込むことになる。高丸は暗澹とした気になった。縞長は「私がやらなきゃ意味がないんだ」と言い出す。さらに、高丸との張り込みのローテーションまで自ら決める。徳田班長には「高丸には、私にできない重要な役割が生じる可能性がありますので・・・・」と言う。それで決まりとなる。縞長の脳裡には金井を想定してのいくつかのシナリオが描かれていたのだ。
 被疑者について縞長が頭に叩き込んでいる情報の厚みと見あたり捜査で培った眼力がものを言うストーリーである。ネタは単純だが、張り込みストーリーの展開は巧みであり、なぜだろうとおもわせ、読ませどころとなっている。

[本領]
 渋谷署の講堂に「金属バット連続殺人事件捜査本部」が設置された。徳田班長以下全員が捜査本部に参加するよう指示を受けた。200人態勢の大きな捜査本部である。縞長は高丸に言う。「捜査本部には、いい思い出がないんだ」と。この捜査本部には、捜査一課の石黒刑事が関わっていた。縞長は40歳を過ぎて刑事になり、10歳ほど年下で刑事になったばかりの石黒と組んでいたという。石黒にずいぶん迷惑をかけたと言う。被疑者は既に指名手配となっている宮原勇太と判明していた。
 高丸は石黒と組む羽目になる。鑑取り班に組み込まれ、今回は被疑者の足取りを追う捜査になる。石栗はのっけから高丸の担当する機捜車を使うと言い出す。石黒と高丸とでは縞長に対する人物像の見方が大きく喰い違う。一方、縞長は捜査一課の若手と組まされる。
 高丸は縞長に機捜車を使い見当たり捜査をやってほしいと一日車を託す。翌日、高丸は縞長に言う。「捜査本部にいい思い出がないと言ったよね?なら、これからいい思い出を作ればいいんだ」と。高丸のこの発言が縞長を奮起させ、本領を発揮させるトリガーになる。
 人は変わる。過去の事実、先入観で決めつけてはならないことを石黒に悟らせる楽しいストーリーになっている。

[初動]
 夜勤に機捜車で密行中、鍋島松濤公園で変死体発見の無線が入る。機捜235は直ちに臨場態勢に入る。現着は午後10時20分。若い女性の遺体が築山の陰にあり、二本の脚が芝生の上に突き出ていた。徳田班6名が顔を揃えている。徳田班長から縞長と高丸は目撃者探しを指示される。その場を離れようとした時、梅原が相棒で新人の井川に、入れ込むなよと言い「どうせ、俺たちは初動捜査だけなんだ」と続けた言葉に高丸は違和感を抱いた。
 高丸は、現場の野次馬の中の一人の男が気になった。縞長に小声で言うと、彼も頷いた。そこから事件が動いていく。目撃者探しの初動捜査の重要性を描いていると言える。
 「気になったら調べる。それが警察官だよ」縞長の一言が重い。組織内の役割分担じゃない。

[密行]
 夜明け前に、ウチコミをする問題のアパートの前に徳田班は集合した。渋谷署刑事課強行犯係の応援である。恐喝の被疑者下平が潜伏しているという情報があったことをもとにしている。だが、ウチコミは空振りに終わった。高丸と縞長は本来の密行に戻る。
 密行から渋谷分駐所に戻ると、空振りについて、情報が内部から漏れたという噂が立っていた。渋谷署強行犯係の熊井巡査部長だという噂が流れていた。
 高丸は、熊井は嫌な奴だが被疑者に情報を洩らすほど愚かじゃない、優秀な刑事だと思っている。縞長も同感だという。高丸は「じゃあ、ちょっと調べてみる?」と縞長に言う。表向きは下平を捜すということにして・・・。密行の業務をベースにした二人の行動が始まる。
 噂の立った熊井に二人がどういう対応をしていくかが読ませどころとなっている。

 高丸と縞長はますます良いコンビになっていく。同じく短編の連作でこの続編が出るとおもしろいと思うのだが・・・・。

 お読みいただきありがとうございます。

本書と関連して、事実レベルでの事項を少し調べてみた。一覧にしておきたい。
機動捜査隊   :ウィキペディア
公安機動捜査隊 :ウィキペディア
警視庁・第三機動捜査隊  :「dailymotion」
警視庁・第1機動捜査隊長 原きよ子さん 2016.1.25 :「朝日新聞DIGITAL」
警視庁公安機動捜査隊、活動の映像を公開 2011.4.1 :「0テレNEWS24」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『エムエス 継続捜査ゼミ2』  講談社
『プロフェッション』  講談社
『道標 東京湾臨海署安積班』  角川春樹事務所
=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 === 更新6版 (83冊) 2019.10.18


