書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

B.A.エルマン著 馬淵昌也ほか訳 『哲学から文献学へ 後期帝政中国における社会と知の変動』

2016年10月26日 | 抜き書き
 馬淵昌也・林文孝・本間次彦・吉田純訳。

 新儒教の言説においては、理論的な問題は、演繹的な基準に基礎を置いて考察される前に、普通まず彼らが合理的と考える原理的要素(たとえば陰陽や五行)に還元された。清代の文献学者達は、天人合一を示す抽象的な概念のかわりに具体的で証明可能な事実を強調することによって、これを逆転させたのである。十七世紀後期に閻若璩は、古文尚書の疑わしき部分は実は後世の偽作であって、前二世紀に孔子の自宅から見つかった原本でないということを劇的な形で示した。
 (「第一章 後期帝政中国における学術の革命」31頁)

(知泉書館 2014年12月)

『論語』子罕第九「牢曰:「子云,『吾不試,故藝』。」について

2016年10月16日 | 東洋史
 このくだりを現代漢語に訳せば、たとえば“牢說:「孔子說過:『我沒有被重用,所以學會了許多技藝。』」”となる。「吾不試」は「我沒有被重用」、つまり受動態(受身)の意味であるとして解釈される。訓読ならば「吾れ試(もち)いられず」と読む。古代漢語のさらに古い時代には受動態はなかったという説があるが、その一例となるのではないか。そもそも受動態とは主語と目的語という概念がないと存在しえない構文である。しかしそれらの概念は古代漢語には存在しない。受身という情況は、形式のみならずものの見方・考え方としても古代の中国にはなかったのかもしれない。もしそうだとすれば、いま挙げたこのくだりに対する現代漢語訳も、また伝統的な我が国の訓み下し文も、自らの言語へのもしくは文体への翻訳としてはまさに正しいが、原語の言語的な解釈としてはまったく間違っていたということになる。

呉座勇一編  日本史史料研究会監修 『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』

2016年10月16日 | 日本史
 出版社による紹介

 要するに『建武政権・南朝は滅びたのだから、制度・政策に欠陥があったにちがいない』という先入観に基づいて史料を解釈するので、建武政権・南朝の悪いところばかりが目についてしまうのである。 
(呉座勇一「はじめに」 本書9頁)

 先入観が研究者の頭脳に存在すること、それによって研究の目が歪み史料読解もまた歪むことを認める歴史学者はそれだけで尊敬に値すると思う。
 ある種の中国史学者においては、先入観を「問題意識」と見なしているようかのようなふうが、ときに見受けられる。その種の研究者には問題意識=先入観は議論の前提のごときものであるようで、それに依拠した研究が行き詰まり、あるいは時勢や学界内の流行が変遷するようなことになれば、中身一式を別の一式に取り替えるまでのことであって、それ自体を廃することはないと見受ける。そしてその問題意識によってゆがめられた史料や過去の研究結果をあらためて見直すこともあまりないようだ。研究対象そのものを換えてしまい、よって後ろを顧みる要はないということらしいと推察している。
 そういった人たちは、結論が間違っていたという認識はあっても、前提の存在を疑うことはないらしい。前提と結論とを結ぶ論理の正しさにのみ自らの責任はあり、前提が誤っていれば当然ながら結論も誤まりだが、それは自分の責任でないというかのように、さして気にはされていないように思える。
 それともこの心的態度は、日本史学界と中国史学界の体質的な差であろうか。

(洋泉社 2016年7月)

宮崎市定 『中国史』 上下

2016年10月16日 | 東洋史
 歴史学はある点まで行くと、それから先は文献学になってしまうものらしい。清代の考証学者がそうであった。断定するばかりで、その上に立って描こうとしない。これでは歴史にならぬのだ。私はそうなることを避けようと努めた。だから文献学に突き当たると、そこで方向を変え、いつも歴史学と文献学の境を彷徨するのを常とした。とは言っても私は決して文献学を無視するのではない。ただミイラ取りがミイラにならぬよう心掛けたつもりである。(「むすび」、下巻588-589頁)

