書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Leo Ou-fan Lee, "Romantic Individualism in Modern Chinese Literature: Some General Explorations"

2016年05月29日 | 東洋史
 Donald J. Munro (ed.), Individualism and Holism: Studies in Confucian and Taoist Values, Ann Arbor, Center for Chinese Studies, the University of Michigan, 1985, pp. 239-256.

 五四運動(新文化運動)の目的と行動が個人主義の覚醒と鼓吹だったとして、彼らの考え唱えた”個人”や”個性”や”自己”は、西洋の概念とありかたをそのままもちこんだものであったのか、それとも中国伝統のなかに確かにそれを同定したうえでのものであったのか。あるいはそのなかでの独自の存在形態を確認し比定したものだったのか。そしてその”解放”は、それを周囲や環境という”whole”から切り離そうとしたであったのか否か。ここにそれについての直接的な答えはない。

竹内康浩 『中国の復讐者たち』

2016年05月27日 | 地域研究
 著者竹内氏は、陳子昂・柳宗元・韓愈の間で行われた論争を、「礼」と「刑」の矛盾として捉えている。「礼」(孝道、もしくは思い切ってここの復讐一事に限ってもよいが)は、果たしてその本質は何であるのか。慣習(法)であるのか、それとも宗教規範(儒教もしくはそれ以前からの)であるのか。

(大修館書店 2009年7月)

岡谷公二 『貴族院書記官長 柳田国男』

2016年05月27日 | 伝記
 人並はずれて自尊心が強く、きかぬ気で、どのような人間に対しても直言をはばからない国男 (172頁)

 たしかに、徳川家達との確執においてはその性質が余すところなく発揮されている観がある。それどころか、それをこえて、やや偏執的なほどの依怙地ささえ、感じないでもない。ただ、南方熊楠との絶縁に至る確執においては、あまりこの個性は現れないような印象を私は持つが、もしそうであるとすれば、それはなぜであったろう。熊楠が国男を凌駕する、同種の性質の持ち主であったからか。

(筑摩書房 1985年7月)

網野善彦/笠松宏至/勝俣鎮夫/佐藤進一編 『ことばの文化史 中世1』

2016年05月14日 | 日本史
 佐藤進一「時宜(一)」。本書181-231頁。
 古い時代(12世紀以前)においては、“時議”が、「特定の権力者の意思・判断を意味する語」として用いられたという。その後、14-15世紀にかけて、“時議”に代わり“時宜”の語が使われるようになるが、“時宜”は同時に「時下之所宜」、すなわち「その時々の状況への適合」という、漢語(中国語)本来の意味も保ち続ける。さらには“時議”も、この意味を持つ。以上が佐藤氏の解説である(「小括」)。
 この使用語彙の転換と、そして1つの言葉に一見ひどくかけ離れた2つの意味が同居する事情(とくに12世紀はこの2つの用法が多義的に用いられていていずれと区別しがたい例があるらしい)について、佐藤氏は「すべて今後の課 題である」と、おそらくは次巻にある(二)へと繋がれる。「中世2」も借りておくべきだった。

(平凡社 1988年11月)

森信成 『毛沢東「矛盾論」「実践論」批判』

2016年05月02日 | 哲学
 著者はこういう方らしい。  よく解らなかったが、同一思想もしくは宗旨内の異端批判のようにも思えた。少なくとも理解できなくても今日の中国にはあまり関わりはなさそうである。この本の書かれた当時の中国の現実(一般大衆の毎日の生活)にも、さして関係はなかったかもしれない。

(刀江書院 1965年5月)