書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

孫文『三民主義』再読

2017年04月26日 | 現代史
 テキストは維基文庫ほか。なお参考として、『世界の思想』「孫文 毛沢東」(中央公論社 1969年7月)所収の日本語訳「三民主義」(島田虔次訳)と対照した。

 孫文の『三民主義』をあらためて読んでみると、「民族」という一語でnationとethnicityを同居させていることがよくわかる。“同居”というのは、それが意図的なものであるかそこまで考えていないからなのか、この『三民主義』からだけでは判然としないからだ。
 「国族」という言葉が第一講に出てくる。「民族主義就是國族主義。」という具合にである。これはnationのnationalsmである。後代のそれもヨーロッパの概念を伝統中国につとにあった、それもずっとあったというところなど、よほど思考が粗放なのかそれともすべて承知の上で与太を言っているのか判じかねる。「我說民族就是國族,何以在中國是適當,在外國便不適當呢?因為中國自秦漢而後,都是一個民族造成一個國家;」。
 ところが彼はさらに言葉を続けて、「外國有一個民族造成幾個國家的,有在一個國家之內有幾個民族的。像英國是現在世界上頂強的國家,他們國內的民族是用白人為本位,結合棕人黑人等民族,才成「大不列顛帝國」;所以在英國說民族就是國族,這一句話便不適當。」と主張する。中国はnationとethnicityは一致するが外国、たとえばイギリスは違うからあれは多民族国家である、この二つを一緒に論じるのはだめと、一見どうみても手前味噌で得手勝手なことを言い出す。凄い大砲だ、一発毎に弾が飛んで行く方向が違うぞと感心する。


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曽我良成 『物語がつくった驕れる平家 貴族日記にみる平家の実像』

2017年04月25日 | 日本史
 出版社による紹介。

 「子孫の〔未来における成功と失敗回避の〕ために書き残す〔先祖が経験した過去の諸事実の〕記録としての『日記』という意味合いが、個人の感慨や思い出を記すことを目的としている現代の日記との最も大きな違いである」(「序章」18-19頁)。だから平安貴族の日記は史料として信用できるのだという、本質論から出発する議論。
「平家にあらざれば人にあらず」と俗に流布した平時忠の言葉の、文学作品『平家物語』での原文「人非人」が、当時の他の史料での用例を確かめること無く、後世の意味での「人間以下の存在」「人でなし」と解釈されたままで、専門家の世界においてさえこんにちまでほぼこのままできたこと、そしてその当時の用例を検索すると、「人非人」とは「公卿でない中下級の貴族層の人」を意味していることを、著者は指摘する(「第一章『平家に非ざれば人に非ず』」、とくに37頁前後の議論)。ここで、著者はそうは言ってはおられないが、読んだ者の責任において著者のこの指摘を言い換えれば、わかりやすくは、殿上「人」(広義の)ではない=非ざる「人」間という意味であろう。いずれにせよ人でなしという意味ではない。そしてこれも読者が用例から察するに、かならずしも常に蔑称でもないらしい。つまり、時忠が言ったとされる科白は、平家でない人間で高位高官にある者はいない」という、多少誇張は交じるものの、客観的な事実を述べただけのことでありものであったかもしれないということである。

(臨川書店 2017年1月)



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企画展 「日本の博物図譜 十九世紀から現代まで」

2017年04月14日 | 自然科学
 https://www.kahaku.go.jp/research/db/zufu_db/kikakuten.html

 書籍化して出版されたものを閲覧する。すべてが原色カラーというわけではない。しかし多くそうであり、眼福かつ勉強となった。ざっと見の感想だが、やはり明治時代以前と以後では、写実性(すなわち方法とその背後にある思想のせ)において差異が、ありていに言ってしまえば博物画としての技術な水準に差があると思える。明治以前の蘭学・洋学学習と明治以後の近代専門教育の差の現れといっていいのかどうか。

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梶井厚志 『戦略的思考の技術』

2017年04月14日 | 社会科学
 出版社による紹介

 土俵を明確に切りましょう、相手の手自分の手の5w1hの分析結果をできるだけ数値化しましょう、おなじく相手とこちらの手の効果の評価も同様に、判断からあらゆる価値を放逐しましょう、そうすれば「読み」は「戦略」となり「駆け引き」は「ゲーム」となるのです、といったところだろうか――なにやら兵棋演習に似ているような。