『曙光を旅する』  葉室 麟  朝日新聞出版

2020-02-13 11:14:22 | レビュー
 本書は、「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ。」という書き出しの文章から始まる葉室麟流の歴史紀行文を中軸としている。出版は2018年11月。著者葉室麟は2017年12月に逝去。奥書によれば、歴史紀行文は朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日という期間で連載されたものである。

 中軸という言い方にとどめたのは、本書の構成が持つ特徴による。
 「第Ⅰ部 西国を歩く」と「第Ⅱ部 先人を訪ねて」が連載された紀行文に相当する部分だろう。第Ⅱ部には連載記事とは独立した形で同紙に掲載された「土筆摘む背中 追いかけて」と「対談 小説世界 九州の地から」が併載されている。その後に「第Ⅲ部 苦難の先に」と「第Ⅳ部 曙光を探して」が続いている。四部構成である。
 2016年4月14日夜、熊本県益城町で震度7の地震が起き、その後一連の地震が続き、九州に大きな被害を及ぼした。第Ⅲ部には、地震後に著者が作家石牟礼道子さん(89)と思想史家渡辺京二さん(85)をお見舞いするために訪れた時のことを語った随筆である「熊本の友へ」、「希望の芽吹きを信じて」が収録されている。さらに熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(こわし)について考えるために熊本を訪れた時の随筆「先人が問う『国のかたち』」と、2017年7月の九州北部豪雨で被害が最も大きかった福岡県朝倉市にある秋月を訪れた時の随筆「苦難を乗り越え静謐祈る」が収録されている。この第Ⅲ部には連載の一部が含まれるのかもしれない。
 第Ⅳ部は、著者に対するインタビュー記事と「葉室メモ」が収録されている。前者のインタビューは「このインタビューは2017年の春先、葉室さんの司馬遼太郎賞受賞と小説単行本50冊突破、そして『曙光を旅する』連載開始から2年の節目に合わせたものだった」という。「葉室メモ」とは、新聞連載を準備中だった時点で、著者が紀行文を連載するという企画に対して、自分自身の考えと候補地をメモにまとめて、担当記者に送った内容だという。普通なら表に出ない内輪の記録になる部分が敢えて収録されているところに、本書の特徴がある。そこには、著者葉室麟に対する追悼的な意味合いも込められているように受けとめた。葉室麟が歴史小説を書く際の立ち位置・視座を著者自らの言葉や語りで読者に伝えるメッセージとしての開示である。その内容は、もし著者が健在で今も第一線で作品を発表している状況ならば、この歴史紀行には掲載されずに、別の形でまとめられていたような気がする。
 そして、本書にはもう一つ別次元からのメセージが併載されている。それは、当初の連載が背景にあってのことであるが、著者と関わりの深かった人々が語る葉室麟への追悼文が寄稿されていることである。
   「時勢に流されず」       高嶺朝一氏
   「蜩と沈黙の壺」        上野 朱氏
   「近代の闇 先に見たものは」  川原一之氏
   「『垂直方向』へ赴くこだわり」 東山彰良氏
   「憲法への深い見識に驚き」   南野 森氏
これらは各筆者が葉室麟と対話して抱かれた葉室麟像であり、また鎮魂のメッセージでもあると思う。読者にとっては葉室麟像を豊かにする糧になる。

 さて、新聞連載となった中軸部分に話を戻す。
 著者は、冒頭の「旅のはじめに」の一文中に、若き頃、司馬遼太郎さんの歴史紀行『街道をゆく』のファンだったと記し、「かねがね地方をめぐって歴史に触れてみたいと思っていた」という。その思いが叶ったのがこの旅だったのだろう。この文の続きは、著者葉室麟の小説世界を理解する上で、また本書の歴史紀行文を味わう上で、重要な記述だと思う。「それも勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや路地を歩きたかった」(p10)と己の視点を明確に提示している。さらに、「私は詩人ではないが、近頃の世の中の流れを見ていると頭上に黒雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる。」という現代に対する警戒感を表明し、「我々は、どのような時代に生きているのか、何を喜び、何を悲しんでいるのか」を告げる詩人が求められている時代だと言う。ここに著者の立ち位置と時代への感性が表明されている。
 文の末尾に、「時代の始まりは、曙光によって告げられる。これからの旅で過去であり、未来でもある風景を見たいと思っている」と記す。

