書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

今週のコメントしない本

2005年07月30日 | 
 さて今週の

  土曜どうでしょう How do you like Saturday?

 大泉洋さん、大好きです。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  源了圓 『徳川合理主義思想の系譜』 (中央公論社 1972年6月) (再読)

  馬建忠 『馬氏文通』 (北京 商務印書館 1983年9月校点本) (再読)
  太田辰夫 『改訂 古典中国語文法』 (汲古書院 1984年9月改訂第1版) (再読)
  太田辰夫 『中国語歴史文法』 (朋友書店 1985年7月再版) (再読)
  金岡照光 『仏教漢文の読み方』 (春秋社 1986年6月新装第3刷) (再読)
  魚返善雄 『漢文入門』 (社会思想社 1995年8月初版第68刷) (再読) 
  太田辰夫 『中国歴代口語文』 (朋友書店 1982年4月改訂版) (再読)
  西田太一郎 『漢文の語法』 (角川書店 1980年12月) (愛読)
  楊樹達 『高等国文法』 (北京 商務印書館 1984年3月校点本)
  王力 『漢語史稿』 中 (北京 中華書局 1982年6月重慶第2次印刷)
  
  谷沢永一 『あぶくだま遊戯』 (文藝春秋 1980年6月) (再読)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  吉田光邦 『日本科学史』 (講談社学術文庫版 1987年2月) (再読)

  戴季陶著 市川宏訳 竹内好解説 『日本論』 (社会思想社 1983年2月) (再読) →今年1月14日欄

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  杉谷昭 『鍋島閑叟』 (中央公論社 1992年3月)

  武田楠雄 『維新と科学』 (岩波書店 1972年3月) (再読)

  海音寺潮五郎 『日本の名匠』 (中央公論社 1986年5月8版) (再読)
 
④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  江藤淳 『江藤淳著作集』 続1 「成熟と喪失その他」 (講談社 1977年5月第2刷)

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  該当作なし

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし

⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本 
  該当作なし

 次週、リターンズ。

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市古教授退官記念論叢編集委員会編 『論集 近代中国研究』

2005年07月30日 | 東洋史
 蒲池典子「黄遵憲の変法論」(本書77-97頁)を読む。黄遵憲は客家だった。
 なお、目次を眺めていて岡田英弘「陶晶孫伝稿」(本書45-76頁)を発見し、これも通読。

(山川出版社 1981年7月)

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祖父江孝男 『県民性』

2005年07月29日 | 人文科学
 文化人類学的な、つまり学問的な分析手法によっても、県民性(あるいはそれ以下の地域ごとにまとまって分布する、集団に共通した性格)というのは、その原因についてはさておき、存在が認められるのだという。「お国ぶり」は単なるステレオタイプと言い切ってはしまえないらしい。
 ところでこの本ではわが故郷兵庫県の県民性についてほとんど触れるところがない。しかしこれはまあ筆者も注釈するとおり、今日の兵庫県というのは昔で言えば淡路・播磨・但馬・摂津・丹波という五つの国から成る集合体だからだろう。統一的な県民性というものを求めるのは土台無理なのかもしれない。
 ところで私は播磨出身の父と摂津出身の母の間に生まれ、播磨・摂津の境となる明石で育った。つまりハーフということに相成る。

(中央公論社 1971年10月)

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絲屋寿雄 『大村益次郎』

2005年07月29日 | 伝記
 大村益次郎は村田蔵六といった適塾修行時代から、西洋の軍制に多大の関心を持ち、兵学・築城術・砲術などに関するオランダ語の原書を好んで熟読していた(本書14頁に引く緒方次郎『洋学者としての大村先生』)。そのほか、有名な解剖実演に加え理化学と数学の研究が個人的な趣味だったそうである(同)。

(中央公論社 1971年7月)

