さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 ヒヴァ その2

2013年05月20日 | 海外旅行
ウzベキスタン観光のハイライトの一つであるヒヴァの観光スタートです。

まずは、観光客入場口の西門に向かいました。残念ながら雨が降り続き、傘をさしながらの歩きになりました。

城壁は高さ7~8mで、全長は2200mあります。この城壁は18世紀のイランナディール王の侵入まで街を守り続けました。イラン軍は、ヒヴァの街を征服し、城壁は一部破壊されました。



オタ・ダルヴァザ門(西門)に到着。

ヒヴァの街は、二重の城壁に囲まれており、内側の城壁内は、イチャン・カラ(内部の城)と呼ばれます。



オタ・ダルヴァザ門(西門)の脇には、アル・ホレズミ像が置かれています。アル・ホレズミは、ホレズム帝国で生まれた科学者で、幾何学の祖と尊ばれる数学者です。



イチャン・カラ(内部の城)の外の西門の向かいにも、ビカジョン・ビガ・メドレセがありましたが、奥の遺構が残るヒヴァでは観光の対象にはなっていません。



オタ・ダルヴァザ門(西門)の門の金具。かなり年期が入っています。



入場すると、まずカルタ・ミナルとムハンマド・アミン・ハン・メドレセが目に飛び込んできます。

ヒヴァは、17世紀から1920年のソ連併合まで、ホラズムとヒヴァ・ハン国の首都でした。イチャン・カラ(内部の城)内には、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットをはじめとする遺跡が残されており、「博物館都市」に指定されています。



カルタ・ミナルは、未完成の大ミナレットです。基底部の直径は14.2mあるので、完成した場合には70mから80mの高さになったようでうすが、26mで中断したままになっています。

未完成の理由としては、さまざまな伝説がありますが、建設を命じたムハンマド・アミン・ハンが1855年にペルシャとの戦いで死亡したためというのが本当の理由のようです。



カルタ・ミナルの表面は、青の彩色タイルで覆われています。彩色タイルは、層ごとにデザインが違っています。



入り口脇のムハンマド・アミン・ハン・メドレセは、1852年に完成した中央アジア最大規模のメドレセで、最盛期には99人の寄宿学生がいたといいます。



ムハンマド・アミン・ハン・メドレセは、現在では、ホテルになっています。



東西に延びるメインストリートを進みます。



左に曲がった先の広場の東には、ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセがあります。詩人としても知られるサイッド・ラヒムハン2世の命によって1876年に完成しました。



その向かいに、城壁で囲まれたキョフナ・アルクがあります。



17世紀に建てられた「古い宮殿」という意味のハンの宮殿です。



キョフナ・アルク内には、いろいろの施設がありますが、これは19世紀前半に建てられた夏のモスク。

建物の側面に屋根付きの空間が設けられています。この構造はアイヴァンと呼ばれ、くつろぎや謁見の場所として用いられました。



メッカの方向を示す窪みのミフラーブ。



ミフラーブの上に書かれているのは、コーランの一節でしょうか。



ミンバル(説教台)。青タイルで飾られています。



天井の装飾には、壁と違って、赤や黄の色も使われていました。



壁には、タイルで細かい模様が施されています。





奥の部屋は、資料室になっていました。



細かい彫刻が施された古い柱が展示されています。



キョフナ・アルク内には、造幣局も置かれていました。



この造幣局では、通常の金属製貨幣の他に、絹製のお金も作られていたようです。
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