共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

新たなノスタルジックマンホール@《MINAKA小田原》

2021年11月26日 18時40分20秒 | 日記
今日は私が担当している支援級の担任の先生が5年生の校外学習に同行して終日おられなかったので、教務主任の先生が担任代行でいらしてくださいました。残った子どもたちは『担任の先生がいない』といういつもと違う状況に敏感に反応して、戸惑ったり、挙動不審になったり、逆に調子に乗って騒いだりと各々シッチャカメッチャカでした(汗)。

それでも何とか今日の授業を終えて、出かけておられる担任の先生に状況をLINEで報告して勤務を終えました。そして小田原駅まで向かい



駅ビルの隣りにある《MINAKA小田原》までやって来ました。

最近、ここの前の路上に新たなマンホールがお目見えしました。それが



貴賓室があった小田原駅の旧駅舎を描いたものです。以前



小田原市内に新設されたガンダムのマンホールを載せましたが、今回のマンホールはこれに次ぐものとなります。

今でこそ近代的なビルがそびえている小田原駅ですが、かつてこちらには



三角屋根の愛らしい駅舎が建っていました。ただ、1920(大正9)年10月21日に熱海線(当時)の駅として開業した当時は屋根に展望塔が建つモダンな造りで、



現在JR小田原駅改札口の上に、当時の姿の写真が掲示されています。

かつての小田原城敷地内に旧閑院宮家の御用邸があったこともあって、開業当初の小田原駅には貴賓室や皇族専用の改札も設けられていました。今でも駅長室には



貴賓室に設置されていた暖炉の外枠が保存されているのだそうです。

完成から3年後に発生した関東大震災で小田原の街は壊滅的に破壊され、旧小田原駅の優美な展望塔も倒壊してしまいました。その後、三角屋根のある形に再建された小田原駅は市民に長く愛され、新駅舎開業によって2003年に解体されるまで当時の佇まいを残していました。

今でこそ近代的な建物になり、新幹線側の西口と小田原城側の東口とを自由通路が結ぶ利便性の高い駅舎となりましたが、旧駅舎はJR(国鉄)と小田急線・箱根登山鉄道が改札を共有していて、私鉄に乗るには更に構内の共有通路の途中にある別改札を通らなければならない造りになっていました。しかもこの共有通路というのが各路線の線路の下を通る構造になっていたため半地下になっていて、台風や大雨の時には排水が儘ならずに通路が水没してしまうこともありました。

しかも当時の小田原駅では西口と東口とを自由に行き来することができず、反対側の改札口に行くには、馬鹿馬鹿しくとも入場券を買って改札を通るか、駅からかなり離れたところにある道路まで行って回り道するしかありませんでした。そういった意味で使いにくかった駅舎の利便性の向上は小田原市民の悲願でもありましたが、恐らく今の20代以下の若者たちは、かつての小田原駅がそんな不便な駅だったことは知らないでしょう。

勿論、駅舎の利便性が向上することは素晴らしいことです。しかし利便性の向上を追求していった結果、どこに行っても同じような見た目の駅舎ばかりになってしまっていることも否めなくなってきてはいないでしょうか。

そうした意味では、新たに登場したこのマンホールの絵柄にかつての昭和のノスタルジーを感じるのもまた一興…といえるのかも知れません。そんなことを思いながら、便利になった小田原駅を後にしたのでありました。

コメント
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