太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

長いか短いか

2017-07-07 07:46:50 | 日記

北九州が豪雨で甚大な被害を被っている。中1日の小康から再び豪雨に見舞われる予報になっている。住んでいるところは平坦な県で山らしきものは無く、急峻な川が無い為自然の景観には恵まれていないが、洪水や山崩れの危険は殆ど無い。短時間雨は降ったが、今日も晴れ間の覗く初夏の日差しである。TVに映し出される現地の悲惨な状況はとても同じ日本とは思えない。被災地は緑豊かな山に土砂崩れが起こり、普段は清流であろう川は濁流となり両岸の村は流木で押しつぶされている。狭い国土の日本というイメージはあるが、列島はこれほど天候の違いのある、長い国であることを思い知る。長いと言うのは良い点と悪い点がある。被災地をまるで他人事、対岸の火事のように見てしまう事、一方少しでも無事な所は被災地を支援する力が残る。災害が無ければ何と美しい日本の風景であっただろうに、これは東北の大震災、原発事故の時も同じことを思った。永遠に続く雨は無い。是非ともこれを乗り切って欲しい

長いと言っても日本列島は横一直線(緯度線に沿って)でも無く、縦一直線(経度線に沿って)でもなく、斜めに長い。斜めに長い事は色んな意味でラ幸いである。時差のある大国に行った事がある人は分かると思うが、かなり不便である。日の出日の入りが全域同時刻も困ることは沢山ある。エネルギー消費は極端にピークが出て均し効果がない。人間の行動もしかり、集中問題が起こる。斜めの国はその中間で様々なことを緩和し、極端なことは起こり難い。

今日は母親の命日である。生きていれば92歳であるが、49歳で亡くなったから47年経ったことになる。七夕が命日なので忘れることはない。今思えば49歳というのは如何にも短い人生であったが、何歳なら良かったと言うと結構難しい問いである。息子(私だが)を溺愛していたからきっと嫁姑問題はあったろう。同僚が今直面している親の介護や認知症の面倒をみるという苦労は子供たちには掛けなかった。苦労して子供を育て、やっとこれから気楽に孫の面倒が見れる直前であったことは可哀そうでもある。二重橋も見ないで死んだ母親を思うと、島倉千代子の歌を聞くたびに今でも喉が詰まる。必ず想い出してしまう命日が果たして良いのかどうか。想い出してくれてありがとうと思っているか、何時までも覚えていられるとこちらも結構しんどいと言うだろうか分からないが線香くらいは手向けなければ。

何歳まで生きればという問いは、平均寿命くらいは、というのが答えだろう。斜めがかりの人生である。今闘病中の仲間にもメッセージ。何としても平均までは辿りつこう。惜しまれるのは残る人には不幸だし、かと言って安堵されるのも少し切ない。自然に人々の記憶からフェードアウトするには平均寿命までは行かないと。憎まれっ子何とかと呼ばれたが意外と普通だったと思われるくらいまでは。



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