 この歴史紀行は、各地の歴史や史跡を一般的に語る類いのものではない。著者の視点から是非遺構その他の対象物を眺めそこで考えて見たい現地(場所)や、現地を訪れそこで足跡を辿ってみたい人物など、かなりクリアに的が絞られている。そこには、著者が今までに作品として手がけてきた人物も居れば、著者が特に関心を抱く人物も居る。後者は著者が今後の作品として構想する人々や場所ではなかったかと思わせる。また、著者に影響を与えた人々の住む地を訪れた時の現地紀行文は、葉室麟の自己形成と思索の背景を知る上で有益である。
 紀行文に出てくる主たる場所(遺構・史跡など)と人物をキーワードとして、列挙しご紹介しておこう。勿論、場所の背景には人が、人の背景には場所がある。これらのキーワードからどこの地を訪れて書かれた紀行文かがわかるだろうか。本書を開けて行き先を確認し、紀行文を味わっていただきたい。
 場所:大学敷地内に復元された元寇防塁、名護屋城跡、大浦天主堂、三重津海軍所跡
    長崎原爆資料館、下関市立歴史博物館、高江と辺野古
 人物:大友宗麟、広瀬淡窓、西郷隆盛、坂本龍馬、木戸孝允、宮崎滔天、金子堅太郎
    小村寿太郎、島村速雄、火野葦平、島尾敏雄、上野英信
 対話:古川薫、大城立裕、上野朱、松下竜一、石牟礼道子、渡辺京二、川原一之
 
 「『司馬さんの先』私たちの役目」というインタビューが収録されていると上記した。この中には、葉室麟の小説世界への理解を深めるために有益なポイントが語られているので取り上げておきたい。
 著者は、「『人生は挫折したところから始まる』が、私の小説のテーマだ」(p206)と述べている。 また、次のように言う。「歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。性格や置かれた状況など、『かっこ良くて似ている』というわけではなくて、逆に『弱っちい』みたいなところで通じることもあります。自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。」(p207)と。
 また、「対談 小説世界 九州の地から」にも著者の視点が語られている。一部重複するが取り上げておきたい。「僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。歴史は勝者の視点でつくられるのが常。でも、敗者であっても真っ当に生きた人たちがいて、敗者には敗者の意味がある」(p169-170)と。
 そして、著者は執筆活動を通じて、「日本の近代化とは何だったか」という問いに突き当たるという。そこに歴史小説作家としての問題意識があったようだ。また、「来年(付記:2018)は明治維新から150年。『日本の近代化とは何だったのか』と総括する時期に来ている。」(p205)とも記している。もし、葉室麟が健在だったなら、この『曙光を旅する』で著者が紀行文に記した人々を介して描き出される歴史小説を次々と発表し続けているのではないかと思う。葉室麟の小説世界に触れてきた一読者として実に痛恨である。

 最後に、印象深い文をいくつかご紹介して終わりたい。
*心を澄ませて歴史の真実と向かい合わねばならない。現代の「海を渡る」とは、逃げずに話し合いを深めていくことだ。そのための勇気をわれわれは持っているだろうか。p30
*大切な人のために泣くことができ、響き合い、共感する心こそが対立を乗り越える。p41
*西郷は、元に屈服することを拒んだ文天祥のように、偏狭な西欧化に抗して西南戦争で城山の露と消えたのだと、私は思う。p46
*「葦」は吹く風に打ち伏し、逆境のなかで屈伏したかのように見える。しかし、風が去れば、頭をもたげ、再びもとの姿に戻って微風に揺れるのだ。p94
*広島を訪れた最初のアメリカ大統領の言葉が詩的なのは、ある意味、残酷なことだ。
 われわれは、原爆が落とされたあの日から、この国の美しさを見失ってしまったのではないかと思うからだ。しかし、本当に原爆において美しさを失ったのは、被爆国ではなく、投下した国のほうであるに違いない。p102
*ところで幕末、長州を覆った狂熱的な海防意識のルーツは、藩主の毛利氏に先立つ中国の守護大名の大内氏にあるのではないかと、かねてから私は考えている。p116
*現在の沖縄の苦しみは、戦後すぐの日本の苦しみだった。だが、戦後の経緯の中で本土は苦しみを忘れた。だから沖縄をわかろうとはしない。沖縄がわかれば苦しみが戻ってくるからだ。p122-123
*直木賞に選んでいただいた『蜩の記』は「土筆(つくし)の物語」でもある、と言ったら変に聞こえるだろうか。・・・・・庄三郎は、なぜだかわからないがそうしたいのだ、と答える。・・・・しかし、いまになってみればわかる。わたしがそうしたかったのだ。上野さんの背を追って生きたかった。だから「土筆の物語」を書いたのだと思う。p140-141
*現代社会に電力は欠かせないが、一方で暗闇の中にもひとの幸せはある。
 東日本大震災により福島原発の大事故が引き起こされたいま、「暗闇の思想」は古びることなく、新たな輝きを持つ。p148
*自分が感じていないことは書けませんから。小説とは、うそをつけないものかもしれません。p172
*自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。・・・・・・その感性から逃げないことが何より大切だと思います。p173
*普段は見えない人のつながりが災害によって浮かび上がる。人は、やはり一人では生きていないのだ。p186-187

