本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

おおつもごり(大晦日)

2019-12-31 20:36:45 | 住職の活動日記

晦日(みそか)の

「晦」という字は「くらい」と

いう意味があります。

明に対して、くらいという意

月が光り始める一日に対して

光が尽きることから、月の終わり

みそかという意味です。

その12月の一番終わりの日

おおみそか、

おおつもごり(大月尽)と

いうことのようです。

 

年が終わり、新しい年が始まる

ここに大きな意味があるようです

人間から仏へ

煩悩が終わるところ

それは仏が始まるところ

そういう転換点があります

ただ、

そのまま行くわけではありません

仏教では「天」という世界

天はまだ迷いの世界ですが

仏が始まるという

そういう意味も孕んでいる所です

 

私たちは

「忘年会」ということを

年末には行いますが

嫌なこと悲しい事、辛い事を

単に忘れてしまうのではなく

そこには

今までの一年を見直してくる

という側面があります

世界の地域によっては「恨み」

ということをずっと根に持つ

こともあるようですが

ただ、忘れてしまうということも

どういうものかと思いますが

 

お釈迦さまは

「恨みは恨むことによって

 解決しない」

とも言っておられます

恨むから恨み返すのではなく

恨まれることの理解

そういう人たちに対する

人間理解が大切だと思うのです

やられたからやり返すのではなく

やられたことへの人々への

理解ということが

恨みということを解決する

方法ではないかと思います

 

今年一年のことを

忘れてしまうのではなく

一年を見直すことによって

新たな出発が出来ると思います

 

「今日ごとに 今日やかぎりと

  惜しめども

 またも今年に逢ひにけるかな」

(毎年、大晦日の今日が

 めぐってくるたびに、

 今年の今日が最後の大晦日かと

 惜しんできたけれども

 またしても今年の大晦日に

 逢えたことよ)

という

藤原俊成の歌があります

俊成88歳の時の歌です

 

この歌を評して

「いたく老いたる人の心、

まことにこの歌のごとくなるべく

思ひやられて哀れなり」

と、本居信長はいっています。

 

今の世の中、

テレビやマスコミの影響でしょう

未来はとても明るく

希望に満ちて輝かしいものと

歌い上げているようですが

古典の世界では、

年の暮れは、悔恨と共にあるよう

です

だからこそ人は祈らずには

おれなかったのでしょう

新しき年が良き年であるように、

 

大晦日、

今年が終わり

新しい令和2年を迎える

今年という年、

やり直すことはできませんが

見直すことはできるとおもいます

見直すことによって

新しい年を迎え

更なる出発が出来るのでは

ないかと思います。

 

よみがえる(蘇る)という言葉

生きかえるという意味ですが

死して生まれる

ということもあります

「武士道とは

 死ぬことと見つけたり」

という葉隠れの言葉もあります

「往生」ということも

そういう意味があるようにも

おもうのですが、

 

そういうことを思いつつ

新たな年を迎えたいものです。

 

どうぞ良き新年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お正月のお花

2019-12-30 14:16:50 | フラワー

お不動さまが終わり

夕刻のフライト、

夕日が金峰山に沈む

美しい夕日を見ながら

熊本を後にしました。

 

家に帰ってくると、

27日に

今年最後のフラワーアレンジ教室

があったようで

お題は「お正月の花」

玄関に美しく活けられていました

 

 

松に千両に菊、デンファレに

まだつぼみのユリもあり

末広がりの扇とかもあると

お正月の雰囲気を出しています

 

 

「年年歳歳花相似たり」

という言葉もありますが

同じように気持ちとしては

いつもと変わらないのですが

孫たちがやって来て

その成長を見ると

それなりに年を重ねていくのを

実感します

 

 

この横に立っているお飾りは

百均で求めたもので

鯛やら迎春の文字が

それなりの様子を漂わせます

外には

 

 

お手製の門松が活けられました

「門松や 冥土の旅の一里塚

  めでたくもあり 

   目出度くもなし」

という一休さんの歌があります

若い頃はさほど身に染みて

感じなかったのですが

なるほど、

とてもうまく言いあてている

ようです

お正月を迎えるたび

一歩ずつ、冥土へと近づいている

あと何回門松を立てられるのか

そう思うと感慨深いものがあり

 

