プラハ観光は、まずプラハ城から始まりました。
バスを下りて、北門から入場しました。
プラハ城の入り口には、衛兵が立っており、記念撮影の的になっています。
第二の中庭です。中庭にはコール噴水が置かれています。1686年に造られたバロック様式の噴水です。左奥は、聖十字架礼拝堂
右手には、大統領公舎の入り口があり、大統領が滞在しているときは、ポールに国旗が掲げられるといいますが、無いので不在のようです。
鳥籠のような金属枠が乗せられているのは、井戸。
第二の中庭から東を見ると、聖ヴィート教会の塔の先端が見えています。塔の高さは、約99mあります。
聖ヴィートの由縁ですが、6から7世紀の間に、ヴィトゥス殉教逸話が流布しました。ヴィトゥスはルカニアの支配者(異教徒)の子でしたが、父親からキリスト信仰を捨てるように迫られ、抵抗したため拷問にかけられます。一旦は逃亡しますが、捕らわれてローマで斬首されてしまいます。
925年にドイツ王ハインリヒ1世から、ボヘミア公ヴァーツラフ1世へ聖人の手の骨が贈られたことから、聖ヴィート崇拝が高まりました。この聖遺物は、現在、プラハの聖ヴィート大聖堂に祀られています。
第三の中庭に進むと、聖ヴィート教会が姿を現しますが、ひきが無く、全景を撮影することはできません。
聖ヴィート教会は、ボヘミア公のヴァーツラフ1世によって聖ヴィートに奉げられたロマネスク様式の教会が925年に建てられたのが始まりです。1060年にプラハに教区が置かれて、収容人員を増やすために、大規模な教会の建築が開始されます。現在のゴシック様式の大聖堂は1344年に設立され、これよりプラハ司教区は大司教区に格上げされました。
ボヘミア王で神聖ローマ帝国皇帝にもなったカレル1世は、新しい大聖堂を、即位式を行う教会、一族の地下納骨堂、王国で最も貴重な遺物の保管庫、そして守護聖人ヴァーツラフの最後の休息地であり巡礼地となるよう取り計らいました。
建築は、建築家が交代しながら、長年にわたって行われ続け、途中フス戦争などの中断もあり、600年の建設期間を経て1929年に完成しました。
大聖堂に入ると、高く、奥行きのある天井が神秘的な雰囲気を与えています。内部の幅60m、奥行き124mの強大な空間が設けられています。
壁には、何面ものステンドグラスが飾られています。
ステンドグラスを構成する一片が小さいため、それぞれの情景というよりは、全体での色彩が伝わってきます。
その拡大
聖ヴィート教会の入り口までは無料で入れますが、奥は有料になります。有料エリアに入ったところにあるのが、ムハ作のステンドグラスです。
最初は、ステンドグラス全体が生み出す色彩に魅了され、ついで細部に目がとまります。
「聖キリルと聖メトディウスの物語」が主題になっています。
最上部にはキリストが大きく手を広げ、その下に三人の女性が配置されています。
中央部です。
少し拡大して見ましょう。
向かって右の王冠のような帽子をかぶっているのはメトディウスで、左の修道服姿はキリウスで、二人が布教をしている場面が描かれています。二人はギリシャ生まれの兄弟で、860年代に聖書のスラヴ語訳を完成させ、モラヴィア地方にキリスト教を伝えた人物です。
その下には、チェコの守護聖人である聖ヴァーツラフの少年時代の姿が描かれています。横で手を広げるのは祖母の聖ルドミラ。
中央部分の一番下には、チェコの民族衣装を着た女性2人が描かれています。女性の描き方や背後の装飾模様など、私たちがムハの絵というイメージに最も合うものでしょうか。
左右には、聖キリルと聖メトディウスの布教に費やした生涯が描かれています。
このステンドグラスは、1931年にチェコのスラヴィア銀行からの資金援助を受けて製作されましたが、ムハはこの作品にサインは入れませんでした。
続くステンドグラスを眺めていきましょう。
いずれも見事なステンドグラスですが、ムハの作品を見た後では、単調に感じてしまいます。
17世紀のプラハを描いた木彫
ボヘミアの守護聖人「聖ヤン・ネポムツキーの墓」
銀製の豪華絢爛たる棺が置かれて、その周辺は大混雑になっていました。
聖ヤン・ネポムツキーについては、「国王ヴァーツラフ4世が王妃の不貞を疑ったとき、王妃の聴聞師だった僧侶ネポムツキーは、どんなに脅されても王妃の告解の内容を明かそうとしなかった。そこで怒った暴君は、この善良な僧侶をカレル橋から突き落として殺した。」という伝説が広まっています。
パイプオルガン
バラ窓は、中央通路が立ち入り禁止のため、半分しか見えませんでした。
ステンドグラスが続きます。
光が差し込んで、壁にステンドグラスの絵を映していました。
これは、新しいステンドグラスのようです。
このステンドグラスのスポンサーはパン屋で、そのため、右下にパンを持った人物が書き込まれています。
外に出て、教会の南に回り込むと、ようやく全景が目に入るようになります。
ゴシック様式の尖塔は天を突き刺すかのようです。
メインタワー
メインタワー中段の金網様の飾り
黄金の扉の上の「最後の審判」のモザイク画
黄金の扉は、かつてはここが正門として使われていました。
プラハの観光は、いきなり見どころ一杯の状態で始まりました。
