本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

高瀬川を歩く、第2弾 !

2014-06-30 11:22:02 | 住職の活動日記

川に沿って、文化や文明は生まれる。

以前、田中角栄という人、

人を見るのに、県単位で見てはいけない、

川に沿ってその人達の文化が違うものだと、

熊本といっても、

白川水系、球磨川水系では微妙に

人となりが違っているようです。

 

高瀬川も物を運び、そこに人も集まり

いろいろな仕事も生まれ、

文化も産業も盛んになったようです。

 

   

 

ホテルオークラにある 

「了以」 (りょうい) というビヤホール、

高瀬川を作った 「角倉了以」 (スミノクラリョウイ) の

名前が残っています。

ちょこっと入ってみると、

 

   

 

高瀬川の水を庭内に引いています。

 

   

 

ここから入っているのでしょう。

角倉邸には高瀬川の水が引いてあったと、

 

 

   

 

「まる・たけ・えびす・に・おし・おいけ・あね・さん・ろっかく …」

と、通りの名前が続くように、

「おし」 の押小路橋、

 

    

 

やはりここらはとても美しく整備され、

高瀬川の風情が楽しめるところです。

 

    

 

高瀬川の西側に 「佐久間象山」 の碑

となりに、

 

   

 

「大村益次郎」 の碑です。

佐久間象山・大村益次郎遭難の地という

立札が立っています。

 

 元治元年(1864)7月11日、木屋町通りを

馬に乗って通りかかった佐久間象山は

刺客に襲われ斬られて絶命した。

その5年後、明治2年(1869)9月4日、

木屋町通りの東側にあった宿所で

大村益次郎が刺客に襲われ斬られ、

その傷がもとで同年11月5日

大阪の病院で没した。

 

とあります。

 

 

   

 

ま~、こういう面白いというか

何に使うのでしょうか、無造作に竹かご

があります。

 

 

     

 

押小路付近にはこういう立派なお屋敷も、

後ろに高くそびえるのがホテルオークラ、

 

    

 

一本だけながらも 「シダレヤナギ」 が

昔の歌に、

 「昔恋しい銀座のヤナギ …」

という、そのヤナギはもとは京都だそうです。

説明によると、

銀座という地名ももとは伏見がその発祥の地で、

銀座のヤナギも、京都の頂法寺(六角堂)の

六角ヤナギがそのもとになっているということです。

 

    

 

「あね」 の姉小路を過ぎ、

 

   

 

パリを思わせるようなカフェテラス??

ちょっとおしゃれな店を横目に、

天気も心配なので、

ひたすら南へ歩きます。

 

   

 

そして、にぎやかな三条へ

 

これから、高瀬川の風景もガラッと変わってきます。

レストランや飲み屋街が続いていきます。

 

四条  五条  七条 と

まだまだ先の道のりは遠いのです。

 

           

 

 

 

 

 

 

 

    

     

 

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高瀬川を歩く

2014-06-29 22:15:57 | 住職の活動日記

「高瀬川」 が開削されて、

今年で400年という節目の年、

森鴎外の小説で有名な高瀬川、

思い切って歩きました。

 

   

 

近鉄電車で丹波橋まで、

そこから京阪特急で三条京阪へ、

 

まず目に飛び込んできたのが、

 

   

 

高瀬川の始まりといわれる、

「一之船入」 です。

 

   

 

そこに浮かぶ 「高瀬舟」、

 

けど、どこからこの高瀬川が始まってるのか気になり、

一端、二条通へ出て、

 

   

 

島津製作所創業の地がありました。

 

  

 

二条大橋から鴨川へ、

風情のある木製の橋があります。

 

   

 

降りてみると、ここが取水口のようです。

ではこの鴨川と平行に走る細い川は ??

 

   

 

ずっと上の方へ続いています。

 

   

 

下を見ると、高瀬川に入る水を調節して、

余った水を流す階段状の川、

鴨川とこの細い川とは結構な落差があります。

 

 

    

 

少し行くと、 「みそぎ川」 の目印が、

では、どうやって鴨川からみそぎ川へ

水を引くのかと、足を延ばしました。

 

    

 

しかし、出口はきれいに整備されているものの、

これより先はもう川はなくなり地中になっています。

 

 

     

 

鴨が沿いにまた戻ります。

鴨川も流れを調節するために

結構段差が設けてあります。

 

   

 

戻ってきて、ここがこの高瀬川を作った

「角倉了以」 (すみのくらりょうい) の屋敷跡

今は日本銀行になっています。

 

   

 

やっと始まりに戻って、

「一之船入」 ここから歩きはじめます。

 

高瀬川は 全長11,1キロメートル、

幅はほぼ 8メートル

途中 9か所の船入り があり、

総工費は 7万5千両、

ここの二条から伏見まで作られました。

 

