内藤朝雄『いじめの社会理論:その生態学的秩序の生成と解体』柏書房, 2001.
日本の学校における「いじめ」のメカニズムと処方を探った研究書籍。モデル化に傾注する箇所がやたら難解で一般向きではない。
著者は、日本の学校を「中間集団全体主義」と定義する。日本のクラス運営のスタイルが、クラス集団への同一化を求めるもので、クラス外の人物との交流を少なくする閉鎖的なものだからである。そこでは、外部の集団を知ることができず、クラス内の人間関係を相対化する契機が失われている。その結果、所属する個人は、自分にとって不利益な人間関係を放棄するという選択が許されない。さらに、そこではクラス集団を超越する社会的規範が忘れられ、法的逸脱が軽微に処理されている。いじめられる者にとって逃げ場の無い、いじめを深刻化させやすい状況が生まれるという。
提示された解決法は二つある。学校がいじめた側に与える罰は穏便だ。そこにいじめを深刻化させる原因があるのだから、“より厳しい”一般の法を適用すれば酷いいじめは減るだろうというのが一つ。もう一つは、問題の根源は所属集団を選択できないことにあるのだから、クラス集団への所属の程度を緩くし、複数の他の集団への所属を選択できるようにすれば良いというものである。前者は米国でやっている「ゼロ・トレランス」みたいなものだろうか? 後者は教育制度改革を伴う遠大な提案となっている。
日本の学校における「いじめ」のメカニズムと処方を探った研究書籍。モデル化に傾注する箇所がやたら難解で一般向きではない。
著者は、日本の学校を「中間集団全体主義」と定義する。日本のクラス運営のスタイルが、クラス集団への同一化を求めるもので、クラス外の人物との交流を少なくする閉鎖的なものだからである。そこでは、外部の集団を知ることができず、クラス内の人間関係を相対化する契機が失われている。その結果、所属する個人は、自分にとって不利益な人間関係を放棄するという選択が許されない。さらに、そこではクラス集団を超越する社会的規範が忘れられ、法的逸脱が軽微に処理されている。いじめられる者にとって逃げ場の無い、いじめを深刻化させやすい状況が生まれるという。
提示された解決法は二つある。学校がいじめた側に与える罰は穏便だ。そこにいじめを深刻化させる原因があるのだから、“より厳しい”一般の法を適用すれば酷いいじめは減るだろうというのが一つ。もう一つは、問題の根源は所属集団を選択できないことにあるのだから、クラス集団への所属の程度を緩くし、複数の他の集団への所属を選択できるようにすれば良いというものである。前者は米国でやっている「ゼロ・トレランス」みたいなものだろうか? 後者は教育制度改革を伴う遠大な提案となっている。