 

縁起物の達磨さんさえ

「何を呑気にと!」

とも思えてきます。

 

昨夜、一人の孫が

「たかい、たかいして」

とやってきました

大きくなり持ちあがるかと

抱上げると

やはり大きくなったものです

「きのうね、

だっこしてもらった

おにいちゃんにあって

とてもうれしかった!」

話しかけています。

 

一生懸命聞いていると

以前住んでいたアパートの方と

偶然にも、ララポートで

出会ったという事です。

その事がとても嬉しかったようで

誰かに話ししたかったのでしょう

 

孫たちの姿を見ていると

それぞれに無限の可能性を

持っている

と同時に

煩悩を持って生まれてきた身でも

あるということです

仲良く遊んでいるかと思えば

突然ケンカが始まったり

それぞれの我が出てきます

個性が光るという事もありますが

光が火花を散らす

ということもあります。

 

それぞれのパーソナリティーが

光り輝ける世界を見つけてくれる

ことが何よりの願いです。

これから

だんだんと難しくなっていく世界

です。

そのような中で持てるものを

最大限に発揮できる

世界を見いだして

自分の伸びしろを伸ばして欲しい

と思います。

 

生け花のように

それぞれの花が他と競うことなく

お互いがお互いを引き立てあう

そのような調和の世界が

生まれたらいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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除夜の鐘をつく

2019-12-29 11:03:43 | 漢字

京都新聞にも「除夜の鐘情報」

のお知らせが載っています。

 

 

各お寺ではその時間や参拝方法が

掲載されています

そこで気になったのですが、

 

 

当院の本山「醍醐寺」も除夜の鐘が

あるようで、記事を見たら

「突く」と書いてあります。

鐘をつくの「つく」は「撞く」では

ないのかな?と思って

他の寺院を見ても

 

 

全部、「突く」の字になっています

今はこう書くのかもしれません。

 

気になり『漢和辞典』を見ると

突く、という字は

「穴」と「犬」から出来たもので

穴の中から犬が飛び出してきた

というのが元の意味のようです。

そこから、

つきだす。つきあたる。

という意味が出てきました。

「突出」とか「突如」「突風」

という漢字があります。

 

突という読み方の字は

「突」・「舂」(ショウ)・「衝」

「撞」(ドウ)があります。

突は、思いがけない所につきでる

「突入」という字があり、

舂は、うづくと読み、

臼で米をつく「舂碓」(ショウタイ)

春と似ていますが別字で

なかが臼になっています。

衝は、つきあたる「衝突」。

撞は、棒の先で一つ突くこと、

とあり、

「撞球」ビリヤードという熟語が

あるようです。

 

今までは、

鐘をつくといえば

「撞く」という字を書いたように

思うのですが、

新聞にもあるように

どちらでもOKなのでしょう。

 

暮れの忙しい時に、

妙なことが気になって

すいません!!

 

 

 

 

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本蔵院・納めの不動

2019-12-28 10:23:54 | 住職の活動日記

孫と共にご先祖さまの

お墓参り

一年間無事に過ごせたことと

孫たちのこれからの成長を願い

それぞれに光る個性が

素直に伸びてくれることを

ご報告かねて祈りました。

 

 

ふと下に目をやると

どなたかが植えたのでしょう

もみじの小さい葉が

赤く色づいています。

 

本蔵院も最後のお不動様と

年越しの除夜の鐘の準備と

行事が続きます

 

 

門松も整えられ

来年へかけての抱負も込めて

 

 

「人間志をたてるに

 遅すぎるという事はない」

と今月のことばが上がっています

また、時ならず

 

 

つつじの花が一輪二輪と

開花しています

でも今日の冷え込みに

驚いていることでしょう

 

 

その横では来年開くぞ!と

梅の花がもう蕾を膨らませて

いるようです

 

 

いよいよ、今年最後のお護摩です

心静かにお護摩を修したいと思います

 

 

年末は菩提樹苑で除夜の鐘が

撞かれます

 

