ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

故・阿部昌司先生の追悼記事~フリーペーパーより。それと・・・

2013年09月29日 | 日記
主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。
主はわたしのいのちのとりで。
だれを私はこわがろう。
旧約聖書:詩篇27篇1節(新改訳)


故・阿部昌司先生の追悼録が「山形コミュニティ新聞」と言うフリーペーパーに載ってるよ、と、合唱友達から偶然聞いて、我が家にもポスティングされたのを見たら、お元気で大きな口を開けて、指揮をなさっている阿部先生のお写真と、かなりそのフリーペーパーにしては大きなスペースを取って下さり、阿部先生のことが書いてあって、とても嬉しく思いました。


このフリーペーパー県外の友達にも見せたいな、と思ったら、ネットでも見れたんです。コメント欄に貼っておきますので、是非ご覧下さい。

ここまでで、気付かれました?

そうなんです!エンターキー直ってないけど、開業できるようになったんです!

違う!改行でした

エンターキーはもう外してしまって、もう裸の状態なんですが、その裸の部分のぽちっと、突起を押してみたの。そしたら見事に、改行!

やっぱり改行できると気分良いや!


相変わらず昼夜逆転。今日の朝までは、被害妄想っぽくまでなってたけど、教会の大好きな友達(と呼んでいいのか?母より年上の姉妹を!?)M姉さんも無事山形に帰省して、昨日久しぶりに電話して爆笑したので、明日の礼拝と、レーナマリアが来る、郡山の大会には行けないと思うけど、何とか、明後日の精神科には受診して、3日のアルバイトは苦しくても復帰したいなあ・・・祈ってください!

阿部先生の追悼録はコメント欄に貼っておきます。コミュニティ新聞山形さん、本当に載せてくださってありがとうございます。私宝物にしてとってるし、こうしてブログで県外の友達にも、伝えることが出来て感謝です。山形コミュニティ新聞さんを、どうぞ主が祝福してくださいますように。明日の礼拝と郡山での聖会を祝福して下さい。私に生きる希望を与えてくださり、元気にしてください。我が家にも希望を与え、明るい家族にしてください。必要ことごと満たしてください。主、イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。               


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恋は落ちるもの~Memories of my falling in love at peaceboat cruise

2013年09月25日 | 
律法の全体は
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と言う一語をもって全うされるのです。                                          
新約聖書:ガラテヤ人への手紙5章14節(新改訳)

今寝る前に 
もう破壊された
九龍城砦の写真集を見ていたら  
急に思い出した 
貴方との恋
旅先の濃厚なカルーアミルクのような私の思い
貴方の透明なワイン 
水のようにワインを飲んでいた貴方の私への思い

そう  
私たちは香港で  
初めてのデートをした
南十字星を見ながら
同じルームメイトは 
知らんぷりをして私を送り出してくれた  
貴方がいつも居るプールの逆側に二人で並んで座り 
南十字星を見たっけね
本当に今でも頭に残っている気がする  
でもね、貴方  
私はもう覚えてないの  
あの真っ暗な船の中で 
南十字星を見るふりをしながら  
貴方と私  
初めて固く抱き合ってキスしたよね 
あんなに密着して 
むさぼるようにキスをしたのは 
忘れられない 
忘れたくない 
心にしまっておけばいいのかもしれないけれど 
我慢できなくて 
書きに来た 
あの抱擁とキスは 
忘れようとしても 
ふっと思い出す 
決してエロティックな感じではなく 
いえ 
お互い気持ちはエロティックに高揚してたと思う 
でも 
私たちの体は 
ちっともエロティックじゃなかった 
私たちの抱擁とキスは 
今思うと 
限りなく切なかった 
恋と言うよりも 
お互いの存在を 
きつく抱き合うことで確かめるような抱擁 
お互いの淋しさを 
忘れたいようにキスで埋めるようなキス 
そんな気がする 

その後か、前か 
もう私は忘れたけど 
その後二人で 
中学生がくっつくようにして座り 
見た南十字星は覚えてる 
けど記憶は 
やっぱり薄れるのかな? 
星は綺麗だったけど 
そんなに明るくは無かった気がする 
とにかく暗かった 
船の夜は暗い 
びっくりするほど暗い 
弱虫な私一人だったら 
絶対にデッキになんか出られなかっただろう 
出られたのは貴方とのデートだったから 
貴方が居てくれたから 

