エストニア、ラトヴィアを横断して、三国目のリトアニアの首都のヴィリニウスまでやってきました。バルト三国の南下も終わり、ここで折り返すことになります。
ここの宿は、エコテルヴィリニウスでした。今回泊まった4ヶ国のホテルの中では、ここの設備が一番劣っていましたが、旧市街地になんとか歩ける距離にあったので、文句はありません。また、ヴィリニウスでは二泊の連泊になるので、1泊での移動と異なって、一息つくことができました。
事前に地図上でホテルの位置を確認していたので、朝食前にネリス川の川岸まで歩いてみました。
ゲディミナス塔の立つ丘が見えていました。この丘の下に旧市街地が広がっているはずなので、そこまで歩ける距離であることが確認できました。
川の反対側。こちらが上流部です。
ネリス川は、ベラルーシに源を発してネマン川(リトアニア語ではネムナス川)に合流してバルト海に出ています。
ヴィリニウスの市内観光では、まずネリス川の川岸にある杉原千畝の記念碑を訪れました。旅行日程には含まれていなかったので、個人的に訪れてみようと思っていたので、時間の節約になりました。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝は、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に、日本の通過ビザを大量に発行し、その結果6000人にのぼるユダヤ人の命を救いました。「日本のシンドラー」と呼ばれることもあります。
記念碑には、ユダヤ人を救ったビザも掲示されています。
この記念碑は、2001年に早稲田大学よりヴィリニュス市に寄贈されました。杉原千畝は、早稲田大学を中退していますが、出身者ということになっています。記念碑の周囲は、小さいながら桜が植えられた公園になっています。
当時領事館の置かれていたカウナスで、改めて杉原千畝の功績について詳しく触れます。
ビリニュスの市内観光は、まずビリニュスの中心地といえる大聖堂の見学から始まりました。
ここには雷(ベルクーナス)の神殿がありましたが、13世紀に十字軍騎士団の圧力から逃れるためにキリスト教を受け入れたミンダウガス王によってキリスト教会が建てられました。ミンダウガス王は暗殺されて、この場所も自然崇拝の聖地に戻されてしまいましたが、1387年にヨガイラ王によってリトアニアは再びキリスト教化されて「、教会が再び建て直されました。
その後、増改築が繰り返されて、18世紀の大改造によって現在の姿になりました。
大聖堂の上には、三体の聖人の像が飾られています。
聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの像で、これら三聖人の像は、ソ連時代の1996年には一旦撤去されてしまいました。
これら三聖人は、あまり知られていないので少し触れましょう。
聖スタニスラウスは、クラクフ司教になり、ポーランド王ボレスワフ2世の戴冠式を司りました。しかし、ポーランドのキリスト教化の助けとなるよう、ベネディクト会派修道院をポーランドに設置するよう王に働きかけたところ、土地を巡る争いから両者は仲たがいし、スタニスラウスは殺害されてしまいました。
聖ヘレンは、古代ローマ帝国の皇后でコンスタンティヌス1世の母です。ゴルゴタに巡礼し、キリストが磔になった十字架を発見したとされる伝説を持つことから、キリスト教会の聖人になっています。
聖カジミエルは、リトアニアと若者の守護聖人です。詳しくは後ほど。
聖人像が飾られているというのも、エストニアやラトヴィアとは違って、リトアニアはカトリックが普及していることによります。エストニアやラトヴィアで普及しているプロテスタントでは、聖人というものを認めていません。
鐘楼は、53mの高さで、鐘楼の基礎部分は13世紀の城壁の塔が使われているといいます。
大聖堂の外壁には、聖人の像が飾られています。
これはモーゼでしょうね。
鐘楼の脇には、人間の鎖と呼ばれる独立運動の起点になった「Stebuklas(軌跡)」と書かれた基盤がうめられています。
人間の鎖は、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年になる1989年8月23日、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)において、独立運動の一環として行われたデモ活動です。およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600km以上の人間の鎖を形成しました。
現在の日本でも、政治的抗議活動として人間の鎖なるデモが行われますが、それとはスケールが違うものです。東京から新大阪間は、新幹線で545kmなので、その長さが判ると思います。
外壁沿いに置かれていたこの像は、王子カジミエルでしょうか。
大聖堂の中に入りました。
祭壇。
プロテスタントの教会よりも華やかさを増しています。
