本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

経典に出てくる数の単位

2018-07-31 21:10:30 | 十地経

お経の中にはよく喩として

数が出てきます。

弘法大師の書かれたものの中に

虱(しらみ)のまつ毛にいる虫

という喩で小さいものの大きさを

表しています。

また、大きいものでは

恒河沙(ごうがしゃ)という

ガンジス川の砂の数

という単位です。

時の長さでは「劫」(こう)

というものがあります

4里四方の立方体の石に

百年に一度天女が舞い降りて

踊りを舞い、その薄い絹で擦れて

その石が無くなってしまったのを

1劫という時の長さです。

 

『十地経』も七地も終りに

さしかかり経典の最後には

たくさんの数の単位が出てきます。

 

「精進の力を以ての故に

 一念の間に於いて、

 百千億那由他の三昧を得、

 百千億那由他の仏を見、

 百千億那由他の仏の神力を知り

 能く百千億那由他仏の世界を

 動かし、

 能く百千億那由他の仏の世界に

 入り、

 能く百千億那由他の仏の世界を

 照らし、

 能く百千億那由他の仏の世界を

 衆生を化し、

 能く壽百千億那由他の劫に住して

 能く過去未来世各百千億那由他の

 劫の事を知り、

 能く善く百千億那由他の法門に

 入り、

 能く身を変じて百千億那由他の

 身と為し、

 一一の身に於いて能く

 百千億那由他の菩薩を示して

 以て眷属と為す」

 

と続くのですが、

百千億那由他という数字の

単位が続くのです。

経典を読むたび思うのですが

こうも面倒な長い数の単位が

繰り返し続くのかと、

一つにはインドの人は暗記に

よるので繰り返しということが

リズムになってくるのでしょう。

そして最後の方は、

 

「是の諸の神通乃至

 無量百千万億那由他劫にも

 数知すべからず」

 

となっています。

このことを安田先生は

「いずれもこれはやはり

 精神界というようなものでしょう

 身を百千に現ずるとかですね

 無量無数のつまり、

 絶対自由意思の世界という

 ものでしょう。

 精神界というものを述べた

 ものだと思うのです。

 こういう大きな世界が

 内にあると。

 それは夢にも見えん世界と

 いうんでしょうね、

 夢にも見ることのできない世界が

 開けてくるというんでしょう」

 

と述べておられますが

こういう精神世界を

こういう大きな数の単位で表して

いるのですね。

そういわれてみると

そのような世界見たことも

ないのですが

何となく分かるような気もします。

 

というのは

その前の段には

「此の菩薩遠行地中に住し

 無量劫に於て諸の善根転た勝れて

 明浄調柔であることを成就す」

と出てきます。

調柔ということは、

その精神生活が練に練られて

洗練されてくるという意味です。

 

そういうことがあって

百千億那由他という

大きな世界があるという

ことなのでしょう。

 

ちなみに数の単位ですが

一、十、百、千、万、億、兆

ここら位まではよく聞きますが

まあ、私たちには万までですが

経済の単位は大きいと言っても

兆の次、京まで位でしょうか

そこから

ゼロが44個ついた「載」

千載一遇のチャンスとかいいます

恒河沙はゼロが52個

阿僧祇(あそうぎ)はゼロが56個

今でてきた那由他(なゆた)は

ゼロが60個

その上が不可思議は64個

そして最後が無量大数となり

これはゼロが68個ついた数です。

 

それぞれ人間の心の世界の広がり

それを考えると

阿僧祇、那由他という数は

あり得るしそれほど深いものだと

思うのです。

儲けた儲けたといっても

たかが5桁か6桁どまりです

それに比べたら

人間の心の深さ広さといったら

比べものにならないでしょう。

それほどのものを

私たちは心の中に秘めている

ということではないでしょうか。

 

 

 

 

 

  

 

 

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響きあう!競い合う!