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大江志乃夫 『木戸孝允』

2005年07月29日 | 伝記
 これはもう、とても面白い。とりわけ面白かったのは、幕末期の政治、思想において横井小楠という人物が占めるとてつもない存在の重さを教えられたことだ。これまでの私は横井という人物に対し、若い頃の中江兆民が坂本龍馬を初めて見た時に思ったような、「なんとなくエラキ人」というほどの漠然とした尊敬心しか持っていなかった。また新たに学ぶ事柄ができて嬉しい。

(中央公論社 1968年9月)

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J.K. フェアバンク著 市古宙三訳 『中国』 (上)

2005年07月28日 | 東洋史
 抜き書き。

“十三世紀から十九世紀にいたる新儒教の時代に、思想の世界では朱憙が、誠実な心は外界のものを研究すること、すなわち「格物」によって得られる、「格物」の後はじめて人は己れ自身を理解することができるであろう、と教えた。しかしこの「格物」という言葉は、科学的観察を意味するのではなく、人事を研究することである” (第3章「儒教の典型」 本書82頁)

 ――簡にして要を得た指摘。

“科学の発展はまた、より完全な論理の体系を中国人が完成できなかったことによって阻まれた。論理学を用いれば、思想を思想によって、一説を他説と体系的に対決させることによって、吟味することができたはずである。ところが中国の哲学者は、かれらの原理はすでにそれが述べられたとき自明であると考えた。かれらはギリシャ人のように、文法と修辞法とを区別せず、したがって抽象と具体、もしくは一般と特殊とを区別しなかった。中国の著作家は、均整、反対のものとの均衡、自然秩序との調和、という一般的な考えに強く頼っていた。有名な連鎖論法は、二十世紀の中国学者にとっては、反駁の余地ない論法ではあるが、ギリシャ人の観点からすれば、それは前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論でしかなかった” (第3章「儒教の典型」 本書83頁)

 ★このあとに中国式連鎖論法の一例として、『大学』の平天下→治国→斉家→修身→正心→誠意→致知→格物→知至→意誠→心正→身修→家斉→国治→天下平のくだりを引く。

 ――同上。

“このような思想と行動の欠点の背後には、科学の発展を阻止する経済的、社会的環境がみられる。大規模な経済的な組織や生産の国家による独占は、個人の企業が発明や機械の仕様によって大規模に分け前を取るおそれがあるときはいつでも、個人の企業に敵対的であった。さらに尽力の豊富なことは、労働を節約する機械装置を輸入するのを妨げた。官僚階級の支配的地位と法律による抑制を受けずに課税する官僚の権力とは、官僚の庇護のもとでなければ新しい計画を発展させることを困難にした。中国の遅れは、能力の問題よりも動機づけの点にあった。固有の才能の問題よりも社会環境にあった。要するに中国に科学が発達しなかったのは、工業経済の発達しなかったことの一つのあらわれであって、工業の発達しなかったことはさらに、儒教国家が本質的に農業的な官僚主義的性格であったことにまでさかのぼるものであった” (第3章「儒教の典型」 本書83-84頁)

 ――これはどうだろうか。中国では工業経済が発達しなかったから科学が発達しなかったのではなくて、科学が発達しなかったから工業経済が発達しなかったのではないか。

“手でする仕事は学者とは違う社会レベルの象徴であった(略)。自分の手で働くものは、学者ではなかった。したがって学者は、仕事場で職人に会わなかったし、また新しい技術を必要とする職工にも会わなかった。この筋肉労働と頭脳労働との分離は、レオナルドに始まるヨーロッパ科学の初期の先駆者の例と著しい対照をなしている。これら先駆者たちは職人の伝統から身を起こし、学者でありながら自分で工場をもっても、社会慣習として平気であった” (第3章「儒教の典型」 本書85頁)