(中央公論新社 2002年5月)

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宋史巻436 - 維基文庫

2017年04月11日 | 数学
 宋史/卷436 - 维基文库

  亮自以豪俠屢遭大獄,歸家益厲誌讀書,所學益博。其學自孟子後惟推王通,嚐曰:“研窮義理之精微,辨析古今之同異,原心於秒忽,較禮於分寸,以積累為工,以涵養為正,麵盎背,則於諸儒誠有愧焉。至於堂堂之陳,正正之旗,風雨雲雷交發而並至,龍蛇虎豹變現而出沒,推倒一世之智勇,開拓萬古之心胸,自謂差有一日之長。”亮意蓋指朱熹、呂祖謙等雲。

 上は、西郷隆盛の筆で有名な陳亮(竜川)「推倒一世之智勇,開拓萬古之心胸」の元来の文脈を確認する目的で、維基文庫版でのあたり段落ぐるみをざっと引いたのだが、よくよく見ればたいへんなことが当の句の前後、とくに前に書いてある。

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ещё — Викисловарь

2017年04月11日 | 人文科学
 https://ru.wiktionary.org/wiki/%D0%B5%D1%89%D1%91

Значение

1. нар. опять, в добавление к чему-либо ◆ Он поел и хочет ещё. ◆ Они глупы, да ещё и слабы.
2. нар. то же, что уже́, настолько давно ◆ Я там был ещё до Нового года.
3. с отрицанием пока (что), до сих пор ◆ Они ещё не знают об этом.
4. нар. указывает на наличие достаточных возможностей, достаточного количества чего-либо ◆ Мы ещё повеселимся у него на свадьбе. ◆ Он ещё успевает на самолёт. ◆ Там ещё осталось два кило крупы.
5. нар. в большей степени (по сравнению с чем-либо) ◆ Он умён, но она ещё умнее. ◆ Он залез ещё дальше.
6. частица выражает усиление, подчёркивание ◆ Он ещё удивляется!


 ロシア語を学びたての頃、このещёという語が「まだ」と「すでに」の一見正反対の意味をもつことがなかなか納得できず、結果うまく聞けず読めず使えなかった。この項の6番目の説明にあるが、この語の根本は「強調」なので、時間軸の後ろから先方を見渡せば「すでに」、前から後へを顧みれば「まだ」、そして「今」の真上から鎚を打ち下ろせば「まさに」となる。そのほかの意味、たとえば形容詞・副詞の「(比較の際の)程度の強調」の意味も、基本はここから出づる。「存在の可能性・実在の確実さの強調」もまた。

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柿沼陽平 『中国古代の貨幣 お金をめぐる人びとと暮らし』

2017年04月11日 | 地域研究
 出版社による紹介

 これもまた面白し。『中国古代貨幣経済史研究』(汲古書院 2011年1月)ともども、講義の準備で参照・引用させていただいた。

(吉川弘文館 2015年1月)

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「貨幣の中国古代史 山田勝芳」 てくてく とことこ

2017年04月11日 | 地域研究
 http://drkinokoru.hatenablog.com/entry/2010/07/27/153000

 書評。たしかに該書は、とても示唆に富み、面白かった。大学で借りた本はよく読み込まれていて、その証拠にかなりくたびれている。使用が終わったので本日返却する。

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内山勝利編 『ソクラテス以前哲学者断片集』 全5冊+別巻1冊

2017年04月07日 | 人文科学
 固有名詞索引・出典個所索引付き。事項索引があればもっと便利だろう。

(岩波書店 1996年12月―1998年12月)

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豊永聡美 『天皇の音楽史 古代・中世の帝王学』

2017年04月07日 | 日本史
 出版社による紹介

 上掲中の「内容説明」にあるような議論もむろんあるが、全てはまず音楽そのものに価値があったからという大前提が、私にはとても自然に(何かの外在的な先入主がないという意味で)思えた。

(吉川弘文館 2017年1月)

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