さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 北京 その1

2011年05月30日 | 海外旅行
北京は、いわずとしれた中華人民共和国の首都ですが、古くは大都・燕京・北平とも呼ばれました。

春秋戦国時代は、都の置かれた洛陽からは遠い辺境の地でしたが、明の時代に首都が置かれてからは、首都としての役目を果たしてきました。

初めて中国を訪れたのは、1992年のことでした。日中国交回復は1972年のことで、20周年の記念の学会で訪問することができました。まだ中国共産党支配の色が濃く、民衆の生活水準も低く、現在の発展に驚かされることになります。

その後、数回北京を訪れましたが、1972年の訪問時の写真が主になっています。

北京の観光を、まず天安門から始めましょう。

天安門広場は、紫禁城ともいわれる故宮の天安門の南に隣接する広場です。古くは官庁街になっていましたが、1954年にそれらを撤去して、南北880m・東西500mにわたる世界最大の広場が造られました。



広場の北端には、国旗の掲揚台があり、日の出と日の入りに合わせて毎日警備兵による国旗の掲揚収容儀式が行われて、観光客の目を引き付けています。



天安門広場の中央に立つのは、人民英雄紀念碑です。1958年に造られた中国革命の英雄の顕彰碑で、表麺には毛沢東、裏面は周恩来の筆による文字が刻まれています。



天安門というと、1989年に起きた民主化を要求した天安門事件を思い出さないわけにはいきません。この人民英雄紀念碑が、活動の中心的シンボルになっていました。

広場には、武装警察官も多く配置され目を光らせています。



人民英雄紀念碑の南には、毛主席記念堂があります。

毛沢東の廟で、中では防腐処理の上で保存された毛沢東の遺体を観覧できるようになっています。

内部への荷物の持ち込みは禁止で、遺体の前は、立ち止まらないように注意されます。水晶の棺の中に中国共産党旗で包まれて納められていますが、ちょっと見では、蝋人形のようにも見えてしまいます。



広場の西にある巨大な建物は、人民大会堂です。

国会にとうとうする全国人民代表大会などの議場として用いられるほか、外国使節・賓客の接受の場所としても使用されています。



朝の人民大会堂。

宴会場も設けられており、学会主催の宴会がこの人民大会堂で行われたため、内部に入ることができました。ただ、カメラの持ち込み禁止と脅かされたため、内部の撮影は行えませんでした。



天安門広場の東には、中国歴史博物館と革命博物館が並んでいます。



入り口の電光掲示板の拡大です。1997年の香港返還へのカウントダウンを行っていました。その後に訪れた時は、北京オリンピックへのカウントダウンを行っていました。



天安門広場の南には、正陽門と箭楼が連なっています。



北京城の第一門は永定門で、第二の門がこの正陽門です。



正陽門と箭楼は城壁で半円形状に結ばれていましたが、現在はこの城壁が撤去されて、正陽門と箭楼は二つの遺構のように見えています。





箭楼は、武器弾薬の倉庫で、攻め来る敵兵をこの城楼から狙い撃ちしました。



一般庶民は、これより南に住みました。



天安門広場の夜景。



早朝の天安門広場



天安門広場は、巨大な広場ですが、往時の紫禁城の一部でしかすぎません。
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