書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「墜ちた“中国ビジネスのカリスマ”女社長 その華麗な半生の虚実」

2011年11月03日 | 経済
▲「msn 産経ニュース」2011.11.3 12:00。
 〈http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111103/waf11110312010008-n1.htm

 つまり“中国通”を演じていただけということでしょう? テレビという虚業の世界でタレントが“役”を演じるのは失敗しても実損はないが(人気がなくなるだけ)、実業家が実業の世界で演じたから、結果、周囲まで巻き込んでたいへんなことになったということではないのか。

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「『デロリアン』EVで復活へ 2013年発売を発表」 を見て

2011年10月21日 | 経済
 ▲「asahi.com」2011年10月21日19時52分、ニューヨーク=山川一基。
 〈http://www.asahi.com/business/update/1021/TKY201110210409.html

 あっと驚く。真 "Back to the Future" 。
コメント (4)
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共同通信社社会部 『銀行が喰いつくされた日』

2011年07月04日 | 経済
 ここ数ヶ月間、月に一度か二度、予約を取って歯医者に行くたびに待合室で読んでいた本。今日ようやく読み終わる。銀行とは、長銀と日債銀。
 登場する、政官財界の内外で蠢く魑魅魍魎連は、人間を廃めたからではなく、人間だから成れたのだろう。いずれにせよ人間は度し難いという感想。自分も同じ状況下ではそうなりかねないと思えば、彼らと同じ日本人どころか人間そのものをさえ廃めたくなる。

(講談社 2003年5月)

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丸山知雄 『「中国なし」で生活できるか 貿易から読み解く日中関係の真実』

2010年01月26日 | 経済
 それにしても、回収された冷凍ギョーザを転売してしまうなんて、中国の当局も工場も、国内で農薬が入れられたわけがないと本気で信じていたのであろう。 (「第1章 食卓の主役は中国産?」 本書89頁)

 関係者が「知っている自分は食わないから大丈夫」と考えたかもとは、思わないのだろうか。

(PHP研究所 2009年11月)

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スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー著 望月衛訳 『ヤバい経済学』

2006年06月21日 | 経済
 「経済学探偵!ナイトスクープ」の「小ネタ集」とでも評すべきか。

(東洋経済新報社 2006年5月)

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年6月20日、「反日デモ:上海日本総領事館と上海市、原状回復で合意」 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060620k0000m030159000c.html
 「Sankei Web」2006年6月21日、「中国当局、『尖閣の日』ネット投票に中止命令」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060621/kok036.htm

 これで、中国人大衆の憂さ晴らし反日・八つ当たり反日・リクリエーション反日は終わり。

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原田武夫 『元外交官が教える24時間でお金持ちになる方法』

2006年01月09日 | 経済
 情報は金なり、偽情報でも金なり、踊らされるだけの底辺ではなくすこしでも上のランクに這い上がれ、踊らせる側になれ、そうすれば儲かるという、情報ネズミ講のすすめ。勝ち組やめますかそれとも人間やめますか。

(インデックス・コミュニケーションズ 2005年9月)

▲心覚えのメモ。
「人民網日本語版」2006年1月4日、「元日本兵士の東史郎さんが死去」
 →http://j1.peopledaily.com.cn/2006/01/04/jp20060104_56438.html
「人民網日本語版」2006年1月6日、「『東史郎氏の正義感が理解と尊重得た』外交部報道官」
 →http://j1.peopledaily.com.cn/2006/01/06/jp20060106_56513.html

▲同上。
「大紀元日本」2006年1月6日、「『日中の衝突が深まる傾向、ナショナリズムが必要』、対日タカ派が論評」
 →http://www.epochtimes.jp/jp/2006/01/html/d74840.html

 正直というか馬鹿者といおうか。

▲同上。
「人民網日本語版」2006年1月6日、「中国の総合国力6位、日本7位 社会科学院報告書」
 →http://j1.peopledaily.com.cn/2006/01/06/jp20060106_56535.html

 眼目はこの順位付けか? 