2018-07-30 21:46:03 | 住職の活動日記

蝉しぐれというようなものでなく

それはそれは

周りの喧騒を消すかのような

蝉の声

 

 

青空のもと

短いいいのちを精一杯

ここにいるよと主張している

 

下を見ると

 

 

無数のセミの穴

静かに地中で暮らしていて

次のいのちをつなぐために

この暑い地上に出て来て

あらん限りの声で

競い合うように泣いているのでしょう

 

 

抜け殻も

まあ、重なるように

出てきたのでしょうか

 

 

危険を顧みず

地上で脱皮したセミもいるようです

 

 

地中で育ち暑い青空に向かって出て

脱皮して、空へと羽ばたいて行く

なんとも不思議な生き物です。

 

池に眼をやると

 

 

先月までみな真っ黒だたのに

金魚らしく赤くなってきている

人影を見ると

エサが欲しいのでしょう

無数の金魚がこちらめがけて

やって来る

 

大きな金魚がいるときは

卵の時に食べられ

また、小さい時にも食べられ

こうやって育つのは

10匹にも満たないものでした。

大きな金魚がアオサギに食べられ

また環境も良くて

見守ってくれるお寺の人たちの

世話も行き届いているのでしょう

たくさんの数になりました

これから

大きくなるにつれて

限られた池の中の世界では

それこそどうなるのか

心配です。

 

例のカブトムシも大きくなり

昼間はじっと寝ているものの

夜になるとかなり活発に

活動するようで

専用にエサもほぼ完食状態です

名前もジョン君と

名付けられたようで

元気にしています。

 

しかし、こういう虫たちも

今年限りの命ということを聞くと

なんだかさびしくもなってきます

この虫かごという小さな世界で育ち

外敵もなく、ご飯もあるという

恵まれた環境

自然の厳しい世界で生きる方が

いいのか分かりませんが

孫たちにとっては

命が生れ、大きくなって死んでいく

そういういのちの終わりを見るのは

一つの教育かもしれません。

 

じっと見守っていくという

いのちのハタラキを観察していく

セミもカブトムシも

身をもってわたしたちに

限りある命を見せつけている

のでしょう。

 

世界中のいのちは

競い合い、響きあって

生きてるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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心頭滅却すれば…!

2018-07-29 15:17:55 | 住職の活動日記

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

というものの

本当に暑い日が続きます。

 

整理していたら、

懐かしい一品が出てきました。

 

 

「独鈷鉦」(とっこしょう)

という仏具です。

東寺の御影堂で護摩を焚いていた時

ずっと使っていたものです。

最初の頃は彫り物の蓮の形が

チクリと手に感じていたのですが

使ているうちの摩耗してきて

すっかり手に馴染むようになりました

 

 

今回はこれで護摩を焚くことに、

早速お磨きをして、

護摩を焚く時にはこのように

小指と薬指で握って作法するので

摩耗してくるのでしょう。

 

護摩を焚く時にはそれなりに

気持ちも入り集中するので

熱いという感覚は薄れるのですが

今日もこの暑いさなか

90歳を超える方も欠かさず

お参りにお見えになり

お参りに来られる方々の方が

それこそ修行だと思います。

 

「安禅不必須山水 

 滅却心頭火亦涼」

安らかに座禅をするには

必ずしも山水を

必要とするわけではない

心中の雑念を払い去れば

火中にあっても涼しさを

感じるものだ。

という中国の詩の一文ですが

 

ということもありますが

この暑さはそうばかりも言って

おれないようです。

しかし

どんな境遇にあっても

心を一点に止めるということは

ものを為すうえにおいては

必要不可欠のものです。

 

止観(しかん)

ということが修行の中心ですが

止まるということと観るという

止は静であり、観は動である

相反するものが同時に成り立つ

不思議なもので

護摩を焚くという動作の中に

一点に集中するということが

おきてくるものです。

 

どんなに忙しいと言っても

集中している方は

その動の中に静なるものを

持っていらっしゃると思います

でなければ仕事は出来ないものです

 

今日のお参りの方々も

そういう

相反するものが力を頂く

ということをご存じなのでしょう。

 

終わってから

御斎にはおそうめんが出ました

冷やりとした中に

カボスの爽やかな風味に

舌鼓を打たれていたようです。

 

 

 

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「雑草という名前の草はない!!」

2018-07-26 20:13:36 | 住職の活動日記

連日の猛暑

夕立もなくかんかん照りが続きます。

 

 

近くの近鉄沿線の草も

もう限界とばかり枯れかかっている

「雑草という名前の草はない」

とは先の昭和天皇の言葉ですが

こうやって見ると

知らない草花ばかりです。

 

