ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

三浦光世さん逝去

2014年11月03日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
あなたがたは世の光である。

新約聖書:マタイによる福音書5章14節(新共同訳)


You are the light of the world.

New Testament, Matthew 5:14



遅い時間ですが、まもなく休もうと思ったら「三浦光世さん逝去」のニュースが飛び込み、びっくりしてブログを書いているところです。

以下、産経新聞より。



三浦綾子記念文学館館長、三浦光世氏が死去


 小説家、三浦綾子さん(大正11年~平成11年)の夫で、三浦綾子記念文学館館長の三浦光世(みうら・みつよ)氏が30日、敗血症のため死去したと、31日、同館が発表した。90歳。東京都出身。告別式などの日程は未定。

 9月末から体調を崩し、10月初めから、北海道旭川市内の病院に入院していた。光世さんはキリスト教と短歌を通じて知り合った綾子さんを結核療養中に見舞い、35歳で結婚。昭和38年に綾子さんの代表作「氷点」の題名を発案した。「氷点」「塩狩峠」以降、病気のため文字を書くことが難しくなった綾子さんを支え、海外への同行取材や、口述筆記などにより二人三脚で作品を生み出した。

 平成14年から三浦綾子記念文学館長の館長を務めた。歌人としても活動し、歌集「吾が妻なれば」などがある。



三浦光世さん、綾子さんご夫婦は、私の理想の夫婦でしたし、光世さんは講演で、隣の天童市にいらしたとき、母と一緒に聴きに行ったこともあるので、ちょっとショックを受けています。

でも考えようによっては、愛妻・綾子さんのところへ旅立たれたので、今頃天国で、二人手を取り合って笑っておいでなのでは?と思ったりもしております。

突然知った訃報だったので、私も混乱しています。今日は画像も何もありませんが、ブログでご報告と、心から哀悼の意を表します。

記事元は、コメント欄に貼ります。今日コメント下さった方には、後にお返事させて頂きます。

今日の聖句は、光世さんか、綾子さんの本の中に書いてあった、光世さんの名前の由来の聖句です。


オヤスミナサイ。



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阿部昌司先生の逝去

2013年09月11日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。旧約聖書:伝道者の書3章11節(新改訳)                                             夕方、嚶鳴女声合唱団のピアニストのE先輩からメールが来ました。「珍しいな」と思い、タイトルを見たら「訃報」と書いてあり「まさか!?」と思ったら、予想が当たってしまいました。メールには次のように書いてありました。                                                                         既にご存知かもしれませんが、お知らせいたします。