 本書は、葉室麟の歴史小説を読み込んで行くために、著者の考え・視点などを知る上で不可欠な一書といえる。上掲5篇の寄稿文及び佐々木亮氏の「『あとがき』にかえて 時代詠う旅 思い引き継ぐ」は、作家葉室麟を知る上で興味深い手がかりを与えてくれている。

 ご一読ありがとうございます。

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葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)
                  2020.2.11 現在 66冊 + 4

『星と龍』 葉室 麟  朝日新聞出版

2020-02-11 11:48:46 | レビュー
 奥書を見ると、初出は「週刊朝日」の連載小説で、2017年4月14日号~11月24日号に掲載されたと記されている。著者葉室麟は2017年12月に逝去した。この単行本が出版されたのが2019年11月である。巻末に「(未完)」の文字が記されている。葉室麟の最後の小説であり絶筆となった。末尾の安部龍太郎氏の解説によると、2017年の初め頃に葉室さんが発病されたと聞いたという。その後小康状態を保ったものの決して万全な状態ではない中で、この作品が書き続けられたという。そして力尽きて、未完となった。葉室麟はさぞかし無念だっただろう。改めて合掌!

 タイトルの星と龍は二人の人物を象徴している。「星」は、徳による治世を実現させる人物の象徴としての後醍醐天皇をさす。「龍」は、その治世の実現のために正しきことを為そうと現実の修羅の世を駈け昇る人物の象徴として楠木正成をさす。
 この小説は南北朝時代の始まりを焦点にしている。それは鎌倉幕府の滅亡と足利幕府の勃興への過渡期にあたる。日本の大きな変革期にあたる時代である。江戸末期から明治への過渡期の象徴的人物を坂本龍馬とするならば、鎌倉時代から室町時代への過渡期となる南北朝時代の象徴的人物は楠木正成ということになる。南北朝時代が始まる契機となった日本の状況と時代を突き動かす背景となった思想を踏まえて、その時代にそれぞれの人物が己の思いを抱いて戦いという場を介して関わり合って行く。それらの人々の織りなす世界を描こうとした作品と言える。著者は、天皇が南朝と北朝に分かれて並存した南北朝という一種異常な時代の存在に目を向ける。万世一系の天皇制という観点にたてば、天皇の並存というのはまざに異常事態だろう。その基を直接生み出すのが後醍醐天皇といえる。後醍醐天皇を星と見なし従うのが楠木正成ということになる。この時の日本の実態、有り様を明らかにしていくことを著者はテーマとしたのではないかと思う。

