書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

岸本道昭 『山陽道駅家跡 西日本の古代社会を支えた道と駅』

2018年03月31日 | 考古学
 『日本の遺跡』第11巻。府立図書館で書架のあいだを徘徊しているうちにシリーズが目にとまったので、自分の故郷の係った1冊を借りる。私の明石の実家は、明石駅跡(同書121-123頁)を示す石碑のすぐちかくで、まいにち小学校の行き帰りにその前を通った。当然、そこにある菅公旅次遺跡碑も見ていた。“駅長莫驚時変改、一栄一落是春秋”。なお122頁の図41「明石駅家の周辺」を見てみると、私の実家はほぼ推定される山陽道の道脇、しかも古の駅家の域内にあったらしい。駅長莫驚時変改、一栄一落是春秋。

(同成社 2006年5月)

大西克礼 『自然感情の類型』

2018年03月31日 | 人文科学
 1980年代に出た、日本文学・比較文学のある碩学の専著に(注)、日本人の自然に対する伝統的感情に関するほぼ唯一の先行研究としてあげられていた。府立図書館に所蔵されているが館内閲覧のみ可のため、中身を確認すべく本日急ぎ行ってきた次第。論の対象は西洋と日本のみで、その対比が全篇の主旨である。中国のそれはまったく取り上げられず、従って分析されることもない。かの碩学は、己の独歩として中国と日本の自然感情の歴史的な対比を行うにあたり、先学の敷いた堅牢な礎石に対し学術的にも礼儀的にも当然の敬意を表したのであろう。

。匿名にしたのはひとえに現在その書が手元になくて確かめることができないことによるもので、他意はない。

(要書房 1948年7月)

土肥誠 『祝詞用語表現辞典』

2018年03月29日 | その他
 既読だが、延喜式の祝詞を看たあと、もういちどこちらで確認をと思って、大学図書館でかりてきた。こちらでは宣命小書体の例文は、小字で書き分けられる部分が正確に「助詞・助動詞・用言の活用語尾」(ウィキペディア「宣命」項の表現)になっている。延喜式の、いわば“オリジナル”のほうでは、当時このような品詞概念がなかった以上当然の疑問ながら、そこまできっちりと書き出していたろうか、という疑問があってのこと。

(戎光祥出版 2017年8月)

神塚淑子 『道教経典の形成と仏教』

2018年03月29日 | 東洋史
 出版社による紹介

 この出版社の紹介でそういう傾向の研究ではなさそうだとあらかじめ推量できていたが、大学図書館に入ったので確かめた。文体論・言語論に関する議論はない。仏教漢文―通常漢文との相互交流・影響については、すでに先学の研究がある。そこへ、仏教漢文―道教漢文、さらには―通常漢文と、三角形の交流影響構造が看取されれば面白いだろうと思った。

(名古屋大学出版会 2017年10月)


イーゴリ/アスコリド・イワンチク著 小林茂樹訳 『混乱するロシアの科学』

2018年03月29日 | 地域研究
 自然科学のうちで〔ルイセンコとルイセンコ主義による〕全面的な破壊を免れたのは、数学、物理学、化学、地質学だけであった。これらの分野が無事に残った主な理由は、もちろん、国防上の重要性である。したがって、とくに原子力の研究が盛んになった年代には、物理学者はある程度まで支配体制に対して強い立場をとることができた。
 物理学者は、最低限の精神的自由を獲得した最初のソビエト市民であった。アカデミー会員のアンドレイ・サハロフがソ連時代に反体制的な立場をとり、全体主義に対する精神的抵抗の象徴となりえたのは、青年時代に彼が核兵器開発の科学者グループに属していたからである。
 (「3. ソ連時代の科学と科学者」本書55-56頁)

 だが中国は、物理学でさえもイデオロギーの攻撃から免れることはできなかった。この差はなにか。

(岩波書店 1995年4月)