バスを下りて、北門から入場しました。
プラハ城の入り口には、衛兵が立っており、記念撮影の的になっています。
第二の中庭です。中庭にはコール噴水が置かれています。1686年に造られたバロック様式の噴水です。左奥は、聖十字架礼拝堂
右手には、大統領公舎の入り口があり、大統領が滞在しているときは、ポールに国旗が掲げられるといいますが、無いので不在のようです。
鳥籠のような金属枠が乗せられているのは、井戸。
第二の中庭から東を見ると、聖ヴィート教会の塔の先端が見えています。塔の高さは、約99mあります。
聖ヴィートの由縁ですが、6から7世紀の間に、ヴィトゥス殉教逸話が流布しました。ヴィトゥスはルカニアの支配者(異教徒)の子でしたが、父親からキリスト信仰を捨てるように迫られ、抵抗したため拷問にかけられます。一旦は逃亡しますが、捕らわれてローマで斬首されてしまいます。
925年にドイツ王ハインリヒ1世から、ボヘミア公ヴァーツラフ1世へ聖人の手の骨が贈られたことから、聖ヴィート崇拝が高まりました。この聖遺物は、現在、プラハの聖ヴィート大聖堂に祀られています。
第三の中庭に進むと、聖ヴィート教会が姿を現しますが、ひきが無く、全景を撮影することはできません。
聖ヴィート教会は、ボヘミア公のヴァーツラフ1世によって聖ヴィートに奉げられたロマネスク様式の教会が925年に建てられたのが始まりです。1060年にプラハに教区が置かれて、収容人員を増やすために、大規模な教会の建築が開始されます。現在のゴシック様式の大聖堂は1344年に設立され、これよりプラハ司教区は大司教区に格上げされました。
ボヘミア王で神聖ローマ帝国皇帝にもなったカレル1世は、新しい大聖堂を、即位式を行う教会、一族の地下納骨堂、王国で最も貴重な遺物の保管庫、そして守護聖人ヴァーツラフの最後の休息地であり巡礼地となるよう取り計らいました。
建築は、建築家が交代しながら、長年にわたって行われ続け、途中フス戦争などの中断もあり、600年の建設期間を経て1929年に完成しました。
大聖堂に入ると、高く、奥行きのある天井が神秘的な雰囲気を与えています。内部の幅60m、奥行き124mの強大な空間が設けられています。
壁には、何面ものステンドグラスが飾られています。
ステンドグラスを構成する一片が小さいため、それぞれの情景というよりは、全体での色彩が伝わってきます。
その拡大
聖ヴィート教会の入り口までは無料で入れますが、奥は有料になります。有料エリアに入ったところにあるのが、ムハ作のステンドグラスです。
最初は、ステンドグラス全体が生み出す色彩に魅了され、ついで細部に目がとまります。
「聖キリルと聖メトディウスの物語」が主題になっています。
最上部にはキリストが大きく手を広げ、その下に三人の女性が配置されています。
中央部です。
少し拡大して見ましょう。
向かって右の王冠のような帽子をかぶっているのはメトディウスで、左の修道服姿はキリウスで、二人が布教をしている場面が描かれています。二人はギリシャ生まれの兄弟で、860年代に聖書のスラヴ語訳を完成させ、モラヴィア地方にキリスト教を伝えた人物です。
その下には、チェコの守護聖人である聖ヴァーツラフの少年時代の姿が描かれています。横で手を広げるのは祖母の聖ルドミラ。
中央部分の一番下には、チェコの民族衣装を着た女性2人が描かれています。女性の描き方や背後の装飾模様など、私たちがムハの絵というイメージに最も合うものでしょうか。
左右には、聖キリルと聖メトディウスの布教に費やした生涯が描かれています。
このステンドグラスは、1931年にチェコのスラヴィア銀行からの資金援助を受けて製作されましたが、ムハはこの作品にサインは入れませんでした。
続くステンドグラスを眺めていきましょう。
いずれも見事なステンドグラスですが、ムハの作品を見た後では、単調に感じてしまいます。
17世紀のプラハを描いた木彫
ボヘミアの守護聖人「聖ヤン・ネポムツキーの墓」
銀製の豪華絢爛たる棺が置かれて、その周辺は大混雑になっていました。
聖ヤン・ネポムツキーについては、「国王ヴァーツラフ4世が王妃の不貞を疑ったとき、王妃の聴聞師だった僧侶ネポムツキーは、どんなに脅されても王妃の告解の内容を明かそうとしなかった。そこで怒った暴君は、この善良な僧侶をカレル橋から突き落として殺した。」という伝説が広まっています。
パイプオルガン
バラ窓は、中央通路が立ち入り禁止のため、半分しか見えませんでした。
ステンドグラスが続きます。
光が差し込んで、壁にステンドグラスの絵を映していました。
これは、新しいステンドグラスのようです。
このステンドグラスのスポンサーはパン屋で、そのため、右下にパンを持った人物が書き込まれています。
外に出て、教会の南に回り込むと、ようやく全景が目に入るようになります。
ゴシック様式の尖塔は天を突き刺すかのようです。
メインタワー
メインタワー中段の金網様の飾り
黄金の扉の上の「最後の審判」のモザイク画
黄金の扉は、かつてはここが正門として使われていました。
プラハの観光は、いきなり見どころ一杯の状態で始まりました。