 手許に高校生向け学習参考書『詳説日本史研究』(山川出版社、1998年)と日本史年表がある。それらを参照し、時代背景をまず概観しておこう。
 鎌倉時代の承久元年(1219)に鎌倉では北条氏による執権政治が確立していた。1221年5月に承久の乱が起こり、後鳥羽上皇の隠岐配流をはじめ関係者が配流される。その後も京の朝廷では院政が続く。北条泰時の指名により即位した後嵯峨天皇は後深草天皇に譲位し、上皇となり院政をしき、ついで後深草天皇の弟・亀山天皇を皇位につけた。だが、後嵯峨上皇は院政の後継者を決めないまま死去した。これが原因で、皇統は後深草上皇の流れ・持明院統と亀山上皇の流れ・大覚寺統に分裂する。両統が天皇位を得ようと画策を繰り返す。1317年の文保の和談で、一旦両統で交互に天皇に即位する両統迭立(てつりつ)という方向が打ち出され、これ以降鎌倉幕府は皇位継承には干渉しないと宣言したという。この和談ののち、後醍醐天皇(大覚寺統)が即位する。後醍醐天皇は宋の朱子学を学び、徳による政治という理念に強い意欲を示し、父の後宇多上皇の院政を廃し、天皇親政を始めた。平安時代の延喜・天暦を範としその再現をめざす。延喜・天暦の治とは醍醐天皇・村上天皇の時代である。この時代を範とする所から、己の死後の諱を後醍醐と自ら決めたと言われている。
 この後醍醐天皇が、真に天皇親政を実現するためには、鎌倉幕府の打倒が必然となる。倒幕計画を立てるが、事前に発覚してしまう。それが1324年10月の「正中の変」である。この時は、後醍醐天皇の側近者の処分で事が納められた。だが、後醍醐天皇は1331年5月、再び行動を起こす。「元弘の変」と称される。だが、8月に後醍醐天皇は京都を脱出し笠置山に潜行する羽目になる。同年9月に悪党と呼ばれる楠木正成が後醍醐天皇に味方して赤坂城に挙兵する。ここから楠木正成が歴史に名を残す一人となっていく。この時、鎌倉幕府は、光厳天皇をたてるという行動に出る。いわゆる北朝である。ここから後に言う南北朝時代が始まる。
 1332年に後醍醐天皇は幕府軍に捕まり3月に隠岐に配流となる。一方、赤坂城は落城し、正成は一旦行方をくらます。同年11月に後醍醐天皇の皇子・護良親王が大和の山間部で挙兵する。悪党の一人、赤松円心が護良親王の味方をして立ち上がる。同時期、楠木正成は河内の千早城で再び挙兵して、独自の戦法を駆使し、縦横無尽の活躍で幕府軍に対峙していく。1333年2月、後醍醐天皇は悪党の支援を得て隠岐を脱出し、伯耆の悪党・名和長年に迎えられ、船上山に籠もる。天皇の下には鎌倉幕府に叛意抱く武士や悪党がはせ参じる。鎌倉幕府は後醍醐天皇軍を鎮圧するために、幕府軍として足利高氏を京都に派遣するのだが、高氏は独自の行動を取り始めて行く。高氏は後醍醐天皇に呼応し、鎌倉幕府を討つ意志を明らかにしていく。1333年5月に、足利高氏は赤松円心らと六波羅を破る。また、高氏の離反を含めてその形勢を凝視していた全国の武士たちは倒幕の軍に加担し、各地の幕府・北条氏の拠点を攻撃していく。中でも、源氏の一門である新田義貞は、大軍を指揮し鎌倉に攻め入り、激戦の上、北条氏を敗北せしめる。北条高時以下北条一族と主だった御内人の自殺により、鎌倉幕府が滅亡する。
 後醍醐天皇は京に還御し、ここに「建武の新政」が始まる。だが、それは徳による治世の始まりには至らない。新政はたった3年であえなく崩れ去ると史実は語る。

 この未完に終わった小説は、正中の変が起こる前段階の時点から始まり、建武の新政がその緒に就き始めた時点までで、擱筆された。室町時代に書かれた軍記物で、南北朝の動乱の全体像を描いたとされる『太平記』の世界のいわば第二ステージ(正中の変~建武の親政開始)を描いていると受けとめることができそうだ。未完であるが、南北朝の一つのステージでの動乱状況と主要な登場人物の人間模様はここに鮮やかに描出されているといえる。そういう意味では、『星と龍』のストーリー展開は、最初の一区切りがついたところで奇しくも絶筆となった作品と言えるかもしれない。
 なぜなら、この未完の書の末尾は、夢窓疎石が楠木正成と茶室に入り、夢窓が清雅な佇まいで茶を点てながら、正成に問いかける言葉で締めくくられているからである。
 「さて、楠木殿は帝と足利が争えばいずれにつかれる」