南十字星とお互いをたっぷり堪能してから 
位置を変えてプールのそばに座りなおして 
高校生みたいな話してたの覚えてる? 
お互いにあの時 
30超えてたのよ? 
あの時の私たちの会話や様子を思い出すと 
笑っちゃう・・・いいえ ほほえましい感じがする 
いちゃいちゃいちゃいちゃして 
貴方、体が熱くなると 
すぐプールに飛び込んでいったのを 
私はちゃんと知ってた 
それが私にも心地良かった 
貴方と二人でいると 
やっぱりいつ 
高校生から大人の欲望が出そうで 
私は怖かった 

あの時二人で朝まで居ようって約束したのに 
どこで二人で横になれるかな? 
なんて話してたのに 
結局居られなかったね 
時間がつぶせなかったのもあったし 
貴方が躊躇して
私を部屋まで送ってくれたのよね 
正直私は
淋しかった 
でもね 
半分は安心したかもしれない 
いや
したんだと思う 
だから貴方が私の船室の前まで送ってくれた時 
長い長いキスを廊下で交わしたのかもしれない 
あの時、廊下に誰も居なくてラッキーだったね! 
と書きながら今思い出した! 
廊下に人影が現れたときは 
私たちすぐ離れて 
知らんぷりして 
また人影が薄れたら 

私から何度も何度もキスをせがんだね 
貴方はちょっと戸惑って居たけど 
私のキスにちゃんと応えてくれた 
だから 
こんな短歌が詠めたんだと思う 
12年前の夏 
詠んだ句よ 
海が大好きな貴方に届けたい  
淋しい私を 
いつでもハグして慰めてくれた 
貴方に届けたい 


・お互いのキャビンの前で交わすくちづけいつまでたっても終わらない夜 


私が詠んだのよ 
貴方は今、どこに居るの? 



下船後 二年目だったかな? 
私に電話をくれたよね? 
メールもくれたよね 
覚えてるよ 
カタカナで 
ケッキョクボクハアナタノコトヲアイシテイルノダトオモイマス 
って 
でもね 
あの時の貴方の言葉を 
私は信じられなかったの 
だから貴方のメールアドレスも携帯ナンバーも消した 
名刺も棄てた 
たぶんタイミングがあわなかったんだね 
下船後1年目 
私は貴方に似た人を見ると 
心がずっと痛かったのに 
でも 
恋に落ちちゃったから仕方ないね 

貴方私が忘れてった聖書を読んでるの? 
ピースボートのお父ちゃんに聞いたの? 
それだったら嬉しい 
ねえ、貴方どう思う? 
恋にはやっぱり落ちるものね 
じゃあ、愛はどう? 


貴方がもし、今私の前に現れてくれたら 
貴方の目をちゃんと見て 
話せるような気がする 
大好きだった貴方だから 
貴方とであったこと後悔してない 
だから 貴方との写真も棄ててない


でもね
貴方がね 
この世のどこかで生きてると思うと嬉しい反面 
何で海ばかり探してるのよ?って 
ちょっとすねてみたい 
前に一緒に居たときの 
ように                                                                                                                                                                                       
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ひきこもりになりそうで怖い・・・心身ともに力が抜けてる