大聖堂は、高い天井を持っています。
大聖堂の主祭壇の脇には、聖カジミエルの礼拝堂が設けてあります。
カジミエルは、ポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世の次男として生まれ、トルコの侵略からキリスト教世界を防衛することを熱望していたこともあって、マーチャーシュ1世に不満を持つハンガリー貴族の一派からハンガリー王位に就くようとの請願を受けました。ハンガリー王位の獲得に失敗しましたが、長男ヴワディスワフがボヘミア王位についたため、次男カジミェシュがポーランド王位の相続人と見なされました。しかし、結核によって25才の若さで亡くなってしまいました。リトアニアと東方教会に属するモスクワ大公国との戦いで、リトアニア軍の前に彼が姿を現したという奇跡を起こしたことから列聖され、リトアニアの世襲領主であったことからリトアニア国家の守護聖人とされました。
礼拝堂には、聖カジミエルが祀られています。
中央に聖カジミエルの肖像画が飾られています。
絵の上に金属プレートが被せられてイコン状になっているのですが、右手が二本あります。三本目の手は、画家が何度消しても現れてきたといいます。
礼拝堂は大理石が張られて、8体の王の像が置かれています。
天井にも絵が描かれています。
天井はドーム状になっています。
王子カジミエルが亡くなった場面を描いているようです。
聖カジミエルの礼拝堂は、小さいながら豪華に装飾されて、リトアニアの人々の信仰の厚さがうかがわれます。
大聖堂には、立派なパイプオルガンも設けてありました。
大聖堂の他の見所としては地下墓室があり、そこには絶世の美女のバルボラ・ラドヴィライテ妃をはじめとする棺が納められていますが、そこは残念ながら見学できませんでした。
バルボラ・ラドヴィライテ妃については、後ほど触れることになります。
大聖堂の前の広場には、ヴィリニュス創設神話の主人公であるゲディミナス大公の像が置かれています。
ある日トゥラカイ城から狩りにでたゲディミナス大公は、二つの川に挟まれた丘の近くに野営を張った。その夜、彼は不思議な夢を見た。それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を来た狼の夢であった。祭祀は、その夢を神の信託と判断し、喜んだ大公はその丘に城を築くことにした。
像には、少し可愛らしいですが狼も取り付けられています。
大聖堂の脇には、再建が進められている王宮があります。
カテドゥロス広場を後にして、繁華街のビリエス通りに進みました。
ここの宿は、エコテルヴィリニウスでした。今回泊まった4ヶ国のホテルの中では、ここの設備が一番劣っていましたが、旧市街地になんとか歩ける距離にあったので、文句はありません。また、ヴィリニウスでは二泊の連泊になるので、1泊での移動と異なって、一息つくことができました。
事前に地図上でホテルの位置を確認していたので、朝食前にネリス川の川岸まで歩いてみました。
ゲディミナス塔の立つ丘が見えていました。この丘の下に旧市街地が広がっているはずなので、そこまで歩ける距離であることが確認できました。
川の反対側。こちらが上流部です。
ネリス川は、ベラルーシに源を発してネマン川(リトアニア語ではネムナス川)に合流してバルト海に出ています。
ヴィリニウスの市内観光では、まずネリス川の川岸にある杉原千畝の記念碑を訪れました。旅行日程には含まれていなかったので、個人的に訪れてみようと思っていたので、時間の節約になりました。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原千畝は、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に、日本の通過ビザを大量に発行し、その結果6000人にのぼるユダヤ人の命を救いました。「日本のシンドラー」と呼ばれることもあります。
記念碑には、ユダヤ人を救ったビザも掲示されています。
この記念碑は、2001年に早稲田大学よりヴィリニュス市に寄贈されました。杉原千畝は、早稲田大学を中退していますが、出身者ということになっています。記念碑の周囲は、小さいながら桜が植えられた公園になっています。
当時領事館の置かれていたカウナスで、改めて杉原千畝の功績について詳しく触れます。
ビリニュスの市内観光は、まずビリニュスの中心地といえる大聖堂の見学から始まりました。
ここには雷(ベルクーナス)の神殿がありましたが、13世紀に十字軍騎士団の圧力から逃れるためにキリスト教を受け入れたミンダウガス王によってキリスト教会が建てられました。ミンダウガス王は暗殺されて、この場所も自然崇拝の聖地に戻されてしまいましたが、1387年にヨガイラ王によってリトアニアは再びキリスト教化されて「、教会が再び建て直されました。
その後、増改築が繰り返されて、18世紀の大改造によって現在の姿になりました。
