さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 タマン・アユン寺院

2016年06月27日 | 海外旅行
第四日目は、まずタマン・アユン寺院に向かいました。

ウブドの街を出ると、稲田が広が広がりました。



バリ島での稲作では、二期あるいは三期作が行われています。周囲には緑の稲が延びた田も見られますが、ここでは稲刈りが行われていました。二期の方が草の背丈も延びて、三期作よりも良い米が取れるとのことです。



田の脇には、神様への収穫感謝の印のようなお供え物が置かれていました。



40分ほどで、タマン・アユン寺院に到着しました。



タマン・アユン寺院は、水を湛えた堀で囲まれていました。



タマン・アユン寺院の入口。

バリ島の寺院を見学する前に、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自に発達した宗教について知っておく必要があります。

ジャワ島中央から東部に広がったマジャパヒト王国がバリを征服した1343年以後、バリ島にヒンドゥー文化が広く浸透しました。16世紀初めにジャワのイスラム化によって同王国が滅亡すると、ジャワの貴族や僧侶が大挙してバリに亡命し、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系のバリ・ヒンドゥーが誕生しました。

バリ・ヒンドゥー寺院では、入口に見られる割れ門や、境内で見ることになるメル(塔)など、独特の構造を持っています。



入口には守護神ラクササの石像が置かれていますが、赤い花が飾られて、怖い顔が少しユーモラスになっていました。



堀と広々とした庭が設けられて庭園公園といった風情です。

タマン・アユン寺院は、ムングウィ王国の国寺として1634年に建てられ、バリ島で二番目に大きな寺院になっています。タマン・アユンという言葉自体が、「美しい庭」を表しています。



入口から入った脇には、闘鶏場が設けられていました。バリ島では儀式の際の生贄として、闘鶏が行われていました。元は悪魔祓いの儀式だったようですが、1983年から禁止になっています。闘鶏の様子を現した人形が置かれていました。



稲の女神、デウィ・スリの人形のようです。



入口近くにあった塔。



参道を進むと、再び割れ門が現れました。邪悪な者が通ろうとすると割れ門は閉じて通させないといいます。



割れ門を通ると、広場の真ん中には、クルクルと呼ばれる木製の鐘を収めた鐘楼が置かれていました。



塔は、多くの像で飾られていました。



ジャワ島のプランバナン寺院やボロブドゥール寺院で見た像とは、表情が異なっています。





中陣と中陣を分ける門のコリ・アグン。正面の門は、ご神体の出入り用で祭礼・儀式の際にしか開きません。信者は両脇の通用口から入ることになりますが、内陣の中には信者しか入れません。



ここにも守護神ラクササの石像が置かれていました。



門の上にも多くの像が置かれていました。



境内には入れませんが、それを取り囲む回廊から見学することができます。



林立するメルと呼ばれる塔に目がひきつけられます。



メルは、5~11の奇数層で、聖山のアグン山を祀っています。全体では10基のメルが置かれています。



メルの基部を見ると、細かい彫刻が施されています。



名前は判りませんが、気になる神様。





メルを見上げながら回廊を進みました。





ガルーダに乗るヴィシュヌ神のようです。





入口近くには、背の低い参拝所も置かれていました。



怖い顔で、死神を現しているのでしょうか。



こちらは神様のようです。



敷地内には、参拝者のために飲食を準備するためのものか、炊事棟も設けられていました。



二階部は、食料保管庫。

タマン・アユン寺院で見たバリ・ヒンドゥー寺院の特徴は、この後で見学したパトゥカウ寺院やプナラタン・アグン寺院でも見ることになりました。
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