太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

エリートと呼ばれる人の勘違い

2017-06-29 08:55:24 | 社会観察

今日も朝のワイドショーは暴言女性議員の新たな録音テープでもちきり。昔、奈良に住んでいた頃、JR駅前でこれに似た罵声を耳にしたことがある。駅前広場でどなり声が聞こえる。「女と思ってなめとんのかコラッ。何時でもやったるぞ来いやっ。勝てると思っとんのか。」中年のオバサンが自転車に乗っていた若いあんちゃんの向かって大声を張り上げている。あんちゃんがぶつかりそうになったか、何か文句を言ったのかは分からない。剣幕に圧倒されたのか、自転車のあんちゃんは下を向いてすごすごと去って行った。観光客も結構居る広場である。古都奈良も結構油断できないと思ったものだ。

何十年振りかに中年のおばさんの罵声を聞くことになったが、議員の実家の家族関係が紹介され、さもありなんと思った。3人姉妹で姉が医社、妹が弁護士、父親が東大卒で母親が東京外大。本人は東大法学部でハーバートの大学院。多分これ以上のエリート家族は無いと思うし、エリート意識を持つなと言う方が無理である。唯一似たようなエリート家族なら高校の同級生に居た。両親が医者(東大卒だと聞いていた)で兄貴が東大医学部、同級生も東大に進学、後に弁護士になった。随分田舎の高校だったので、このようなエリート家族は珍しい。違うのは兄貴は訪問医療を続ける街の赤ひげ先生としてTVで報道されたことがあり、同級生は東大紛争終結時にちょっと名を馳せたが、弁護士になってから過労死110番を作ったり、最近では電通の過労死裁判で時々TVで見掛ける。家族の違いは家庭教育の差なんだろう。

以前ブログで書いたことがあると思うが、社会の出ると全く同じ仕事をする人は居ない。学生時代のように同じペーパーテストで優劣が数字で判断はできない。誰が偉いとかは比べようが無いのである。何年か勤務した頃、会社だから当然査定というのもがある。同期で某私立大学を出て営業に回った男が居る。同期の中で、特に技術系に配属された者からは、何時も元気だけが取り柄とやや下に見られていたが、査定はダントツ上であった。営業と技術は同じ土俵では比較できないのである。技術系に営業をやらせても彼の実績を上回ることはできない。彼が技術に来ても何もできないのと同じように。さんまの司会でひな壇に並ぶ東大生も、多分頭はさんまよりできると思っているだろうが、果たして自分は将来さんまの年収を上回ることが出来ると思っているだろうか。冷静に考えれば無理である。

議員と秘書、後部座席に座る者と運転主、絶対的優位にあると思っていた、世間の常識からして絶対服従するであろうと思われた相手から強烈な反撃をくらう。昔ロッキード事件の時に、蜂の一刺しと喩えられた女史がいたことを思い出す。世の中に絶対優位、絶対エリートなどと言う者は存在しない。企業の内部告発も同じだ。何処にも比べようの無いエリート意識そのものが細い綱の上を渡っていることに気づかなければならない。一度落ちたら千尋の谷、這いあがることは難しい。庶民?確かに渡っているが小学校の運動場にある低い平均台の上を歩いている。ちょっとバランスを崩して地面に片足がついても知らぬ顔で元に戻れば良い。どっちが良いか?うーン、来生は一度でいいからエリートと呼ばれる身分も味わってみたい。

 



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