今朝、阿部昌司先生がお亡くなりになりました。


ご葬儀は、14日(土)午後2時から、(山形市)鉄砲町のセレモニーホールで行われるそうです。
取り急ぎ、ご連絡いたします。        
                                                                                         頭を殴られたような余りのショックに、すぐメールを下さったE先輩へ電話をして、いろいろ聞きました。次が先輩との会話です。「嚶鳴歌うんだべ?何歌うな?いいな。私も歌いたい・・・」「嚶鳴ではよ、機織る星と、最上川歌うよ。ほしてよ、シズコみたいに、歌いたいって言う教え子の人もいっと思うがら、そういう人も一緒に歌えるようにって考えったんだ。歌ったらいいべした?」「うん、うだうだい。んでもE先輩、譜めくりいらねが?」「譜めくりな、いらねず。一枚さ、長くコピーして弾くから大丈夫だ。ほだな、譜めくりなするより、歌えず」「ん、ありがどさま。普通の喪服着てっていんだよね。」「んだ。それで大丈夫」「ん、先輩ありがどさま」・・・興奮してるせいか、会話も思い出すと変だけど、こんな感じで喋った。その後、私はすっかり興奮してしまって、合唱関係のいろんな先輩、同級生に電話して、やっと今ブログを書けるようになった。多分明日の朝刊に訃報はでるだろう。でも、今ネットで阿部昌司と検索しても、まだ訃報、逝去の記事は載ってなかった。ブログをしている私が阿部先生に今、何をして差し上げられるか、教会に電話して祈ってもらった。そして、こうして、阿部昌司先生が亡くなりました!と、合唱をやっておられる方に広くお伝えするのが、一番いいのかな?と思い、やっと今落ち着いてきて書いています。 今、一生懸命阿部昌司先生のプロフィールが無いか探しているのですが、見つかりません。 私にとっての阿部先生は、こんな方でした。 中学でいじめられている時、山形西高音楽部は全国一の合唱団でした。私はそこに入って、全国一になりたくて、入学し、入部し、三年間教えて頂きました。三年間の最初の一年だけ、金賞を取りましたが、私はそのとき、全国大会メンバーに入っておらず、2年の岩手の全国大会、3年の大阪の全国大会では銀賞しか取れず、悔し涙を流しました。それでも翌年、卒業したばかりの大学1年生の時、嚶鳴合唱団として、山形市の姉妹都市の吉林市、また長春市の演奏会に、連れて行って頂きました。この写真はその時、阿部先生と万里の長城に上って一緒に撮ったときのお写真からPHSで撮りました。阿部先生、皆さん、ぶれぶれの写真でごめんなさい。何回撮っても手が震えて撮れないんです。でも、この写真は私のプライベート写真なので、誰も持っておられないはずです。                                                                                                                                                ここで、万里の長城で、阿部先生の指揮で、「昴」を合唱しました。     最後に阿部先生にお目にかかってお話したのは、阿部先生の喜寿のお祝いのコンサートを山形テルサホールでした時に、譜めくりとして使って頂いた時です。あの時、私は譜めくりだったから、ずっと阿部先生の指揮をなさるお顔を拝見できました。そして、打ち上げで阿部先生にお酌をしに行ったら「貴女もご苦労様、お疲れさん」と、私のような譜めくりにもちゃんと、慰労のお声をかけて頂きました。それが最後でした。                                                                   書きたい事が山ほどあるのに、心は泣きたいのに、涙が出ません。とりあえず今日は、阿部昌司先生のご冥福と、阿部先生のご遺族に、深い慰めがありますように。祈ってブログアップします。インマヌエル・アーメン。                                                                                                                            空色リボン・キャンペーン
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岡摂也先生~世界一温厚で、謙虚な牧師先生