 

以上のような時間で行われます

参加は自由です

今年一年の感謝と

来年も更に良き年でありますよう

願いを込めて

「洗心一打」

撞かれるのも心あらたまるのでは

ないでしょうか。

 

令和元年が終わり

令和2年が始まる

ただ時が過ぎゆくのではなく

令和元年という年を振り返り

令和2年という年に立って

見直してみる。

人間妙なもので、

卒業してみて初めて

もっとやっておけばよかったと

思うものです

もう少し英語を

やっておけばよかった

国語ももっといろんな本を

読んでおけばよかったのに

と思うものです

卒業して初めてわかる事です

 

そうやって見直してみて

また、初めて出発できると

思います

出発点を見つけることが大事で

ただ、だらだらと時間は流れていく

というものではなく

歳年に区切りをつけ

更なる出発を願うということが

年の区切りではないかと

思うのです。

 

 

お大師様も見守って頂いて

護摩の修法に向かいたいと

思います。

 

 

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飛びはじ

2019-12-27 20:39:15 | 住職の活動日記

最近「飛びはじ」という言葉を

目にします

飛ぶのが恥だという

つまり、飛行機は二酸化炭素の

が一番多く、

CO2の排出を抑えるために

移動は汽車にしようという

運動です

とくにヨーロッパで盛んに

唱えられています

ということを知りつつも

やはり速くて安いということも

あって

もっぱら利用するのですが

その中でも

いつも乗る飛行機はプロペラ

 

 

DHC8-Q400という機体です

この飛行機は結構省エネで

今はなくなりましたが

ジャンボジェットが

滑走路に出る間の燃料で

この飛行機でしたら

熊本まで行ってしまう

ということです。

 

 

こちらを出るころは小雨

しかし雲を抜けると

上空は真っ青な晴天

 

 

箱庭の上を飛ぶかのように

手に取るように景色が

楽しめます

 

 

四国と本州を結ぶ橋も見えます

景色を楽しみながら、ふと

ANAの月刊誌に目をやると

 

 

ガス給湯器の省エネの記事

「エコジョウズ」という機種は

省エネが95%まで出来るという

ことが書いてあります

 

 

という内に機体は、はや九州へ

多分国東半島でしょう

 

 

大分空港が見えてきます

予報通り熊本は曇り

 

 

いよいよ雲のなかへ突入

さほど揺れることもなく

雲が切れてくると

 

 

金峰山が見えてきます

ここから左へ旋回

熊本市内へと入っていきます

 

 

修復中の熊本城を右手に見ながら

着陸態勢へと

 

こうやって見る美しい地球の

箱庭のような姿、

二酸化炭素の排出量で

地球は温暖化へと向かって

います

その会議でもこれはフェイクだと

その会議を脱退した国も

ありますが

思えば、

人間という素晴らしい生き物が

地球上に出現し

いろいろな面で発達もしましたが

また反面、

その地球を破壊しているのも

人間です

このままいけば

人間という生き物は滅亡する

かもしれません

 

長い地球の歴史から見れば

ほんの一瞬出来事かもしれません

しかし、

人間が地球上に生まれたという

ことは何を残したのでしょう

色々あるかもしれませんが

精神的には「自覚」ということが

大きな発見のように思います

たくさんの生物が生まれましたが

そのなかで自覚を持った存在は

人間だけではないでしょうか

 

だからこそ

人間は謙虚になれると思うのです

自分が一番というのではなく

自分自身の罪というか悪という

そういう自覚に立ったとき

あらゆるものに対して

思いやりと愛が生まれると

思うのです。

 

間近に見える景色であればこそ

その美しさと共に

この美しさがいつまでも

続くようにと願いながら

人間という生き物のことを

考えたいました。

 

 

 

 

 

 

 

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ポールウォーキングの効果

2019-12-26 20:41:57 | 住職の活動日記

以前、ポールウォーキングの

講習を1回受けて

そのあと、

次々に講習があったのですが

時間が合わず

ポールもそのままになっていて

押入れの片隅に眠っていました

ふと思い出して

使ってみようと、引っ張り出し

たのです

また、

なんだかこれを持って歩くのも

仰々しくて、人の多い所では

恥ずかしさもあって、

ということもあったのです。

 