昭和天皇が皇后さまと

那須野御用邸で夏を過ごし

帰って来られる。

その前に吹上御所の前の草を

刈ってしまおうということになった

帰って来られた昭和天皇から

「どうして庭を刈ったのかね」

とのお言葉、

とっさに、

「雑草が生い茂ってまいりました

 ので」

と答えると、

「雑草ということはない」

「どんな植物でも、

 みな名前がって、

 それぞれ自分の好きな場所で

 生を営んでいる。

 人間の一方的な考えでこれを

 雑草として決めつけてしまう

 のはいけない。注意するように」

とお叱りを受けた。

というのがそのエピソードです。

 

最近の高齢化の影響でしょうか

近くの家が壊され

更地になり売り出しになっています

 

 

近くの家も壊され

そこには草が生えだしました

この日照りの中

やはり強いものです

枯れる気配もなくしっかと根を

おろしているようです。

 

 

調べたら名前も分かるのでしょうが

よく見かける草です。

 

「雑草といふ草はあらずと

   いひたまひし

 先の帝をわが偲ぶなり」

 

この歌は常陸宮妃華子さまの

昭和天皇の言葉を思い出しながら

偲ばれた一首です。

 

この歌を紹介された

歌人の永田和宏さんは

「なにか一つでも名前が知っている

 草花があると、

 景(けしき)は一気に親しみの

 表情を見せるものである。

 自然や風景の豊かさを感じる

 瞬間でもある。

 名を知ることは、

 それを個別に認識することであり

 その認識によって自然は

 私たちと昵懇(じっこん)になる

 世界とはそのように

 向かい合いたいものだ」

と述べておられます。

頷けるしとても興味を引く言葉です

 

この暑い中でも近くを歩くと

 

 

元気のいいヒマワリにも出会い

それぞれの表情を見るのは

楽しいものです。

 

台風も近づいております

ちょうどの時で心配ですが

野の草花には恵みの雨と

なることでしょう。

 

 

 

 

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竜神さま

2018-07-25 15:30:31 | 住職の活動日記

水の神さまとして「竜神さま」は

よくお祀りされます。

今年の豪雨災害は本当に大変です

その後の猛暑、

今度は日照りが続き

野菜は生育不足で高騰します。

降り過ぎても困る

照り過ぎても困る

本当に自然の前には人間は

為す術を持たないようです。

 

古来から人々は

潤沢に雨も降り天気も程よく

照ってくれるように

「竜神さま」祈り続けていました

 

丁度訪れた森の中

 

 

竜神さまがいらっしゃるという池

その池はまるで鏡のように

 

 

澄み切った美しさをみせています

人々は日照りが続くと

この池の水を持ち帰り

雨乞いの祈祷をしたそうです

 

 

今は懇々と竜神さまの口から水が

湧き出ています。

 

 

その池の出口には分水嶺でしょうか

村への水を分ける仕切りがあります

 

弘法大師も都に日照りが続き

神泉苑で雨乞いをするのですが

祈ってみると空には

竜神さまがいらっしゃらない

どうも西寺の守敏が日本国中の竜を

閉じ込めているらしい

そこで、弘法大師が見渡すと

中国に一人だけ

「善竜王」(ぜんのりゅうおう)

という竜神さまがいらっしゃいます

そこで

その竜神さまを神泉苑に勧請して

都に雨を降らせたという

伝説が残っています。

 

そういうと「龍」ということは

仏教とも深く関わりがあって

真言宗の第一祖は「龍猛菩薩」

龍樹という方と同一視されます

龍樹は般若空の思想を開いた方

その次の方は「龍智菩薩」です。

 

特に禅宗のお寺の法堂の天井には

龍の絵が描かれています。

浄土真宗の西本願寺の大学は

「龍谷大学」といいます。

 

また、

弥勒菩薩が56億7千万年後に

兜率天より下生(げしょう)して

龍華樹(りゅうげじゅ)の下で

成道して説法されるということが

伝わっています。

 

「坂本龍馬」も、やはり

「龍」という字を頂いている

ようです。

なにかその底には

大きな志を秘めているという

ことの表れでしょう。

 

竜神さまということも

あながち馬鹿に出来ない

昔からの人々の祈りの原風景が

あるようです。

そしてこのような災害が起こるたび

素朴に、

祈らずにはおられない気がします

何でも思うがままにできるという

人間の思い上がり

今こそ改めて考え直さなければ

いけないような気がします。

 