2013年07月21日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。               旧約聖書:サムエル記 Ⅰ 26章24節(新改訳                                                                                                              結局、今日、徹夜したので、7時に投票に行き、9時から山形市内の大きな郵便局のATMが開くので、それに行って寝ようかと思ったんだけど、なんとなく「今日だったら教会行ってみようかな?」という気になったので、行ってきた。本当に一ヶ月以上行ってなかったと思う。やっぱり人ごみは緊張するし、疲れた。なるべく、周りの人を気にしないで、父ちゃん(=イエス様)とお話しするようにした。岡先生が新約聖書のローマの信徒への手紙からメッセージを下さった。久しぶりに教会堂へ入ったら、「ああ、今日来れて良かったですね。」と笑顔で迎えて下さった。 何を書きたくて、疲れてるのに、日曜日なのにアップしたいかというと、タイトルに書かせて頂いたように、うちの(っていっていいかな?)教会の岡摂也(おかせつや)先生ほど、温厚で謙虚な牧師先生に会ったことが無い。こんなこと書くと、謙虚な岡先生は「そんなことは無いですよ。」と即座に否定なさると思うけど、私自身は岡先生ほど温厚で謙虚な牧師先生は、世界中探しても居ないと思う。いつも笑顔で、率先して奉仕され、それで居て穏やかで謙虚。でもメッセージで仰ることは力強い。私は岡先生の、一見優しそうなお姿の中に、どれほど強いイエス様への従順があるんだろう?と思う。私は興譲教会の田中信生先生を初め、たくさんの牧師先生方にお世話になった。それでも、うちの教会の岡先生程温厚で謙虚な方に会った事が無い。きっと、温厚&謙虚な牧師先生大会があったら(そんなもんあるわけ無いけど)岡先生がチャンピオンだと思う。こんなこと書くと、岡先生から削除命令が出そうだけど、本当にそう思うから、一回くらい書かせてくださいね。今日、何ヶ月かぶりで、岡先生とお会いしてそう思った。私は岡先生に洗礼を授かって幸せです。岡先生ありがとうございます。これからもぐーたらで、愚痴愚痴文句を言う(と思います・・・多分・・・)一回は切れて怒鳴っちゃったし・・・・・・・勿論、岡先生は人間だから、完璧じゃない。偉そうなこと言っちゃうけど、それもよくわかる。って言うか、完璧な人間なんているわけないし、居たら化け物だ。私はわがままだし、信仰もあんまり熱心でないので、岡先生にむっとすることもあるし、メッセージを聞いていて「そうなのかなあ?」って思うことも一杯あるけど、それでも岡先生には頭が下がる、叶わないなーと思うことがある。今日は岡先生のメッセージのお写真をナイショで撮らせて頂いた。 (先生ゴメンナサイ~!)ブログ書くのも何もお断りもしてまっしぇん!このブログ削除要請が来る可能性かなり高いので、早く読んでくださいね。(違うな・・・)                                                        岡先生はいつも穏やかで、笑顔で、一生懸命だ。                                                                                                           笑顔を撮りたかったけど、旨く撮れなかった。                                       最後の頌栄(しょうえい)「主の祈り」を歌われる時は、このように目を閉じて、手を組み(これはメッセージの時の岡先生だから違います)祈りの姿勢で賛美歌を歌われる。私はこの祈りの姿に、いつも、何か、岡先生の中に、犯しがたい何かを感じて、厳粛な気持ちになる。                                                      口幅ったいけど、それは岡先生の神様への真剣な祈りなんじゃないかな?と思います。                                                                                                       明後日から岡先生は、湯河原というところで行われる第46回関東夏期聖会に出席される。けれど明日からもう山形を発たれる。一人、教会の信徒の方のご親戚のお見舞いに寄られるからだ。神様、イエス父ちゃん、岡先生の健康ば、守ってケロな。闘病されているAさんの側さ、いっつもついててな。そしてよー、岡先生だけでなく、牧師先生方ば、一週間に一回、安息日って無いんだが?私いっつもそれ、心配だ。 父ちゃんだってよ、世界ば創って7日目に休んだべ? 岡先生も好美先生もだけっと、 月曜日いっつも牧師会とか、そういうのあっべしたん? それじゃ、いつ安息日なのや?いつ休むのや?父ちゃん、牧師先生が休む日、作ってケロ。んでねど、牧師先生方、ぶっ倒れてしまうっていっつも思ってんの。 私の考え間違ってたら申し訳ねげっと、父ちゃん、岡先生や好美先生、他の牧師先生が、週に一回はお休みできるようにして差し上げてください。 岡先生好美先生ご夫妻の健康が守られて、いつまでもお健やかで居てくださるように、父ちゃん助けてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。  岡先生、聖会に出席されるBさん、気をつけて行って帰ってきてくださいね。 祈ってブログアップします。私も明後日のアルバイトの為に、寝よう。 オヤスミナサイ。                                                                                                                                                                           今日の画像の中に、一つだけ岡先生じゃない画像があります。わかった人は手を挙げてください。          やっぱり徹夜は眠いよ~。                                                                               空色リボン・キャンペーン
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左顧右眄(さこ・うべん)

2012年09月16日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。

新約聖書:フィレモンへの手紙12節(新共同訳)

左顧右眄(さこうべん)・・・周りを気にして、なかなか決断を下さないこと。他人の様子をうかがって、決断をためらうこと。左を見たり右を見たりする意から。もとは、ゆったりと得意で余裕のある様子をいった語。▽「顧」はかえりみる。「眄」は横目でちらりと見る。また、かえりみる。



