ローズピークへの最後の登りは、岩が積み重なった急斜面になりましたが、日本の北アルプスあたりなら普通に見られるレベルです。
ローズピークとほぼ同じ高さのセント・ジョーンズピークを横目で眺めながらの登りになりました。
また山頂の影がうつるアレキサンダーピーク(4003m)の下には、Oyayubi peak (3976m) と呼ばれる岩塔が突き出ています。小さく見えますが、高さは100mあるといいます。フリー・クライマーの平山ユージがこの岩に新ルートを開拓したことでも知られています。
ようやくローズピーク (4095m) に到着。当然、これまで登った山のうちの最高峰です。ゆっくりペースでしたが、小屋から4時間半の登りで到着しました。
山頂は、記念写真撮影の順番待ちになっていました。我々グループの登頂者は7名でしたが、場所の交換で手間取ったりして撮影に時間が掛かりました。これが大人数のグループだと大変なことになるでしょうね。
最近は、山頂での記念撮影も行っていないのですが、さすがに登頂記念ということで撮ってもらいました。
山頂の奥をのぞくと、ビクトリアピーク(4091m)が聳えていました。キナバル山の山頂一帯には、幾つもの峰が並んでいますが、その中でも登りやすいローズピークが最高峰で助かりました。
山頂付近は狭いので、鞍部まで下ってから休むことにしました。
セント・ジョーンズピークは、向きによってはゴリラの横顔のように見えるので、ゴリラ岩とも呼ばれています。
サウスピークを眺めながら下っていきます。
一枚岩の広がる鞍部に戻った所で、大休止になりました。ローズピークが再び高みに遠ざかりました。
ローズピークの脇には深い谷が入り込んでいました。
剣岳を思わせるキザギザ峰が連なっていました。
サウスピークを正面に眺めながらの下りになりました。思ったよりも時間のかかる広大な一枚岩でした。
ようやく見下ろしていたサウスピークが、目の高さになりました。
ドンキーイヤーピークも見上げるようになりました。
岩の隙間にはイワウメに似た花が咲いていました。
黄色の花も。
サウスピークを横目で眺めながらロープが延びた一枚岩を下っていく風景は、キナバル山登山を代表するものになっています。
ドンキーイヤーピークも次第に姿を変えていきました。
一枚岩の下部にある看板は、コース整備された岩場歩きのヴィアフェラータの集合場所を示すもののようです。
一枚岩の下部まで下ってきました。
下方にサヤッ・サヤッ小屋も見えてきました。
サヤッ・サヤッ小屋まで戻ってきました。トイレも使ってひと休み。
この下の岩場の傾斜は増しましたが、ロープを使わずとも登山靴のフリクションで充分下れる状態でした。
その下で岩場のトラバースになりました。足場に注意すれば問題なく通過できます。
眼下には、宿泊地の山小屋も見えていました。
岩場を下から振り返ったところ。
下りの途中、岩場を下っているヴィアフェラータ一行の姿も見えていました。
ヴィア・フェラータとは、ワイヤーロープやはしご、木製の歩道や吊り橋などで整備された岩場を、確保道具を装着した上で歩くものです。遠目ですが、岩場を下るのに、結構時間がかかっているようです。
灌木帯まで下ってくると、木の階段が続くようになりました。山小屋までもうひと息というところで、女性メンバーが階段の隙間に足を落として、倒れこんでしまいました。幸い足は捻っただけで骨折はしていないようです。歩けなくなったため、登山ガイドが背負って山小屋まで下ることになりました。そう遠くない距離であったため、三回ほどの休みで小屋に戻ることができました。
一般的なティンポホンゲートからの往復だと、遅い朝食をとって休んだ後に一気に下山することになりますが、マシウラルートを下る場合には時間が掛かるためもう一泊することになります。
半日を休養にあてることになりますが、このベッドは真ん中が窪んでおり、寝づらいものでした。体を支えるパイプも下に曲がって亀裂も入っており、そのうち折れそうでした。
二度目の朝食は10時頃までということで、山小屋に戻る時間は少し過ぎていました。料理はまだ並んでいましたが、すぐに昼食になるため、デザート類をつまんでお茶を飲んでひと休みしてから、再度レストランに戻りました。
昼食は、チャーハン、焼きそば、汁ソバということなので、ビュッフェ料理になかった汁ソバを頼みました。中華風の味で、美味しく食べました。
お待ちかねのビール。標高3300mの最高所でのビールになりました。値段は、北アルプスの山小屋よりも高く、飯豊の避難小屋並みの800円ほどですが、登頂のお祝いも兼ねて飲まないわけにはいきません。
午後は昼寝をしてから、早めにレストランに入りました。肉類や野菜もあって、食べやすい味付けです。
今回は、デザートもしっかりと並んでいました。バナナのフライやプリンが出されていました。
高山病予防ということで水分をしっかり補給する必要がありますが、レストランでは湯、コーヒー、お茶が提供されていました。食事の時間以外でも湯は提供されていたので、部屋で飲むことができるように保温ポットを持っていくべきでした。
早めの夕食をとることになりました。
負傷した女性は、夕方までには、ビッコをひきながら歩くことができるようになり、翌日は登山ガイドに付き添われてティンポホンゲートへ下ることになりました。
キナバル山での救助態勢ですが、日本の山小屋のような救護室は無く、メンバーが持参していた鎮痛剤を飲んでもらうことになりました。また、救助ヘリはなく、タンカに乗せて人力で下すことになると、交代人数も多くなって、30万円ほどになるということでした。
食事も早々と終え、後は日が沈むのを待つことになりました。
夕暮れ近くになると、ガスが出てきました。絶好の天気に恵まれて登頂を果たすことができましたが、下山までもう一日晴が続いて欲しいものです。
