さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 プラハ その13

2011年11月21日 | 海外旅行
ムハ美術館の見学の後は、旧市街地から一旦離れて、ヴィシェフラドに行くことにしました。地下鉄に乗る必要があるため、地下鉄のMuseum駅に向かいました。

ヴァーツラフ広場に出ました。ヴァーツラフ広場は、細長い大通りで、両脇を車道が通る中に広場が続きます。



プラハ随一の繁華街で、土産物を売る露店も出ていました。



正面に見えるのは、国立博物館

この広場は、チェコの歴史の舞台になってきました。

1968年、プラハの春と呼ばれた民主化運動を弾圧するため、ワルシャワ条約機構軍は戦車をこの広場に乗り入れました。その20年後の1989年には100万人のプラハ市民がこの広場に集まり、ビロード革命を果たしました。



ヴァーツラフ広場の終点には、聖ヴァーツラフの騎馬像が置かれています。ボヘミア最初の王といわれる聖ヴァーツラフは、国難が迫った時には中部ボヘミアのグラニークの洞窟に眠る手兵の騎士たちを目覚めさせ、彼らを率いて敵を撃退するという伝説が残されています。



地下鉄に乗り、二つ目のVysehradで下車しました。当初からヴィシェフラドを訪れるつもりで、地下鉄の乗り方を調べたりしていたのですが、プラハのホテルがこの路線のさらに先ということで、観光を別にしても地下鉄を利用する必要がありました。この後、旧市街やホテルに戻るために何回か地下鉄を乗り降りする必要があったので、1日券を買ってしまいました。

現在のプラハの繁栄は、7世紀の伝説の王妃リプシュによって予言され、その王妃が住んでいたのが、ヴィシェフラド(プラハ旧城)と言い伝えられています。

地下鉄を下りてから見当をつけて歩いていくと、城壁が現れました。



中に入っていくと、17世紀の要塞の名残のレオポルド門が現れました。



続いて、マルティン教会のロトンダ。1100年頃に造られたプラハで最も古いロマネスク建造物のひとつです。

現在では、ヴィシェフラドに古城の面影はあまり残されてはいないのですが、ここは、スメタナ作曲交響詩「我が祖国」の第一曲ヴィシェフラド(高い城)の舞台として、是非とも訪れたいと思っていました。

「かつてこの城はボヘミア国王が居城としていたこともあったが、戦乱によって破壊された。その城跡で吟遊詩人がいにしえの王国の栄枯盛衰を歌う」というのが曲の内容です。ハープによって奏でられる冒頭の主題が、心の中に流れました。



ヴィシェフラドでは、もう一つ目的があります。

歩いていくと、聖ペテロ聖パウロ教会が見えてきました。



教会の脇には、ヴィシェフラット民族墓地があります。



ここには、チェコの著名人の墓があります。

これは、作曲家スメタナの墓

代表作である「我が祖国」の舞台で眠っているのは、満足でしょうね。



また、記念的霊廟「スラヴィーン」が置かれています。



沢山の人の名前が記されていますが、注目すべきは、この一面です。

ここには、ムハ、ヤン・クーベリック(世界的ヴァイオリニストでラファエル・クーベリックの父)、ラファエル・クーベリック(チェコ・フィルの主席指揮者でしたが、大戦後にチェコの共産化に反対してイギリスへ亡命。チェコの民主化に伴い、1990年の「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを指揮し、スメタナの『我が祖国』の歴史的名演を行って復活しました、)の名前が書かれています。



多くの墓が並んでいるため、目当ての墓にたどり着くには、少し苦労しました。



ドヴォルザークの墓。

一等地に置かれていますね。



ドヴォルザークの胸像。



カレル・アンチェルの墓

この後は、プラハのユダヤ人地区に向かいましたので、アンチェルの生涯を振り返っておきましょう。

アンチェルは、ターリッヒに指揮を学び、プラハ交響楽団の音楽監督に就任します。ところが、チェコがナチスに占領されると、ユダヤ人であったアンチェルは、家族ともども収容所送りになり、中間施設のテレジンを経てアウシュビッツに送られてしまいます。家族はそこで虐殺され、アンチェルのみが生還します。

戦後アンチェルは楽壇に復帰し、1950年には、共産主義に反対して亡命したクーベリックの後任としてチェコ・フィルの常任指揮者に就任します。低迷状態にあったチェコ・フィルを立て直しますが、1968年のチェコ・フィルを帯同してのアメリカ演奏旅行中に、「プラハの春事件」が起こり、旅行先で帰国を断念して、亡命の道を選びます。その僅か4年後にカナダで亡くなってしまいます。

アンチェルの墓は、その悲劇的な生涯を表すように、メイン通路から一歩奥に入った、他の墓をすり抜けた先の目立たない所にありました。

団体ツアーでは決して訪れないヴィシェフラドではありますが、音楽ファンにとってはプラハ訪問で落とせない場所といってよいでしょう。
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