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グラノベッターのweak tiesは日本でも活きるという議論

2010-05-20 10:32:08 | 読書ノート
メアリー・C.ブリントン『失われた場を探して:ロストジェネレーションの社会学』池村千秋訳, NTT出版, 2008.

  米国人研究者による日本の若者研究。特に1990年代以降の男子高卒者に焦点をあてている。著者は、制度的な採用ルートが壊れてしまっているため、これからの日本の若者は弱い紐帯(weak ties)を形成して、社会を泳いでゆくことが必要だと主張する。

  1990年代以前の日本では、高校と企業の間に信頼関係が形成されており、就業ルートが確保されていたという。若者にとっては、仕事の選択肢が少なくなるというデメリットの一方で、学校から職場にスムーズに移行できるというメリットもあった。しかし、こうした環境は1990年代に無くなった。進学校ではない高校生の多くは、正規雇用先を見つけられないまま=「「社会人」になる契機を見つけられないまま」卒業してゆくという。不景気による採用減があり、特に男子高卒者を多く受け入れてきた製造業が衰退したためである。

  以上の経過をデータで見せていることが新しいとはいえ、日本人読者にとっては予想の範囲内だろう。しかしながら、米国との比較は面白い。

  山岸俊男の研究1)を引いて、他者を信頼できるかどうかを判断することに関して、日本人より米国人の方が巧みだと推定している。日本人は他人を判断できないからこそ、制度的枠組み──著者は"場"と呼んでいる──がもたらす信用に頼る。一方、米国人は個人に対する判断力に頼って、弱い人間関係を形成・維持することができ、その関係の中で仕事を見つけることができる。

  アルバイトの違いも面白い。日本の高校生アルバイトといえば、企業によるものが一般的で、職場は家族や学校での教員との関係から分離されている。つまり、保護してくれる大人の監視外にあり、企業に搾取されやすい。一方、米国の高校生アルバイトは、ベビーシッターなどが中心で近隣の知己の範囲内で行われる。また、正規雇用の採用において、日本企業は学校による人物評価を信用することができるが、米国企業はそれに頼れないので、米国ではアルバイト経験は肯定的に評価されるらしい。しかし、日本でアルバイトと言えば「学業をさぼってやるもの」のように見られる。

  しかしながら、現在の日本では企業が高卒者を評価しなくなり、高校がもたらす信用の力も衰えた。そこで、著者は学校に頼らず、就職または転職をした日本の若者三人を例に挙げ、今後は制度に頼らない生き方を推奨する。そのために、仕事を見つけるのを容易にする弱い人間関係を形成・維持する能力が必要だとしている。

  以上。長いコメントはもう少し考えてからにする。

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1) 山岸俊男『安心社会から信頼社会へ:日本型システムの行方』中公新書, 中央公論新社, 1999.
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