29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

岐阜で図書館員向け研修会講師を務めて

2016-06-04 21:30:51 | 図書館・情報学
  昨日、岐阜県図書館主催の県内図書館の研修会で講師を務めた。お題は「蔵書構成」。我らが焼肉図書館研究会の実証研究の紹介という発表内容をまず考えたが、依頼は『情報の評価とコレクション形成』(勉誠出版)の僕の担当部分を読んで決めたとのこと。あの本で29lib実証編を綴った大谷さんではなく、わざわざ僕に指名がきたわけだから、理論編でいくことにした。話のベースにしたのは前任校での紀要論文「図書館の公的供給:その理論的根拠」(CiNii)。あれを口頭でわかりやすく説明するのはとても難しい作業で、実際難しかったという感想をもらった。また明快な資料選択の方向性を与えたわけでもなく、聴講者にはどうにももどかしい話だったかもしれない。

  ただし、資料選択が図書館の目的と直結しており、現在その議論が空白状態になっている点については納得していただけたのではないかと思う。図書館関係者にはよく知られていることだが、1980年代から90年代は要求論の時代だった。「知る自由」を根拠として、利用者に図書請求権を認め、たとえ所蔵がなくても草の根を分けても資料を探し出すと主張された時代だった。それが今世紀になると、利用者に資料所蔵を請求する憲法上の権利は存在しないという認識がコンセンサスとなり、ただし所蔵された資料に対する図書館員の裁量は認めないという線にまで後退している(代表的なのは松井茂記)。図書館の目的を規定していたはずの権利アプローチが戦線縮小してしまい、資料選択は戦域から外れてしまったわけだ。ならばどういう目的で図書館に資金が与えらえるのか、またどういう原理で本を選ぶのか、これについて再び考えるべき時代となっている。

  雑談の中で知った話だが、リニュアルした岐阜市立中央図書館がマスメディアによく採りあげられる存在になってしまったがために、周囲の図書館がプレッシャーを受けるようになったとのこと。首長や地方議会の議員から、うちの図書館も何かやって目立てと言われるようになったそうだ。そのためには先立つものが必要なのだが…。
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