2013年09月21日 | 私の好きな曲
< 日 没 >  吉原 幸子

雲が沈む
そばにゐてほしい

鳥が燃える
そばにゐてほしい

海が逃げる
そばにゐてほしい

もうぢき
何もかもがひとつになる

 指がなぞる
 匂わない時間の中で
 死がふるへる

蟻が眠る
そばにゐてほしい

風がつまづく
そばにゐてほしい

もうぢき
夢が終わる

何もかもが
黙る                                                                          これは吉原幸子詩、新実徳英作曲の「失われた挽歌」と言う女声合唱組曲です。私自身は歌ったことはありません。ただ、先日亡くなられた阿部昌司先生の後を、追いかけられるように、阿部先生が転勤なさった後、滝口正彦先生という、阿部先生の教え子に当たる先生が、山形西高に転勤なさって、定期演奏会でこの曲を聴きました。その時、とても不思議な感覚でこの曲を聴きました。私たちが知らない歌だ・・・直感でそう思いました。その中でもこの「日没」が、私には一番心に響きました。当時恋をしていたせいでしょうか?今でもこの曲を聴くと、その当時の辛い恋が思い出されます。 昨日のアルバイト、休みました。何か、心身がもう空っぽで、駄目でした。申し訳なかったけど、店長さんに当日断って休ませてもらいました。今も眠らなくちゃいけないのに、眠れないんです。いやな感じがします。ひきこもりそうな・・・。でも今日から三日間はとにかくひきこもろうと思います。自傷行為、パニック、過呼吸、ずっとおきてます。涙が流れる・・・続いています。東京まりあさん、コメント感謝します。もう少し落ち着いてからお返事させてくださいね。今、私がいろんな曲をyou tubeから聞いて、落ち着いたのをコメント欄に載せておきますね。東京まりあさんにおきに召すのがあるかしら?今日のは珍しく、全部クラシック外です。お休みなさい。                                                                                                                                空色リボン・キャンペーン
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久しぶりに泣きたいほど嬉しいニュース!

2013年09月18日 | イエスさま
  わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない。新約聖書:ヨハネによる福音書15章12節~13節(新共同訳)                                                                                          今、久しぶりに教会から帰って、パソコンを開いてあるニュースを読んだら、泣  きたいほど嬉しさがこみ上げてきた。既にご存知かもしれないが、ご紹介したい。                                                                                                       中国人留学生:命懸けで小4救助 大阪府警が表彰
毎日新聞2013年9月18日(水)12:36
 台風18号による大雨で増水した大阪市北区の淀川で大阪府高槻市の小学4年男児(9)を救助した中国人留学生、厳俊さん(26)に日中から称賛の声が相次いでいる。中国版ツイッター「微博」(ウェイボー)や中国のニュースサイトに書き込みが殺到しているほか、大阪府警には、「直接お礼を言いたい」などの電話が関東や中国地方からも舞い込み、田中法昌府警本部長は18日、「身の危険を顧みない勇気ある行動に感銘を受けた」として厳さんを表彰した。厳さんは毎日新聞の取材に「人命を助けるのに国籍は関係ない。自分の行動が日中友好のきっかけになるのならうれしい」と語った。

 厳さんは16日午後5時ごろ、堤防沿いをジョギング中、「助けて」という子供の声を聞き、濁流にのまれる男児を発見した。とっさに川に飛び込み、男児を堤防に押し上げようとしたが、男児に岸にはい上がるだけの力がなく何度も失敗。自身も大量の水を飲み「自分の人生もこれまでか」と死を覚悟した。その後、力を振り絞って岸に上がり約100メートル下流まで走って先回り。ぬれた衣服を脱ぎ、近隣住民が持っていたロープを体に巻き付けて再び川に飛び込んだ。水中に消えかけた男児を右手でつかみ、左手で水をかいて必死に岸まで泳いだという。

 「微博」上には、「凍りついた中日関係に新たな空気を吹き込む行動」「中国人と日本人の間にあるのは、政治ではなく温かい気持ちだ」などのコメントが1000件以上集まっている。厳さんが16日、上海市に住む両親に「携帯電話は川に流されてつながらないけど、無事だから心配しないで」とメールで連絡すると、「あなたを誇りに思う」と返信があったという。

 厳さんは「戦後復興を果たした日本で経済を学びたい」と3年前に来日し、来春から大阪市立大大学院に入学予定。アルバイト先のコンビニエンスストア店長の松田庄司さん(61)は「正義感が強く、勤務態度もまじめ。放っておけなかったんでしょう」と話す。18日午後には、救助した男児の両親も厳さんに面会し感謝を伝えるという。【高橋隆輔、上海・隅俊之】