 

こういう2本のポールを持って

歩く、

杖替わりではないのですよ、

さいわい夕方人もいなくて

 

 

いざ夕日に向かって歩き出します

歩き出すと体の温まり方が早くて

腕を振るという事は

肩回りから動くという事でしょう

なんだかすっきりしてきます

 

 

夕日に映えるタンポポなぞ

楽しみながら

何時ものコースを歩きます

ポールを持っているといことは

姿勢もよくなります

そしてリズムも付きます

 

当たり前に歩いているつもりが

人間、結構癖があるもので

どちらかに傾いたり

猫背になったりと

自然に身に付いた自分なりの

歩き方をしているものです

 

お釈迦さまは行住坐臥の作法で

歩き方も注意されていて

一点に目を集中して

キョロキョロして歩かない

というように決められていました

 

 

折り返すころには

夕日もまぶしくなり

桜の木も美しく染まっています

この風景も

反対側から見ると

 

 

美しいシルエットになります

往復40分の距離ですが

普通に歩くのと

ポールを持って歩くのでは

汗の出方も違うようです

これは全身運動になるのでは

と思います。

 

その夜は肩回りが楽になった

ような、血が巡りだしたような

不思議な感覚でした。

 

歩くといえば

この方を思い出しました

 

 

日本を隅から隅まで歩いて

世界が驚くような日本地図を完成

させた方です

お住まいが東京の深川とか木場の

あたりで生活されていた

ということで

木場にある富岡八幡宮に

伊能忠敬の像があるのです

この方はポール2本ではなく

手には測量の道具を持って

歩かれたようですね。

 

ポールウォーキング

やってみると

とてもいいような気がします。

 

 

 

 

 

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大根ツリー

2019-12-25 20:07:57 | 住職の活動日記

冬の風物詩

八幡の「円徳寺」では銀杏の木に

大根が干されています

 

境内の周りは美しい竹垣で

 

 

囲ってあります

門の入り口には

 

 

達磨堂円福寺の石碑が立っています

山の間を切り開いたような

切通しを

 

 

抜けると

道は下り坂になり

 

 

境内が見えてきます

美しく掃き清められたお寺です

 

 

石碑には

「創開施雄峰圓福江湖道場」

と書いてあります

このお寺を開創された

斯経慧梁(しきょうえりょう)禅師

の願いが込められたものです

 

 

立派な門があります

しかし、拝観お断りの表示

山門にも「江湖道場」の

 

 

額が掲げられています

 

境内に大きな一本のイチョウの木

が目に飛び込んできます

 

 

修行僧の方が行脚して集められた

1500本ほどの大根が

吊り下げられています

 

 

まあ見事です

今日はいい天気

明日は雨の予報

こうやって日に照らされ

寒風にさらされて

後は糠につけられ美味しい

たくわんになるのでしょう

 

 

先日、修行僧の方々によって

干されたようです

 

 

こうやって間近に見る大根さん

よく見ると丁寧に結ばれています

 

ここのお寺今でも

厳しい修行道場で拝観謝絶

ひたすら禅に励まれています

 

天明2年(1782)といいますと

天明の飢饉があった年

斯経禅師が60歳の時に

悲願であった「江湖道場」の

建立が機が熟し、

天明4年には達磨堂が完成

しかし、天明6年には

66歳で遷化されます。

 

京都にあった僧堂を京叢林、

地方の専門道場を江湖(こうご)

叢林と呼んでいました

この呼び方は唐代にまで遡り

江は揚子江、江西省

湖は洞庭湖、湖南省

からのようで禅が盛んであった

地域ということです

そこから集まって修行する場を

「江湖道場」といったようです

 

叢林ということは

林の中に木々が幹が曲がったり

不必要な枝が伸びないように

密生して、

ただ天に向かって伸びていく

そこから切磋琢磨して修行する

そういう場を叢林といいます

 

