書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

藤原敬士 『商人たちの広州 一七五〇年代の英清貿易』

2018年01月18日 | 東洋史
 出版社による紹介

 「序論」の第1節のタイトルが「商人たちの視線に寄り添って」という。そういう発想で書かれている。まあ発想はいいのだが、この語彙と表現を用いる文体で精密な論証は難しいだろうと思ったら、実際できていない。「のようである」「と理解できる」「考えられる」「と言えるだろう」等で文および文章の最後を締め括る思考では、仮説(という言葉が出てくる)は、推論なく、それを支持する確たる論拠なくして、実証されず、推測は推測空想は空想に終わり、その上に立って続く“以下同文”の過程の繰り返しは、すべて無効となる。
 これは史料をふんだんに使ってはいるがあくまで概説書で、研究書ではないのかもしれない。

(東京大学出版会 2017年9月)

この記事をはてなブックマークに追加

渡邉義浩編 『中国史学の方法論 第八回日中学者中国古代史論壇論文集』

2018年01月09日 | 東洋史
 出版社による紹介

 今年出る『史学雑誌 回顧と展望』でどのような評価を受けるなら受けるだろうと、個人的な興味がある。中国側の議論・視角のほうが(対外的発言ということもあってやや裃を着ている感はあるが、それでも)清新またradicalに見える。
 泰西の理論や方法論をただもちこんで自慢気に振り回すのはradical以前に清新でもまた斬新でもない。旧習もしくは慣習に泥む固陋をひっくり返しただけの同じ思考停止と浅薄、ついでに軽薄の業だ。

(汲古書院 2017年5月)

この記事をはてなブックマークに追加

佐伯富 『中国塩政史の研究』

2018年01月07日 | 東洋史
 出版社による紹介

 「はしがき」のあと、「緒論」と「第五章 結論」とを読んだ。「という」「思われる」「想像に難くない」と記したあとで、それを足がかりにさらなる記述が続いていく本体は、discourseというよりもnarrativeと謂うにふさわしい。簡単に言えば部分的に実証的であるが、そのあいだを繋ぐ部分はあまり論理的ではない。個別の考証の“物語”による再編という感すらする。

 ところで、佐伯先生といえば藤井宏先生だが、同先生が奉職しておられた北海道大学の正史『北大百年史』では「第一次藤井教授事件」「第二次藤井教授事件」という呼び方がある由。
 とすると、佐伯先生との事件は「第三次~」と名づくべきものであるのか。それまでに表沙汰になっていない×次があるかもしれないが。

(法律文化社 1987年9月)

この記事をはてなブックマークに追加

「私家園林的開放伝統」『南方都市報』

2017年12月24日 | 東洋史
 原題:私家园林的开放传统 2017-01-22 来源: 南方都市报(深圳)

  这一自发地开放私家园林的习惯,至迟可以追溯到宋代。宋代有很多私家园林,虽为私人所有,但通常都保留着对外开放的惯例,或是长年开放,或者在风景最美、游人最盛的季节开放。

 これは大変興味深い指摘だ。冒頭の“西洋だけのものでなく中国にも古来あったのだ”式の清末的な大上段に振りかぶりかけた口調がすこし気になるが、大した問題ではない。

この記事をはてなブックマークに追加

齋藤茂ほか訳 『夷堅志訳注 甲志上』

2017年12月20日 | 東洋史
 出版社による紹介

 出版されたときにも冊を開いたが、昨日大学図書館の目立つ展示場所に展示されていたので借りて帰る。原文・校勘・現代日本語訳・訳注というスタイルは、『韓愈詩訳注』とほぼ同じ形式である。その『韓愈詩訳注』では気づかなかったことに1つ、気がついた。訓読を示さぬ場合、訳注が、ものすごい分量にならざるをえない。なぜなら、従来は訓読でいったん不完全ながら日本語に転換された(正確には変体漢文という文言文と中古日本語の中間形態にだが)された段階を抜きにしているので、現代日本語と意味やニュアンスの異なる漢字・漢語はすべて訳注をつけて、その旨を指摘・説明せねばならなくなるからだ。そうでないと、この『夷堅志訳注 甲志上』のように、現代日本語訳が、これは直訳なのか意訳なのか誤訳なのかがわからぬまま、もとの文言文の直解と現代日本語で表された訳解の差異落差の大きさを怪しむことになる。

(汲古書院 2014年7月)

この記事をはてなブックマークに追加

内山俊彦 『中国古代思想史における自然認識』

2017年12月20日 | 東洋史
 2017年2月20日「内山俊彦 「王安石思想初探」」より続き。

 先秦から漢初の中国の思想状況を語るのに「マルクスの言葉」「階級性の刻印」また「旧い支配階級を打倒しそれに代わって出現してくる新しい支配階級」といった語彙表現から成る「基本的視座」をまず設置する思考的必然性は何であろう。

(創文社 1987年1月)

この記事をはてなブックマークに追加

内山俊彦 「王安石思想初探」

2017年12月20日 | 東洋史
 『日本中国学会報』19、1967年11月掲載、同誌159~177頁

 昨晩読んだ10年ほど前に書かれた某論文で依拠されていたので遡って見る。一篇の肝となる史料について、筆者による読解が唯一の正解という確信は、少なくとも私は持たされなかった。
 『史学雑誌 1967年度歴史学界の回顧と展望』を開いて見るに、「五代・宋・元」(千葉焈執筆)で取り上げられている。

 自然と人為とを本と末という形式のもとに区分し、自然にはたらきかける人間の主体的能動性に注目するのが王安石の基本的発想であるとし、ここから彼の性情論(人間論)・政治論・歴史論を分析する。 (227頁)