日曜日だし、ブログアップはしないつもりだったけれど
来てしまった
今日、浅草橋教会の牧師の黒木安信先生がおいでくださった。
私と黒木先生の思い出は、作曲家・故・高田三郎先生
何故かそんな風に感じてしまう
初めて訪った浅草橋教会で
黒木先生に高田三郎先生の直筆の楽譜コピーを頂いたせいであろうか?
高田三郎先生はカトリッククリスチャン
今朝の黒木先生のメッセージで「この地上の生涯」と言う言葉をお聴きした時
高田三郎先生作曲の「この地上」の「虎」と言う曲について
高田先生が私たち山形西高高等学校の音楽部定期演奏会に書いてくださったパンフレットの言葉を思い出した。

今手元にそのパンフレットが探せないので、うろ覚えだがこんな言葉を下さったのだ。

「私の曲に『この地上』の中の『虎』と言う曲がある。アフリカのライオンは群れるが虎は群れない。独りで行動するのである・・・中略・・・山形西高音楽部にも左顧右眄せず、一つの星を目指して孤高の道を歩んで頂きたい、そう思う。」


この時の「左顧右眄(さこうべん)」と言う非常に難しい初めて聴いた四字熟語が、17歳のわたしの心に残った。

あの当時(語弊があるかもしれないが、高田三郎先生の曲はそんなにコンクールでも流行っているとは言えなかった気がする。ある作曲家の曲が大流行していた時である。(はっきりその作曲家の名前は今は書かないことにする)そんな時頂いたこの高田先生のお言葉は妙に鮮明に今でも覚えている。

今日の黒木先生のメッセージをお聴きしているうちに、「この地上」→「虎」→「高田三郎先生」と言う連想が湧いた。その事を食事の時に黒木先生と皆さんにお話した。黒木先生はじっと私の話に耳を傾けていて下さったような気がした。
おこがましいが、私は黒木先生の音楽に対する感性はとても芳醇で繊細、そして豊かだと言う気がしている。そして、この高田三郎先生と黒木安信先生に共通するものとはなんだろう?と自分に問うてみた。それは「妥協の無い精神(信仰と置き換えても差し支えなかろう)」なのだと、ほどなく気付いた。

高田三郎先生は私が中3の時、山形西高の定期演奏会の客演指揮でいらして、会場の山形県民会館の大ホールで「私はクリスチャンです」と堂々と話された方である。私は当時、クリスチャンという人種を全く知らなかったが、「こんな風に自分を『私はクリスチャンです』と堂々と話す人って凄い」と、14歳の幼心にもはっきりと刻まれている。その後山形西高音楽部に三年間お世話になり、阿部昌司先生のご指導のもと、高田三郎先生の曲を身に染みるほど叩き込まれることになる。高田先生自らも何度か指導にいらしてくださり、良く私達は、履いていらっしゃるスリッパを投げつけられ「この下手くそ!」と怒鳴られた。高田先生がいらっしゃる時のご指導は戦々恐々としていた。それでも私達は高田三郎先生が好きだった。
高2のときに、女声合唱「水のいのち」を天童市民文化会館のホールで、お嬢様の高田江里さんのピアノ、高田先生の指揮で録音させて頂いたのも懐かしい思い出である。たった一枚、私が録音したCD。もう廃盤になっているが、一枚だけ私は購入し、今でも大切に持っている。

今日、妥協の無い黒木先生のメッセージをお聴きし、無性に高田先生の声が聴きたくなった。大阪フェスティバルホールで「イザヤの預言」を歌い、二年続けての銀賞に、声も出なくなって固まっていたわたしたちに、つかつかと寄ってきて「金賞は取れなかったけれど、僕は良い演奏だったと思う」と、ポツっと一言お声をかけてくださった高田三郎先生。そのお言葉で私達はどれだけ慰められたかしれない。その瞬間、100名の女子高生が皆泣き崩れてしまったのだ。特に私は山形西高で、絶対日本一になるんだ!・・・・その夢は敗れ去ってしまったのである。
当時はさっぱりわけのわからない、余り好きでもない「イザヤの預言」とか言う曲を歌って・・・(当時はそう思っていた)悔しかった。

