書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

John B. Henderson, "The Development and Decline of Chinese Cosmology"

2015年10月27日 | 哲学
 「天人相関説」を"correlative thinking/thought"と訳す。

(Taipei: Windstone Press, Apr. 2011)。

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余英時著 程嫩生/羅群訳 『人文与理性的中国』

2015年10月23日 | 東洋史
 2014年07月30日「横山宏章『素顔の孫文 国父になった大ぼら吹き』」および
 2014年09月12日「小野和子「孫文が南方熊楠に贈った『原君原臣』について」」より続き。

 「13.孫逸仙的学説与中国伝統文化(1989年)」に、1886年で広東医薬学校に入学した20才から儒教経典と中国歴史を勉強しなおしたとある(242頁)。出典は『総理全書』巻5、88-89頁および『国父年譜』(台北 1965年)巻1、37頁。つまり「天下為公」を「人間にはみなひとしく同じ権利がある」という意味だとしたことに関しては、無知による誤読の可能性は少なくなった。意図的な読みかえである可能性が高い。

(上海古籍出版社 2007年1月)

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楊継縄著 『毛沢東大躍進秘録』

2015年10月23日 | 現代史
  伊藤正/田口佐紀子/多田麻美訳。

 「毛沢東 大躍進秘録 楊継縄著 丹念な調査で過酷な実態明らかに」 『日本経済新聞』2012年5月28日 14:00

 上は、毛里和子氏の書評である。氏は、書中の数字の信憑性に関しては判断を保留されるものの、この書のもつ価値については、中国現代史研究者の立場から十分に認めておられる。一読後、この邦訳について、『史学雑誌 回顧と展望』2012年度とさらに念のため2013年度とを見てみたが、紹介もしくは言及はなかった(「中国 現代」項)。毛里氏とは異なる角度からの評価を目にしたかったので、残念である。

(文藝春秋 2012年3月)

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西里喜行 『沖縄近代史研究 旧慣温存期の諸問題』

2015年10月23日 | 地域研究
 著者は、「第一論文 旧慣温存期の政治過程」の注71(53頁)で、「脱清行動に参加したのは旧藩支配層の上層部分にとどまらず、下層の無禄士族や『平民』も含まれていた」としたあと、以下に引く琉球政府編『沖縄県史』14(1965年)所収「一木書記官取調書」(1984・明治27年)の記述に基づき、「無禄士族や『平民』の脱清の目的は、むしろ琉球~清国間の密貿易にあったようである」と指摘する。

 本来、脱清の事たる、首領者輩を除くの外は、営利のために企謀するもの多く、名を復旧の運動にとり、その実、彼我往来の間に物品を売買し、大に利潤を得るを常とせり。 
(「一木書記官取調書」、『沖縄県史』14巻、499頁)

(沖縄時事出版 1981年6月)

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K・ポメランツ著 川北稔監訳 『大分岐』

2015年10月16日 | 世界史
 出版社による紹介。

 著者の中国の科学技術に対する見方には同意できない点がある。「第1章 ヨーロッパはアジアよりも早く発展したか ―― 人口、資本蓄積、技術」、特に“技術に差異はあったか”条。

(名古屋大学出版会 2015年5月)

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吉田公平 『陽明学が問いかけるもの』

2015年10月14日 | 抜き書き
 明代末木に中国にやってきたマテオ・リッチは『天主実義』で、天主の被造物のなかでは、人間のみが「能く理を論ずる」理性を賦与された存在であるがゆえに、人間の本質は理性であると主張し、それを「元性」「良性」と表現した。人間のみが理性に基づいて天主の教を理解でき、それに導かれて後天的に倫理・道徳を身につける(これを「習性」「第二の性」という)のだという。理性そのものは価値中立的な作用機能であるから、ひとたび賦与された理性それ自体はつねに天主の意向に沿う形で機能するとは限らない。また、理性が後天的に倫理道徳(善)を取得するといっても実際に十全に取得し実践することは不可能である。ましてや、この理性をくらます誘惑に満ちた身体的社会的制約下にあっては、理性の力のみで自己を悪の世界から解放することはまことに不可能である。だから、天主の恩寵と救済をまったはじめて人間は救済されるのである。理性を賦与されているとはいえ、人間は自力のみで自らを救うことができるほどに強くは造られてはいないのだという。いわゆる他力救済論なのである。このイエズス会のグループの人々は、新儒教の性善説の構造を自力救済論と理解した。それは人間の弱さ、背理可能性を見失った、誤れる救済論であると、てきびしく非難した。 (「王陽明の朱子学批判 四 性善説=自力救済論」 本書128-129頁)

(研文出版 2000年5月)

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