書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

冨谷至 『韓非子』

2013年12月29日 | 東洋史
 非常に面白い。『韓非子』の頭にあるのは国家の秩序の保持と社会の安定だけらしい。そのためには前例に捕らわれることなく、刻々移り変わる内外の状況をにらんで政策も法も変えてゆく。ひたすら、秩序と安定だけを押さえて。
 この書、『韓非子』からの引用を、現代日本語訳一本に絞っているのは、一つの見識だと思う。原文と訓読を省略すればその分引用を増やすことができる。さらに言えば、『韓非子』の文体は訓読のみではやや意味が取りづらいかもしれない。

(中央公論新社 2003年5月)

板谷徹編著 『交錯する琉球と江戸の文化 唐躍台本『琉球劇文和解』影印と解題』

2013年12月28日 | 地域研究
 「『藝能史研究』 202号 「特集・近世日本・琉球・中国の藝能交流」(2013年7月)」より続き。

 元の台本を見て、科白(白)だけでなく歌(唱)もあることを確認。
 唐躍の起源は梨園戯である可能性がかなり高いらしい。
 なお片仮名の発音ふりがなは、北方方言ではなく、浙江口(北部呉方言・南京音〔南京官話〕と並ぶ唐話の標準音)である由。ただしそれは薩摩鹿児島や江戸の薩摩藩邸において首里士族が上演する場合の使用言語ではあっても、本当の伝承者である久米三十六姓が久米村=唐栄内で演じる際にもそうであったかは必ずしも明らかではないとのこと。

(榕樹書林 2010年3月)

野間文史 「春秋の三伝入門講座 第四章 公羊伝の思想〔上〕」

2013年12月28日 | 東洋史
 (『東洋古典學研究』 no.3 page.121-140、19970510、 広島大学学術情報レポジトリ

 『春秋公羊伝』は私にはとてもわかりにくい。もともと首尾一貫した主張も統一的な語彙の使用もない編纂物である『春秋』を、矛盾無く解釈しようとするのはほかの二伝と同じであるが、たとえば『左氏伝』が、「なぜそうなっているのか」という問いかけを基本に叙述する、そして/もしくは『春秋』本文にはないがその答えとなる史料の補足を行うスタンスであるのに対し、『公羊伝』は、「(こうあるべきであるのに)そうなっていないのはなぜか」という問いかたをするところにもあると思う。「こうあるべき」の内容がよくわからないのである。少なくとも私には。
 一例を挙げれば「文実の論」である。「実は与(ゆる)して文は与さず」。『春秋』上での記述・描写と事実・現実の乖離、つまり建前と本音であるが、その分かつ境目はどこにあるのか。そして何時は許し、何時は許さないのか、適用の具体的な指標はいかなるものであるか。

田中耕太郎 『法家の法実証主義』

2013年12月23日 | 東洋史
 田中氏は、道家は人為法を否定する自然法思想に立ち、儒家は自然法に類似した法思想を持つとする。
 そして表題ともなっている法家のそれであるが、法家は自然法を否定する法実証主義であると。

 法の権威を五倫即ち自然法的原理に求めず、之れを主権者の意思に帰せしめるに於ては、法の内容の決定は一つに其の政治的意図の如何に依つて決定せられることになる。管子に於ては法治主義と並んで自然法主義が採用せられてゐる結果、君主の立法権の行使に関しては当然自然法よりする制約が存在するわけであるが、一般法家に於ては此の制約が存しない結果として、一方法治主義自体が徳治を含む人治即ち私意に反対してゐるものの、他方法治の内容自体の決定に関しては多分に主権者の私意に堕する危険が存在するのである。 (「八 立法の基準、変法論」本書65頁。原文旧漢字、以下同じ)

 法家の法実証主義は一方に於て自然法を否定するに依つて実定法の自主性を確立すると共に、他方実定法の内容の決定即ち立法の標準に関しては客観的基準を欠如し、相対主義に陥つたのであつた。即ち其の法実証主義は法の形式的権威を極力維持し、此の意味に於て法的安定性の実現に貢献したのであるが、法の実質的権威に関しては必ずしも然るものとは云へなかつた。 (「七 法の権威の淵源」本書58頁)