       
                                                                私は最近、you tubeで、かなり中国人と韓国人、そして日本人とのディスカッションの余り良くないのを見て・・・特に慰安婦問題と尖閣諸島についてだが・・・私自身は二つのことに対して、事実がどうなのか。まだ自分で勉強してないのでなんとも言い難いが、中国と韓国、そして中国人と韓国人にも、当初持っていた好意から、嫌悪感が湧き出るのを抑えられないで居た。と、同時に、初めて行って、中国人のご夫妻に溢れるほどの愛情と好意を頂きながら、中国語を(今は休んでいるが)学ばせて頂いている事、休んでいても、ニュースなどを見て中国語を聞くと耳をすまして、聞き取ろうとしている自分が板ばさみだった。特に、アマゾンなどで、中国韓国を悪く書いている本などの書評を読んでいると、「アジアが仲良くなるなんて、所詮絵空事なんだろうか。韓国、中国の人は、日本人を憎んでるのだろうか?私もそれなら、中国語を学んでる事なんて、意味がないんだろうか?でも、やっぱり中国語をマスターしたい」 そんな思いで紋々していた。弟が「国と国とはうまくいかなくたって、個人の交流は別だと俺は思うよ」と優しく慰めてくれたが、私の心は、だんだん中国・韓国から遠ざかっていた。そう言う今、この中国留学生・厳俊(イエン・ジュン)さんの行為は、涙が出るほど嬉しく、尊いと思った。ニュースを読んで、すぐヨハネの聖句を思い出した。「友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない。」これを厳俊(イエン・ジュン)さんは教えてくれたと思う。私も日本人の一人としてお礼を言いたい。厳俊(イエン・ジュン)さん、本当にありがとうございます。あなたのお陰で、私の冷えた心に愛をともしてくれました。イエス様、厳俊(イエン・ジュン)さんの愛の行為に十分報いて差し上げて下さい。貴方が仰った「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」を私も再び、中国、韓国の方々へ、否、どの国の方にも 厳俊(イエン・ジュン)さんが見本を見せてくださったように、私も行動で愛を表せる人間に作り変えてください。今日好美先生がメッセージで語ってくださったように、人間のおろかな私には出来ません。 出来ない私を100%神様にお任せして、私を作り変えてください。助かった子どもさんも元気にこれからも、暮らせますように。このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。                                                                            厳俊先生、非常感謝!                                                                                                                                                       空色リボン・キャンペーン
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是非お祈り下さい

2013年09月17日 | 祈りの課題
昨日、疲れて珍しく自分から温泉に行ってから、いきなりパニックになり、帰宅してすぐ安定剤を飲みました。その後、今「ギャー!」と叫びたいのを必死に我慢して、また安定剤を飲んで寝るところです。実は阿部先生の葬儀の夜は、自傷行為が起きて、耳のかさぷたを掻いて血だらけになってしまい、ティッシュで耳の血を拭いていたら、ティッシュがゴミ箱一杯になって、やっと「耳に薬をつけないと駄目だ」と、耳鼻科から貰った薬をつけて寝ました。今も二度目の安定剤を飲みましたが苦しくてたまりません。阿部昌司先生が亡くなられたことだけではなく、久しぶりに会った同級生との中で、いろいろな事を思い出してしまったのも原因の一つかと思ってます。とにかく今は寝ます。どうぞこれ以上パニックと自傷行為が酷くならないようにお祈り下さい。Pilgrimさん、コメントありがとうございます。オペラの夜のコメントもありがたく拝読しました。まだお返事が書けません。もう少しお待ち下さい。                                                                                                                       空色リボン・キャンペーン
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阿部昌司先生のお葬式

