旅順の市街地中心部に、旅順博物館があります。
旅順博物館は、日本の統治下において、1917年に関東都護府満蒙物産館として開設されたものです。建物は、ロシア将校倶楽部であったものを改築して使いました。
当時の博物館は、日本の植民地から持ち込まれた収蔵品を展示する日本版「大英博物館」のようなものであったといいます。特に、大谷コレクションとして知られるシルクロードの発掘品は、重要な収蔵品になっています。
日本の敗戦後は、旅順博物館と名前を変えて、中国内外から集めた収蔵品を有する東北地方を代表する博物館になっています。
入り口を入った先のホールです。
明代の阿弥陀仏が中央に飾られています。
この大鐘は、元の時代に、技術者を派遣して朝鮮で作られたもののようです。
中国の各種古銭も展示されていました。これはスプルー付きのもの。このようにして鋳造していたのですね。
銅鏡も多く展示されていました。これは唐代のもの。
仏像を中心にして、四天王の守護神が並んでいました。
四天王の持ち物から類推すると、以下のようになります。
これは、東方持国天
南方増長天
北方多聞天
西方広目天
羅漢像
清代の菩薩木彫立像
北斉代の仏三尊石彫像
隋代の菩薩石頭
古代インド王朝(8~12世紀)の仏教彫刻で、大谷コレクションの一つです。
清代の皇帝の指令書のようです。
陶器の部屋
大谷探検隊が新疆地方で発掘したミイラが特別室に展示してあります。
大谷探検隊は、20世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞が、中央アジアに派遣した学術探検隊です。18世紀から20世紀初頭にかけて、ヘディングをはじめとする英独露の探検家が、知られざる秘境の中央アジアのシルクロードの考古学的文物を発掘しては、海外に持ち出していました。
大谷探検隊の持ち帰った仏像、壁画、陶器、経典は、まとめて大谷コレクションと呼ばれています。現在、大谷コレクションは、この旅順博物館や、東京の国立博物館東洋館、北京図書館、韓国中央博物館などに分散してしまっています。
青銅器の展示室。昔はホールとして使われていたことが判ります。
階段も重厚な姿を見せています。
旅順博物館には別館もあり、こちらは閉館中でした。
旅順の街自体が、一般旅行者に解放されたのが最近であったため、この旅順博物館も展示のための整備がまだ完全ではないようです。
満洲の地でシルクロードの発掘品を見ることができるというのは、面白いことです。
旅順博物館は、日本の統治下において、1917年に関東都護府満蒙物産館として開設されたものです。建物は、ロシア将校倶楽部であったものを改築して使いました。
当時の博物館は、日本の植民地から持ち込まれた収蔵品を展示する日本版「大英博物館」のようなものであったといいます。特に、大谷コレクションとして知られるシルクロードの発掘品は、重要な収蔵品になっています。
日本の敗戦後は、旅順博物館と名前を変えて、中国内外から集めた収蔵品を有する東北地方を代表する博物館になっています。
入り口を入った先のホールです。
明代の阿弥陀仏が中央に飾られています。
この大鐘は、元の時代に、技術者を派遣して朝鮮で作られたもののようです。
中国の各種古銭も展示されていました。これはスプルー付きのもの。このようにして鋳造していたのですね。
銅鏡も多く展示されていました。これは唐代のもの。
仏像を中心にして、四天王の守護神が並んでいました。
四天王の持ち物から類推すると、以下のようになります。
これは、東方持国天
南方増長天
北方多聞天
西方広目天
羅漢像
清代の菩薩木彫立像
北斉代の仏三尊石彫像
隋代の菩薩石頭
古代インド王朝(8~12世紀)の仏教彫刻で、大谷コレクションの一つです。
清代の皇帝の指令書のようです。
陶器の部屋
大谷探検隊が新疆地方で発掘したミイラが特別室に展示してあります。
大谷探検隊は、20世紀初頭に日本の浄土真宗本願寺派第22代法主・大谷光瑞が、中央アジアに派遣した学術探検隊です。18世紀から20世紀初頭にかけて、ヘディングをはじめとする英独露の探検家が、知られざる秘境の中央アジアのシルクロードの考古学的文物を発掘しては、海外に持ち出していました。
大谷探検隊の持ち帰った仏像、壁画、陶器、経典は、まとめて大谷コレクションと呼ばれています。現在、大谷コレクションは、この旅順博物館や、東京の国立博物館東洋館、北京図書館、韓国中央博物館などに分散してしまっています。
青銅器の展示室。昔はホールとして使われていたことが判ります。
階段も重厚な姿を見せています。
旅順博物館には別館もあり、こちらは閉館中でした。
旅順の街自体が、一般旅行者に解放されたのが最近であったため、この旅順博物館も展示のための整備がまだ完全ではないようです。
満洲の地でシルクロードの発掘品を見ることができるというのは、面白いことです。