『荘子』「斉物論」篇の「以指喻指之非指,不若以非指喻指之非指也;・・・

2018年03月28日 | 思考の断片
 前日より続き。

 『荘子』「斉物論」篇の「以指喻指之非指,不若以非指喻指之非指也;以馬喻馬之非馬,不若以非馬喻馬之非馬也。天地,一指也;萬物,一馬也。」のくだりは、その前後のどちらによせて解するかで多少違いは出てくる(例えば『荘子集釋』は前に、『中国哲学書電子化計画』の『荘子』は後へ、繋げている)。だが現代から外在的に、また現代人であることを弁えながらそれでも当時に即そうとできるだけ内在的に努力しての、しかし要はご自身の『荘子』の“全体的な把握と理解”に基づき、しかもここだけを前後の文脈から切り離して解釈した御大御料所の説は、いずれもすこしく無理がありはしないかと感ず。
 ひとことで言って、深読みしすぎではなかろうか。文(章)そのものからはそこまで言語として情報を読み取れるか、文脈としてはそこまで考えて言って(書いて)いるだろうかと。

清の郭慶藩撰『莊子集釋』を読んで、テクスト自体の理解や内容に即した原典の・・・

2018年03月27日 | 思考の断片
 清の郭慶藩撰『莊子集釋』を読んで、テクスト自体の理解や内容に即した原典の体系的把握に資することに控えめに言っても必ずしも顧慮したものではない中世以前の注釈(近世以降もその弊は完全には免れてはいない)の通癖である所の、無意味な脱線と不要な饒舌(近代人の私には)から、望外の示唆を得た。

(しかし「コレはなにをなんのためになぜここで言っているのかわからない」ことが多いので疲れる。そう続けては読めない。そして原文を自分ひとりで読んで、ある仮説を思いついて検証してみたら、どうも外れたようだ。)

 ところで日本語でも漢語でも、まず注釈を見て、あるいは注釈を主として、本文を読むのと、専ら本文を追い、解釈に迷ったときや理解の仕方に疑問の存するときにはじめて注を見て参考にするというのは、読解にまるで違う世界が広がることを実感する。

 手元にある斯界の御大お二方による『荘子』注釈の「斉物論」篇を繙く。寛厳の差異はあるが、御両所とも、読解ののちその解釈に合わせた訓読を施して居られる。お一方など、一般向けという書の性質もあってか(両方とも文庫でそうだが)、従来の決まりきった訓読の型(定型の訓)を離れて、御自身の解釈にあわせて、また読み手の理解の便にこたえて、日本語古文の和語語彙のなかから自由に選んで読みを付けておられる。私などが僭越であるが、流石であるとしか言いようがない。

 これは宮崎市定御大が専門の論考などでもときに使用される方法で、訓読は己の原文解釈を別の言語へと移し替える作業、すなわち翻訳の一種であることを考えれば、あたりまえの行いなのだが、いつかこれを訓読としては邪道であるけしからんと批判される別の偉い先生(と言われている方)のご意見を聞いて、語学屋兼翻訳者としては腰を抜かしそうになったことがあった。若気の至りである。

 というわけで、御両所の訓読を拝読して、私の訓読とは異なる、つまり私とは解釈が異なるということが判った。漢語とは異なり日本語は詞だけでなく辞も残らず表現されるから、訓読が解釈に近づけば近づくほど個々の違いが鮮明になるということは言えると思う。

太田幸男ほか著『世界歴史大系 中国史1 先史~後漢』

2018年03月27日 | 東洋史
 出版社による紹介

 この冊は2003年8月刊だが、時代区分論争はいぜんとして重要問題の一つである(「補論1」)。つまりマルクス主義唯物史観で頭からへし切る研究方法はこの時点でまだ有効だったということである。もっともマルクス主義唯物史観がほかの何かに入れ替わっても頭からへし切る研究方法は変わらないのかもしれない。そうでない議論(共著の論集である)もここにはあるが、大勢もしくは“空気”として。
 閑話休題。ある章でべつの事を確かめようと思ったのだが、「先行研究にこれこれとある=もし内容がまちがっていてもそれはその先行研究とその筆者の責任で、自分にいかなる落ち度もない」という態度にさえとれる丸投げ度だった。どこを参照すればよいのか頁数さえ示さない。そしてその問題についての先行研究は、郭沫若のそれ1本ではなくほかにもある。たとえばこれ

(山川出版社 2003年8月)