2013年09月15日 | 日記
神は愛なり。新約聖書:ヨハネの第一の書4章16節(文語訳聖書)                                                           主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。 旧約聖書:イザヤ書40章11節(新改訳)                                                    私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。  旧約聖書:サムエル記Ⅱ4章9節(新改訳)                                                                                    もう、昨日になっちゃったけど、阿部昌司先生のお葬式に行ってきました。同じ学年の友達が、私を入れて8人だったので、安心して、最後まで残れました。阿部先生、皆様ゴメンナサイ。途中ね、「南無阿弥陀仏」を唱える時、いきなり360人近くの方が、一斉に唱えだしたので、その声の大きさに私、震えちゃって、一緒に南無阿弥陀仏唱えられなかったの。本当に、ゴメンナサイ。だから、私は目をつぶって、クリスチャン式に、心の中で「アーメン。アーメン」と何回も唱えていました。でも、今考えると、南無阿弥陀仏に当たる言葉は「ハレルヤ」だったのかなって思った。12時からお葬式の会場で、合唱に参加する人は練習をしてもらえた。最上川、機織る星、遥かな友に、を歌った。いきなり回りの友達が涙ぐむのでビックリして、私はそれを見てちょっと涙ぐんでしまった。正直私は、全く涙が出なかった。歌ってる時は、阿部先生の遺影が、本当に普段着のシャツに笑顔だったので「笑顔で、歌いましょう」と声をかけられているようで、とても泣けなかったし、最上川も、機織る星も、懐かしくて、夢中で歌った。阿部先生に教えて頂いた書き込みが楽譜にあって、その通り努力して歌ったけど、不思議だったのは、同時に体が覚えているのかな?発声法や、発音、阿部先生が教えて下さったとおりに、口や頭の位置、立ち方まで、体が先に動いた。ビックリしたよう。高い声も出なかったけど、いつもよりは出てた。ちゃんと、阿部先生に教えてもらった発声法を、私は覚えていた。なんか切なくなった。                                       その後の、山形東高のOB「東音会(とうおんかい)」の皆さんの練習が始った。遠くで聞いたとき、美しいなあと思ったが、本番で聴いたら、余りの迫力と、心に響く歌声に、私は久しぶりに生の男声合唱に圧倒されてしまった。特に、指揮者の方に見惚れてしまった。タイトルを忘れてしまったのがもどかしい。どなたか教えてください。                                         次に嚶鳴が歌った。私たちも混ぜてもらった。最初に歌った最上川は特に懐かしい。私が学生の時YTSで、阿部昌司先生の指揮で録音をした曲だからだ。 私はメゾなので、「♪うーみいいいにい、いいるうまで♪」 と、八分音符で細かく動く旋律が好きで、懐かしかったから、丁寧に音を取った。歌っててとても気持ち良かった。でも、泣きそうになってきた。機織る星では、もう完全に涙モードになっていた。でも、「もう、これで、阿部先生の前で歌えるのは最後なんだ。阿部先生が生きておられたら、絶対笑顔で歌いなさいって仰るだろうな」 と思って、頑張って笑顔で歌った。  「♪ 褪せないものの証の色 果てない夢の在りかへのしるべ♪」ここは、もう、満面の笑みで歌った。「♪ひとつの星を恋いながら 陽の下に在る痛さに耐えて なお 人の世の娘のために 織女は きょうも 定めの 絹を織る♪」 ここからは、丁寧に言葉を歌った、特に最初の「ひとつのほしを、こいーながら」ここは本当に難しい。でも阿部先生から教えて頂いた歌い方を体が覚えている(下手だけど)そして、「なお」の発声は、やっぱり頭の後ろから出してた。「♪織女はきょうも、さだめの絹を、おーーーーーーるーーーーーーーーー♪」きぬの「き」は、なんとなく、K-KKi(←西高音楽部の独特の表記法。子音をはっきりと出す時、こう書いてある)で歌った気がする。♪おーーーーーるーーーーーーーー♪食もう、おなかの底から声を出して、阿部先生の遺影を見ながら歌った。阿部先生はどう思って聴いてくださったかな?聞いてみたい。 最後の「遥かな友に」は参列者全員で歌いましょうとなった。だれに言われる事もなく、参列者の皆さん全員が起立し、歌い始めた。私はここでやっとなんでこの曲が選ばれたかわかった。♪お休み、安らかに、たどれ夢路。お休み楽しく、今宵もまた♪ もう、この歌詞で、私は歌えなくなった。歌っても涙声だったと思う。顔はボロボロ。でも、本当にあったかいお葬式だった。私は阿部昌司先生に、合唱をご指導頂いたと信じていたが、もうひとつご指導いただいたのだと、今日初めて気付いた。                                                                                      それは、あたたかさ、だった。(号泣)                                                 葬儀会場中が、あたたかさで満ちていた。 参列者のそれぞれ一人一人の、阿部昌司先生への思慕と感謝の思いが感じられた。皆違うんだと感じられた。私も違う、皆違う。昨日、セレモニーホールに集われた方々は、私を含め、阿部昌司先生とのかかわりを思い出して、涙されていたと思う。 そして、葬儀中、イエス父ちゃん、私の神様が語りかけてくれた聖書の言葉が「神は愛なり」だった。   父ちゃん?愛って温かいんだね。当たり前のことを今日感じたよ。 最後の南無阿弥陀仏は小さい声で唱和できた。イエス様が私を抱きしめて、「それでいい、大丈夫、シズコ、大丈夫」 とずっと語りかけてくれた。                                                                             最後に一つ書かせて頂きたい。阿部先生の祭壇の花が素晴らしかった。花で五線譜を描き、ト音記号、音符、そして、最後には、指揮台まで白と赤の花で美しく飾られていた。私は今まで、こんなに素敵な祭壇を初めて見た。合唱に一生を捧げられた阿部昌司先生にぴったりだと思った。皆さんそう思われたらしく、写真を撮っておられた。私も撮って来たの。ブログに実はアップできたらな、なんて。でもね、やっぱりお葬式でしょう?辞めました。でも、本当に美しかった。そして心が和んだ。阿部先生、最後まで本当にありがとうございました。                                                お葬式の導師様が退場された時、ふと思った事は、「やっぱりあの世はあって欲しい」という事。今阿部先生は、天国でどなたと話してるんだろう?と思った時、一番先に浮かんだのが、故・高田三郎先生だった。 「やあ、とうとう来たかい?」と阿部先生を手を広げて待っていてくださったのではないだろうか?そんな風に思った。そう思うと、なんか気持ちが優しくなれる。 一足早く天国に旅立たれた合唱関係の方々と、お喋りなさって、もしかしたらまた、歌ってらっしゃるかもしれない、そんな風に考えると、慰められる。                                                       本当に、お葬式って、亡くなった方のためじゃなくて、生きてる私たちが慰められるためにするんじゃないかな?そう思いました。                                                    今日のこの画像は、私が通っている山形南部教会です。実は山形西高から、5分もかからないの。すぐそばなんです。                                                                    私は最近、礼拝に全く行けない。多分今日も行けないような気がする。まだ頭が興奮してる。凄く体は疲れてるのに。いろんな感情がごちゃごちゃになってる。 父ちゃん、今日も礼拝行けなかったらごめんな。 でも、いつもシズコの傍さ、居てな。 このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。                                                                                                                 空色リボン・キャンペーン
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生きると言うこと