斯経禅師は

仏法久住のためには

宗派や法脈にかかわらない道場

が必要ということを

常々考えておられたという事です

その考えに賛同され

南山焼の祖といわれる

浅井周斎が三万坪の土地を寄進

されています

この地は大阪と京都の県境

洞ヶ峠(ほらがとうげ)

明智光秀の謀反のあと

この地も戦場になったところ

でも、普段は

世間の喧騒から隔離された場所

修行道場にはもってこいの所

ではないでしょうか。

 

余談ですが

浅井周斎という方

大阪で鉄を扱う商人として

財を成されましたが

晩年は家業を捨て

日々法華経を唱え修行し

その他茶の湯、詩吟にも通じ

特に没頭したのが作陶活動で

その器の底に「無」の字を刻し

これが南山焼といわれた

ということです

その財は貧しい人の救済に当てら

この圓福寺の建立に使われ

亡くなられた時の所持金は

800文にも満たなかった

というとこです。

 

この事に感動されたのでしょう

現在の本堂と庫裏は

京セラの稲森さんの寄進によって

完成したということです。

 

 

 

 

 

 

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アーキビスト

2019-12-24 20:33:53 | 漢字

またぞろ、

新しい言葉に出会いました。

横文字ですが言葉にということで

漢字のくくりにします。

 

「アーキビスト」

初めて聞く言葉

どんなスペルなのか調べると

ARCHIVIST、となります

関連する言葉で

ARCHIVESがあります

アーカイブスということです

公文書とか記録保管所

という意味になります

NHKアーカイブスということは

よく耳にします。

 

ところが、

ネットでARCHIVESと検索すると

これまた読み方が違って

「アルシーブ」という

ファッション関係のブランドが

出てきます。

たぶんフランス語の読みでしょう。

 

アーカイブスもアーキビストも

同じスペルです

ですから意味もほぼ同じ

読み方が違うようです。

 

「アーキビスト」というのは

公文書管理の専門職という

意味になります

日本ではなじみが薄いのですが

外国では社会的地位も確立し

専門教育も行われているようです

 

こういう問題が出て来たのも

あまりにも、

政府の文書が改ざんされたり

廃棄されるということが

起こったからでしょう

公文書管理法では

「健全な民主主義の根幹を支える

 国民共有の知的資源」

と位置付けています。

 

言われてみれば確かに

自分に都合が悪いからといって

黒塗りにして提出したり

改ざんしたり廃棄する

というのはどう見ても

おかしいようです。

 

私事ですが

当院に帰ってからまず事務日誌を

書き始めました

最初は手書きでしたが

今ではパソコンに入力し

それを印字して保存しています

それは一つの財産です。

日々の出来事、天気

お参りいったところ、お布施の額

そういうものを記録しています

それがお寺を支える基本的価値

になります。

それがあって、

収支計算書が作られ貸借対照表が

作られていくということです

そいうことがないとお寺の運営は

出来ないように思います。

 

秦の始皇帝の時代

「焚書坑儒」という事件が

ありました

実用的な書物は残して

心の支えとなる精神的な書物は

すべて焼き捨てた

その上数百人の儒者を捕らえて

坑(あな)に埋めて殺した

ということです

今ではそこまではないにしても

都合の悪いものは廃棄、抹消

してしまうというのは

恐ろしいものを感じます。

 

そういうこともあってでしょうか

国立公文書館は

アーキビストの認証制度を

作ったということです

その基本姿勢に

「常に公平、中立を守り、

 証拠を操作して事実を隠蔽、

 歪曲するような圧力には 

 屈しない」

ということを明記したそうです。

 

そういうことまで

書かないといけないということは

いかに人のレベルが下がってきた

ということではないでしょうか

 

子供みたいな話と

笑われるかもしれませんが

ちょっとまえまでは

悪いことをしたら閻魔様に

舌を抜かれるとか

地獄に堕ちて苦しい罰を受ける

とうことが心の中に

善悪に対するボーダーライン

のような越えてはいけない一線

というものを

持っていたように思います。

 

人間の心の怖さは

悪いことをした

都合が悪いから消してしまえ

たとえ消去したとしても

悪いことをして

それを隠すために消去した

ということまで

人間の心は貯金していくのです

仏教的には

その蓄えられていく場所を

阿頼耶識(あらやしき)と

いったのです。

 

それを物語的に表現すると

私たちは生まれると同時に

両肩に共生神という方が乗っかり

私たちがする事をすべて記録して

私たちが死ぬとその記録した

帳面を閻魔様に差し出すと

そういうことが書いてあります

 

一つの嘘を隠すために

次々嘘をついて

ついには嘘八百になってしまった

ということがありますので

くれぐれも

私たちのアーカイブスには

嘘の記録だけは保管しないように

しなければいけないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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修行は円を描くように!

