書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

麻生義輝 『近世日本哲学史 幕末から明治維新の啓蒙思想』

2014年10月31日 | 日本史
 もと近藤書店、1943(昭和17)年7月刊。古い本であり、つまりは古い内容であろうけれども、私は非常に教えられた。緻密・周到、かつ力の籠もった作品でもあり、読んでいて愉しくもあった。

(書肆心水 2008年7月)

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朱熹 『論語集注』巻七「子路第十三」から

2014年10月30日 | 抜き書き
 テキストは『維基文庫』。

 『論語』の本文。

  葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊、而子證之。孔子曰。吾黨之直者異於是。父爲子隱、子爲父隱。直在其中矣。 

 ここには「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」の相克は存在する余地がないことを確認する。
 そして、朱熹がここに、「父子相隱、天理人情之至也。故不求爲直、而直在其中」という注を付けていることを見て取る。「故に直為るを求めずして而も直は其の中に在り」、とはなんのことかわからない。非AのなかにAがあるという発言、もっとはっきり言えば、非AこそAであるという理屈が。

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J.J. Clarke, "Oriental Enlightenment: The Encounter Between Asian and Western Thought"

2014年10月30日 | 西洋史
 'II-3 China cult: the age of Enlightenment' . の1節。

  (Leibniz's) hermeneutical engagemant with the I Ching was based on a misunderstanding of the text, an interest that was not renewed until the twentieth century." (p. 49) 

 まったく身も蓋もない。しかし『維基百科』のライプニッツ(戈特弗里·莱布尼茨)項も、相当なことを書いている。

  事实上,说莱布尼茨看到阴阳才发明二进制完全是断章取义,相反手稿标题全文是:《1与0,一切数字的神奇渊源。……这是造物的秘密美妙的典范,因为,一切无非都来自上帝。》,而且莱布尼茨自己写给若阿基姆·布韦的信中莱布尼茨写到的是:“第一天的伊始是1,也就是上帝。第二天的伊始是2,……到了第七天,一切都有了。所以,这最后的一天也是最完美的。因为,此时世间的一切都已经被创造出来了。因此它被写作‘7’,也就是‘111’(二进制中的111等于十进制的7),而且不包含0。只有当我们仅仅用0和1来表达这个数字时,才能理解,为什么第七天才最完美,为什么7是神圣的数字。特别值得注意的是它(第七天)的特征(写作二进制的111)与三位一体的关联。” (「6 萊布尼茨與中國文化」)

(NY: Routledge, May, 1997)

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ウィキペディア「公共」から

2014年10月30日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1

 齋藤純一『公共性』(岩波書店)は、公共性をofficial、common、openの3つの意味に分けている。 (「公共性」)

 「公共」の立場からは、「私」や「個」の利益を追求したとしても、全体の利益を考えた方が結局は合理的であるという結論にたどり着くという場合「公共」が成立するのであり、 (「概要」)

 この場合の「合理的」とは何か。
 さらに、

 このことはヨーロッパにおける共同体の成立に個人主義が前提となったことの証左でもある。 (同上)

 に注意すべきか。こちらと考え合わせて。

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長田俊樹 「はたしてアーリヤ人の侵入はあったのか? ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭のなかで」

2014年10月29日 | 地域研究
 副題「言語学・考古学・インド文献学」。
 『日本研究』23、2001年3月収録、同誌179-226頁。

 結論をいえば、じゅうらいの「アーリヤ人侵入説」は見直しが必要である。「アーリヤ人」は「インド・アーリヤ祖語を話す人々」とすべきで、かれらが同一民族・同一人種を形成している必要はけっしてない。また、「侵入」も「小規模な波状的な移住」とすべきで、年代についても紀元前一五〇〇年ごろと特定すべき積極的な根拠はない。 (「抄録」)

 非常に興味深い。それだけではなく、掲げられたテーマは勿論のこと、そのテーマを具体的に論じる為の必要にして十分な関連学術分野の選択、さらにその取り上げた学術分野内での範囲の選択、ふたたび即ち論題論旨に照らして言及踏み込みの取捨、さらにはその論旨に沿っての叙述のメリハリの付け方、つまり論理の明確化にくわえ説得力増にレトリックを適度に塩梅する匙加減、そして最後になったが本当は最重要な、筆者の確固として独自の視角が素晴らしい。
 この論文の全てが勉強になった。

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ウィキペディア「時相論理」から

2014年10月29日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E7%9B%B8%E8%AB%96%E7%90%86

 アリストテレスは主に三段論法を研究したが、現代の時相論理のような研究もしており、一階時相二値論理のような形式を部分的に検討したことがある。特に不確定な未来の事象を扱う際、アリストテレスは二値の意味論を適用できないと考え、例えば『明日、海戦が勃発するだろう』といった文の真偽を現時点で決定できないとした。 (「2 歴史」)

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Wikipedia "Principle of explosion"から

2014年10月29日 | 抜き書き
 http://en.wikipedia.org/wiki/Principle_of_explosion

  The principle of explosion (Latin: ex falso quodlibet, "from a falsehood, anything follows", or ex contradictione sequitur quodlibet, "from a contradiction, anything follows"), or the principle of Pseudo-Scotus, is the law of classical logic, intuitionistic logic and similar logical systems, according to which any statement can be proven from a contradiction. That is, once a contradiction has been asserted, any proposition (or its negation) can be inferred from it. (下線は引用者)

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Wikipedia "Intuitionistic logic "から

2014年10月29日 | 抜き書き
 http://en.wikipedia.org/wiki/Intuitionistic_logic

  Unproved statements in Intuitionistic logic are not given an intermediate truth value (as is sometimes mistakenly asserted). Indeed, you can prove that it has no third truth value, a result dating back to Glivenko in 1928. Instead they remain of unknown truth value, until they are either proved or disproved. Statements are disproved by deducing a contradiction from them. 

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ウィキペディア「矛盾許容論理」から

2014年10月29日 | 抜き書き
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E8%A8%B1%E5%AE%B9%E8%AB%96%E7%90%86

 矛盾許容論理は他の論理体系よりも弱いとされている。これはつまり、矛盾許容論理による推論能力が弱いということである。矛盾許容論理では、通常の論理体系で偽とされるものを真とする可能性があるが、問題はそこではなく、矛盾許容論理が古典論理の拡張ではなく、古典論理ができることを全てできるとは言えない点にある。 (「2 矛盾許容論理は常に古典論理よりも弱い」)

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Wikipedia "Double standard"から

2014年10月29日 | 抜き書き
 http://en.wikipedia.org/wiki/Double_standard

  A double standard can therefore be described as a biased or morally unfair application of the principle that all are equal in their freedoms. Such double standards are seen as unjustified because they violate a basic maxim of modern legal jurisprudence: that all parties should stand equal before the law. Double standards also violate the principle of justice known as impartiality, which is based on the assumption that the same standards should be applied to all people, without regard to subjective bias or favoritism based on social class, rank, ethnicity, gender, religion, sexual orientation, age or other distinctions. A double standard violates this principle by holding different people accountable according to different standards.  (下線は引用者による)

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