エミリー・B.フィンレイ 『民主至上主義』加藤哲理訳, 柏書房, 2024.
民意を理想化して現実の民主政治を批判する態度を「民主至上主義(democratism)」と定義し、これを反民主主義思想であるとやり返す内容である。日本だと、自民党が国政選挙に勝っても「民意は示されなかった」などと選挙結果が不正であるかのように解釈する態度のことだ。著者は米国の大学講師。民主主義の研究者でFinleyという苗字だと、講談社学術文庫から翻訳が出ている『民主主義:古代と現代 』の著者モーゼス・フィンリーが思い浮かぶのだが、プロフィールで特に言及がないのでたぶん無関係な人なんだろう。原書はThe Ideology of Democratism (Oxford University Press, 2022.)である。
民主至上主義の起源はルソーである。政府は公益のために理性的に統治されるべきであり、政治に私的な利害関係を混入させるべきではないとする。こうした発想は、米国のフェデラリストの思想とは相反するものである。フェデラリストらは政治とは私的な利害の調整の場であるという認識を持っていて、権力を制限かつ分権化することで特定の個人やグループの独裁を防ぐ政治体制を考えた。彼らは、選挙において時にはある派閥が勝ち、別の機会には別の派閥が勝って国の支配的な地位に就くことになるが、その永続が制度的に妨げられていることでよしとする。しかし、民主至上主義者にとっては、政治が私的利益追求の場となっているということ自体が悪である。この悪を取り除くために、一般の人々を教育=啓蒙して、公共善すなわち一般意志との一体化へと誘導することを彼らは目論む。著者はこれを「一般意志を理解していると自称するエリートの優越」すなわちエリート主義であり反民主的である、と批判してゆく。
著者によれば、民主至上主義の系譜はトマス・ジェファーソン、ウッドロー・ウィルソン、ジャック・マリタン(カトリックの思想家とのこと)、ロールズとハーバーマス、新保守主義に受け継がれているという。各章でそれぞれの思想に分け入って共通する特徴を描き出している。特に興味深いのは外交政策への影響についてである。19世紀の米国は外交において不干渉主義をとっていた。しかし20世紀になると、外国の独裁者を倒して民主主義政権を打ち立てるべく軍事力を用いるようになった。この傾向は、ネオコンが政権の要職に就いていたブッシュ息子時代が特に当てはまるという。アフガニスタンやイラクへの軍事力による民主主義の輸出という試みは、独裁以上に悪い無秩序をもたらし、戦火の中生き残った現地民を反米主義者に変え、さらに民主主義を根付かせることに失敗した。これら軍事行動とそれに伴う大きな犠牲は、現実の政体とは異なる「現地住民の民意」なるものをネオコン=民主至上主義者が無根拠に夢想したことによってもたらされたと著者は非難する。
以上。民主主義に伴う理想主義を一貫した原理主義思想として描くことを試みている。読者としては、理想主義の程度の問題をかなり強引に二元論に変換してしまっているという印象をもった。しかし、二元論に変えることでその含意や帰結が分かりやすくなったところもあり、一長一短である。また、フェデラリスト的政治観と民主至上主義的政治観は優れた対比であるし、読んでおいて損はない。何より、大きな犠牲をともなったとしても何としても建前を維持するという米国人の行動様式を知ることができ、本音重視の日本人との違いに驚かされる。米国人と接する機会のある日本人には有益だろう。
民意を理想化して現実の民主政治を批判する態度を「民主至上主義(democratism)」と定義し、これを反民主主義思想であるとやり返す内容である。日本だと、自民党が国政選挙に勝っても「民意は示されなかった」などと選挙結果が不正であるかのように解釈する態度のことだ。著者は米国の大学講師。民主主義の研究者でFinleyという苗字だと、講談社学術文庫から翻訳が出ている『民主主義:古代と現代 』の著者モーゼス・フィンリーが思い浮かぶのだが、プロフィールで特に言及がないのでたぶん無関係な人なんだろう。原書はThe Ideology of Democratism (Oxford University Press, 2022.)である。
民主至上主義の起源はルソーである。政府は公益のために理性的に統治されるべきであり、政治に私的な利害関係を混入させるべきではないとする。こうした発想は、米国のフェデラリストの思想とは相反するものである。フェデラリストらは政治とは私的な利害の調整の場であるという認識を持っていて、権力を制限かつ分権化することで特定の個人やグループの独裁を防ぐ政治体制を考えた。彼らは、選挙において時にはある派閥が勝ち、別の機会には別の派閥が勝って国の支配的な地位に就くことになるが、その永続が制度的に妨げられていることでよしとする。しかし、民主至上主義者にとっては、政治が私的利益追求の場となっているということ自体が悪である。この悪を取り除くために、一般の人々を教育=啓蒙して、公共善すなわち一般意志との一体化へと誘導することを彼らは目論む。著者はこれを「一般意志を理解していると自称するエリートの優越」すなわちエリート主義であり反民主的である、と批判してゆく。
著者によれば、民主至上主義の系譜はトマス・ジェファーソン、ウッドロー・ウィルソン、ジャック・マリタン(カトリックの思想家とのこと)、ロールズとハーバーマス、新保守主義に受け継がれているという。各章でそれぞれの思想に分け入って共通する特徴を描き出している。特に興味深いのは外交政策への影響についてである。19世紀の米国は外交において不干渉主義をとっていた。しかし20世紀になると、外国の独裁者を倒して民主主義政権を打ち立てるべく軍事力を用いるようになった。この傾向は、ネオコンが政権の要職に就いていたブッシュ息子時代が特に当てはまるという。アフガニスタンやイラクへの軍事力による民主主義の輸出という試みは、独裁以上に悪い無秩序をもたらし、戦火の中生き残った現地民を反米主義者に変え、さらに民主主義を根付かせることに失敗した。これら軍事行動とそれに伴う大きな犠牲は、現実の政体とは異なる「現地住民の民意」なるものをネオコン=民主至上主義者が無根拠に夢想したことによってもたらされたと著者は非難する。
以上。民主主義に伴う理想主義を一貫した原理主義思想として描くことを試みている。読者としては、理想主義の程度の問題をかなり強引に二元論に変換してしまっているという印象をもった。しかし、二元論に変えることでその含意や帰結が分かりやすくなったところもあり、一長一短である。また、フェデラリスト的政治観と民主至上主義的政治観は優れた対比であるし、読んでおいて損はない。何より、大きな犠牲をともなったとしても何としても建前を維持するという米国人の行動様式を知ることができ、本音重視の日本人との違いに驚かされる。米国人と接する機会のある日本人には有益だろう。