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森本忠夫 『マクロ経営学から見た太平洋戦争』

2005年11月25日 | 経済
 勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』(本日欄)が、この本の批判に耐えられるかどうかも、かなり疑問である。
 この書はもと『魔性の歴史 マクロ経営学から見た太平洋戦争』(文藝春秋 1985年2月)で、同書について丸谷才一/木村尚三郎/山崎正和『「鼎談書評」固い本やわらかい本』(→2005年9月10日「今週のコメントしない本」)に行き届いた評価があるから、興味のある方はそちらを参照してほしい。「評さるる人も人、評する人も人」の言がまさに相応しい内容。是非。

(PHP研究所版 2005年8月)
 
▲「多維網」2005年11月22日、「中美峰會談及靖國神社問題日本媒體稱不尋常」(同日付「中國青年報」からの転載) 
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Forums/BackStage/2005_11_21_17_6_42_264.html

 A級戦犯のAを“一番罪が重い”の意味だと思っている中国人がかなりいる。だがこのAは罪状が「極東国際軍事裁判所条例」(原文英語)の第5条のa項で定めた「平和に対する罪」に該当するという意味にすぎない。
 こんなことを言う人間は、要するに東京裁判について何も知らないのである。60年近く経っていまだにこの有様である。その知的怠惰さは驚くほかはない(この“怠惰”のなかには、知らないのに知ったかぶりで大口を叩く臆面のなさという意味も含む)。
 そして国外、例えば米国やあるいは日本に何年いても、物知らずはやはり物知らずのままで変わらないこと(だからそのまま転載するのであろう)にも驚き、かつ呆れるばかりである。

▲「多維網」2005年11月24日、王希哲「中國海外民運怎樣尋找新的杠杆﹖」
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Opinion/2005_11_23_16_36_54_476.html

 日本人は、漠然とではあるが、民主主義は民族主義や国家主権を超越する価値だと考える。中国人は、民主主義者といえども結局は、民主主義は民族主義や国家主権――すなわちナショナリズム――を超越しない価値だと考える。おそらく今日、日本人と中国人の対話を困難にしている最大の原因は、ここにある。

▲内田樹「内田樹の研究室」
 →http://blog.tatsuru.com/

1.2005年11月25日、「『責任を取る』という生き方」 

 私も、“「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問い”が思考のオプションにない人間がよく解らない。
 解っているのはそういう人間とは会話が成立しないということだ。

2.2005年11月17日、「動物園の平和を嘉す」

 憲法改正の是非について、この人の意見は結論としては、私のそれとほぼ正反対である(→2005年11月1日司馬遼太郎『歴史と風土』欄参照)。
 だがこの人が結論に至るまでの思考に、首肯するところが、かなりある。
 できないところも、もちろん多い。とくに以下のくだりなどはそうだ。

“不登校や引きこもりやニートは「銃後の守り」という勤労義務への重大な違背とみなされ、厳しい社会的指弾を受けることになり、尻を蹴飛ばされて勤労動員される。
 「産めよ増やせよ」と厚労省は叫びたて、結婚率は急上昇し、出産育児は国民の義務を履行する行為としておおいに奨励される。
 家庭でも学校でも地域社会でも企業でも、「目上の人間の命令」に従うことの重要性が全社会的な合意を得て承認される。
 家父長権は復活し、学校での体罰が許され、でれでれしている青少年は街のおっさんから「この非国民!」とすれ違いざまに張り倒されるようになる。
 だって、指揮系統を無視するような兵士は戦場では射殺されて当然だからである”

 憲法九条(第二項)を改正すれば必ずこうなるという内田氏の断言には、何の確たる根拠もない。
 改憲すればあの戦前にそのまま逆戻りという論法は、この問題において外的状況が不可欠に関連する側面についていっさい言わないことも含めて、典型的な護憲派の――あるいは冷戦時代の“平和主義勢力”の――主張そのままである。
 ちなみに私は、まずこうはならないだろうと思っている。私が改憲に賛成する理由には、じつはこの判断もある。だが私はこんなことを改憲支持の論拠として正面きって書いたりはしない。証拠がなければ誰かと議論しても水掛論にしかならないからだ。
 『ためらいの倫理学』(→2002年10月27日)のファンとしては落胆してしまう。借り物でない、自らの肉声で語って欲しい。あなたはこんな馬鹿ではないはずだから。