2019-12-23 21:06:02 | 住職の活動日記

普通は修行というと階段を

上がっていくように

一つクリアしたら次へ

そしてそれが出来たらまた次へと

順々に上がっていくと

ステップアップしていくのです。

 

ところが

仏教における修行はそうではなく

円を描くように

完成したところから

またはじめを見直していく

そうやって進んでいくように

思います。

 

私たちも加行という行をやる時

まず最初に「礼拝加行」といって

仏に対して五体投地する

ことから始まります

朝から晩までひたすら五体投地

仏の前へ身を投げ出す

ということです

やっとそれが慣れた頃、

それにプラスするように

十八の印を結ぶ「十八道」という

行が始まります

加行というくらいですから

次々加わっていく

とことでしょうか

その「十八道」が身に付くと

それに今度は「金剛界」の作法

が加わってきます

礼拝+十八道+金剛界と

それが完成されると

それの護摩が加わり

最後に胎蔵界が加わってきます

寝る間がないじゃないかと

というくらいハードになって

くるのです。

 

大学生の頃

安田先生の『十地経講義』を

聞き始めました

その時はちょうど「第七地」です

何も分からないまま

七の次は八、八の次は九と

十地まで行ったら

次は何をやるのだろうと

隣の方に聞いたら

「ずっと七地ですよ!」

と、その時は

何か不思議な気がしていたのです

ところが

 

今読んでいる所は

ちょうど、七地から八地へ移った

ところなのですが

その八地から再び

初歓喜地の最初の話が

出てたのです

八地という立場に立って

初地を見直していく

 

えっ!また元に戻っている

と思われるかもしれませんが

そうではなく

なにか、

ドリルで穴をあけるように

深まっていく感じがするのです

 

そういえば、

東海道五十三次の話は

題材は仏教の物語で

善財童子(ぜんざいどうじ)が

仏道を求めて修行の旅に出る

最初の師匠から次々と

名立たる師を訪ねて行く

その度ごとに教えを乞い

自分を明らかにしていく

そして最後にたどり着いた師が

最初の師であった、

という物語です。

 

また、仏道修行は

到達点からの出発とも言います

というのは

修行に入る前には

仏の心を頂いているのです

汚れた心のままでは

修行はできません

仏の心を頂いたから

その感動を初歓喜地といいます

その感動の心で修行する

 

「初発心時すでに正覚を成ず」

という言葉があります

志を起こした時

その心には仏が来ているのだと

このことは

行に向かうという

若い修行者の顔をみれば

その凛とした顔に驚きます

 

仏の心を頂かなかったら

修行なんてできるものでは

ありません

そこから、

第二番目は「離垢地」

垢を離れる

つまり煩悩を離れる

六波羅蜜でいえば戒波羅蜜です

煩悩を離れるといっても

その実践は戒律を守る

ということです

 

今読んでいる所は八地ですが

そこから初歓喜地、離垢地と

再び見直していく

そういう進み方が仏道を学ぶ

やり方なのです

直線的ではなく

円を描くように完成した所から

また最初を見直していく

そうやって進んでいく

 

こういう修行のやり方は

独特なものかもしれません

しかし、

体操とかスポーツの選手を

見ていても、

常に基本に戻りそこから始める

ということは何か似ているような

気もするのです。

 

何かそういうところに

一直線に行ってしまうのではなく

行ったところからまた最初を

見直していく

そうすると

自分が持っている問題が

さらに深まっていくように

思うのです。

 

なんだか進まないようですが

でも、行きつ戻りつ

結構面白いものですよ!!

