エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?:人種差別と没落する西欧』堀茂樹訳, 文春新書, 文藝春秋, 2016.
現代フランス社会の分析。2015年1月にシャルリ・エブド襲撃事件が起き、それに対して対抗デモが催された。本書は、デモ参加者の属性を明らかにしてフランス社会の分裂を描き出すという、フランス人にとってはショッキングな内容である。仏ヴァルス首相が本書を批判したということもニュースになった。細かなデータ分析が続くかなりハードな新書で、インタビューで構成された前著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる:日本人への警告』(文春新書, 2015)のようには気軽に読めない。
地図が提示され地名がしばしば言及されるのだが、日本人読者にはよくわからない。その分析を単純化すると、フランスは二つの地域に大別される。一つはパリとマルセイユを中心とする、19世紀には宗教の影響が弱まって世俗化した平等主義志向の地域。もう一つはリヨンなどを含むフランス中部を東西に走るベルト地帯とブルターニュ半島で、20世紀半ばまでカトリックを信じていた権威主義志向の地域とされる。後者は現在、国民戦線などの右派の浸透度が低い、社会党支持のリベラルな地域であり、ユーロ導入で経済的にも潤っている。そうした地域の住民と資本家層が対抗デモの参加者の中心となっていた、と著者はいう(国民戦線支持層である庶民はデモから排除されていたという)。加えて、彼らはイスラム差別主義者だ、と著者は記す。社会問題(若年層の失業)を宗教のせいにしている、加えて緊縮財政を採る政権を支持しているというのがその理由だ。国民戦線を支持する庶民は無力だが、社会党を支持する中産階級らはその間違った経済政策によって現在ある差別構造を再生産するがために危険だ、というわけである。
曖昧に感じたのは、デモ参加者が旧カトリック地域の住民のことなか、社会党支持の中流層のことなのか、どちらかという点であった。序盤で地域、中盤で階級に話がズレてゆく。両者は重なるということなのだろうか。ひょっとしたらフランス人には腑に落ちる議論なのかもしれないが、外国人読者にはこのあたりの説明がほしいところ。このせいで、著者が示すような線引きがどの程度説得力があるのか疑問が残った。すなわち、地域~階級の線に沿ったフランス社会の分断が過剰に見積もられている感があるのだ。「ゾンビ・カトリック」とレッテル貼りするような大袈裟な表現を使う著者である。また著者は、デモが「平等」を掲げなかった事実から、反ユダヤ主義復活の萌芽をみてしまう。針の穴のような事実でもって、引き出してくる帰結がいちいちトゥーマッチなのである。せっかく国民の一体感が高揚したところに冷水を浴びせかけられたような気分になったのだろう、首相が怒ったのもわかる。
一方で、こうした分析とは無関係なところに卓見があったりするので、全否定もできない。例えば、若年失業率の高さが移民の若者のイスラム国支持の温床になっているのだから、ユーロを離脱して反緊縮の政策を採るべし、という。また、移民のフランス文化への同化は婚姻を通じて確実に浸透しているが、それには時間がかかるとして、移民のイスラム信仰を許容するよう社会に求める。ただし、あくまでも著者は移民を同化させて国民一体化をはかるべしという発想であり、多文化共存という考え方ではないことは注意したい。以上のように穏当と思える処方箋を提示しており、そこは参考になる。全体としては多分に政治アジっぽいところがあって、好みがわかれるだろう。
現代フランス社会の分析。2015年1月にシャルリ・エブド襲撃事件が起き、それに対して対抗デモが催された。本書は、デモ参加者の属性を明らかにしてフランス社会の分裂を描き出すという、フランス人にとってはショッキングな内容である。仏ヴァルス首相が本書を批判したということもニュースになった。細かなデータ分析が続くかなりハードな新書で、インタビューで構成された前著『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる:日本人への警告』(文春新書, 2015)のようには気軽に読めない。
地図が提示され地名がしばしば言及されるのだが、日本人読者にはよくわからない。その分析を単純化すると、フランスは二つの地域に大別される。一つはパリとマルセイユを中心とする、19世紀には宗教の影響が弱まって世俗化した平等主義志向の地域。もう一つはリヨンなどを含むフランス中部を東西に走るベルト地帯とブルターニュ半島で、20世紀半ばまでカトリックを信じていた権威主義志向の地域とされる。後者は現在、国民戦線などの右派の浸透度が低い、社会党支持のリベラルな地域であり、ユーロ導入で経済的にも潤っている。そうした地域の住民と資本家層が対抗デモの参加者の中心となっていた、と著者はいう(国民戦線支持層である庶民はデモから排除されていたという)。加えて、彼らはイスラム差別主義者だ、と著者は記す。社会問題(若年層の失業)を宗教のせいにしている、加えて緊縮財政を採る政権を支持しているというのがその理由だ。国民戦線を支持する庶民は無力だが、社会党を支持する中産階級らはその間違った経済政策によって現在ある差別構造を再生産するがために危険だ、というわけである。
曖昧に感じたのは、デモ参加者が旧カトリック地域の住民のことなか、社会党支持の中流層のことなのか、どちらかという点であった。序盤で地域、中盤で階級に話がズレてゆく。両者は重なるということなのだろうか。ひょっとしたらフランス人には腑に落ちる議論なのかもしれないが、外国人読者にはこのあたりの説明がほしいところ。このせいで、著者が示すような線引きがどの程度説得力があるのか疑問が残った。すなわち、地域~階級の線に沿ったフランス社会の分断が過剰に見積もられている感があるのだ。「ゾンビ・カトリック」とレッテル貼りするような大袈裟な表現を使う著者である。また著者は、デモが「平等」を掲げなかった事実から、反ユダヤ主義復活の萌芽をみてしまう。針の穴のような事実でもって、引き出してくる帰結がいちいちトゥーマッチなのである。せっかく国民の一体感が高揚したところに冷水を浴びせかけられたような気分になったのだろう、首相が怒ったのもわかる。
一方で、こうした分析とは無関係なところに卓見があったりするので、全否定もできない。例えば、若年失業率の高さが移民の若者のイスラム国支持の温床になっているのだから、ユーロを離脱して反緊縮の政策を採るべし、という。また、移民のフランス文化への同化は婚姻を通じて確実に浸透しているが、それには時間がかかるとして、移民のイスラム信仰を許容するよう社会に求める。ただし、あくまでも著者は移民を同化させて国民一体化をはかるべしという発想であり、多文化共存という考え方ではないことは注意したい。以上のように穏当と思える処方箋を提示しており、そこは参考になる。全体としては多分に政治アジっぽいところがあって、好みがわかれるだろう。