 文献学を重視しない歴史学もある。つまり断定しない。個々のテキストを重視しない。

(岩波書店 1977年6月・1978年6月)

山田孝雄 『日本文法論』

2016年10月16日 | 人文科学
 語論の要旨は従来西洋文典の範疇を以て説明したる一切の文典を否定せむとて説を立てたり。語性の異なれる国語を西洋文典の範疇によりて支配せむことの非理なることは吾人の研究の結果之を証せり。 (「序論」本書10頁、原文旧漢字、以下同じ)

 句論に至りては直接に人間思想に根柢を有す。人心の現象に大差なしとせば、東西又大差あるまじ。然れども吾人を以て見れば、西洋文典にてはなほ語と文との関係頗曖昧なるものあり。これが故に新に心理、論理等の学に参酌して之が整理を企てたる所あり。 (11頁)

 前段に就きては真に間然するところなきが、後段に就きては所謂血で血を洗うがごとしと謂えずや。心理又論理の学また此西洋の産なり。東西人心の現象の実に大差なからんか。

(宝文館 1908年9月初版、1970年8年復刻版)

塩川伸明/池田嘉郎編 『東大塾 社会人のための現代ロシア講義』

2016年10月10日 | 地域研究
 出版社による紹介

 ソ連解体を残念に思わない者には心がない.ソ連を復活させられると考えられている者には頭がない。 (「第1課 歴史 現代史のパースペクティヴにおけるソ連とロシア」で引用される現代ロシアの一表現、本書27頁)

 また、「第10講 ロシアの今後 ロシアのゆくえ,そして日ロ関係を考える」(和田春樹執筆)などあり。本書264-295頁。

(東京大学出版会 2016年6月)

王森著  田中公明監訳/三好祥子翻訳 『チベット仏教発展史略』

2016年10月10日 | 抜き書き
 出版社による紹介文

 吐蕃末期からサキャ政権成立まで、400年に及ぶ分裂期を中心に、チベット族に関する鋭い分析を交えながらチベット仏教の発展史を系統立てて解説。また、きわめて独創的な「チベット十三万戸」に関する論考や、チベット仏教最大宗派ゲルク派の始祖ツォンカパ研究の代表的論文『ツォンカパ伝論』『ツォンカパ年譜』も収載。チベット学を志すものにとっての必携書である。


 以下は本書からの抜き書き。

 一部の外国人は明代のチベットについて、勅印を交換しただけでは明朝がチベットに主権を行使した根拠にならないとするが、論評するまでもない妄人のたわごととでも言うべきものであろう。 (「第10章 明代におけるウー・ツァンの政治状況」 同書257頁)

(国書刊行会 2016年5月)

矢吹晋 「田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑」

2016年10月10日 | 抜き書き
 http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

 日本通をもってなる『大学者』郭沫若流の権威を否定できるほとんど唯一の証人が廖承志なのだ。

 大胆な推測と非難されかねないが、もし廖承志が毛沢東と田中の間の『真の通訳』を果たしたことに対する毛沢東の評価を意味するものと解すれば、ケンカの話がいきなり廖承志を日本に連れ帰る話につながるのは、きわめて自然だ。つまり毛沢東は、日本人と同じように深く日本文化を理解する廖承志という男が『私とあなたの間の心の通訳を果たしたのですよ』と示唆したのではないか。

宋栄培 「略論利瑪竇向東方文人介紹世界地図和演繹法思惟的意義」

2016年10月10日 | 地域研究
 原題:宋荣培「略论利玛窦向东方文人介绍世界地图和演绎法思维的意义」、《嘉应学院学报》2009年第5期掲載、同誌24-29页

 非常に興味深い。ただ「东方(東方)」という字句が本来の意味の「アジア全域」ではなく「中国」のみを指す言葉として用いられている(ほかでも例を見る)ことがやや気になる。