書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井上辰雄 『平安儒者の家 大江家のひとびと』

2015年12月27日 | 伝記
 江家歴代の人々の生涯と業績があとづけられ評価されるのだが、彼らの漢文(文言文・古代漢語)の能力は、それは見事なものだったらしい。彼らの遺した詩文にかんする文法的な問題についての指摘はまったく見られない。このうえに文体論的な面からの分析があればなあと、勝手な望みを抱きつつ拝読した。
 赤染衛門が掉尾を飾っている。大江匡衡の妻、大江挙周の母。

(塙書房 2014年3月)

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周振鶴・游汝傑著 内田慶市・沈国威監訳 『方言と中国文化 第2版』

2015年12月27日 | 人文科学
 岩本真理・大石敏之・瀬戸口律子・竹内誠・原瀬隆司訳。
 出版社による紹介

 漢語方言内の相互理解性についての記述はあるだろうか。初版にはなかった。

(光生館 2015年10月)

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田窪行則編 『琉球列島の言語と文化 その記録と継承』

2015年12月27日 | 抜き書き
 出版社による紹介

 トマ・ペラール「日本列島の言語の多様性―琉球諸語を中心に―」に、「相互理解性」についての言及がある。

 二つの言語体系がお互いに通じない場合はそれらが同一言語の方言ではなく別の言語と考える。
 (82頁)

 しかしアイヌ語とは違って系統的に日本語と近い関係にある琉球列島や八丈島のことばでも本土のその方言とも通じない。たとえば琉球列島の最北の喜界島とそのすぐ北にあるトカラ列島や九州の方言とは大きく異なっており、相互理解が不可能である。さらに、琉球列島のなかでもことばが通じない地域が存在している。 (82-83頁)

 2009年にUNESCO(国連教育科学文化機関)が、日本には消滅の危機に瀕している言語が8つもあると認定した。アイヌ語の例はよく知られているが、その他に八丈島の八丈語と琉球列島の奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語が取り上げられた。 (82頁)

 琉球諸語は基礎語彙を80~85%共有している一方、日本語とは70%ほどしか共有していない〔略〕。琉球諸語と日本語とのこの距離はロシア語・ポーランド語・ブルガリア語・セルビアクロアチア語等を含むスラヴ語族内の多様性に近い。また、ドイツ語とオランダ語との距離やスペイン語とポルトガル語との距離よりも大きい。
 (83頁)

 以上のことから、複数の『琉球諸語』を認め、日本語を単一言語ではなく多様な語族とみなし、『日琉語族』という名称を使った方が妥当と思われる。
 (83頁)

(くろしお出版 2013年11月)

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「一寸の虫にも五分の魂」と「匹夫不可奪其志」の差

2015年12月26日 | 思考の断片
 「一寸の虫にも五分の魂」の中国語(漢語)における同様の含意をもった諺(成語)はあるかとネットで検索してみた。「匹夫不可奪其志(匹夫もその志を奪うべからず)」(『論語』「子罕」篇)を見出した。これはそうかもしれぬと思った。
 だが、この言葉はどうやら人間個人個人の尊厳を述べたもので、「一寸の虫にも...」にはやや含まれているように思える、人間の平等を言ったものではなさそうである。
 この点に関しては、「王侯将相寧有種乎(王侯将相寧んぞ種有らんや)」のほうが、比べれてみればまだ近いかもしれない。だがこの言葉は、万人の平等を求めるのではなく、自分(達)とそれ以外の人間の不平等を好しとする主張である。己は特別・例外なのである。ここにおいて、その考え方は自身が敵として倒そうとする相手となんらかわらない。同じ人物が言ったとされる「燕雀安知鴻鵠之志哉(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや)」からも、そのことは推察できる。

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James Leggeの『論語』英訳より

2015年12月26日 | 抜き書き
 テキストは"Chinese Text Project"。

 「子罕第九」、

 子曰:「三軍可奪帥也,匹夫不可奪志也。」

 が、

  The Master said, "The commander of the forces of a large state may be carried off, but the will of even a common man cannot be taken from him."  

 となっている。字句にぴったりと沿って、原文の意味を過不足なく移し替えているところ、見事と感じる。
 ただ、文面通りすぎてこれでいいのだろうかという気も、同時にする。

 このくだりについて、吉川幸次郎氏は伊藤仁斎の議論を引きつつ、「人間の主体性についての議論」と解釈している。『論語』(上、朝日新聞社、1978年2月、315頁)。
 宮崎市定氏は、「子曰く、一軍団の大将が虜になることは起るかもしれない。男一匹の魂は奪われてはなりませぬぞ」という現代日本語訳を与えている(注釈はない。原文旧漢字)。

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高口康太 「人権派弁護士の『RTが多いから有罪』判決が意味するもの」

