さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 マントノン

2008年12月11日 | 海外旅行
このマントノンの城館は、マントノン夫人所有のお城です。

美しいお城には、女性にまつわるお話がつきものです。

フランス王家絶頂期に君臨し太陽王と称したルイ14世ですが、女性遍歴も大変なものでした。

めぼしいところを挙げていくと。

初恋の相手は、マザラン枢機卿の姪のマリー・マンキニ。マリー・テレーズとの政略結婚により、この恋は終わります。

政略結婚によりスペイン王フィリペ4世の娘のマリー・テレーズが王妃になります。王妃との間には子供も何人も生まれていますが、浮気も続いていきます。

弟フィリップの嫁のヘンリエット・アンヌ・ダングルテムルと不倫します。なお、フィリップは男色趣味でした。これは、皆にばれて終わります。

続いての相手は、ヘンリエット・アンヌの侍女のルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール。密会のカモフラージュに利用されたようですが、いつのまにか本気に。

名高い、アテネイ・ド・モンテスパン侯爵夫人。一時は、王の寵愛を一身に受けますが、衰えてきた愛情を取り戻すために、生きた赤ん坊を生贄にする黒ミサ事件を起こして、失脚。

マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ。17才で王の目に止まりますが、20才の若さで死亡します。この死因は、モンテスパン夫人による毒殺ともいわれています。

あまたの女性のリストの最後に登場し、最終的な勝者になったのが、マントノン・フランソワーズ・ドービニェでした。モンテスパン夫人の庶子達の教育係をしていましたが、モンテスパン夫人が愛人の地位から転落した後、王は、信仰深く教養のあるマントノン夫人を精神面での支えとして愛するようになります。ヴェルサイユ宮殿に大トリアノンの離宮を作り、二人で秘密裏に結婚しました。

長年の寵妃モンテスパン夫人と若く美しいフォンタンジュ嬢、この二人には美貌では太刀打ちできませんでしたが、年上であるけど精神的な支えになったマントノン夫人、誰が最終的勝者になったかを考えると面白いですね。

マントノン城館の内部には、この日は休館で入れませんでした。



庭の片隅には、水道橋があります。



増大し続けるヴェルサイユ宮殿の水の需要を賄うために、はるか西方80キロのウール川から水を引こうと水路が計画されましたが、結局、4.6kmをつくっただけで、未完成に終わりました。これは、その名残の水道橋です。

このような大規模工事が、国の財政を圧迫し、フランス革命へと導いていくことになります。
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