 

 

 

 

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宇治上神社と平等院

2018-07-21 20:28:20 | 住職の活動日記

京都造形芸術大学の杉本宏先生の

「宇治上神社の謎を読み解く」

という講演でした。

とても興味深いお話です。

 

菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)

は宇遅能和紀郎子とも宇治若郎子

とも書き、

宇治という地名はここから出た

ということです。

応神天皇がこの地を訪れた時

この地の豪族和邇氏の娘との

間にできた方が菟道稚郎子です

兄には大山守(オオヤマモリ)と

大鷦鷯(オオササギ・仁徳天皇)

がおられます。

稚郎子は宇治に「宇治宮」を構え

ここで命を絶った、

亡骸は宇治川の東の山上に

葬られたとなっているそうです。

 

宇治上神社を訪れると

朱塗りの鳥居の上の扁額には

「離宮」の文字が見えます。

もともとは一つの神社で

明治になり宇治神社と宇治上神社に

別れたそうです。

今は宇治上神社には

応神天皇と仁徳天皇・菟道稚郎子

の三体がお祀りされています。

離宮の文字が見えるように

稚郎子の宮であり応神天皇の宮

でもあったということです。

 

最初は

宇治川の東側の地は

宇治宮があったということもあり

一種の神聖な地

その川を渡った地は貴族の住む

俗の地ということだったようです。

 

それから、

藤原頼通が平等院を建立します。

阿弥陀経による極楽浄土の建設

その経典に則って建立し

鳳凰堂の前に池を作り

その前には宇治川が流れています

平等院から見ると

宇治川を挟み対岸には

宇治神社・宇治上神社・仏徳山が

一直線上に並んでいます。

頼通はただ偶然に

この地を選んだのではなく、

この計算の上にこの地を選んだ

ということです。

 

ですから、

藤原頼通からは東側の地が

迷いの現世で(此岸)であり

宇治川を渡った西側

平等院が西方浄土・極楽の彼岸を

表現しているのです。

経典にある

二華之畳層嶺が仏徳山であり

郡類が離宮社(宇治神社)

ここが此岸です。

宇治川が迷いの川であり

その川を渡った西側の地が

彼岸の平等院ということです。

 

宇治川を渡り

極楽世界に一歩足を踏み入れ

鳳凰堂の阿弥陀如来の手から

五色の糸をしっかりと握り

口には念仏を唱え

極楽浄土へと旅立ったのでしょう

 

宇治という地は古来より

神秘的な場所であり

異界との接点ということだった

ようです。

「宇治を以て龍宮と習わす」

という言葉もあるようです。

 

何となく思っていたのですが

平等院と宇治神社・宇治上神社

そして仏徳山までを含めた

壮大な構想だとは

とても驚きのお話でした。

 

こういうことを踏まえて

再度、宇治神社より平等院へ

参拝するというコースで

お参りしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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沈黙

2018-07-20 21:36:04 | 十地経

最近はもっぱら自己主張とか

自分の意見を言うということが

大切に扱われます。

当然、

言うべき時には言うということが

大事なのですが

言うというタイミングも

考えなければいけません。

 

韋提希(いだいけ)という御夫人が

お釈迦さまに愚痴を零すという

有名な経典があります

その時お釈迦さまは

じっと聞いておられる。

そのことを講義では、

 

「韋提希が愚痴をこぼしておった時

 釈尊は沈黙しておられる。

 あれも大事なことで、

 ものを語るだけが問題を解決する

 んじゃない。

 やっぱり語る時には、

 語る「時」があるんです。

 語る時でないのに語ろうとすると

 ドナルとかそういうかたちを

 とらんならん。

 静かに語るという場合には

 時があって、

 愚痴をこぼしておる場合に

 なんぼ語っても無駄なんです。

 愚痴に説教して愚痴がなおる

 もんなら易しい話です。

 けどね愚痴を愚痴をこぼしとれば

 説教がまた愚痴の材料になる。

 

 先生はそういわれますけども

 と、すぐ巻き返してくる。

 そうでしょう。

 それで又それに説教すれば

 又巻き返してくるから

 24時間かかっても愚痴は止まん。

 その時に言ったことは

 無義・無益・無意に終わってしまう

 その時に沈黙ということは

 非常に大事。

 沈黙しとれば、

 自分のはいた言葉が

 自分にかえってくる。

 引き受けてがないんですから

 そうすると今度は

 自分は相手に訴えずに

 訴える方が自分になってくるから

 反省ということが起こってくる」

 

