太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

悲しみは(距離×時間)に反比例

2017-08-17 08:19:10 | 日記

お盆も過ぎたが毎年小さな仏壇に線香をあげて早く亡くなった両親を偲ぶ。代々は神道だったようだが神仏を崇めることが無かった父親に遠慮しながら母親が自分の為に買った仏壇である。深刻な病気から快復の兆しを周りも見て取った時期である。ああ良かったこれで治ると思っていた矢先、仏壇を買った。誰に相談もせず一人で決めたようである。もしかしたら本人は覚悟を決めていたのかも知れない。長男である私はこれを引っ越しの度に持参する。特に今は両親の為に建てたお墓から遠く離れて入る為にお盆だから墓参りと簡単にもいかない。せめて小さな仏壇に線香と花を手向ける。

もう両親が亡くなって40年以上経つが不思議なものである。苦労ばかりでこれから楽にさせられるという矢先に亡くなった母親を思うと、これ以上の大きな悲しみは無い、一生この悲しみは癒えることは無いと思っていた。しかし線香をあげる時物凄く冷静に母親の人生を思う自分が居る。楽しみとか、希望といったものを持っていたのだろうか。どうしても想像がつかない。ただ一つ入院していた頃同室の人からお母さんは何時も子供の自慢をしてたと聞いたことがある。何とか3人の子供が学校を出て就職した頃である。普段は何も言わなかったが子供の成長だけが楽しみだったようである。3年後に父親も亡くなったが喧嘩ばかりしていた記憶がある。仲が良かったのかどうかずっと不思議だったがある時、一人暮らしになった父親が母親しか眠っていない墓に行って手を合わせる姿を見たと親戚の者から聞いた。決して仲睦まじくの夫婦では無かったと思うが、一人になって父親は手を合わせて何を母に話し掛けていたのだろう。今では誰もその心中を知る事はできない。

決して立ち直れる事は無いと思う悲しみも時間は確実に癒して行く。先日仕事仲間だった者が亡くなったが、多分しょっちゅう顔を突き合わせていた時より冷静に受け止めていたように思う。こちらがリタイアして行動範囲が被らないようになっていたせいかも知れない。その人の人生を思い、悲しみより残念さの方が大きいのは二人の間の距離感によるものだろう。同居している祖父母と別居では感情は異なる。感情の無い金魚ですら死んでしまうと悲しい。例えが適切ではないが、残された方々の悲しみは何時か癒える、それは忘れる事とは違う。乗り越えて欲しいものである。