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ネットが普及したこの時代に図書館がこの先生きのこるには

2016-08-25 13:51:08 | 読書ノート
ジョン・ポールフリー『ネット時代の図書館戦略』雪野あき訳, 原書房, 2016.

  邦訳タイトル通りの、きのこ先生本である。著者はハーバード大の先生で、ロースクール図書館の館長も務め、米国デジタル公共図書館(DPLA)の設立にも関わっている。原書はBiblioTech: Why libraries matter more than ever in the age of Google (Basic Books, 2015)。『日本図書館情報学会誌』Vol.62, No.3に、国立国会図書館員の塩崎亮氏による書評も出ているのでご参考に。

  著者の勧める戦略は、図書館員は紙の本も守りつつ、デジタルの大海にも乗り出せ、と二足のわらじを履くようすすめるもの。まず、電子化されていない資料がまだ多く存在し、また電子化されていても著作権のため図書館で無料で提供できない資料もあるので、紙媒体を保管・提供する合理性がまだ図書館にはあるとする。一方で、情報アクセスの機会がグーグルやアマゾンのような私企業によって支配されないように、図書館が代替選択肢となる電子的情報提供の公共的な手段も構築していくべきだという。しかし、どこの図書館も二足のわらじを履けるほどの予算がないのでは、という疑問に対し、図書館間での資料の共有と、図書館員による政治的働きかけによる予算維持、この二つによって問題を克服できると著者は述べる。通常の図書館業務をこなせるだけでなく、コンピュータ・スキルももち、かつ適切な政治的立居振舞いができなければならないという、過大な能力的要求を図書館員に課すものではある。けれども、そうした方向性は図書館員の「生き残り」戦略としてまっとうだろう。

  けれども、投資する側、図書館にお金を出す側の視点からみるとどうだろうか。印刷媒体の管理・提供と電子情報源の管理・提供は業務として異なる部分も多いので、個別の図書館がふたつとも行うよりも、それぞれを別の機関が行ったほうが専門性を発揮しやすく、効率的となる可能性もある。デジタル資料については現在の図書館の形で提供するのがもっとも合理的だとは言えないだろう。本書もそうだが、米国の図書館論においては、重要な情報ならば図書館を通じて必ずアクセスできるよう、図書館を構築してゆく必要があるというような主張が目につく。しかし、もはやこのような方向は現実的ではない(そもそもラジオやテレビの時代からすでに不可能になっている)。個人的には、図書館を情報入手手段の1ルートと捉えて、かつ私企業による情報提供もそのうちに含めた、情報の保管・提供制度のデザインが必要で、図書館プロパーが考える案とは異なったそのような情報制度論を誰か展開してくれないかな、と感じている。お前がやれって?
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