2013年09月14日 | 
パンの飢えがあるように 思いやりや愛情を求める飢えがあります                  だれからも愛されず 必要とされない心の痛みです 与えてください あなたの心が痛むほどに  マザー・テレサ                                                               もう14日(土)になった。今日は阿部昌司先生のお葬式。午後2時からだけど、阿部昌司先生にお世話になった生徒、山形東高、山形西高の生徒で合唱に混ざりたい人は、12時から練習をするという。曲目は「機織る星」「最上川」「遥かな友に」 最上川は楽譜を用意してくれるので、はタオル星・・・凄い変換になっちゃった!・・・機織る星・・・を必要とする人は自分で持参。私は持っていく。大体は歌えるけど、どこがメッゾかわからないもん。昨日はアルバイト朝8時半からだった。社長が主張なので、野菜の搬入、販売、撤収。店長さんと二人でやった。久しぶりに8時間半働いた。本当に教員辞めて初めてじゃない?   その後歯医者。その後ドラッグストアに行って、足裏シートを買う。今も貼ってる。これ貼ると、足の疲れが取れるんだ。高いから滅多に買えないけど・・・。 疲れて、疲れて・・・・教会のSちゃんに駄目もとでケータイに電話したら、出てくれた。「祈って欲しい」懐かしいSちゃんの祈りの声に一気に心が落ち着く。今日も明日の葬儀関係メール、いろいろ入ってきた。でもアルバイトの間は必死。帰宅して、全部明日、何十年かぶりに会う同級生と電話してからご飯を食べた。もう9時。お悔やみのご霊前を書く。ペン習字、久しぶりに書くので、凄い下手。何回か練習していいかな?ッて思ったけど、やっぱり下手。もう精一杯書いて、それで良いと思った。頭が煮詰まったので、パソコンでメールチェック、阿部先生の逝去も連絡されたらしく、あちこちで見た。入浴して、寝る予定だったが、やっぱり起きて来た。明日・・・いや、私は今日、阿部昌司先生のお葬式に行く。同級生が居てくれるのは心強い。私は泣くんだろうか?判らない。でも昨日より、もう、流れに任せている自分がいる。 最後に慶弔用バッグを点検して、黒いハンカチにアイロンをかける。  ねえ、神様の父ちゃん?生きるってこう言うことかな?大事な恩師の先生が亡くなっても、私はアイロンをかけている。                                                                                                                    空色リボン・キャンペーン
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阿部昌司先生の逝去

