さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ヴィリニウス その5

2015年06月18日 | 海外旅行
ツアーで案内されたヴィリニュス観光は、市街地中心部を訪れておらず、少しものたりなさを感じました。幸い、トゥラカイ城からは4時にホテルに戻ってきたため、7時の夕食の間に市街地中心部へと歩きに出かけました。他のツアー参加者は、ホテル近くのショッピングセンターに出かけたようです。

まずはネリス川の河畔道路に出ました。ゲディミナス塔が近づいてきました。



橋を渡ると、リトアニア国立博物館の前に出ました。

リトアニア国立博物館は、ヴィリニュス城(ケディミナス城)の一部であったかつての武器庫を改装した博物館です。正面に置かれているのは、ヴィータウタス大公像のようです。

ヴィータウタスは、リトアニア大公ケーストゥティスの子で、父が従兄弟のヨガイラと大公の地位をめぐって敗れて殺されると、プロイセンに亡命しましたが、その後、1383年にヨガイラと和睦して帰国しました。1385年にヨガイラがポーランド王として即位すると、実質的にリトアニアの統治を任され、1401年、正式にリトアニア大公の位を譲られて即位しました。その後はポーランド・リトアニア連合としてドイツ騎士団に対抗し、1410年にはタンネンベルクの戦いで勝利を収め、ポーランド・リトアニアはさらに勢力を拡大、ヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになりました。



カテドゥロス広場に進むと、激しい雨になってしまいました。ツアー中の見学中には雨に合わなかったので、参加者の中に晴れ運の強い者がいたようです。大聖堂の下でしばらく雨宿りをすると止んでくれたので、観光再開。

午前中も見たヴィリニュス創設神話の主人公であるゲディミナス大公の像。



ゲディミナス大公の像を良く見ると、他の王の像が描かれていました。

ヴィータウタス 1392~1430年
ケーストゥティス 1345~1382年



アルギルダス 1345~1377年
ヨガイラ 1377~1392年

ゲディミナスの死後、息子のアルギルダスとケーストゥティによってリトアニアは分割統治されました。アルギルダスの息子のヨガイラとの争いによってケーストゥティは暗殺されてしまいます。その息子のヴィータウタスは一時亡命しますが、帰国後はヨガイラと和睦して、ポーランド・リトアニアの最盛期を迎えました。

石碑には、親子ごとに描かれているのですね。



ケディミナスを導いた「大きく吠える鉄の鎧を来た狼」のアップ。



ピリエス通りに進みました。



土産物屋



ネコの看板。ラトヴィアのリガでは猫の家がありましたが、リトアニアでもネコの看板が好きなようです。



ピリエス通りをさらに進んでいきました。



通りでは、琥珀を売る店がめだっていました。





聖ミカエル教会の塔。

午前中の観光では、ここから脇道に進んでしまいました。



聖ミカエル教会の塔。



さらに進んでいくと、ロシア正教教会が現れました。



ロシア正教会の周りには土産物屋が並んでいました。この木製製品の店で、鍋敷きを買いました。



土産物屋の飾り。ここにもネコが。



市庁舎広場に出てきました。



市庁舎広場の入り口脇にあるのは、ロシア正教教会とのこと。



旧市庁舎。

旧市庁舎はゴシック様式の建物でしたが、18世紀の終わりにクラシックな建物に改装されました。かつては裁判所、財務室や武器弾薬庫などが置かれ、地下には刑務所もありました。現在は様々なイベントの会場として用いられています。



旧市庁舎の建物に掲げられている市章は、「世界をこの手にもつ子供のキリストを抱く聖クリストファー」です。

ここがビリニュス市街地の中心部で、あと半分も歩いてみましょう。
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