 このストーリーの構成で興味深い事項を列挙しておきたい。
1.ストーリーは冒頭、南宋の宰相だった文天祥の生き様が語られる。それは楠木正成が見た夢だったというところから始まるのだ。このストーリーに登場する主要人物が、それぞれに夢をみる。その夢を己の行動に結びつけて行くという筋立てがおもしろい。誰が夢をみるのか。楠木正成、後醍醐天皇、足利高氏、北条高時である。どんな夢か。それは本書を開いて、お楽しみいただきたい。正成は複数の夢をみる形で描かれて行く。聖徳太子までも夢に現れることに・・・・。また、正成が高氏から直接彼の夢の話を聞くという設定になっているところもおもしろい。

2.この時代の社会構造として、京の朝廷の世界と鎌倉幕府の世界が並存し、政治力学としては幕府が朝廷を押さえていた。その幕府のやり方に対立するのが朱子学を学び、己がすべての治政の頂点に立つことを願った後醍醐天皇である。後醍醐天皇が己の夢・願望を成就するために取る行動が動乱を呼ぶことになる。興味深いのは、この時点での鎌倉幕府は、一枚岩ではなく、内部に様々な問題を含んでいた。その辺りの状況がわかりやすく描き出されている。また、鎌倉幕府と主従関係を結ぶ武士たちに対し、幕府とは独立していて、独自に活動する悪党と呼ばれる集団が各地に勢力を持ち存在した。楠木正成、赤松円心、名和長年らがそれである。「武」という側面で、武士と悪党は対立構造にあった。一方で、悪党が幕府側に対応するスタンスも様々な色合いがあって興味深い。

3. このストーリーの中心人物は勿論楠木正成である。正成は周りの者から夢兵衛と呼ばれていると描かれる。「わたしは正しきことをなしたいのだ」と己の夢を追いかけようとする。この正成の抑制力となり、一方で、行動の支援力なるのが弟の正季である。正成と正季があたかも一対の存在として描かれて行くところもおもしろい。そして、正しきことをなすという夢を実現する上で、後醍醐天皇が正成にとってめざす星となっていく。興味深いのは、正成が後醍醐天皇を星と仰ぎつつ、後醍醐天皇の心の裡・考えを突き放して客観的に眺めている姿である。そこに著者の批判的視点が重ねられているように感じる。

4. このストーリーの中で、二人の人物が黒子的存在として登場する。このストーリーの中で人間関係の仲介役を果たす一方で、重要な立ち回りを行う形で描かれていく。その一人は、旅の僧、無風である。正成は少年時代に観心寺の塔頭中院で学僧龍覚から仏法を学び、その中院で無風から朱子学を学んだという。その無風が成人した正成の許に再び現れる。それも山伏の姿の公家、日野俊基を正成に引き合わすためである。それは正成と後醍醐天皇との関わりの端緒として描かれる。無風は、要所要所で正成の前に現れることになっていく。無風の出現は正成が己の夢を果たすための行動への推進力となっていく。これを傍でながめる正季の反応と行動がおもしろい。
 もう一人は、鬼灯(ほおずき)という女商人である。正成が京に上るとき、父の正遠入道から楠木家の家業である水銀に関係し、海外に商売を広げる上で宋銭がいる故に、鬼灯に会い宋銭を入手するようにと指示を受ける。だが、鬼灯には己が所有する宋銭を使って果たしたい宿望があった。その達成のために、鬼灯の方から正成に会う機会を作っていく。鬼灯は既に悪党赤松円心とも人間関係を築いていた。その宿望は何か? 本書でのお楽しみに。

5. このストーリーの背景に、著者は中国の元と南宋の影を投げかけ、関与する人物を織り込んでいく。これが史実を踏まえたものか、著者が歴史の文脈、空隙を繋ぐフィクションなのかは定かではない。だが、ストーリーの展開の上で、一つの要となる役割を担わせていく。
 それは元の使者として日本に渡来した禅僧の一山一寧に端を発する。彼は弟子の夢想疎石に遺言を託す。一山一寧は正和2年(1313)に後宇多上皇の懇請に応じ、上洛して南禅寺三世となっている。夢窓は鎌倉公方の菩提寺として、嘉暦2年(1327)に鎌倉に瑞泉寺を創建している。その夢窓が師の遺言を実現するための役割を担おうとする。夢窓と正成の人間関係の仲介をするのもまた無風である。夢窓と無風の間にはある因縁があるものとして描かれている。実に興味深いところである。