ローズピークとほぼ同じ高さのセント・ジョーンズピークを横目で眺めながらの登りになりました。
また山頂の影がうつるアレキサンダーピーク(4003m)の下には、Oyayubi peak (3976m) と呼ばれる岩塔が突き出ています。小さく見えますが、高さは100mあるといいます。フリー・クライマーの平山ユージがこの岩に新ルートを開拓したことでも知られています。
ようやくローズピーク (4095m) に到着。当然、これまで登った山のうちの最高峰です。ゆっくりペースでしたが、小屋から4時間半の登りで到着しました。
山頂は、記念写真撮影の順番待ちになっていました。我々グループの登頂者は7名でしたが、場所の交換で手間取ったりして撮影に時間が掛かりました。これが大人数のグループだと大変なことになるでしょうね。
最近は、山頂での記念撮影も行っていないのですが、さすがに登頂記念ということで撮ってもらいました。
山頂の奥をのぞくと、ビクトリアピーク(4091m)が聳えていました。キナバル山の山頂一帯には、幾つもの峰が並んでいますが、その中でも登りやすいローズピークが最高峰で助かりました。
山頂付近は狭いので、鞍部まで下ってから休むことにしました。
セント・ジョーンズピークは、向きによってはゴリラの横顔のように見えるので、ゴリラ岩とも呼ばれています。
サウスピークを眺めながら下っていきます。
一枚岩の広がる鞍部に戻った所で、大休止になりました。ローズピークが再び高みに遠ざかりました。
ローズピークの脇には深い谷が入り込んでいました。
剣岳を思わせるキザギザ峰が連なっていました。
サウスピークを正面に眺めながらの下りになりました。思ったよりも時間のかかる広大な一枚岩でした。
ようやく見下ろしていたサウスピークが、目の高さになりました。
ドンキーイヤーピークも見上げるようになりました。
岩の隙間にはイワウメに似た花が咲いていました。
黄色の花も。
サウスピークを横目で眺めながらロープが延びた一枚岩を下っていく風景は、キナバル山登山を代表するものになっています。
ドンキーイヤーピークも次第に姿を変えていきました。
一枚岩の下部にある看板は、コース整備された岩場歩きのヴィアフェラータの集合場所を示すもののようです。
一枚岩の下部まで下ってきました。
下方にサヤッ・サヤッ小屋も見えてきました。
サヤッ・サヤッ小屋まで戻ってきました。トイレも使ってひと休み。
この下の岩場の傾斜は増しましたが、ロープを使わずとも登山靴のフリクションで充分下れる状態でした。
その下で岩場のトラバースになりました。足場に注意すれば問題なく通過できます。
眼下には、宿泊地の山小屋も見えていました。
岩場を下から振り返ったところ。
下りの途中、岩場を下っているヴィアフェラータ一行の姿も見えていました。
ヴィア・フェラータとは、ワイヤーロープやはしご、木製の歩道や吊り橋などで整備された岩場を、確保道具を装着した上で歩くものです。遠目ですが、岩場を下るのに、結構時間がかかっているようです。
灌木帯まで下ってくると、木の階段が続くようになりました。山小屋までもうひと息というところで、女性メンバーが階段の隙間に足を落として、倒れこんでしまいました。幸い足は捻っただけで骨折はしていないようです。歩けなくなったため、登山ガイドが背負って山小屋まで下ることになりました。そう遠くない距離であったため、三回ほどの休みで小屋に戻ることができました。
一般的なティンポホンゲートからの往復だと、遅い朝食をとって休んだ後に一気に下山することになりますが、マシウラルートを下る場合には時間が掛かるためもう一泊することになります。
半日を休養にあてることになりますが、このベッドは真ん中が窪んでおり、寝づらいものでした。体を支えるパイプも下に曲がって亀裂も入っており、そのうち折れそうでした。
二度目の朝食は10時頃までということで、山小屋に戻る時間は少し過ぎていました。料理はまだ並んでいましたが、すぐに昼食になるため、デザート類をつまんでお茶を飲んでひと休みしてから、再度レストランに戻りました。
昼食は、チャーハン、焼きそば、汁ソバということなので、ビュッフェ料理になかった汁ソバを頼みました。中華風の味で、美味しく食べました。
お待ちかねのビール。標高3300mの最高所でのビールになりました。値段は、北アルプスの山小屋よりも高く、飯豊の避難小屋並みの800円ほどですが、登頂のお祝いも兼ねて飲まないわけにはいきません。
午後は昼寝をしてから、早めにレストランに入りました。肉類や野菜もあって、食べやすい味付けです。
今回は、デザートもしっかりと並んでいました。バナナのフライやプリンが出されていました。
高山病予防ということで水分をしっかり補給する必要がありますが、レストランでは湯、コーヒー、お茶が提供されていました。食事の時間以外でも湯は提供されていたので、部屋で飲むことができるように保温ポットを持っていくべきでした。
早めの夕食をとることになりました。
負傷した女性は、夕方までには、ビッコをひきながら歩くことができるようになり、翌日は登山ガイドに付き添われてティンポホンゲートへ下ることになりました。
キナバル山での救助態勢ですが、日本の山小屋のような救護室は無く、メンバーが持参していた鎮痛剤を飲んでもらうことになりました。また、救助ヘリはなく、タンカに乗せて人力で下すことになると、交代人数も多くなって、30万円ほどになるということでした。
食事も早々と終え、後は日が沈むのを待つことになりました。
夕暮れ近くになると、ガスが出てきました。絶好の天気に恵まれて登頂を果たすことができましたが、下山までもう一日晴が続いて欲しいものです。