と述べておられます。

時には沈黙ということも

大切に思うのですが

今の時代、勝ち負けでいえば

沈黙したら負けというように

思いがちですが

問題を相手にかえす

ということでは沈黙は

効果的です。

 

勉強会も終り

今日の講義で何が問題になったか

一人ずつ発表しなければいけない

そのような時

質問してことすらわからない

止むを得ず、

とってつけたような質問をすると

それこそ安田先生は

沈黙しておられる。

問うた方が赤面する羽目になる

その厳粛な空気というか

聞法会に厳しさ

聞法といういことも聞けば

血の出るような話ですよ

生半可な気持ちでは聞けない

けど聞かずにはおれないという

妙なジレンマがありました。

 

聞いたことに

何でもへらへら答えてくれる

ということよりも

ある場面では

沈黙するということも

聞いた方に問題を返す

ということでは大切なことの

ように思います。

 

故事では

「維摩(ゆいま)の一黙

 雷の如し」

という喩もあります。

 

相手が聞く耳を持つというまで

黙するということも

大切なことのように思います。

 

 

 

 

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明るく悩め!?

2018-07-19 21:28:09 | 十地経

久しぶりにこの言葉と出会いました

「明るく悩め」

修行時代よく三浦先生より

叱咤激励されました。

なかなか難しい!

悩めば当然暗くなる。

人生の苦労を一心に引き受けた

ような顔をして

暗くなっていると、

「明るく悩みなさい」

悩んでいるのに

なんで明るくなれるのか?

 

ちょうど講義のなかで

そのことが出てきたのです。

「仏教学は仏になる学問なんだ。

 仏についての学問じゃない。

 そんなものはいらんでしょう。

 暇があったらやってもいいけど

 とにかく資本家であろうが、

 労働者であろうが、

 仏になれば笑って話せる。

 明るく悩める。

 悩むことがなくなるんじゃない

 悩むということが困らん。

 困るのは暗い。

 悩むのは明るい。

 悩みがなくなることじゃない。

 悩みが明るく悩めたら、

 それで悩みを超えて、

 敢て悩むことになるでしょう。

 進んで悩んでゆくことに

 なりましょう。

 悩まんようになったというのは

 阿羅漢でしょう。

 悩まんのじゃないのであって

 進んで悩むこと、

 明るく悩むこと。

 困らんだけだと、

 こういうのが菩薩だ。

 

 大乗仏教が生み出した人間像は

 菩薩だ。

 哲学は人間像というものを生まん

 文学は生む。

 ドストエフスキーとか、

 ゲーテとか、シラーとか。

 みんな人間像を作っています。

 仏教で人間像をつくるのは

 経典の役目で、論じゃない。

 それで菩薩という人間像を

 作っている。

 無量寿経では法蔵菩薩という

 人間学は論の役目ですし

 人間像は経典の役目です。」

 

あらためて読んで見ると

「明るく悩む」ということ

その当時は悩むというより

なにかしら自分にとって

都合のいいものはないかと

そういうことで困っていたのでしょう。

こうやって読みかえしてみると

悩むということは明るいことで

 

今でもこうやって

聞法したり講義録を読んだり

問題点を考えていることは

何も暗いことではなく

何かしら明るいものです。

そして自由に考えることが出来る

ような気がします。

 

 

 

 

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『十地経講義』の実践

2018-07-18 22:05:57 | 十地経

今日のお話も素晴らしいものでした

というより、

あまりにも自分のことを

言い当てられ、思わず

笑いがこみあげてくるほど

ふと、

安田先生の講義を聞いているような

そのような錯覚になるのですが

ただ一つ違う点は

その話がどう実践されたか

ということではないかと思います。

 

読んでいるところも

「是の菩薩、諸仏を見るときに

 上心(すぐれたる心)、

 深心を以て供養恭敬し尊重し

 讃嘆し、衣服、飲食、臥具、湯薬

 一切の供養悉く以て奉仕する」

と難しいところが出てくるのですが

ここの所は繰り返し出てくる

ということで

世親もあまり解釈していないそうで

さらに続けて

「見たものを供養すると。

 供養するだけでなく、

 供養した仏陀から法を聴くと。

 法を聞いてそれを受持して

 智慧や三昧というものを得て

 そのことによって

 仏法を守護すると。

 そして如何なる問難にも耐えて

 諸々の衆生を利益するが故に

 法忍転た浄しと。」

と出てくるのですが

 

