書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

谷沢永一編 『なにわ町人学者伝』

2018年02月19日 | 伝記
 唯一執筆・出版当時に存命中の人物を扱っているのが「佐古慶三」伝である。
 その佐古伝、筒井之隆氏の描くところによれば、京大系の某大家の論著の内容の間違いと方法論の安易さを指摘して以後、それ系が大部分を占める関西の「研究誌に原稿を送っても取り上げてもらえな」くなった佐古氏は、授業内容の水準に関し学業に無関心な県知事あがりの校長や、氏の能力に脅威を感じていた畑を同じくする研究者の教頭と衝突して高校の講師も辞め、民間企業数社で雑誌編集の仕事に携わりながら、「こっちがだめなら、何か違うことをやりまひょ」と、商業史から郷土史へ転換して十数年間、時期を待った由。
 批判された報復に氏を生き埋めにしようとした京大系の大家は、原文(筒井氏の伝及び佐古氏からの聞き書き)にはちゃんと名が出ていて、本庄栄治郎という。その股肱の臣もしくは眷属と評すべきお弟子さん達も名が挙げられてい、黒羽兵治郎氏などは、「古文書が読めんようですな」と評されている。
 
 ところでこの書は出版時に買って読んだのだが、のち2003年か4年ごろ、中―日翻訳をしているとき、ある種の中国知識人の金と地位と評判に対する余りの浅ましさを描く原文表現を日本語に訳すのに「名聞乞食」という語をすらりと思いついたのはどうも、その20年前にこの本で使われていたためらしい。

(潮出版社 1983年4月)

この記事をはてなブックマークに追加

小川剛生 『足利義満 公武に君臨した室町将軍』

2018年02月15日 | 伝記
 出版社による紹介

 西嶋定生氏の“冊封体制”論が、“劉邦集団”がいろいろ不味くなって「ならこれはどうだ」というくらいのノリで打ち上げた、その“劉邦集団”や、あるいは“二十等爵制”と同様の、主として頭のなかで捏ね上げた、いわばネタ程度のものだった(御本人の認識には関わらず)ということが、檀上寛氏の研究につづき、事実に徴してよくわかった。「第八章 北山殿での祭祀と明国通交」、とくに226-232, また235頁。

(中央公論新社 2012年8月)

この記事をはてなブックマークに追加

中村健之介 『ニコライ』

2018年02月14日 | 伝記
 中井木菟麻呂(本書では木菟麿と表記)の事績が、やや詳しく記されている。彼の翻訳に対する姿勢や結果物の出来について、歴史家たる著者が後世からの視点に基づいて下す評価とはいえ、あまり芳しいものではない。一言でいってその任ではなかったという結論である。

(ミネルヴァ書房 2013年7月)

この記事をはてなブックマークに追加

小川剛生 『兼好法師』

2018年01月20日 | 伝記
 出版社による紹介

 徒然草は『随筆文学』の傑作であると言われる。ただし日常雑多な話題を取り上げ、時に深い省察に及ぶスタイルが似ているというだけで、当時『随筆』というジャンル意識はない。
 (「第七章 徒然草と『吉田兼好、本書』203頁)

 近代人の概念は、整理に便利であるが、それに流されすぎては本末転倒である。 (同上)

 “これ”のわからない人が案外いて、驚くことがある。さきほども驚いた。それとも便利を本末転倒よりも取ったのだろうか。わからないふりだろうか。

(中央公論新社 2017年11月)

この記事をはてなブックマークに追加

伊藤隆 『歴史と私』

2017年03月04日 | 伝記
 出版社による紹介

 いまごろ読んでいる。とても面白い。もっと早く手にとっていればよかったと思う。厳密な方法論を採る歴史学者の著者も百もご承知であられるとおり、自伝のたぐいはそのままには決して信用できないこともわきまえたうえで。

(中央公論新社 2015年4月)

この記事をはてなブックマークに追加

柴口育子 『アニメーションの色職人』

2017年01月25日 | 伝記
 昨年亡くなった保田道世女史の伝記。時期的には『もののけ姫』公開の直前。よって同作の話題が掴みになる構成。その後は女史の生まれから時を追って、最後にまた『もののけ姫』へ、そして女史の机の上にいま載っている次回作の原作本の存在へと――。

(徳間書店 1997年6月)

この記事をはてなブックマークに追加

徳田球一/志賀義雄 『獄中十八年』

2017年01月25日 | 伝記
 某氏のすすめによりはじめて読む。たしかにおもしろいが、内容はどこまで事実的に正確なのか。

(時事通信社 1947年2月)

この記事をはてなブックマークに追加

李商隠 維基百科

2016年11月04日 | 伝記
 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%95%86%E9%9A%90#.E6.96.87.E5.AD.A6.E6.88.90.E5.B0.B1

  李商隱的詩經常用典,而且比杜甫用得更深更難懂,而且常常每句都用典故。他在用典上有所独创,喜用各種象徵、比興手法,有時讀了整首詩也不清楚目的為何。而典故本身的意义,常常不是李商隐在诗中所要表达的意。

 そんなことより”象徵symbol”や”比興trope”が古代漢語の修辞法に印欧語そのままの概念で同じく存在するという証明はできているのか。なぜ彼が典故を多用するか(それも僻典まで)の答えは?
 李商隠関連の論考と著書数本を読んだ。李の「文体」を専心に探究するものにはいまだ当たらず。朦朧たる彼のスタイルはなぜ朦朧としているのか?いかにして朦朧たりえているのか?等の疑問あり。

この記事をはてなブックマークに追加

山川三千子 『女官 明治宮中出仕の記』

2016年07月29日 | 伝記
 じつに興味深い内容。そして巻末原武史氏の「解説」に、この資料のさらなる深い読み方を教えていただいた。
 なおこれは原氏はなにも仰ってはいらっしゃらないが、大正天皇の「遠眼鏡事件」につき、著者の姑の弟がその場に居合わせて実見し、あとで姑とそのことを語り合っているのを著者が耳にしたという記述がある(「故郷に帰る」315頁)。著者本人の実体験ではないし、さらにその伝聞したことが本当だったとしても、それを目撃したという姑の弟氏が本当のことを言っているとは限らないからだ。さらにははるかな後年、ほぼ半世紀後における回想録であるこの資料には著者による無意識・意識的な記憶の歪曲や再構成もあろう。

(講談社学術文庫版 2016年7月、もと実業之日本社 1960年)

この記事をはてなブックマークに追加

岡谷公二 『貴族院書記官長 柳田国男』

2016年05月27日 | 伝記
 人並はずれて自尊心が強く、きかぬ気で、どのような人間に対しても直言をはばからない国男 (172頁)

 たしかに、徳川家達との確執においてはその性質が余すところなく発揮されている観がある。それどころか、それをこえて、やや偏執的なほどの依怙地ささえ、感じないでもない。ただ、南方熊楠との絶縁に至る確執においては、あまりこの個性は現れないような印象を私は持つが、もしそうであるとすれば、それはなぜであったろう。熊楠が国男を凌駕する、同種の性質の持ち主であったからか。

(筑摩書房 1985年7月)

この記事をはてなブックマークに追加