さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 エカテリーナ宮殿 その1

2012年07月12日 | 海外旅行
サンクトペテルブルク観光の二日目は、郊外に出て、エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の夏の離宮の庭園を見学することになりました。

まずは、エカテリーナ宮殿の見学です。大混雑になるとのことで、早めにゲートに到着しました。列ができていましたが、まだそれほどの長さにはなっていませんでした。この宮殿の見学は、団体優先で、個人で見学するのは難しいようです。



鉄製の門の隙間から宮殿を眺めたところ。宮殿は、基本的に水色に塗られています。



ゲートが開いて、宮殿内へ進みました。



金色に塗られた礼拝堂のドームが輝いていました。



エカテリーナ宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、女帝エカテリーナ1世に由来します。1717年に夏の避暑用離宮として造られたのが始まりで、その後、アンナやエリザヴェータといった女帝の手で、建築が進められていき、ロココ建築の宮殿として整えられました。



入場口の脇では、楽団が演奏していますが、これはチップ目当ての私設演奏団です。



入り口を入ったところで、まずはトイレへとダッシュしました。男性トイレはともかく、女性トイレはすでに長い列ができていました。このトイレ時間の短縮が、後の見学時間に影響してしまうようです。

入場すると、まず床の保護のために、靴にカバーをかぶせます。



正面階段を上がりました。



壁は、レリーフで飾られていました。



二階に上がってまず出るのは、大広間です。

黄金の装飾が施され、鏡が嵌め込まれた広間は、豪華そのものです。

この大広間は、大黒屋光太夫が帰国願いのために女帝エカテリーナ2世に謁見した場所でもあります。

江戸時代の船乗り大黒屋光太夫は、嵐のためにアリューシャン列島に漂着します。帰国の許可を得るため、極東の地からサンクトペテルブルクまでシベリアを横断することになりました。念願がかなえられて日本に戻ることができたのは、漂着後10年目のことでした。この物語は、井上靖の「おろしあ国酔夢譚」に描かれていますね。



大広間には、家具は無く、ピアノが二台置かれているだけです。

右の茶色のカバーがかけられた白いピアノはエルトン・ジョンがここでコンサートを行った時に寄付したものとのことです。



鏡にロウソク型の灯りが反射して、きらびやかを増していました。



まばゆい金ぴか装飾に圧倒されます。



鏡の反射によって、奥行きが増しています。





大広間から奥に進んでいくと、テーブルウェアが整えられて部屋に出ました。



帯勲者の食堂(騎士の食堂)と呼ばれるようです。



このような部屋が続くことになります。



正面階段の上に出ました。小さくしか写っていませんが、踊り場の窓際に置かれているのが、「目覚める天使」のようです。これに対する「眠れる天使」も向かいに置かれているようです。



壁には、中国や日本の古伊万里の壺が飾られていました。ヨーロッパ宮殿では、これらの陶器は富を現す貴重品として展示されるています。

各部屋の説明を聞きながら進んでいきますが、外国の団体の説明は長いので、渋滞の足踏み状態になりました。
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2 コメント

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Unknown (本読みと山歩き)
2012-07-13 08:54:21
サンクトというのは見どころが多かったんですね~。
仕事で素通りするには、もったいない処だったと、後悔しきりです。
3回は訪問しましたが、ロシア民謡すら見ない、味気ない出張ばかりでした。
 最後の写真にある、立派な焼き物は、欧州ではあちこちの美術館や宮殿でみかけましたが、景徳鎮や伊万里などはやはりすごいものだったんですね~。
サンクトペテルブルク (さすらい人)
2012-07-13 11:59:28
三回の訪問で、観光できなかったとは残念でしたね。仕事とあっては、仕方のないことですが。
ヨーロッパの宮殿を見ていくと、角の小部屋あたりでは、中国や日本の陶器の展示室になっていることが多いですね。実際に展示されている古伊万里が、なんでも探偵団あたりで、幾らの値段が付けられるものか、知ってみたいです。

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