 ――やはりこれが、中国で科学が発達しなかったことの根幹の原因になるのだろうか。

“自強のスローガンの下に、かれら(一八六〇--一九〇〇年代の中国人)は西洋の武器や機械を採用しはじめたが、その結果は、西洋のものを一つ借りればまた他も借りなければならなくなる――機械から技術へ、科学から全ての学問へ、新しい思想の受容から制度の変革へ、結局において立憲改革から共和革命へ――という、どうにもならない過程の中に自分たちが吸い込まれていくことに気づいただけであった。半分だけ近代化するということ、すなわち道具だけを近代化して価値は近代化しないということがまちがっていることは、実際にいって多くの保守的な知識人には明らかなことであった。だからかれらは、西洋のものすべてに反対するという道を選んだ。このような頭の堅い人たちと、道具だけ近代化すればいいんだという人たちとによって、政策は論議されていたから、決定的な革命的変革をしようという第三のコースには、少しもチャンスがなかった” (第8章「革命の過程――改革と革命」 本書215頁)

 ――辛亥革命でさえ、第三のコースであったとはどうも言い難い。満州族が悪い→清朝が悪い→悪いのはすべて清朝のせいだ→清朝を倒せば全てよくなる、では・・・・・・。

“自強運動の中心人物は、太平軍を鎮圧した曾国藩やその若い補佐者であった李鴻章(一八二三―一九〇一)のような学者=官吏であった。かれらは兵器工場を建てて西洋式の船や銃砲をつくった。西洋の科学書の翻訳を助成した。防衛のために西洋の方法を学びそれを用いなければいけないという考えを広めた。すでに一八六四年に李鴻章は、(一)外国人が中国を支配するのは武器の優秀なことにもとづくこと、(二)かれらを中国から追い出そうと思ってもそれはほとんど見込みがないこと、(三)中国の社会はそれゆえに、紀元前二二一年に秦の始皇帝によって中国が統一されてから以来、最大の危機に直面していること、を北京に報告し、中国を強くするためには西洋の機械を使う方法を学ばなければならない、すなわち、中国人の職員を訓練しなければならない、と結論した。このような簡単な推論は。一八五三年ペリーが来てから後の日本の武士たちには自明のことであった。しかし中国における近代化の運動は、儒教を信奉する中国の知識人の無知と偏見とによっていつも妨げられた。日本が急速に近代化しつつあった時代に、中国が西洋文明に対する感応性の欠けていたことは、歴史における中国と日本の大きな差異となってあらわれた” (第8章「革命の過程――改革と革命」 本書215-216頁)

 ――イザベラ・バードは『中国奥地紀行』(→6月11日「今週のコメントしない本」②)のなかで、中国の“文人”の外国に対する無知と偏見に呆れ果てている。彼女は、彼ら“文人”が「あれは外国の悪魔だ」と扇動した民衆に取り囲まれて、あやうく殺されかけた。

(東京大学出版会 1979年12月第7刷)

▲「大紀元」インターネット(日本)、「海南省: 謝罪しない日本人、病院治療お断り」(2005年7月26日)
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d66519.html
 
 ――血統論である。しかしながら、先祖の罪や恥を自分が犯したものように感じて背負い込み、なんとかそこから逃れようとするところ、日本の愛国者の人々もまた日本式“血統論”の信奉者であろう。

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和久田幸助 『新・私の中国人ノート』

2005年07月28日 | 政治
 今月25日欄、同じ著者による『最新私の中国人ノート 民衆は何を考えているか』『続・私の中国人ノート』『続続・私の中国人ノート』からの続き。読む順番が無茶苦茶だが、これは図書館で借りられるものから借りているからで、しかたがない。
 新しい感想はとくにない。しかしながら本書所収「書評・『支那の民族性と社会』」で、河合貞吉の同名著作(谷沢書房 1937年12月)の存在を教えられたのは大変有益だった。

(講談社 1985年1月)

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小泉仰監修 西洋思想受容研究会編 『西洋思想の日本的展開 福澤諭吉からジョン・ロールズまで』