 未完で絶筆となったこのストーリー、もし著者が書き継ぎストーリーを完了させるとすると、どこまでの展開として描くのだろうか。星と龍というタイトルから想像すると、少なくとも星(後醍醐天皇)と龍(楠木正成)のその後の生き様とその死まで描き切ったのではないだろうか。
 日本史の年表に記される史実をいくつか列挙してみる。
   延元元年(1336) 5月 湊川の戦(楠木正成敗死)
           12月 後醍醐天皇、吉野還幸
    同 3年(1338) 8月 足利尊氏、征夷大将軍 幕府政治を再興
    同 4年(1339) 8月 後醍醐天皇没
   正平 3年(1348) 1月 四条畷の戦
   観応元年(135)~   観応の擾乱(→全国的な争乱に発展)

 点情報としての史実を踏まえて、著者の想像力がどこまでどのよに羽ばたいただろうかと考えると、興味が尽きないところである。未完で終わるのは惜しい。嗚呼。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関連項目をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
太平記    :ウィキペディア
楠木正成   :ウィキペディア
後醍醐天皇  :ウィキペディア
護良親王   :ウィキペディア
足利尊氏   :ウィキペディア
新田義貞   :ウィキペディア
北条高時   :ウィキペディア
赤松則村   :ウィキペディア
名和長年   :ウィキペディア
赤坂城の戦い :ウィキペディア
千早城の戦い :ウィキペディア
千早城・千早神社  :「千原赤坂村観光案内」
千早城 : 太平記で有名な “大楠公” 楠木正成公が築いた難攻不落の山城跡:「お城めぐりチャンネル」
湊川の戦い  :ウィキペディア
四条畷の戦い :ウィキペディア
一山一寧   :ウィキペディア
夢窓疎石   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)

葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)

