さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 プラハ その12

2011年11月18日 | 海外旅行
市民会館の見学を終えて、ムハ美術館に向かいました。

ムハ美術館はこじんまりしており、細い通りの奥にあるので、地図を良く見る必要があります。クリーム色の建物の1階部分の半分が美術館になります。



窓には、ムハの「ヒヤシンス姫」のポスターが貼ってあります。

チェコ出身のムハは、パリでアール・ヌーヴォーの代表的画家として活躍したことから、日本ではフランス語風にミュシャと呼ばれています。



桜草(左)と羽(右)のポスターも掲示されていました。

中は撮影禁止のため、撮影した写真はこれだけになってしまいますが、展示してあった作品の幾つかを載せておきましょう。



ジスモンダ

ムハとサラ・ベルナールとの出会いを記念する、アール・ヌーヴォーの代表者としての地位を確立した作品です。

ムハは、絵の勉強のためにパリに出てきますが、後援者からの金銭的援助が打ち切られてしまいます。絵の勉強はあきらめて、本や雑誌の挿絵を描いて生活をたてなくてはならなくなってしまいます。

1894年のクリスマスに、印刷所に人気女優サラ・ベルナールから、「元日までに芝居のポスターを作ってほしい」という電話がかかってきます。しかし、ポスターを描く画家は、クリスマス休暇中。クリスマスというにもかかわらず働いていた無名のムハに声がかかります。ムハは劇場に行くために衣装を借り、サラの舞台を見ます。

そして完成したのが、この「ジスモンダ」でした。このポスターは、盗難が続くほどの大人気となりました。サラ本人も気に入って何枚も買い込み、その後のポスターはムハにまかせることになりました。これをきっかけに、ムハは、アール・ヌーヴォーの代表者としての地位を確立していきます。



これもサラ・ベルナールの舞台を描いた「メディア」のポスター



ムハ美術館に展示されていた作品の幾つかを載せておきましょう。

連作 芸術より詩



連作 芸術より舞踏



連作 芸術より絵画



連作 芸術より音楽



連作 花よりカーネーション



連作 花よりバラ



連作 花よりユリ



連作 花よりアイリス



連作 一日の時より朝の目覚め



連作 一日の時より昼の輝き



連作 一日の時より昨夜の夢想



連作 一日の時より夜のやすらぎ

ムハの絵は、女性の曲線的なポースが背景装飾とあいまって、独特の美しさを醸し出しています。ムハは、ポーズをとったモデルの写真を撮影し、それを基に絵を描いたといいます。



黄道十二宮

室内用カレンダーとしてデザインされたものです。

パリで成功を収めていたムハでしたが、チェコ出身の女性と出会って結婚したことをきっかけに、当時オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった祖国チェコへの熱い思いが高まってきます。1910年に家族とともに、チェコに戻り、民族の歴史「スラヴ叙事詩」を描くことが彼の夢になります。

1918年に第一次大戦の敗北によってオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊し、チェコスロヴァキアは独立を果たします。ムハは、新しい国のために、紙幣から切手、警察官の制服のデザインまで、そのすべてを無償で引き受けます。



これは、チェコ時代の作品の「ヒヤシンス姫」

パリ時代に比べて人の表情に力強さが増してきていますね。



「イヴァンチツェでの地方展覧会」のポスター



「スラヴ叙事詩」展ポスター



「スラヴ叙事詩」よりスラヴ参加。(ムハ美術館には展示されていませんが、参考のため)

念願の「スラヴ叙事詩」も完成しますが、大作のために展示場が見つからないことと、共産主義体制下ではスラヴ叙事詩の内容は政治的にそぐわないということで、長らくモラフスキー・クルムロフの古城にしまいこまれて、公開されるようになったのは最近のことです。



民族衣装を身に着けたムハの写真

民族の悲劇は繰り返され、第二次大戦が始まると、チェコはナチスドイツに占領されます。ムハは危険な愛国主義者としてみなされます。ムハは、1週間の獄中生活で体をこわし、祖国の独立をみることなく78才で亡くなってしまいます。

さらに、共産主義政権下のチェコでは、共産主義リアリズムにそぐわないとムハの絵は否定されてしまいます。父の作品を守ろうとした息子ジリもスパイ容疑をかけられて投獄されてしまいます。三年後に釈放されたジリを待っていたのは、世界中に散逸してしまったムハの作品でした。

父の作品の再評価を訴えるジリに出会ったのが、日本人コレクターの土井君夫氏でした。ジリはムハの作品の多くを日本に託すことになります。

この作品を展示するのが、堺市文化館アルフォンス・ミュシャ館です。

堺市の美術館にもいつか行ってみたいですね。



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2 コメント

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Unknown (本読みと山歩き)
2011-11-20 07:35:06
プラハではこの美術館は行けませんでした。
でもやっぱり、お土産物屋さんにはたくさん彼の絵が飾ってあって、いまでも玄関で、彼の絵の中の女性が微笑んで迎えてくれています。
アール・ヌーヴォーらしく、曲線美が美しいですね~。
堺市にそんな美術館があるのですか!年末の帰阪の折に寄ってみたいです。
ムハ (さすらい人)
2011-11-21 20:27:45
この画家は、ミュシャと呼ぶか、ムハと呼ぶかで、印象が変わってきますね。
堺市に収蔵されている「ハーモニー」の絵も、変わった運命をたどっています。
1908年、ムハにニューヨークのドイツ劇場の内装が依頼され、そこで描かれたのがスラヴの神話的世界を描いた「ハームニー」でした。しかし、この作品は、受け取りを拒否されてしまいます。人々が求めていたのは、アール・ヌーヴォーのミュシャだったからです。この絵は、時は流れて1983年に、アメリカで発見されました。
ムムシャの絵が好きならば、是非、堺市文化館でこの絵を見てください。

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