今日は高瀬川に沿って歩きました。

約2時間半ほど、

塩小路付近まで歩きそこから

川に沿って歩けなくなりましたので、

今日の道中は終わりです。

 

途中、高瀬川にかかるすべての橋を写真に収めましたので、

次回、   します。

 

 

 

 

 

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6月28日の護摩

2014-06-28 22:42:05 | 住職の活動日記

 護摩木の中に、

子供のいたずらのような

護摩木が混じっている。

しかし、よく見てみると、

「せかいがへいわになりますように」

「かぞくがなかよくなりますように」

ということが読みとれる。

 

護摩の法要も終わって、

崇正住職の法話で謎が解けた。

 

先日、本荘小学校の2年生が

お寺に訪ねてきたそうです。

そこで、いろいろな仏具を見せて

説明したり、

また触らせたりと、

 

   

 

これ、「法螺貝」 ですよ。

「音は出ないな~ !!」

 

   

 

これは太鼓ですよ、

お参りの時に叩くのですよ。

 

   

 

これは 「妙鉢」 (みょうはち)

シンバルみたいなものですよ、

 

とても興味深げに、

まるで楽団屋さんみたいですね !?

 

最後に、そう と、思いついて、

みなさんに護摩木を渡したそうです。

「 願い事を一つ書いてきてください 」 と、

数日後もってきたのが今日の護摩木です。

 

小学2年生といってもおろそかにできません、

世界平和を願い、

家庭の仲良くを願っているのです。

 

私たちの方が小賢しい願いのようです ネ !

 

小さい子供たちに少しでも

仏の種が芽生えますように、

 

    

 

いました、いました、

宗良君のお子さんです。

お参りの時も小っちゃい手を合わせて、

終わった後も得意そうに

見せてくれました。

 

今日は5時の新幹線で

 

    

 

一路、宇治の自宅へ帰りました。

 

子どもたちの可愛い出来事が

なによりのお土産になりました。

 

 

 

 

 

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『 常 』 というお店

2014-06-28 09:25:37 | 住職の活動日記

 人間ドッグも無事に終わり、

増・減(?) も、範囲内というところで、

今年は無事に乗り越えました。

ということで、 !?

 夜は久しぶりに、

お世話になっている方との

お食事会という事に相成りました。

 

お店は上通りと広町に近くにある

「 常 」 というお店、

 

 

     

 

お手元を開くと、   なんと

私たちが唱える 食事作法(じきじさほう) の

『五観文』 が書いてあります。

お寺ですか ??  と、

しかし、店のお名前も 『 常 』

今、読んでいるところで 「 常修 」 という

言葉が出てきています。

常に修行すると、 という意味

行住坐臥、すべての行いないが

修行だというのです。

 

ここのお店も、自分たちは修行なのだ

常に、という思いを込めて

作られたのかもしれません。

 

 

    

 

まあ、すべてがおいしく、

写真撮るより、食い気のほうが先に立ち

全部は撮れませんでしたが、

少しだけ紹介します。

 

 

    

 

前菜です。 二段になっていて、

 

    

 

下の籠にも、夏らしい風情で、

 

     

 

蛤の土瓶蒸し、これも絶品 !!

 

 

     

 

ゴマ豆腐のあんかけ、

ゴマ豆腐を一度揚げて、餡をかけてあります。

こういう食べ方も面白い、

 

 

    

 

名前は聞いたのですが忘れましたが、

野菜を固めたものです。

 

それから、おつくりも出て、  ほかにも …

〆には 「五島のうどん」

小麦粉にはったい粉を混ぜたうどんで

とても腰もあり、食べ心地ものど越しも

おいしいものでした。

 

    

 

梅のデザートも出て、

 

舌鼓を打ちながら、時間のたつのも忘れて

話し込みました。

久しぶりに、とても楽しいひと時を過ごしました。

 

楽しい時間をいただいて、感謝です。  

 

 

 

 

 

 

     

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おとこの背中

2014-06-26 21:56:06 | 住職の活動日記

 さすがに今日は疲れました。 !!

明日も人間ドッグが続くのですが  

以前はさほどどうにもなかったのですが、

今日は帰るなり      状態でした。

 

 昨日は母の三回忌、

お参りが終わるなり、

「親父は年取ったな~ !

 背中が丸なって爺さんみたい !?」

というのです。

 

「男の背中」 という歌がありました。

確か、増位山が唄っていたと、

 「男の肩と背中には

  昔の影が揺れている、

  …

  ゆらゆらゆら  …  男の背中」

 

なんて歌だったと思いますが ??