35歳の誕生日の翌日、私は山形南部教会で洗礼を受けた。
それから旧約聖書のイザヤ書は、私の最も好きな聖書箇所になった。

私たちが銀賞しか取れなかった歌詞を、私は今でも歌うことが出来る。



見よ、私の僕は栄える
高められ、あげられ
偉大なものとなる



高田先生に会いたい。明日の米沢の聖会で、黒木先生はもうひとたび御用をしてくださるが、私は都合で行けない。判りやすく、学術的で、ずばっと核心に触れる黒木先生のメッセージを聞きたい。私は黒木先生が優しい中に、時々お見せになる鋭い眼差しが好きだ。

故・高田三郎先生、黒木安信先生にお会いできたことを心から主に感謝したい。
黒木先生の明日・・・もう今日になってしまったね・・・ご用が守られますように。黒木安信先生と奥様の体調を格別お守りください。

このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。

オヤスミナサイ。

画像は高田三郎先生。CD解説に大体このお顔が載っておられる。
私はとても好き。





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武義和先生のこと

2012年07月12日 | 私の恩師、尊敬申し上げる方々
シズコさん

ゆっくりいきましょうね。 

小国フォルケ 武 義和 2000年12月28日


シズコが初めて、武先生の主催なさっている小国フォルケ・ホイスコーレを訪ね、武先生の讃美歌集「主よ み言葉をください」を頂き、それに武先生が、サインしてくださった言葉




これは、うめ子先生の番外編?ブログです。
「うめ子先生~100歳の高校教師」の番組の中には、当時小国の「基督教独立学園高等学校」(←これが正式な名前のようです)音楽教師をされていた、武義和先生が出演、そして、この番組の音楽を担当されています。

実は私が南部教会に導かれたのは、この武先生が今開いておられる「小国フォルケ・ホイスコーレ」を2000年の雪深い年末に、一人訪問した時に「私の後輩が、山形市の美畑町(みはたまち)で教会を牧会して(=牧師になって)います。宜しかったら是非、その教会にも足を運んでみて下さい」と仰いました。しかし、当時私は、田中信生先生が主任牧師をされている、米沢興譲教会や、特に、そのブランチ(支店?枝?)の「山形ジョイフルチャーチ」の丸山芳浩先生・より子先生ご夫妻に非常にお世話になっていましたし、さすがに、クリスマスにはじめての教会を訪ねるのは、当時ノンクリスチャンだった私にとって、かなり「敷居の高いこと」でしたので、実際にその教会を訪ねたのは、2001年5月、教師を退職してからの、初めての日曜礼拝後、電話を思い切ってかけて、行ったのでした。
それが今、私が籍を置いている「山形南部教会」だったのです。

まさか、私がここで・・・しかも、その年の秋、誕生日の翌日の日曜日に洗礼を受けるなど、当時は思いもしませんでした。

しかし、もう南部教会員にならせて頂き、11年になります。早いなあ・・・・。

もうずっと、縄文時代から?南部教会に置いてもらってるように、大きな顔と図体をしていますが(苦笑)実は、始まりは、この、武先生の一言だったのです。

ですので、武先生は、私にとってもとても特別な存在です。

武義和先生と、奥様の真理子さんは、クリスマス礼拝、イースター礼拝にはほぼ毎年、小国から南部教会まで来て下さり、賛美指導をして下さいます。

その武先生が、埼玉から、「恩師のいらっしゃるうめ子先生の独立学園で是非教師をさせて頂きたい」と、家族四人でいらっしゃるシーンが入っています。また、野外で生き生きと、生徒さんを指導する姿もたくさんありますので、前のブログではまとめきれず、別枠でブログを書かせて頂きました。

武先生、お断りも無く、勝手に画像公開しちゃってすみません。ゴメンナサイ。

でも、あまりにお若く、生き生きなさってる武先生の表情と、初めて行ったとき頂戴した讃美歌集「主よ み言葉を下さい」の共著者に、私の大学の合唱団の先輩の、やはり基督教独立学園出身で、定期演奏会で先輩方が歌われた「聖夜」を作曲された吉原 康さんのお名前があったので、驚き、その楽譜をサイン入りで頂戴したことも思い出し、急いで本棚から引っ張り出してきたので、是非ご紹介したくてたまらなかったんです。
これから、私を南部教会に導いてくださった武義和先生の「うめ子先生~100歳の高校教師」の番組からピックアップしてご紹介致します。 どうぞご覧下さい。





