川に沿って、文化や文明は生まれる。
以前、田中角栄という人、
人を見るのに、県単位で見てはいけない、
川に沿ってその人達の文化が違うものだと、
熊本といっても、
白川水系、球磨川水系では微妙に
人となりが違っているようです。
高瀬川も物を運び、そこに人も集まり
いろいろな仕事も生まれ、
文化も産業も盛んになったようです。
ホテルオークラにある
「了以」 (りょうい) というビヤホール、
高瀬川を作った 「角倉了以」 (スミノクラリョウイ) の
名前が残っています。
ちょこっと入ってみると、
高瀬川の水を庭内に引いています。
ここから入っているのでしょう。
角倉邸には高瀬川の水が引いてあったと、
「まる・たけ・えびす・に・おし・おいけ・あね・さん・ろっかく …」
と、通りの名前が続くように、
「おし」 の押小路橋、
やはりここらはとても美しく整備され、
高瀬川の風情が楽しめるところです。
高瀬川の西側に 「佐久間象山」 の碑
となりに、
「大村益次郎」 の碑です。
佐久間象山・大村益次郎遭難の地という
立札が立っています。
元治元年(1864)7月11日、木屋町通りを
馬に乗って通りかかった佐久間象山は
刺客に襲われ斬られて絶命した。
その5年後、明治2年(1869)9月4日、
木屋町通りの東側にあった宿所で
大村益次郎が刺客に襲われ斬られ、
その傷がもとで同年11月5日
大阪の病院で没した。
とあります。
ま~、こういう面白いというか
何に使うのでしょうか、無造作に竹かご
があります。
押小路付近にはこういう立派なお屋敷も、
後ろに高くそびえるのがホテルオークラ、
一本だけながらも 「シダレヤナギ」 が
昔の歌に、
「昔恋しい銀座のヤナギ …」
という、そのヤナギはもとは京都だそうです。
説明によると、
銀座という地名ももとは伏見がその発祥の地で、
銀座のヤナギも、京都の頂法寺(六角堂)の
六角ヤナギがそのもとになっているということです。
「あね」 の姉小路を過ぎ、
パリを思わせるようなカフェテラス??
ちょっとおしゃれな店を横目に、
天気も心配なので、
ひたすら南へ歩きます。
そして、にぎやかな三条へ
これから、高瀬川の風景もガラッと変わってきます。
レストランや飲み屋街が続いていきます。
四条 五条 七条 と
まだまだ先の道のりは遠いのです。