2020-02-11 11:32:28 | レビュー
                           2020.3.6 現在 68冊 + 6

葉室麟の作品を読み継いできました。そのリストを著作の出版年次順に整理してみました。尚、読了していて作品の読後印象を記していないものや未読のものがあります。

[小説作品]
『乾山晩愁』  角川文庫 2008/10 ← 2005/10 新人物往来社
『実朝の首』  角川文庫 2010/5 ← 2007/5 新人物往来社
『銀漢の賦』  文藝春秋      文春文庫 ← 2007/7 文藝春秋
『風渡る』   講談社      講談社文庫 ← 2008/6 講談社
『いのちなりけり』  文藝春秋   文春文庫 ← 2008/8 文藝春秋
(『秋月記』 角川文庫 ← 2009/1 角川書店 当ブログへの読後印象記記載以前に読了)
『風の王国 官兵衛異聞』  講談社  2009/9 講談社
   ⇒文庫は『風の軍師 黒田官兵衛』に改題
『花や散るらん』 文藝春秋     文春文庫 ← 2009/11 文藝春秋
『オランダ宿の娘』  早川書房 ハヤカワ文庫 ← 2010/3 早川書房
『柚子の花咲く』  朝日新聞出版  朝日文庫 ← 2010/6 朝日新聞出版
『橘花抄』   新潮社       新潮文庫 ← 2010/10 新潮社
『川あかり』  双葉社       双葉文庫 ← 2011/1 双葉社
『恋しぐれ』  文藝春秋      文春文庫 ← 2011/2 文藝春秋
『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』 実業之日本社 文庫 ← 2011/6 実業之日本社
『星火瞬く』  講談社     講談社文庫 ← 2011/8 講談社
『蜩ノ記』  祥伝社       祥伝社文庫 ← 2011/11 祥伝社
『冬姫』 集英社         集英社文庫 ← 2011/12 集英社
『無双の花』 文藝春秋       文春文庫 ← 2012/1 文藝春秋
『散り椿』  角川書店       角川文庫 ← 2012/3 角川書店
『霖雨』   PHP研究所  PHP文芸文庫 ← 2012/5 PHP研究所
『千鳥舞う』 徳間書店       徳間文庫 ← 2012/7 徳間書店
『この君なくば』 朝日新聞出版   朝日文庫 ← 2012/10 朝日新聞出版
『螢草』 双葉社          双葉文庫 ← 2012/12 双葉社
『おもかげ橋』 幻冬舎      幻冬舎文庫 ← 2013/1 幻冬舎
『春風伝』  新潮社        新潮文庫 ← 2013/2 新潮社
『陽炎の門』 講談社       講談社文庫 ← 2013/4 講談社
『月神』  角川春樹事務所    ハルキ文庫 ← 2013/7 角川春樹事務所
『さわらびの譜』 角川書店     角川文庫 ← 2013/9 角川書店
『潮鳴り』 祥伝社        祥伝社文庫 ← 2013/11 祥伝社
『山桜記』 文藝春秋        文春文庫 ← 2014/1 文藝春秋
『紫匂う』 講談社        講談社文庫 ← 2014/4 講談社
『天の光』 徳間書店        徳間文庫 ← 2014/6 徳間書店
『緋の天空』 集英社       集英社文庫 ← 2014/8 集英社
『風花帖』 朝日新聞出版 朝日文庫 ← 2014/10 朝日新聞出版
『峠しぐれ』  双葉社        双葉文庫 ← 2014/12 双葉社
『影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録』 文藝春秋 
                     文春文庫 ← 2015/1 文藝春秋
『春雷』 祥伝社         祥伝社文庫 ← 2015/3 祥伝社   
『山月庵茶会記』 講談社     講談社文庫 ← 2015/4 講談社
『蒼天見ゆ』 角川書店        角川文庫 ← 2015/5 角川書店
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』 新潮社  新潮文庫 ← 2015/8 新潮社
『風かおる』  幻冬舎       幻冬舎文庫 ← 2015/9 幻冬舎
『草雲雀』  実業之日本社 実業之日本社文庫 ← 2015/10 実業之日本社
『はだれ雪』  角川書店      角川文庫 ← 2015/12 角川書店
『神剣 一斬り彦斎』 角川春樹事務所 
                    ハルキ文庫 ← 2016/2 角川春樹事務所
『辛夷の花』   徳間書店 徳間文庫 ← 2016/4 徳間書店
『秋霜 しゅうそう』  祥伝社  祥伝社文庫 ← 2016/5 祥伝社
『津軽双花』  講談社      講談社文庫 ← 2016/7 講談社
『孤蓬のひと』 角川書店      角川文庫 ← 2016/9 角川書店
『あおなり道場始末』 双葉社    双葉文庫 ← 2016/11 双葉社
『墨龍賦』 PHP      PHP文芸文庫 ← 2017/2 PHP研究所
『風のかたみ』  朝日新聞出版          2017/3 朝日新聞出版
『潮騒はるか』  幻冬舎             2017/5 幻冬舎
『嵯峨野花譜』  文藝春秋            2017/7 文藝春秋
『草笛物語』  祥伝社               2017/9 祥伝社
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋         2017/11 文藝春秋
『天翔ける』  角川書店             2017/12 角川書店
『玄鳥さりて』  新潮社 2018/1 新潮社
『雨と詩人と落花と』 徳間書店          2018/3 徳間書店
『青嵐の坂』  角川書店             2018/5 角川書店
『蝶のゆくへ』  集英社             2018/8 集英社
『影ぞ恋しき』  文藝春秋             2018/9 文藝春秋
『暁天の星』  PHP              2019/6 PHP
『星と龍』  朝日新聞出版             2019/11 朝日新聞出版


[随筆他]
『随筆集 柚子は九年で』  文春文庫  2014/3 ← 2012/4 西日本新聞社
『日本人の肖像』 聞き手・矢部明洋   講談社   2016/8 講談社
『古都再見』   新潮社              2017/7 新潮社
『河のほとりで』  文春文庫    文春文庫 ← 2018/2 文藝春秋
『洛中洛外をゆく。』  葉室麟&洛中洛外編集部 KKベストセラーズ
                          2018/6 KKベストセラーズ
『曙光を旅する』  朝日新聞出版         2018/11 朝日新聞出版
                

[葉室麟の短編作品が収録されている作品集]
『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社
                     講談社文庫 ← 2014/11 講談社
『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社
                     講談社文庫 ← 2015/5 講談社
『決戦! 本能寺』 伊東・矢野・天野・宮本・木下・葉室・冲方  講談社
                     講談社文庫 ← 2015/11 講談社
『決戦! 忠臣蔵』 葉室・朝井・夢枕・長浦・梶・諸田・山本  講談社
                             2017/3 講談社
『決戦! 新選組』  葉室・門井・小松・土橋・天野・木下  講談社
                             2017/5 講談社
『決戦! 関ヶ原2』 葉室・吉川・東郷・箕輪・宮本・天野・冲方  講談社
                             2017/7 講談社

以上