大聖堂の上には、三体の聖人の像が飾られています。
聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの像で、これら三聖人の像は、ソ連時代の1996年には一旦撤去されてしまいました。
これら三聖人は、あまり知られていないので少し触れましょう。
聖スタニスラウスは、クラクフ司教になり、ポーランド王ボレスワフ2世の戴冠式を司りました。しかし、ポーランドのキリスト教化の助けとなるよう、ベネディクト会派修道院をポーランドに設置するよう王に働きかけたところ、土地を巡る争いから両者は仲たがいし、スタニスラウスは殺害されてしまいました。
聖ヘレンは、古代ローマ帝国の皇后でコンスタンティヌス1世の母です。ゴルゴタに巡礼し、キリストが磔になった十字架を発見したとされる伝説を持つことから、キリスト教会の聖人になっています。
聖カジミエルは、リトアニアと若者の守護聖人です。詳しくは後ほど。
聖人像が飾られているというのも、エストニアやラトヴィアとは違って、リトアニアはカトリックが普及していることによります。エストニアやラトヴィアで普及しているプロテスタントでは、聖人というものを認めていません。
鐘楼は、53mの高さで、鐘楼の基礎部分は13世紀の城壁の塔が使われているといいます。
大聖堂の外壁には、聖人の像が飾られています。
これはモーゼでしょうね。
鐘楼の脇には、人間の鎖と呼ばれる独立運動の起点になった「Stebuklas(軌跡)」と書かれた基盤がうめられています。
人間の鎖は、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年になる1989年8月23日、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)において、独立運動の一環として行われたデモ活動です。およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600km以上の人間の鎖を形成しました。
現在の日本でも、政治的抗議活動として人間の鎖なるデモが行われますが、それとはスケールが違うものです。東京から新大阪間は、新幹線で545kmなので、その長さが判ると思います。
外壁沿いに置かれていたこの像は、王子カジミエルでしょうか。
大聖堂の中に入りました。
祭壇。
プロテスタントの教会よりも華やかさを増しています。
大聖堂は、高い天井を持っています。
大聖堂の主祭壇の脇には、聖カジミエルの礼拝堂が設けてあります。
カジミエルは、ポーランド王・リトアニア大公カジミェシュ4世の次男として生まれ、トルコの侵略からキリスト教世界を防衛することを熱望していたこともあって、マーチャーシュ1世に不満を持つハンガリー貴族の一派からハンガリー王位に就くようとの請願を受けました。ハンガリー王位の獲得に失敗しましたが、長男ヴワディスワフがボヘミア王位についたため、次男カジミェシュがポーランド王位の相続人と見なされました。しかし、結核によって25才の若さで亡くなってしまいました。リトアニアと東方教会に属するモスクワ大公国との戦いで、リトアニア軍の前に彼が姿を現したという奇跡を起こしたことから列聖され、リトアニアの世襲領主であったことからリトアニア国家の守護聖人とされました。
礼拝堂には、聖カジミエルが祀られています。
中央に聖カジミエルの肖像画が飾られています。
絵の上に金属プレートが被せられてイコン状になっているのですが、右手が二本あります。三本目の手は、画家が何度消しても現れてきたといいます。
礼拝堂は大理石が張られて、8体の王の像が置かれています。
天井にも絵が描かれています。
天井はドーム状になっています。
王子カジミエルが亡くなった場面を描いているようです。
聖カジミエルの礼拝堂は、小さいながら豪華に装飾されて、リトアニアの人々の信仰の厚さがうかがわれます。
大聖堂には、立派なパイプオルガンも設けてありました。
大聖堂の他の見所としては地下墓室があり、そこには絶世の美女のバルボラ・ラドヴィライテ妃をはじめとする棺が納められていますが、そこは残念ながら見学できませんでした。
バルボラ・ラドヴィライテ妃については、後ほど触れることになります。
大聖堂の前の広場には、ヴィリニュス創設神話の主人公であるゲディミナス大公の像が置かれています。
ある日トゥラカイ城から狩りにでたゲディミナス大公は、二つの川に挟まれた丘の近くに野営を張った。その夜、彼は不思議な夢を見た。それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を来た狼の夢であった。祭祀は、その夢を神の信託と判断し、喜んだ大公はその丘に城を築くことにした。
像には、少し可愛らしいですが狼も取り付けられています。
大聖堂の脇には、再建が進められている王宮があります。
カテドゥロス広場を後にして、繁華街のビリエス通りに進みました。