さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 サンチー遺跡 その2

2018年01月10日 | 海外旅行
南の塔門(トーラナ)。



上段の横材には、蓮華の上に乗るラクシュミーが二頭の象から水をかけられている像が飾られていました。



中段には、仏舎利にお参りする人々。



下段には、豊穣の神ヤクシャ達が口から蓮華を吐き、仏塔の繁栄と保存を願っています。

見かけは少し気持ち悪いですね。



ライオン像。



釈迦の象徴である法輪に対し、皆が礼拝しています。





傘が掲げられているので釈迦かその前世の人物だろうと思うのですが、彫刻の姿からはあまり高貴な人という感じが伝わってきません。



南の塔門(トーラナ)の奥に飾られた仏像。頭部は損なわれていました。



南の塔門(トーラナ)の脇には、アショーカ王の石柱の基部が残っています。



アショーカ王の石柱の折れた先端部は、少し離れた所に横たわっていました。



大ストーゥパ(第1塔)の周囲には、僧院の建物の跡が残されていました。





丘を少し下がった先にも僧院跡が広がっていました。



西の塔門(トーラナ)。東西南北の塔門は、最上部の突起の形によって区別することができます。



上段の横材。



中段。



下段。



柱には、豊穣の神ヤクシャが飾られていました。



羽の生えたライオン。



蓮華の上に乗るラクシュミーが二頭の象から水をかけられている像。



これは、ジャータカ物語「猿王の物語」を現していると思います。他の彫刻が現している物語は判らないので、少し長くなりますが、粗筋を載せておきます。

お釈迦さまは、過去にガンジス川の畔で八万匹の猿のボス猿になっていました。ガンジス川の畔には、最高に美味しい実の生るマンゴーの大木がありました。ボス猿は、「もしも川の中に実が落ちて流され、それを人間が見つけたならば、たいへんなことが起きるだろう」と考え、川の上に張り出した枝の実は若いうちに取り去るなどの注意をしていました。

ところが、ある時熟れた実が川に落ち、それを拾った漁夫が王に献上してしまいました。その美味しさに感動した王は、このマンゴーの木を求めて家来を派遣し、そのマンゴーの木の場所を見つけさせました。自ら川を遡ってマンゴーの木に辿りついた王は、腹いっぱいマンゴーを食べて、そのまま寝込んでしまいました。

 朝になってマンゴーの木に戻ってきた猿達がマンゴーを食べているのを見ると、王は腹を立てて、猿を殺せと命じました。

 助かるには、ガンジス川の対岸に渡る必要がありましたが、川幅は広すぎました。ただ、ボス猿は人並外れた跳躍力を持っていたので、川幅の蔓を咥えて川を飛び越し、対岸の木に結び付けた後に蔦を足に結んで元の岸辺へと戻りました。この時、結び目の長さを考えなかったため、元の岸辺のマンゴーの木に手は届いたものの、こちらの木に蔦を結ぶことができず、しがみつくんだけの状態になってしまいました。

 猿の王は、自らの体を橋の一部に使って対岸に逃げるように、群れの皆に命じました。皆は対岸に無事に逃げることができましたが、ナンバー2の猿は、ボス猿がいなければ自らがボスになれるということで、一番最後まで残って、マンゴーの木の一番上からボス猿めがけてジャンプして、そのまま逃げてしまいました。ボス猿は、内蔵が破裂し、耐えられないほどの苦痛に襲われました。

 この一部始終を王は見ており、ボス猿の犠牲に感動しました。ボス猿をマンゴーの木から下ろして、ガンジス川で沐浴させ、手当てを施しましたが、結局亡くなってしまいました。王は、ボス猿の遺骸を祠を立てて供養し、その戒めの教えに基づいて徳行を行い、国を公正に治めました。王はその徳により、死後、天界に生まれ代わりました。

お釈迦さまは過去の物語を終えられ、「その時の王はアーナンダ(釈迦の十大弟子の一人)であり、ボス猿を蹴りつけた猿はデーヴァダッタ(釈迦仏の弟子で、後に違背したとされる人物)でした。八万匹の猿たちはブッダの弟子たちであり、猿の王は私でした」とお話しになりました。





西の塔門(トーラナ)の奥に飾られた仏像。
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