 と紹介される。以下その評価が続くのだが、それらはこの基本分析もしくは理解が正しいとすればの話であるからここでは省略する。
 ここに書かれなかった内容を補足すれば、内山氏は王安石の思想においては「自然」と「人間」の対立(氏の言葉を借りれば対置、また自然の客観視、また後者は前者の従属物であることを止めたという言い方)が起こっているとする。しかし、それイコール伝統的な中国における自然・人間観、すなわち後者は前者の一部であるという見方を王安石が完全に否定したものと理解してよいのかどうか(私の言葉で言い換えれば王安石のなかで両者の間に切断が起こっているのかどうか)だが、それは必ずしもその根拠となる史料の読みからは十分な説得力をもって私に迫っては来ない。
 ただ、「本」と「末」というのは本来主要部分と枝葉の部分、あるいは原因と結果という意味の語である。つまり自然・人間一体観の上に立つ概念と用語のはずで、上記の王安石の思惟像が正しいとすれば、彼は新しい意味でこの「本」と「末」とを用いたことになるのだが、筆者はこの点については、その他の実例を添えての注釈を加えてはおられない。
 包含されていても、その一部(枝葉)として人間が主体的能動性をもって自然にはたらきかけることは理論上できるであろう。しかし結果が原因にはたらきかけることは不可能である。すくなくともこの点にかんしては王安石の「主と末」観は従来のものと異なっている。

12月20日追記
 同年の『史学雑誌 回顧と展望』を読んだら「五代・宋・元」項(千葉焈氏執筆)で、該論文とともに寺地遵氏の「天人相関説より見たる司馬光と王安石」が並んで書評されていた。また同項の別の個所では、山根三芳氏の「張横渠の天人合一思想」も見える。どうやら、中国宋代における自然と人間の切断の有無(=近代(西洋)的客観的・合理的自然観の成立、ひいては(西洋)科学の中国における萌芽成長の可能性を探る)といった問題意識が、当時の研究者の一部にはあったのかもしれない。
 この作業の結果にしたがい、上掲本文の論旨をやや変更し、文章も書き換えた。

この記事をはてなブックマークに追加

土肥義和/氣賀澤保規編 『敦煌・吐魯番文書の世界とその時代』

2017年12月06日 | 東洋史
 出版社による紹介

 文書様式論はあるが文体論や言語論はなかったのが個人的には残念である。これらの出土文書は、漢語一つを取ってみても、それは辺境の言語、つまり方言を記したものだ。語彙集や文法構造の研究など探してみよう。

(汲古書院 2017年4月)

この記事をはてなブックマークに追加

「施懿超《宋四六論稿》 上海古籍出版社2005/9」百度百科 を読んで

2017年12月01日 | 東洋史
 原エントリータイトル:《宋四六论稿》

  四六是骈文发展中出现的重要类型,宋代又是四六文的成熟期。宋四六主要用于制、诰、表、启等特定领域,具有特殊体制要求,呈现独特的文学风貌。 (「内容简介」)

 未見であるが、これより以前、1977年(民国66年)に出た江菊松の『宋四六文研究』(台北、華正書房)で、宋の四六文(駢文)は陳寅恪が「魏晋と宋が最良」と評したという魏晋のそれとはあきらかに内容・形式が異なり、前者は魏晋から唐にかけてのそれは「駢文中の駢文」、宋代のそれは「駢文中の散文」と評していること(18頁)、一方、形式にいたっては、宋代になると「四六字の構成が不規則になり」「字数の制限にとらわれなくなる」、そして内容と表現とをより重視し、「読者にあたえる効果と達意であることをもっぱら重視するようになる」(21頁)のはなぜかという、前者が提示した先達の問いへの回答はなされているのだろうか。
 ついでながらその江菊松『宋四六文研究』についても一言。四六文の発生の原因の一つとして、「自然界奇偶相生之啓発」とする(第1章第1節「駢文産生之原因」1頁)。自然観察から知った奇数と偶数が対となっている事実からの発想というのだが、それはすでに脳裏に存在する“奇数”“偶数”の“対”という認識の枠組で知覚をフィルターにかけた結果ではないのか。原因と結果が逆様になってはいないかと窃かに怪しむ。

この記事をはてなブックマークに追加

高橋芳郎 『宋代中国の法制と社会』

2017年11月29日 | 東洋史
 「序言」で、著者は、「おそらく後の研究者は一九八〇年と八一年の研究会とを対比しつつ、わが国の中国史研究における階級闘争史観から地域社会論への転換という総括を行うことになるであろう」と述べたあと、「しかし、抗租闘争を中心とする階級闘争史研究は明確な総括がなされた結果捨て去られたのではなく、いわば時代の流行の中で古着を脱ぎ棄てるように忘れ去られたにすぎないという思いも私にはある」と記している。さらに著者は、「中国史研究に階級分析が不適合なのではなく、中国史の文脈に即して階級分析を行う私たちの方法が未熟だったにすぎないのではなかろうか」と、非常に正直なことを述べておられる。現実の中国史をかならずしも見てはいなかったというのだから。だから時代に合わないとなれば古着のように脱いで棄てた、棄てて忘れることができたと仰るのであろう。実際はそう簡単な経過ではなかったと、80年代半ばから90年代はじめに、ここではこの“転換”が特に大きな影響を与えたと指摘する明清社会経済史界をわりあい子細に眺める場所にいた身としては思うが。同iii頁。

(汲古書院 2002年9月)

この記事をはてなブックマークに追加