 

やはり、隠せないもので、

人の本当の姿は後姿かもしれません。

前の方は着飾って、鏡も見るし、

気がつけば直すこともできるのですが、

後姿だけは隠しようがありません。

 

今日は大腸のCT検査だったのですが、

なにかしら、どっと疲れが出ました。

昼食の後、もう一つ自転車こぎ

があったのですが、

もう体力の限界、

明日に回してもらって、

早々に退散しました。

 

なにかしてみると、

年相応に何でもきつくなってくるものです。

もう一日  

 

 

 

 

 

 

 

 

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醍醐味

2014-06-25 21:49:15 | 住職の活動日記

 最近、「食育」 ということがいわれる。

食べる教育 、

戦後育ちの私には不思議に聞こえる。

もののない時代に育った。

「はら減った !」

「なにかちょうだい !」

というのが口癖でした。

 

 人の味覚も変化している。

先生はおっしゃった、

「人の味覚は一代や二代とか

そんな短い単位で作られるものではない」

そういえば、最近の朝食は

決まってパン食になった。

そのほうが簡単で手っ取り早い。

味噌汁の味が忘れ去られている。

 

「醍醐味」 も本来は味覚の種類なのだが、

素晴らしいことの代表として

使われるようになった。

牛乳から生成して、最後に出てくるのが

醍醐、今で言うチーズのような味か ?

 

仏教にもよく味という字が使われる。

「一味蘊」 (いちみうん)

難しくは、真如法性のこと、

つまり、存在の味、

生きているということの味、

感謝するとか、有り難いというような意味、

言ってみて、といわれても

具体的には言えない。

形がないから、

形があるなら、何かもらったから

ありがとう、といえるでしょう。

または、成功したから嬉しいとか、

形としてあるものはいえるかもしれない、

しかし、形のない味のほうが

意味も深いし、

それが最高の味ではないかと、

貰ったという味の方が安物でしょう。

 

生きるということの味、

それこそが醍醐味ではないかと、

 

意味、という字も

意(こころ) の味と書きます。

 

味ということも考えてみると

オモシロイ

考えれば考えるほど味が出る !!

 

 

 

 

 

 

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お久しぶりね !!

2014-06-25 21:32:44 | 住職の活動日記

 池の濾過器、を掃除した。

いきおいよく吐き出す水、

 

   

 

金魚たちが集まってきた。

酸素を含んだ水がおいしいのだろうか ?

はっきりとは写らなかったものの、

赤い陰から想像するに、

また一段と太っている様子。

 

少しえさをやる、

 

    

 

 赤白そろい踏みで出てきた。

はちきれんばかりのおなか周り、

えさをめがけて、

 

    

 

ミズスマシもやってきた、

餌の残りを一つは確保しているのか ?

 

濾過器もきれいになり、

水もきれいになってきたのだろうか

途端に池の中が忙しくなってきたようだ。

 

   

 

熊本のアジサイはもう終わりがけ、

色の変化を見せながら、

次第に枯れた姿を見せている。

アジサイも蓮の花も枯れた姿も

風情がある。

 

久しぶりの本蔵院の様子、

みな元気に自分のいのちを花開いている。

     

 

「朝に道を聞いて、夕べに死んでも可なり」

 

その瞬間の命を生きている。

 

 

 

 

 

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エラー・アンド・サクセス

2014-06-24 21:11:29 | 住職の活動日記

「 成功したいと思うなら、

最初から何もしないこと ! 」

ということを三浦先生から聞いた

ことを思い出しました。

 だから何もせん人間は

最初から成功しているとも、

 

東井先生という方は

「失敗を拝む」

ということをおっしゃっておられます。

 

みな成功したがる世の中に、

失敗を拝むとは ??

 

三浦先生は、やれば必ず失敗する、と

そこで、問題はその失敗を受けて立つ、

ということだと、

 

高校生の頃、

碁にはまっていました。

最初は勝って喜んだりしていたのですが、

先生と打つと、決まって

間違ったところを繰り返し教えてもらいました。

それからというもの、

失敗したところが面白くなってくるのです。

勝つということより、

自分の考えよりさらに上の考え方で

打ってこられたことに感心するのです。

負けたことが興味がある。

 

それからすると、

失敗が分かるのが

失敗を越える道なのです。

エラーということがなければ

サクセスということは出てこない。

 

だから実践が大事です。

トライアルという、

やることで失敗も分かると同時に

また、失敗を越える道も分かる、

そして、工夫も出てくる

用心ということも出てくる。

 

実践する、失敗する、

失敗を分かる、

工夫する

用心する

簡単なようなことですが

実践する上においてとても大切なことです。

 

Error and Success

密かに願っていることです。

というのは、

もうすぐ、最後の日本の戦いです。

強敵コロンビア、

今までの失敗を拝み、

その失敗をよくよく観察して

その失敗を超えるような

戦いぶりをしてほしいと願っています。

 

どうにもこうにも気にかかり、

そのとき三浦先生の言葉を思い出したのです。

失敗を糧として、

なぜ負けたのかを研究して、  …

 

その先には、勝った負けた

ということより、

また次を狙う大きな試金石となるような

そういう戦いぶりをしてほしいと、

密かに願っています。

 

ガンバレ 日本  !!

