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「体制側」は音楽をどのように利用しようとしたか

2013-01-23 10:06:47 | 読書ノート
上田誠二『音楽はいかに現代社会をデザインしたか:教育と音楽の大衆社会史』新曜社, 2010.

  1920年代から50年代までの日本の、音楽を通じた国民統合の諸相を扱った学術論文。北原白秋を代表とする芸術音楽と、中山晋平を代表とする大衆音楽の対立。前者を支持する音楽教師団体と、後者も取り込もうとする国家官僚。地方における文化教育の実態。これらについて、行ったり来たりしながら描かれる。

  内容は錯綜しており、わかりやすいとは言えないのだが、次のようにまとめられるだろう。1920年代、『赤い鳥』系の童心主義を反映した音楽教育が、音楽教師たちの間で理想とされるようになる。それ以前の唱歌は教条主義的な歌詞を持っており、退屈でつまらなく、子どもらはそれから離れて低劣な俗謡に染まってしまっている。対して、子どもの興味・心情を反映した歌詞を持つ「新しい童謡」を音楽教育に採り入れることで、彼らに正統な芸術文化の魅力を伝え、「正しい」美的センスを育もうというわけである。

  このために音楽教師らは団体を作って国にはたらきかける。ところが、国はそもそも音楽教育の有用性を認めておらず、予算をつけようとしない。これに対し、音楽教師の団体は、音楽教育の意義を「国民統合」に求めて説得しようとした。そこで重視されたのが、複数の声が融合して一体的な美を創り上げる斉唱・合唱である。それを使った教育は、集団に貢献するメンタリティを育てるという。この説得はある程度成功し、予算を獲得できた。けれども、合唱・斉唱を採り入れても、大衆音楽の魅力に打ち勝つことができなかった。

  大衆音楽作曲家もまた、社会貢献に対して独自の理論を持っていた。その代表が「東京音頭」を書いた中山晋平で、彼は土着的なメロディを用いて生活に疲れた一般大衆を慰撫することできると考えていた。音楽教師らに「亡国的」と考えられた彼の曲は、国家官僚によって大衆を動員するために利用される。それが1940年に発表された、中山作曲による「建国音頭」である。さらに戦時下になると、爆撃機のエンジン音から機体をわりだすという目的のために、音楽教育において絶対音感の教育が求められた。

  敗戦によって、大衆音楽との妥協や美的センスの育成の放棄が迫られた時代が終わり、再び音楽教師らがその理想を追求する時代が来る。再び、斉唱と合唱が重視されるようになるのである。それは、ファシズム体制への統合を目指した戦前とは異なるけれども、新しい「文化国家」日本への調和と統合を目指す点て、その構造は変わっていないという。

  以上がその流れだが、間に音楽教師間の意見の細かい相違や神奈川県大磯町の教育を検証したりしており、大部となっている。率直に言って、もっと記述を絞り込んだほうがわかりやすい書籍になっただろう。全体としては、この時代の文化を国家統制対アンチという図式で描くよくあるパターンを避けて、それぞれの文化が国家に貢献しようと競争し、また同時に自律性を獲得しようとしていた、というアンビバレンスな状況を伝えている。こうした様子を描くことについては、広い領域を対象としたことで成功しており、面白い。
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