本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

主体性の確立

2023-06-19 21:37:27 | 十地経

菩提ということは

ボーディという言葉の音写で

訳すと、道とか、覚という

ように訳されます

菩薩ということも

菩提薩埵ボダイサッタを

略した言葉です

『十地経』の中心テーマが

菩提心ということです

安田先生のこの講義でも

常に繰り返し出てきます

 

大乗経典に出てくる言葉で

阿耨多羅三藐三菩提

アノクタラサンミャクサンボダイ

無上正等正覚と訳されます

必ずといっていいほど

お経の最後にはこの言葉が

出てきます

 

菩提ということも

「道」と訳すことが好きです

なにか、さとりという

固定したものではなく

道程にあるといいうことが

さとりということで

道を歩んでいるという

一つの方向をもって

そのこと自体がさとり

ということなのだと

 

それで講義の続きですが

 

「方向というとつまり、

その、現前の境遇ね、

状況に迷わされん。

それがないというと、

一喜一憂せんならんでしょ。

 

失敗したら悲観する、

成功したら有頂天になる、

そういうわけで

一喜一憂しとるわね。

だから

成功してもそこに安心すれば

それは失敗したことになるし

失敗してもそれを転機として

そこに道に帰ってくれば、

大成功です。

 

失敗だの成功だの、

決まったものはありはせん。

だからそれがですね、

失敗も成功も併せて呑むって

ようなものが大道ですわね。

そうするとそこで

勇敢に迷えるんだ。

 

迷うまい迷うまいなどと

いうことでは、

迷うまいと思うなら

初めから止めとくに限るわ。

必ず迷うけど、

同時にまた迷いを転ずると。

 

迷うのも悟るのも

一つの道の導きなんだ。

自分を大道に預けると。

そういうところに何か

人間がですね、

一喜一憂せんような方向が

できるわけです。

自分を失わんという。

 

教育という場合は

いかなる場合でも

自分を忘れぬということが

教育の原則です。

主体性を確立するという

ことだ。

自己を見失わんという。

 

人間が一番恐ろしいのは

自己を見失うことです。

失敗に悲観して自己を見失い

成功に有頂天になって

自己を見失っとるでしょう。

いつでも自分をもっとると。

 

水火というものを拒まず

水火を超えて行くんだ。

恐れるんではない。

何かそれを冷静に受け取る。

しかしながら

それによって動かされんと。

こういうような、

そういう方向がなんか

与えられてくるという

意味があるんですね。

 

人間に方向が、

無方向に動いているような

人間に一つの方向が

定まるということになって

くるんだ。

そんな話があるんです。

そんな話の方が

どんな教学よりもいい、

何か感動するじゃないか。

根元的なものを思い起こす

ではないかね。

理論体系よりも。」

 

というように続いてきます。

何かしら感動する一文です。

何回読んでも

読むたびに思い起こさせて

くれるような言葉です。

 

 

 

 

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1 コメント

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Unknown (tama)
2023-06-20 21:15:13
感動しました。ありがとうございます。

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