2005年07月27日 | 日本史
 目当ては第Ⅰ部だった。

 第Ⅰ部 「福澤諭吉と東アジアの近代」
   第1章 「西欧的世界観の受容と改造―福澤諭吉と厳復の初期の思想を中心に―」 (高増杰)
   第2章 「福澤諭吉の西洋理解と『脱亜論』」 (平山洋) 

   第3章 「ドイツ語圏の日本研究における福澤諭吉と丸山真男の位置」 (アネッテ・シャート=ザイフェルト)

 第Ⅱ部「近代日本における国家と道徳」も興味ある題名なので読んでみたが、よくわからなかった。第Ⅲ部「英米倫理学の再検討」第Ⅳ部「現代日本のリベラリズムと人権」になるとさっぱりわからないうえ、強いてわかろうという気にもならない。多分私の頭が悪いせいだろう。だから「これは『西洋思想の受け売りもしくは単純な当てはめの日本的展開』ではないのか」などと思ったりするのである。

(慶應義塾大学出版会 2002年9月)

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子安宣邦 『「事件」としての徂徠学』

2005年07月27日 | 日本史
 もと青土社1990年4月刊で、『現代思想』に1988年4月号から1989年11月号まで連載されたものの由。東大新人会的インテリ(→2003年1月6日欄鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 一九三一―一九四五年』)の溜まり場であるらしい『現代思想』に連載されたというだけで、私には基本的に無縁な内容である。

“本書の冒頭の章で、(丸山真男の)『日本政治思想史研究』の提示する徂徠像が「思想史」の虚構であること、あるいは「思想史」という虚構であることを、私はあらわにしようとした。その際、「思想史」の虚構をいうことであらわにされたのは、あの徂徠像とはいわゆる「未完の近代」を説く丸山氏の歴史哲学的立場のまったくの相関者(コレラート)だということである。この「思想史」の虚構を明らかにするプロセスは、再構成された歴史・物語の筋道のうちにその意味を固定されている徂徠の言説を揺らぎ出させるための不可欠の手続きである。かくて徂徠の言説は、まさしく新たに言い出されたことの事件性において、あるいはその言い出されたことが言説空間にもたらす同調や抵抗の波動のうちに、それがもたらす特異な波立を見分けることで、またすでにある言説をそれが差異化する局面の精査によって、その意味が問われていくことになるだろう” (序論「『事件』としての徂徠学への方法」 本書16頁)

 何が書いてあるのかさっぱりわからない。強いてわかろうという気にならないのは、『西洋思想の日本的展開 福澤諭吉からジョン・ロールズまで』(本日欄)における第Ⅱ部・第Ⅲ部・第Ⅳ部と同じである。“徂徠像”という無生物の主語を平気で“相関者”という生物もしくは人間を意味する言葉で承ける言語感覚が理解出来ないのも、きっと私の頭が悪いせいである。
 しかしわずかにわかった部分、丸山真男の徂徠理解が自らの日本思想史の枠組み(子安氏の言葉では「丸山氏の歴史哲学的立場」)に引きつけて解釈した“虚構”であるという主張は、そのとおりだと思う。丸山という人は本質的にアジテーターだったと私は思っている(→2003年7月21日、竹内洋『日本の近代 12 学歴貴族の栄光と挫折』)。
 それにしても、『福沢諭吉「文明論之概略」精読』(→今年5月2日)でも思ったが、テクスト・クリティークというものを自分でしない人だ。

(ちくま学芸文庫版 2000年8月)

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イザベラ・バード著 時岡敬子訳 『朝鮮紀行 英国夫人の見た李朝末期』 

2005年07月26日 | 東洋史
 1894年から97年にかけての朝鮮へようこそ!

(講談社 1998年8月)

▲気になる中国関連記事。

「大紀元」インターネット(日本)、「浙江省汚染問題深刻化、万人暴動相次ぐ」(2005年7月25日)
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d81076.html

「大紀元」インターネット(日本)、「ジャーナリスト吴葆璋氏:朱成虎の発言はクーデターの前兆」(2005年7月25日)
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d81327.html

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