グラシア通りには、ガウディ以外の手によるモデルニスモ建築の傑作が並んでいます。カサ・バトリョの近くには、このカサ・リュオ・モレラがあります。
1864年に建てられたものをモンタネールが改築し、スペイン内戦でダメージを受けたものを1980年にオスカル・トゥスケが改築しました。
曲線を用いたバルコニーが特徴的です。
カサ・バトリョの隣にあるカサ・アマトリューもモデルニスモ建築の代表作です。
カサ・アマトリューは、チョコレート職人のアマトリューがカダファルクに建築を依頼したものです。カサ・バトリョのオーナーは、この建物に負けないものをということで、ガウディに建築を依頼したといいます。
フランダース風の三角屋根と浅彫の彫刻を施した壁面がユニークです。
バルセロナ見学の最後には、ゴシック地区を訪れることにしました。グラシア通りを下っていくと、カタルーニャ広場に出ました。
その先は、歩行者専用のランブラス通りになります。
通りは大賑わいでした。
ランブラス通りから横道にそれて、カタルーニャ音楽堂を訪れました。
カタルーニャ音楽堂は、20世紀初頭ガウディ以上に名声を博していた天才建築家ドメネク・イ・モンタネールの最高傑作です。
現在もコンサートホールとして使用されています。内部の見学はガイドツアーのみなので、時間の関係で入場はできませんでした。
正面はモザイクタイルや彫刻で飾られています。ただ、建物前の通りが狭いので、上の方が見にくい状態なのは残念でした。
切符売り場の窓口のようですが、美しく飾られています。
バルコニーの柱も一本ずつ違った装飾が施されていました。
カタルーニャの紋章ですね。
ゴシック地区に戻り、「クアトロ・ガッツ(四匹の猫)」と呼ばれるカフェをのぞいてみました。このカフェは、ピカソをはじめとするバルセロナの芸術家や知識人が集まって、モデルニスモ運動の中心地になりました。カフェは、モデルニスモ運動が下火になると一旦は閉店になりましたが、内装は当時のままに再オープンしています。
看板には、四匹の黒猫が飾られていました。
1864年に建てられたものをモンタネールが改築し、スペイン内戦でダメージを受けたものを1980年にオスカル・トゥスケが改築しました。
曲線を用いたバルコニーが特徴的です。
カサ・バトリョの隣にあるカサ・アマトリューもモデルニスモ建築の代表作です。
カサ・アマトリューは、チョコレート職人のアマトリューがカダファルクに建築を依頼したものです。カサ・バトリョのオーナーは、この建物に負けないものをということで、ガウディに建築を依頼したといいます。
フランダース風の三角屋根と浅彫の彫刻を施した壁面がユニークです。
バルセロナ見学の最後には、ゴシック地区を訪れることにしました。グラシア通りを下っていくと、カタルーニャ広場に出ました。
その先は、歩行者専用のランブラス通りになります。
通りは大賑わいでした。
ランブラス通りから横道にそれて、カタルーニャ音楽堂を訪れました。
カタルーニャ音楽堂は、20世紀初頭ガウディ以上に名声を博していた天才建築家ドメネク・イ・モンタネールの最高傑作です。
現在もコンサートホールとして使用されています。内部の見学はガイドツアーのみなので、時間の関係で入場はできませんでした。
正面はモザイクタイルや彫刻で飾られています。ただ、建物前の通りが狭いので、上の方が見にくい状態なのは残念でした。
切符売り場の窓口のようですが、美しく飾られています。
バルコニーの柱も一本ずつ違った装飾が施されていました。
カタルーニャの紋章ですね。
ゴシック地区に戻り、「クアトロ・ガッツ(四匹の猫)」と呼ばれるカフェをのぞいてみました。このカフェは、ピカソをはじめとするバルセロナの芸術家や知識人が集まって、モデルニスモ運動の中心地になりました。カフェは、モデルニスモ運動が下火になると一旦は閉店になりましたが、内装は当時のままに再オープンしています。
看板には、四匹の黒猫が飾られていました。