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遠藤健治 『中国的工場カイゼン記』 

2005年07月05日 | 経済
 この実に具体的かつ興味深い、そして面白いことこの上ない経験談を締めくくる言葉である。

“五年前にある中国人が私に告げた言葉を思い出しました。
 「中国はあと一〇年で、日本の企業を抜くことができます。なぜなら、ここには世界中の企業が進出してくるので、情報も技術も世界中の『いいとこ取り』ができるからです。日本は日本だけでしょ。それに、日本の開発や品質部門の実戦部隊のメンバーは、入社五~一〇年くらいの人と聞いています。この人たちと中国人の一〇年目の技術者のレベルはそんなに変わりません。いやそれ以上かもしれません。一〇年以上前に、日本の一線級の品質管理を学んでいますし、中国では当初品質レベルが低かったことから、日本以上に不良に対する経験を積んでいますから」
 今の中国を甘く見たらいけません”  (同書309頁)

 最初、このくだりを読んで思ったのは、「本を読んだ感想はほとんど180度正反対だ」というものである。
 しかし、書き抜いているうちにちょっと変わった。
 まず、

 五年前といえば2000年である。あと五年で中国の企業が日本の企業を抜くなどと、誰が今思うか。

 と、書く。
 それから、こう続ける。

 「情報も技術も世界中の『いいとこ取り』」ができても、また「日本の開発や品質部門の実戦部隊のメンバー」と「中国人の一〇年目の技術者のレベルはそんなに変わ」らなくても、そして「一〇年以上前に、日本の一線級の品質管理を学んでいますし、中国では当初品質レベルが低かったことから、日本以上に不良に対する経験を積んでいます」というのが事実であっても、政治力やコネをふんだんに持ちそれを駆使する技術には長けてはいるが科学や技術のことを何も知らないし知ろうともしない、そして知ることの重要性すら理解できない種類の人間が管理職となり出世する、このような中国の文化的情況においては、中国企業が日本企業を追い抜く可能性は長期的にはわからないがここ数年間といった短期的将来に関して言えば極めて小さいと見るのが妥当である。

(日経BP社 2005年5月)

7月6日追記。

 外国の先進企業を買収してその技術と設備とスタッフをまるごと自国のものとする方法もあるのを忘れていた。「日知録」欄に本日付転載「[AC論説]No. 141 シャイロックが欲したもの」参照。

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池田信夫 『ネットワーク社会の神話と現実』 

2005年01月11日 | 経済
 “老化は細胞分裂の際に遺伝子のコピーに少しずつ誤差がでることによって起こるが、それは細胞がもともと備えているしくみではなく、むしろ進化の過程で個体は一定期間後には死ぬようにプログラムされたのだ。/その理由は、個体は遺伝子のコピーを最大化するための「乗り物」にすぎないからだ。同じ個体がずっと生きて人口が増え続けると、新しい個体の生活する余地がなくなり、最後には食料がなくなって種全体が滅びてしまうだろう。親は個体としては死ぬが、遺伝子を子供に残し、その成長を助けることによって種は繁殖するわけである” (「第4章――構造改革を超えて」 115頁)  
  と書いたあと、“社会にも「プログラムされた死」は組み込まれている”。  
  いきなり「死」の意味をアナロジーに転換して怪しまない。自然科学的な装いをまとってはいるものの、この書ではドゥルーズ=ガタリや、デリダやフーコーが援用されるところもあわせて、経済学という学問のお里が知れておもしろいと言ったらいいすぎか。  
  参考までに上のくだりの続きも書いておく。
 “国家が老化して効率が落ちたとき、それを壊す最強のメカニズムは戦争である。古来、戦争と内乱はほとんど同じもので、権力者を外部から規律づける装置として機能していた。多くの社会で儀礼的に残っている「王殺し」の風習も、こうした秩序の逆転を制度化する演劇的な装置である。日本でも、新嘗祭や大嘗祭には天皇が象徴的に死んでよみがえるという儀礼が残っている” (同)

(東洋経済新報社 2003年5月)

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