 「自然法則と倫理原則の融合調和」(129頁)しているのが「支那社会」(同頁)の自然法であるというのが著者の見解。

(福村書店 1947年10月)

ハインリッヒ・ミッタイス著 林毅訳 『自然法論』

2013年12月23日 | 社会科学
 たかだか法律という〔いわば〕網細工には欠缺がありえても、法には決して欠缺はありえないのであります。更にまた、「 法律 Gesetz〔作られて現にある法〕に対する法 Recht〔あるべき法〕の闘争」ということがいわれます。しかしてこのことは、実定法の上に、われわれが正義の名においてそれに訴えることができる、より高次の法廷、すなわち、われわれのあらゆる質問に対して解答を知っており、実定法に対する批判の鏡を保持しているところのより高次の法、その中においてわれわれの法意識、つまり法と不法に関する直接的に明証な感情が実現されるところの「正しい」法、が存在しなければならないということを意味しております。このより高い位階にある法のことを、われわれは自然法と名づけるのであります。それは最高の意味における法であります。それはあらゆる実定法の上に存在しており、実定法の基準、実定法の良心たるものであります。それは法律の王たるものであり、諸規範の規範たるものなのであります。 (「序論」本書10頁。下線部は原文傍点、以下同じ)

 “首尾一貫性”とは何か?

 このようにしてわれわれは、首尾一貫性の中に人間的共同生活の基本原理を、そして同時に正義の根元現象 Urphänomen を見いだすのであります。首尾一貫性は、真に普遍的に、そしてあらゆる具体的な場合に適合した人間的行動、というものを表示するキーワードであります。 (「三 自然法の現代的意義」本書63頁)

 英語でいうintegrityのことだろうか。

(創文社 1971年6月第1刷 1973年1月第2刷)

ハンス・ケルゼン著 黒田覚/長尾龍一訳 『自然法論と法実証主義』

2013年12月23日 | 社会科学
 規範体系としての自然法と実定法という捉え方。

 実定法が強制秩序であるのに、自然法は強制のない無政府的秩序だということは、両者が――秩序として――規範体系であること、従がってどちらの規範も同じく当為によって表現されるという事実になんの影響も及ぼすものではない。自然法の体系ならびに実定法の体系が等しく所属しているのは必然の法則性、すなわち因果性ではなく、それと本質的に違う当為の法則性、すなわち規範性である。 「第1章 自然法の観念と実定法の本質」「当為、絶対的および相対的妥当」本書9頁。下線部は原文傍点、以下同じ)

 自然法の正義とは「形式的な秩序あるいは平等の思想」でしかないという認識。

 自然法の側から通常正義の本質と主張される平等の観念、等しきものは等しく取扱われるべし、との原則、また――これと同じであるが――等しき者に等しきを保証せよ(各人に彼のものをsuum cuique)との原則は、けっきょく同一性の論理的原則、したがって矛盾律を述べているのに他ならない。だからこれは秩序・体系的統一性の概念が意味するところと同じである。 (「第4章 認識論的(形而上学的)基礎と心理的基礎」「正義の理想の論理化」本書96頁)

 「根本規範」と言う考え方がよく解らない。

(木鐸社 1973年11月第1版 1976年6月第1版第2刷)

島田虔次 「章学誠の位置」

2013年12月21日 | 東洋史
 『東方学報』41、1970年3月、519-530頁。 原文旧漢字。

 章学誠の「性情」の思想は、彼が蛇蝎の如く嫌った「性霊説」の袁枚とともに、どちらもその源流を辿れば少なくともその一本は、明の王陽明すなわち陽明学に行き着くという指摘。両者がそのことを意識・認識していたかどうかは別として。