ちょうど『十地経』の講義が

おこなわれ、それを聴聞した人たちが

素直に実践され

一つのものを作り上げていったのです

安田先生も、

他の講義の時に

「あなたたちは聞くだけは聞くが

 一つも実践しないでしょう

 私の話を聞いて

 それを薄めて売ってる

 だけじゃないか

 ただ一人素直に実践したのは

 三浦君だけです。」

と言っておられたということです。

 

この講義の素晴らしさは

その話が即実践に移され

それが形を成して行った

ということです。

それはとりもなおさず

切羽詰まった学校建設という

問題が重くのしかかっていた

ということです

十地経の講義は洛南高校の先生を

中心になされました

宗教ということが教育という実践の

形をとったのです

日々起こる教育現場の難問

それにいかにして答えていくか

その根底に『十地経講義』が

流れていたということです。

 

安田先生も

直接その問題に答えることなく

次の会には必ず

それに触れた答えをそれとはなしに

答えられていたのです。

 

教えと実践

「それは三浦君の野心じゃないか」

悩まれた先生

 「野心は悪いのでしょうか」

すると、安田先生

「野心がなくて何ができますか」

というような問答が

寝静まった夜に繰り返された

ということです。

教えという表と

いざ実践となった時の行動

それは違うものです。

ですから三浦先生も

現場ということをとても大切に

されました。

話はこうあっても

現場ではそれはこうです

というと素直に現場の声に

耳を傾けておられました。

 

安田先生の講義録は

たくさんありますが

講義が実践として実を結び

というか

その聞いた話を血みどろになって

いかに実践するか

取り組んでこられたということから

すると、他のなによりも

勝れた講義ではないかとおもいます 

 

読み書きする中で

その時々の声を思い出しながら

そしてその場面を振り返り

まあ、50年も前に聞いた

話しが蘇ってくるというのは

なんとも不思議な気がします。

 

 

 

 

 

 

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祇園祭だったのか?

2018-07-17 21:39:40 | 住職の活動日記

うかつでした。

四条で地下鉄を降りると

人でもとても多い

メガネの調整で出かけたのですが

 

 

生憎お休み

このお店は祇園祭の鉾を収める

場所で、そこをうまく

お店に転用しているところでした。

 

 

橋弁慶町とありますから

その山車を納めているのです。

 

店の中から外を見ると

浴衣姿の方や

今しがた山鉾巡行があったのでしょう

なにかしらその雑踏の後の空気が

伝わってきます。

 

 

駅のコンコースには

山鉾のミニチュアが展示してあります

今回の祇園祭はこれを見て

ということにします。

なにせ外の温度は38.5度もあります

息をするのもしんどいというか

熱気を吸い込む感じです。

 

「祇園」という言葉も

本来は仏教用語、

インドの言葉をそのまま音写して

それがまた短くなったものです。

確か?インドの言葉で

ジェータバネー・アナータ・

ピンディカッサ・アーラーメ

というなんとも長い名前です。

それを祇樹給孤独園と漢字にあて

それが短くなって祇園と、

ジェータという長者が持っていた

孤児院というところから

きているようです。

 

もともとは祇園の八坂神社も

神仏習合で両方でお祀りしていた

ということです。

もっと古い時代は祇園祭の最初は

二条城の近くにある神泉苑

弘法大師が雨乞いをして都に

雨を降らせたという

そこで執り行われたのが

最初の祇園祭のようです。

 

京都には御霊町とかあるように

上御霊神社、下御霊神社と

いろいろな御霊さんを祀り

都を守ったのでしょう。

 

ですから、

山鉾巡行もいろいろの御霊さんや

悪霊たちを艶やかな飾りで飾った

山鉾にとり納め

これからが本当の八坂神社の

お祭りが始まります。

 

年ごとに暑くなっていく

この時期

祭を運営するのも見るのも

大変です。

クーラーのある部屋で鑑賞する

のも一つかもしれません

しかし、

どんなに暑くても出かけて

空気を感じるのも大切です。

 

 

 

 

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