2015年12月26日 | 地域研究
ニューズウィーク日本版2015年12月25日(金)20時10分。

 司法手続きを経ずして人身の自由を奪うのは違憲だというのがその主張だ。

 これは「公平」ではなく「公正」だ。

 党の指導が国家よりも優先されるのが現状だ。取り調べにおいても、司法機関の捜査よりも党紀律部門による「双規」が優先権を持つ。浦志強氏による「双規」廃止の主張は、中国の根本的問題である二重支配体制の正当性、合憲性を問うものであったと言えるだろう。

 同上。手続き的公正。

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韓嬰 『韓詩外傳』 より

2015年12月26日 | 抜き書き
テキストは维基文库

卷第4
 有大忠者,有次忠者,有下忠者,有國賊者。以道覆君而化之,是謂大忠也。以調君而輔之,是謂次忠也。以諫非君而怨之,是謂下忠也。不恤乎道之達義,偷合苟同以持祿養〔交〕者,是謂國賊也。若周公之於成王〔也〕,可謂大忠也。管仲之於桓公,可謂次忠也。子胥之於夫差,可謂下忠也。曹觸龍之於紂,可謂國賊也。皆人臣之所為也,吉凶賢不肖之效也。《詩》曰:「匪其止共,惟王之(卭)〔邛〕。」 (下線は引用者、以下同じ)

 この「公道」とは?

卷第4
 今欲治國馭民,調一上下,將內以固城,外以拒難,治則制人,人弗能制,亂則危削滅亡可立〔而〕待也。然而求卿相輔佐獨不如是之,惟便辟〔親〕比己之是用,豈不謂過乎? 

 この「公」は何の公?

卷第6
 賞勉罰偷,則民不怠。兼聽齊明,則天下歸之。然後明其分職,考其事業,較其官能,莫不治理,則公道達而私門塞,公義立而私事息。如是則得厚者進,而佞諂者止,食戾者退,而廉節者起。

 ここでは 「公道」と「公義」とはほぼ同意である。

卷第7
 「正直者順道而行,順理而言,公平無私,不為安肆志,不為危敭行。昔衛獻公出走,反國及郊,將班邑於從者而後入。太史柳莊曰:「如皆守社稷,則孰負羈縶而從?如皆從,則孰守社稷?君反國而有私也,無乃不可乎?」於是不班也。柳莊正矣。」 

 これはこれまでとはちょっと次元の違う話である。

卷第2
 楚昭王有士曰石奢,其為人也,而好直。王使為理。於是道有殺人者,石奢追之,則父也。還返於廷曰:「殺人者,臣之父也。以父成政,非也。不行君法,非也。弛罪廢法,而伏其辜,臣之所守也。」 

 これは簡単、「公」は「行君法」であり、「忠」のことである(ちなみに「好直」の「直」は『論語』の直躬の直であろう)。ここには文字として出て来ないが、「公」の反対語になる「私」は、「孝」である。
 石奢が昭王に死刑に処せられんことを希い、それが許されないと自刎するのは、「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず」のジレンマに陥ったからであった。それは続く以下のくだりが明らかに表現している。

 石奢曰:「不然。不私其父,非孝也。不行君法,非忠也。以死罪生,不廉也。君欲赦之,上之惠也。臣不能失法,下之義也。」遂不去鈇鑕,刎頸而死乎廷。
 

 『韓詩外伝』はなかなか面白い。

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『荀子』「修身篇」より

2015年12月26日 | 抜き書き
 テキストは维基文库

 《書》曰:「無有作好,遵王之道;無有作惡,遵王之路。」此言君子之能以公義勝私欲也。 (下線は引用者)  

 この「公義」は何か。現代漢語訳では「公正・正義」(むろん今日の意味での)としたりするが、それは果たして検証済の解釈か。

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魯迅 「死地」 より

2015年12月26日 | 抜き書き
 テキストは维基文库

  人們的苦痛是不容易相通的。因為不易相通,殺人者便以殺人為唯一要道,甚至於還當作快樂。然而也因為不容易相通,所以殺人者所顯示的「死之恐怖」,仍然不能夠儆戒後來,使人民永遠變作牛馬。歷史上所記的關於改革的事,總是先僕後繼者,大部分自然是由於公義,但人們的未經「死之恐怖」,即不容易為「死之恐怖」所懾,我以為也是一個很大的原因。  (下線は引用者)

この「公義」とは何か。同義語ではなく概念は何かと訊いている。

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水野章二 『里山の成立 中世の環境と資源』

2015年12月13日 | 日本史
 奥山〔里山=近隣山=後山のさらに外側の空間。深山〕も理念上は国家支配のもとに置かれていたことにはなるが、それをあえて天皇の国土高権などに結びつける必要はないであろう。実際には道などを敷設しなければ、恒常的に人が関わることはできず、人々が利用することを通じて、はじめて支配者の権利も及ぶのである。近代以前、とりわけ中世以前には、人を寄せつけないこのような空間は広く存在していた。 (「第1章 中世の後山」本書29頁)

 考えてみればあたりまえの議論であり、事実である。

(吉川弘文館 2015年10月)

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