書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

大島正一 『漢字伝来』

2018年02月28日 | 日本史
 出版社による紹介

 「第Ⅴ章」の114-115頁にまたがって記されているある指摘(後述)は、文末が「~とみることはできないだろうか」と、疑問形であるということは、著者によって初めて提起された、あるいは先行者がいるにしても、いまだ検討もしくは検証されていないということを意味するのであろう。宣命体の大文字と小文字の書き分けの区別(どこまでを大文字の裡として留め、どこからを、あるいは何を、小文字として追加・付記するか)は、そんなに等閑にしてよかるべかりし問題なのか。私にはちょっと理解しかねる物事の順序感覚である。

 このような書き分けができたのは、(宣命体の)書き手が文中における語の機能をはっきりと認識していたからにほかならない。そしてこの書き分けは、室町時代の末ごろに芽生え、江戸期になっておこなわれ始めたと説かれる品詞分類の、はるかにさかのぼる潜在的なさきがけとみることはできないだろうか。大・小字の書き分けは、この点でも興味あることがらと思われるのだが。

(岩波書店 2006年8月)

今村与志雄訳、魯迅「中国小説史略」「漢文学綱要」を読む

2018年02月28日 | 文学
 学研『魯迅全集』11(相浦杲編、1986年5月)収録。

 魯迅訳といえば岩波『魯迅選集』のお陰もあり竹内・増田・松枝三御大の作業しかほぼ知らなかったのだが、今村魯迅も素晴らしい。私が魯迅の原文や周囲の回想や研究者の評伝その他を読んで感じる魯迅の一面をよく伝えているように思う。

『科学事典』「帰属過程」項

2018年02月28日 | 人文科学
 https://kagaku-jiten.com/cognitive-psychology/formation/attribution.html

 この項の主題に関連して、蘭千壽/外山みどり編『帰属過程の心理学』(ナカニシヤ出版 1991年3月)を閲読したのだが、帰属を人類普遍の認知機能であると、すくなくとも質・量ともに均質一定のものとして前提してよいのかという疑惑が、この、該書刊行後の研究成果を反映してアプデートされているはずのウェブ事典を見ても拭えない。

江戸時代の呂氏春秋学 土屋 紀義(編著) - 中国書店 | 版元ドットコム

2018年02月27日 | 日本史
 http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784903316581

 このような翻刻を行ったわれわれの意図は、従来知られていなかった江戸時代の『呂氏春秋』を紹介することによって、この時代の先秦諸子研究の全貌把握の一助とすることのみではなく、むしろ山子学派および森鐵之助らの『呂氏春秋』注釈が、当代の『呂氏春秋』研究にも十分に貢献しうると判断したからである。


 一読、“意味”はわかったが、「紹介」で掲げられたところの“意義”が、いまひとつよくわからない。

 この二種は、江戸時代における『呂氏春秋』注釈の中で質量ともに最も優れたものに数えることができ、中国思想史はもとより日本思想史にこそ重要である。『呂氏春秋』研究における意義を明らかにする解説を付す。


 私の言っているのは日本思想史における意義である。

人気コミック「そばもん」の原点の原点 現代語訳「蕎麦全書」伝

2018年02月27日 | 料理
 副題:「藤村和夫(そばもん監訳者)訳解」
 http://www.810.co.jp/hon/ISBN4-89295-543-4.html

 私は『そばもん』ではなく『美味しんぼ』の蕎麦の回からこの書へとたどり着いた。元著者の日新舎友蕎子は「蕎麦には適当なこれぞ蕎麦というべき太さがある」と断ずるが、そのための作り方以外は、茹で方も茹で加減も付け汁の何にするかも各人の好み次第と言い切っている(「一、蕎麦仕様概略の事」)。蕎麦の食い方をあれこれ余人に講釈しかつ実演してみせる迷亭氏よりよほど粋なようである。

「公私混同」「アルバイト」は当たり前 中国人の驚くべき職業倫理 デイリー新潮

2018年02月27日 | 地域研究
 https://www.dailyshincho.jp/article/2015/10090900/

 いまだに基本同文同種の頭かと感嘆しきり。「公(」「)私」と同じ漢字をつかうなら中身も同じとどうして無条件に見なすのだろう。溝口雄三先生や源了圓先生をはじめとする研究は結局、一般大衆と専門家とを橋渡しするはずのジャーナリズムにはなにも根付いていないらしい。すくなくともここにはその痕跡もない。


譚璐美 『近代中国への旅』

2018年02月23日 | 東洋史
 出版社による紹介

 著者のノンフィクション作家としての出発点には、天安門事件が大きく横たわっている。柴玲やウアルカイシといった革命の英雄たちとの出会い、その栄光と挫折に寄り添うことで、魯迅の〈暗黒〉が作家の前にも立ち現れる。 

 天安門事件関連の文章については、発表時にあるいはこれ以外にも過去の著作で読んでいたものもある。その後発表されていたものとともに、知識の補充のためもあるが(たとえばカーマ・ヒントンの背景など)、それもくわえて、昨今のもろもろを見つつ、ある種の感慨をもって読み直す。

(白水社 2017年11月)

五味文彦/本郷和人編  『現代語訳 吾妻鏡』 1 「頼朝の挙兵」

2018年02月23日 | 日本史
 出版社による紹介

 年月日を日本の年号で記していること、登場人物の官職表記はたとえ唐名を使っていても基本的に日本式であること、さらに登場人物への親疎・上下の感覚が完全に当時の内部関係者である筆者たちのそれであること(これが具体的に現れるのは〔~給〕といった日本語の敬語の使用と、人物称呼の表記法〔~主〕など)から、これは変体漢文それも漢文を書こうと思ったが能力不足で和習が滲み出たものではない種類、と見なせるかとの読後の感想。

(吉川弘文館 2007年11月)