雪深い中、奥様とまだ小さなお子さんと共に、埼玉から小国へ引っ越してこられた武先生ご家族。










今と変わらない穏やかな微笑みの武義和先生










私は、この笑顔がとっても武先生らしく、明るくて好きです。













恩師であり、子ども好きのうめ子先生も、お嫁さんの華子先生に手を取られて、嬉しそうに武先生ご一家をお迎えになります。









音楽の授業で、指揮をなさる武先生と、指導を受ける生徒さんたち。





















CMの間に、とっぷり雪に埋もれた冬の独立学園の校舎と「うめ子先生」の紅い文字が映えますね。














季節は変わります。


野外で合唱指導をなさる武先生と生徒さん。そして、校舎の中からそれを見守るうめ子先生と華子先生です。


武先生、じっと生徒さんの演奏に耳を傾けておいでのご様子。












新緑萌える緑一杯の中で響き渡る歌声。



華子先生と共に、生徒さんの歌声に拍手を送り、手を振るうめ子先生。






さらに、合唱は生徒さんの指揮で続いていきます。














満足なさったのでしょうか?会心の笑み?を浮かべられたのでしょうか?武先生?
それとも、新緑と共にさんさんと降り注ぐ太陽の光が、武先生をこの表情にさせたのでしょうか?(真実は神と武先生のみがご存知なのでしょうね。
















その姿を、目を輝かして少女のように見入るうめ子先生。















やはり、CMの間に「うめ子先生」の紅い文字。
今度は新緑に美しく映えます。















この番組は、前のブログでもご紹介したように2時間近くあるのです。

最後のエンディングをみたら、テロップに「音楽 武 義和」の字を初めて見つけました。


独立学園を卒業され、また教師として赴任された武先生だからこそ、この番組にぴったりの音楽を添えることがお出来になったのでしょうね。
















これが、小国フォルケに初めて行ったとき、武先生に頂いた讃美歌集「主よ み言葉をください」の表紙です。武義和先生と、私の大学の合唱団の先輩にあたる、吉原康さんとの共著になってます。















表紙を開くと、目次のページがあります。














この中の、「キリストの香り」と「聖夜」を、私が一年生の時、四年生の先輩方が卒業ステージで歌われました。ノンクリスチャンの私でも、「ああ、美しい曲だなあ」と感じました。
特にソプラノソロがとても高い「聖夜」に、私はとても魅かれました。

当時、ソプラノの先輩に、声量も音域も、十分にある美しい声の先輩がいらして、この「聖夜」のソロの、一番高い、G、つまりオクターブ上の「ソ」の音を、楽々と美しい声で・・・しかも、折り返しでは、本当に「聖夜」のタイトルにふさわしい、美しいピアノの小さな音で歌われたので、私は本当に感激して聴いていたのです。


私は一度、この曲を南部教会の座興で歌わせてもらったことがあった気がしますが、全くこの音域は出ないので、、そっとそこの楽譜のところだけ、オクターブ下で歌ってごまかしています。 本当に美しいソプラノを出せる方が羨ましいです。


これがその「聖夜」の楽譜です。PHS画像なので見にくいですが、お許し下さい。












見開きの最初の「序文~増版にあたって」は、先日亡くなられた、故・桝本華子先生が書かれておられました。華子先生も独立学園で音楽の教師をなさっておられ、私たちの牧師の岡摂也先生、武先生の恩師にあたられます。








たくさんの写真を見てくださってありがとうございました。

コメント欄に、武先生が主宰なさっている「小国フォルケ・ホイスコーレ」のHPと、基督教独立学園高等学校のHPを貼らせて頂きます。小国フォルケには「日々の記録」と言うブログがあるので、今からそこに飛んで行って、武先生に遅まきながら、事後報告でこのブログのことを報告させて頂こうと思います。

では、まもなく夜11時になります。

オヤスミナサイ。 暑い夏の夜ですが、貴方にとっての今晩が「聖夜」となりますように。



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