2013年09月11日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。旧約聖書:伝道者の書3章11節(新改訳)                                             夕方、嚶鳴女声合唱団のピアニストのE先輩からメールが来ました。「珍しいな」と思い、タイトルを見たら「訃報」と書いてあり「まさか!?」と思ったら、予想が当たってしまいました。メールには次のように書いてありました。                                                                         既にご存知かもしれませんが、お知らせいたします。

今朝、阿部昌司先生がお亡くなりになりました。


ご葬儀は、14日(土)午後2時から、(山形市)鉄砲町のセレモニーホールで行われるそうです。
取り急ぎ、ご連絡いたします。        
                                                                                         頭を殴られたような余りのショックに、すぐメールを下さったE先輩へ電話をして、いろいろ聞きました。次が先輩との会話です。「嚶鳴歌うんだべ?何歌うな?いいな。私も歌いたい・・・」「嚶鳴ではよ、機織る星と、最上川歌うよ。ほしてよ、シズコみたいに、歌いたいって言う教え子の人もいっと思うがら、そういう人も一緒に歌えるようにって考えったんだ。歌ったらいいべした?」「うん、うだうだい。んでもE先輩、譜めくりいらねが?」「譜めくりな、いらねず。一枚さ、長くコピーして弾くから大丈夫だ。ほだな、譜めくりなするより、歌えず」「ん、ありがどさま。普通の喪服着てっていんだよね。」「んだ。それで大丈夫」「ん、先輩ありがどさま」・・・興奮してるせいか、会話も思い出すと変だけど、こんな感じで喋った。その後、私はすっかり興奮してしまって、合唱関係のいろんな先輩、同級生に電話して、やっと今ブログを書けるようになった。多分明日の朝刊に訃報はでるだろう。でも、今ネットで阿部昌司と検索しても、まだ訃報、逝去の記事は載ってなかった。ブログをしている私が阿部先生に今、何をして差し上げられるか、教会に電話して祈ってもらった。そして、こうして、阿部昌司先生が亡くなりました!と、合唱をやっておられる方に広くお伝えするのが、一番いいのかな?と思い、やっと今落ち着いてきて書いています。 今、一生懸命阿部昌司先生のプロフィールが無いか探しているのですが、見つかりません。 私にとっての阿部先生は、こんな方でした。 中学でいじめられている時、山形西高音楽部は全国一の合唱団でした。私はそこに入って、全国一になりたくて、入学し、入部し、三年間教えて頂きました。三年間の最初の一年だけ、金賞を取りましたが、私はそのとき、全国大会メンバーに入っておらず、2年の岩手の全国大会、3年の大阪の全国大会では銀賞しか取れず、悔し涙を流しました。それでも翌年、卒業したばかりの大学1年生の時、嚶鳴合唱団として、山形市の姉妹都市の吉林市、また長春市の演奏会に、連れて行って頂きました。この写真はその時、阿部先生と万里の長城に上って一緒に撮ったときのお写真からPHSで撮りました。阿部先生、皆さん、ぶれぶれの写真でごめんなさい。何回撮っても手が震えて撮れないんです。でも、この写真は私のプライベート写真なので、誰も持っておられないはずです。                                                                                                                                                ここで、万里の長城で、阿部先生の指揮で、「昴」を合唱しました。     最後に阿部先生にお目にかかってお話したのは、阿部先生の喜寿のお祝いのコンサートを山形テルサホールでした時に、譜めくりとして使って頂いた時です。あの時、私は譜めくりだったから、ずっと阿部先生の指揮をなさるお顔を拝見できました。そして、打ち上げで阿部先生にお酌をしに行ったら「貴女もご苦労様、お疲れさん」と、私のような譜めくりにもちゃんと、慰労のお声をかけて頂きました。それが最後でした。                                                                   書きたい事が山ほどあるのに、心は泣きたいのに、涙が出ません。とりあえず今日は、阿部昌司先生のご冥福と、阿部先生のご遺族に、深い慰めがありますように。祈ってブログアップします。インマヌエル・アーメン。                                                                                                                            空色リボン・キャンペーン
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