本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

如来妙色身 如来名色身

2023-05-15 20:45:00 | 十地経

この一句ですが

お経の中にも出てきて

節をつけて唱えるので

とても記憶に残っている

ものです

「如来妙色身 世間無與等

 如来色無盡 一切法常住」

というのが全文です

でも、ちょっと気になるのは

経本には

「妙色身」とあるのですが

妙なる色身というのか

それとも

十二縁起では「名色」と

名と色、(心と物)

というように出てきます

 

ちょうど講義の中に

出てきたのです

 

「仏の名色身というのがある

名色身。(みょうしきしん)

これは第六地、

現前地にも言ってあるけど、

これはあんまりない概念

なんだそうです、

名色というのはね。

 

これは

十二縁起に出てくるんです。

大乗経典というのは、

十二縁起の中に出てきた名色

を受けて世親の釈論に

こういうことが

使ってあるんですけど、

経典としては、

原始経典の中に、

しかも十二縁起の教説の

中だけに出てくるという

稀な概念で、

たぶんこれは、

仏教以前からあった概念

だろうと。

ウパニシャッドですか、

そういうような。

 

しかしその解釈は

色々あるんですけど、

色シキがやっぱり身シン

ということになるんだろうと

思う。

色法をもって身ができている

んですから。

そうすると、

名は、これは心じゃないか。

名は心。

ルーパは色、ナーマは名。

ナーマルーパという言葉

ですけども。

 

名というのは

意味というようなものを

考える、

名によって義を考えるのは

意識ですから。

だからまあ心というような

ことになる。

名というものは身体に

与えられたものでなく、

心に与えられたものです。

 

だから名色ということで

自ずから心身と。

だからそこには

心身に当たるんだろうけど

名色身というようなことを

いってありますわね、

名色身と。

 

実は身を作るものは色であり

心は名だけど。

身という、心というけど、

心身全体を身と、

こういうような意味です。

名色の身です。

ただ肉体だけがあるという

ことはないですから。

名色を具備した身

でしょうね。」

 

というように出てきます

十二縁起は

無明・行・識・名色・六処・

触ソク・受・愛・取・有・

生ショウ・老死

ということになります

人間の迷いの構造であり

また、反対から読み解くと

さとりへの道ということに

なります

 

本当のことが分からない

という無明

それによって飽くなき欲望を

起こし、それが発展すると

すべて我がものとして

取り込もうとする(取)

そういう汚れた意識によって

行い(行)

その行為はさらに意識に

内容ずけられ、

生老病死という苦を

経験していくという

迷いの構造があります。

 

六処というのは六根

(眼耳鼻舌身意)という

ことで

この六所を通じて

名色という心や物と

接触(触ソク)して

これを自分の心の上に

感受する(受)するという

ことです。

 

ですから、

如来妙色身とあるのは

妙と形はいいですけど

意味からすれば

名(心)と色(身)を

具備した如来

という方が

いいように思うのですが、

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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Unknown (tamachan)
2023-05-16 12:12:57
ありがとうございます。
とてもお勉強になります。

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