書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

 『荘子』「齊物論」のいわゆる“胡蝶の夢”の部分についての私見

2017年01月21日 | 哲学
 昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與!不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。 (テキストは中國哲學書電子化計劃から) 

 この“胡蝶の夢”のくだりを、ウィキペディア同項は、「万物は絶えざる変化を遂げるが、その実、本質においては何ら変わりのないことを述べているのである」と、解しているけれども、どうだろう。
 「人間の精神と認識と知恵は有限だから、最初からわかるはずがないものを一所懸命ことわけて考えてみてもしかたがない」という意味なのではないかと、私は一読以来、思っている。どちらも自分であること、それだけは確かだ、ならばそれでよいではないかと。
 さらに個人的な印象を述べると、おそらく分析的に考え言挙げしようと思えばおそろしいほどにできるはずの男がそう言うところに、却っての重みと凄みがあると感じる。

廣雅疏證 中國哲學書電子化計劃維基

2017年01月21日 | 人文科学
 http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=612641

 読中のメモ。『爾雅』に倣いなおかつそれを補うという目的で著された以上、体裁もそれに倣うのは当然で、ゆえに「古旨先創方作造朔萌芽本根葉置輩昌孟鼻業始也」と、日本語でいえば「(諸書に見える)~~~~は(すべて)始(の意味)である」というかたちを取るのは当然であるが、結局『爾雅』で抱いた疑問には、張揖も王念孫もいまのところ答えてくれてはいない。王引之の執筆部分はまだまったく読んでいない。

コロナ・ブックス編集部編 『日本の笑い 遊び、洒落、風刺の日本美術』

2017年01月21日 | 芸術
 出版社による紹介

 絵的に(対象のとらえ方、デッサン、描法が)未来へ突き抜けていて、時代のほうがあとから追いついた感のあるのは、ひとり耳鳥斎だけではない。義梵・広重もまた。北斎は時代における天才であるようだ。大津絵は先端が時代(一般)と折れ合った姿か。蕪村はそもそも時代が眼中になさそうな。若冲と破笠は無時代というかすこしおかしいのでは。それぞれ瞥見の印象。

(平凡社 2011年12月)