 

 

 

 

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「 行・住・坐・臥 」

2014-06-23 16:44:25 | 住職の活動日記

 美空ひばりの歌に、

「人に勝つより、自分に勝てと ~

   …

行くも往るも座るも臥すも … 」

と、 柔という歌でしたか。

 

先日近くの、

ヨガ教室なるものを覗いて見ました。

先ず歩いて見てください !!

言われて、歩いてみると、

なんかぎこちなくなってしまい、

当たり前のことなんですが、  

「 右足を出して、

 左足出せば、

 あるける~う 」

といううもの、歩いてみたら

60年間の癖がついているもので、

やはり、何かおかしいものです。

 

なんでもない、歩く、座る、寝る

あらためて、正しく歩くとは ??

といわれてみると、

考え直さなければいけません。

 

仏教では、

「行住坐臥」 のことを

四威儀 (しいぎ) といいます。

道元禅師は 『 威儀即仏法 』

とまで言い切っておられます。

また、真言宗中興の祖といわれる

覚鑁(カクバン) 上人は、

『行住坐臥知ると知らざると、

犯すところのかくの如きの罪 』

といわれています。

教えということを形で表せば

『 威儀 』 というこになるのでしょう。

そして、何気なく見過ごしている

私たちの立ち居振る舞いが

いかに大切かを述べておおられます。

 

辞書を見てみると、

「行法」 (歩く) では

女性やお酒に酔った人と歩いてはいけない、

きょろきょろせずに7尺前方の地を

直視せよ !

と、詳しく規定しているのです。

 

お釈迦さまもとても大切にされ、

川で沐浴した後は、座具を敷いて

坐を組み瞑想しておられたようです。

やはり、正しい姿勢にこそ

正しい考えも生まれるのでしょう。

反対に、西洋では

逍遥学派というのがあるように、

瞑想し思考するのは

歩くということのようです。

 

いずれにせよ、

いまさら直るわけでもありませんが

「行住坐臥」 心掛けて、

少しでもやってみることも、

重要ではないかと  …

直るとか直らない、ということよりも

直してみよう !!

という考え方が大切なようにも

思います。

 

 

 

 

 

 

 

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蓮を育ててみる !

2014-06-22 16:19:03 | 住職の活動日記

 昨日お参りした 「 三室戸寺 」

満開のアジサイでしたが、

「 蓮の花 」 も見事に咲いていました。

 

 その時家内が買ってきたのですが、

「 蓮の実 」 です。

 

   

 

 早速、 ネットで調べて  …

育ててみようと  !?

 

 ところが、実はとても固い、

 

    

 

両端を切るとありますが

なかなか歯が立たない !!

 

いろいろ道具を引っ張り出して、

鋸を使うには、実が小さすぎる  

最初は何とか時間をかけて、

鋸で切ったのです   が  ?

やすり  と思いついて 、、  でもない、

ふと思いついて、

爪切りのやすり、 でもって

 

   

 

ここまで、削って、

中の白いところが出てくれば、

そして、

 

   

 

反対側もこのくらい削って、

 

コップひとつに1個、 とありますので、

ペットボトルを利用して、

 

    

 

 

今日のところは、

 

   

 

3個削って、

後は次回にして、芽が出るのを待ちます。

 

芽が出たら、田の泥を入れる、

ということです。

 

 蓮の花は仏教では特に重要な花

として扱われます。

 この実の堅いところから、

人間の中にある菩提心 (仏になる心)

を象徴しています。

ちょっとやそっとでは壊れない、

そして時期が来るまで

百年でも千年でも眠り続けます。

 

 事実、古代のハスが工事現場の

機械の傷で発芽した、という記録もあります。

 

また、田んぼの土に植えるということで、

 

「泥沼の泥に染まらぬ蓮の花」

 

という歌もあるように、

汚れた泥であればこそ、

純白や赤い花を咲かせるのです。

 人間の汚れた煩悩があればこそ

仏という汚れなき花が開くのです。

 

 ですから、仏さまは全部蓮の花の上に

座っていらっしゃいます。

清凉寺の釈迦三尊でしたか

ちゃんと泥沼の中から生え出てきている

蓮の上に立ったお姿です。

 

 こんな蓮の花、難しいかもしれませんが

とても象徴的な花ですので、

実験観察しながら育ててみたいと

チャレンジしてみます。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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