 12月25日附記
 山鹿素行が『聖教要録』で、「文は道を載せるもの」などと言うのは頭の固い道学者の言うことで詩歌は人情の自然を陳べるものだと記しているが、ここに陽明学、しかも左派の影はないか。

Sir Ernest Barker "Traditions of Civility: Eight Essays"

2013年12月19日 | 西洋史
 2013年10月05日同名欄より続き。
 著者が何を言っているのか、ようやく全編を通じて把握できた。米国部分の議論に、理屈は別として、納得するのに時間がかかった。
 つまりcivilizationでもcivilityでも、現象そのものを俯瞰的に眺めるならば「文明」、それを構成する人間から捉えれば「市民道」であり、そしてその根幹を成す要素は「公共意識」、何が「公共」であり「公共」でないかを測る基準をどこにおくかで「文明」と「市民道」はありかたを変える、さらにいえば、個人の概念がないところでは「文明」と「公共(の意識)」はありえるが、「市民道」は存在しない。

(Cambridge University Press, in March 2012, originally in 1948)

『荘子』「天下篇」に見える恵施の命題「歴物十事」に関する章炳麟の解釈について

2013年12月19日 | 東洋史
 章は、「歴物十事」の「歴」を「算」の意味と解釈し、西洋自然科学の知識に拠って、その一見詭弁である十の命題を真であるとした。ここで西洋の、しかも現代の自然科学の知識を用いる必然性も正当性もわからない。現代韓国語で『万葉集』を解くのと同じアナクロニズムを感じるのは私だけであろうか。
 「算」とは「かぞえる」の意味である。即ち章炳麟は物事を数量的に捉えるという意味だと言いたいのだろう(従来は「析」すなわち分析するの意味と取るのが普通だった)。だがそれは流石に無理ではないか。歴には暦と通用と見て、その意味もあるとされるが(古人の注釈における根拠のない説)、この命題の中に“数える”たぐいの命題は一つもない。つまり文脈を無視して章が無理矢理にそう訓んだだけである。
 良い形容を思いついた。「章炳麟の『荘子天下篇』「歴物十事」の解釈は、胡適の『中国哲学史大綱』巻上における『墨子経篇・経説篇』の解釈と同じくらい、好い加減である」。

湯志鈞編著 『戊戌変法人物傳稿』 上下

2013年12月19日 | 東洋史
 開巻「前言」が「劉少奇同志の曰く・・・」で始まるのだが、中身は当時の情況にもかかわらず驚くほどイデオロギー色が薄い。
 巻二に譚嗣同の伝がある。以下、目に付いたままに彼についての理系学問に関する言及・記述を書き抜いてみる。

 好今文経学 (29頁。原文繁体字、以下同じ)
 又喜読王夫之《船山遺書》,亦嘗致力自然科学之検討 (29頁)
 議立算学格致館 (31頁)
 
 また彼の著作『仁学』について、「中国の民主主義の伝統を表現したもの」であると同時に「西洋の自然科学・社会科学」を組み合わせたものという評価がなされている。前者については、墨子の「兼愛論」、さきに名の出た王夫之の「民族民主学説」が、その根拠となっている。

付記
 譚嗣同の伝が阮元と羅士琳の正続『疇人傳』に収められていないかと大学図書館へ行って確認してみたがなかった。この書を繙いたのはそのためである。
 しかし裏付を看てみれば『疇人傳』の正編は1799年(清嘉慶四)、続編でさえ1840(道光二十)刊で、1865年(同治四)生まれの譚が載っているはずはなかった。
 しかしそのあと続けて編まれた『疇人傳三編』(1886・光緒十一)には、正続を編んだ阮元と羅士琳の伝が入っている。同『四編』(1898・光緒二十四)には班昭の伝が収められる。『三編』から女性の伝が収められるようになった。
 だが相変わらず同年に死んだ譚嗣同は相変わらずない。入れてもおかしくないと思うのだが、清朝の下では国家の罪人だったから憚られたのだろうか。

(北京 中華書局 1961年4月)