 

 

 

 

 

 

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諸行無常的生き方

2019-12-22 20:14:31 | 住職の活動日記

仏教とは何かと問われたとき

その旗印て掲げる「四法印」と

いうものがあります

その第一番目が「諸行無常」と

いうことです

『平家物語』のくだりで

「祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり」

という一文が有名で

諸行無常ということは

誰でも知っています

そして、

すべてのものは常に変化し

ひと時として同じ

ということはないということを

知っています

 

それなのに

お釈迦さまは誰でも知っている

「諸行無常」ということを

仏教の旗印にされたのでしょう。

 

というのは

私たちは何となく分かっている

ようで本当は分かっていない

そこのところを押さえられた

のでしょう。

 

私たちはずっとこのままで

若いままでいたいと願っています

願うだけならいいのですが

願ったようにあると

錯覚してしまいがちです。

 

その証拠にアンチエイジングに

励みます

いつまでも若々しくありたいと

けれども事実は

確実に一歩一歩おいに向かって

いるのです

 

若い頃、童顔の私は

何とか渋い顔になりたいと

思っていたのです

30過ぎても未成年に

間違えられたり

何かと一人前の大人として

扱ってもらえないような

苦々しい思いをしていました

ところがです

年と共にそれなりに渋くなるのか

と、期待していましたが

渋さを通り越して

一気に皺くちゃの爺様に

なってしまいました。

 

しかし、不思議なもので

年賀状を書いていて

その方のお顔を思い浮かんで

くるのですが

中にはもう40年余りお会いせずに

いる方もいらっしゃいます、

頭の中の顔は若い時のままです

ふと、お会いしてみようかと

思ったりもするのですが

たぶんお会いしたとしても

お互い昔のままの姿しか

頭の中にはないと思います

ということは、

記憶の中にある若い時の姿のまま

その方がいいのかもしれないと

思い直しています。

 

師匠の生き方を思い出すのですが

私の兄によく言っていました

「人間の身体は精密機械

 大事に使えば長持ちする

 酒は控えめにしなさい」

と諭すように言ってたことを

思い出します

若い頃から酒での逸話も

よく知っていて、兄の生き方が

とても気になっていたのでしょう

若い自分は勢いの任せ

まあ、明日があるさ!と

そのような考えでした。

 

また師匠の生き方を見ていると

部屋の片づけにしても

夜中に起きて真っ暗い中でも

何がどこにあるということは

頭の中に入っていたそうです

本棚にしてもどの本は

右から何番目と

そういうことも覚えておられ

寝るときは、

明日は眼が覚めないかもしれない

そういう気持ちで床に就いた

ということを聞いていました

天涯孤独で生きてこられた師匠には

明日はないという生き方

今を精一杯尽くして生きる

そのような生き方だったと思います

 

まあ、明日がるさと!

未来に向かって歩めばいい

というのですが

前だけ向いて「今がない」

明日明日といって今という

この一瞬がない生き方

 

本当に諸行が無常である

ということを知ったならば

明日があるということは

言えないはずです

それこそ

明日は何が起こるか分からない

だからこそ

このひと時に前生命をかけて

生きるという生き方

そういう時に

無限に流れる時間の中で

今という一瞬をつかみ取る

「永遠の今」エターナルナウ

ともいいますが

時間は無限である

私たちはその有限な

限りある命を生きている

であればこそ

一瞬一瞬、一所懸命に

生きるということが

「諸行無常」的な生き方では

ないかと思うのです。

 

今日から大掃除を始めました

するとそこに「蜘蛛」がいる

 

 

死んでるのかなと思ったら

ゆっくりと長い手足を動かす

なんと、生きている

この寒空、餌になる虫たちは

もういないのでしょう

動く元気もないのかもしれない

そっと取って庭木の中に

放して見ました

ゆっくりと葉の裏に入って

いきましたが

夜になって

外は雨が降り出しました

死んでしまうかもしれません

しかし、

彼は彼なりに一生懸命に

命のかぎりを生きたのでしょう

「諸行無常」を生き抜いて

いったのです。

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